弐拾四日目・・・日記をカキ続けるって、結構シンドイなっ・・・持続力、忍耐力が必要だよね。「四=肆」は連続性、続ける、連なるで、漢字分解では

 肆=長+聿

 だから「カ・キ」続けなくちゃね。
 「おとなりの日記」って「テーマ」が似通った同じ人の「日記のコト」なのかな?・・・それに「リンク元」って、ボクの日記を「覗きに来たヒトのコト」なのかな?
 スゴイョねっ、膨大な情報を書きこんでいるヒトって。しかも他人が覗いてくれるコトを前提にしている「自己主張の日記」って・・・わかりきっているけれど、「ブログの日記」って「自己確認のモノ」ではないらしい・・・自分自身に対する「ウソ」も相当に書き込んでいるんだろうナッ。
 「女王の教室」では「女王と女生徒」の「交換日記」のヤリトリが物語の展開のテコになっていた部分があったけれど・・・「秘密の共有」を望むのはどんな種類の人間だろう?
 ムカシ、谷崎潤一郎の「鍵」って言う小説あったけれど・・・なるほど、夫婦間の刺激的なコミュニケーション手段で、その「本人の内面の秘密を日記に書き込んで暴露」し、それを相手に覗いて貰うことで猜疑心や精神的な刺激を得る、と言う・・・人間って面白い動物だ。特に「いえす、のう」をストレートに言えなかった、言えない「日本人の特殊的」な言語環境にあっては「ブログ日記」はピッタンコの文化かも。
 書き込んだハズなのに?・・・アレレレッ、消えた、自分が消したのかな・・・
 追記・・・「カミ」を前にして「ウソ」をついちゃぁイケナイ正直者であった「西洋のキリスト信者」に対する「魔女狩り」、「ウソ」をつけなかった江戸時代の「切支丹」の磔刑火あぶり、「ウソ」をつかないコトで・・・「イノチ」を奪われたのだ・・・「ウソも方便」とはイノチを救う方策のコトバなのに。コトバを操る技術を心得、「コトバのレトリック」的技術で「ウソ」をついた「転びバテレン」は地位を与えられ長生きした。「コロンダコト」は「カミ」が許してくれるだろう、との「コトバ」の屁理屈で。
 ウソをつくことでモウケる奴がいて、ウソによってダマサル、財産を奪われるヒトもいる。
 妻子が殺された家族の「人権」そっちのけで「殺人犯の人権を弁護」する「弁護士」もいる。そして「犯人」に狂人を装わせたり、事件の事実、現実をどっかへヤッテ、妄想をたけさせて「ウソ」を捻出、搾り出させて「弁明書」なるモノつくらせている「弁護士」がいる。
 憲法違反である「法律」をその「憲法法文」で判断をしない「裁判官」も存在する・・・「概念規定」をハッキリさせたく無いのはダレダなんだか・・・