五拾七日目デス・・・「愛国心」の「涵養(カンヨウ)」ってコトバ、「養命酒」で「涵養」じゃぁないよなッ・・・「カンヨウ」って言う同音異字漢字が沢山あるけれど、ボク達が日常使用している「カンヨウ」は心、気持ちの「寛容」で、「官用」は「お役人」が「用いるモノ」で、「慣用」は使い慣れたモノだ。これじゃぁ、「カンヨウ」もミミからキクブンには混乱してしまうョなッ。

 「肝要」なのはなんだろう?・・・「観葉植物」ってのもあるけれど、「大麻」は「観葉植物」には分類されんだろうな・・・ヤクに立つモノは危険だし・・・「芥子の液汁」は「涵養」にはならないだろうな。神経が麻痺し、脳ミソが「陶酔」したアゲクは「禁断症状」に陥って肉体も精神もボロボロになってしまうのがオチだ。「愛国心」って言う「汁液」は・・・戦前の「日本」よりも、今現在の中国(大陸)の「愛国心」を視ればワカルだろう?・・・「愛国無罪」・・・で、「愛国=暴力」で、「有罪」じゃなく、「無罪」だからな。日本は「無国有罪」って・・・「愛国心」を「涵養」・・・自覚症状が無い期間を目論んでいるのサッ。ナニが「民・主・党」なんだか・・・カンバンを変えたほうがイイ・・・「自・民・党」も。
 人間諸関係で「慣用」されるモノで重要なモノは「金=貨幣・紙幣・クレジット・カード」で、この「金」はドウ観たって、「涵養」するモノじゃぁなくて、「交換手段」なんだけれど、この「交換手段」に過ぎないモノが、「ココロ」をジワジワと蝕む「秘密」であるところが「肝要」ダヨネッ。
 「ダ・ビンチ・コード」って、実は、この「キン=コン=カネ(金)・コード」に「キリストの愛と奇跡」をシフトさせる要(カナメ)だよナッ・・・拝金主義=拝金宗教に・・・「金」に絡むハナシは、キリストの「十二使徒」では「彼等の生活費を賄う会稽ガカリで、裏切り者のユダ」だけれど、「ユダ」は最期のサイゴまで「キリストの奇跡」を待ち望み信じていた人間だ。「生活費の心配」もしながら・・・「最後の晩餐」のパンや、ワイン、それに、イエスの足を清める「高価な香油代金」だって・・・「マグダラのマリア」から請求されていただろうし・・・彼女が妊娠していたら尚更「教団経営」のカネの心配せざるを得なかったに違いない。「裏切り」もこの「スーパースター」の「奇跡」を実現してもらいたかった「ユダ」自身の切望からだった。「ユダ」が「自殺」さえしなければ、「キリスト死後の復活」も視れたのにネッ。でも、そんなモノはなかったのさ・・・あったって考えてもイイケレど・・・「パウロ」の妄想が「石」の上に「幻想」を築いたんだから・・・ナンかにているネッ、「ホリエモン」と「ミヤウチのウラギリ」・・・

 悟獣死知・・・でした。