2574日目・・・「音」か、「意」か?・・・「音」も、「意」もか?・・・闇夜に提灯・・・猿田彦は「邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来た」、「猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ=猿女君・自分を送り届けるように頼んだ」・・・「猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神(古事記)、猿田彦命(日本書紀)と表記」・・・猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざかの海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂(底度久=テイトク・御魂)」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ

 猿田彦神の3つの御魂
 底度久御魂(テイトク-オンコン)・・・・提督・貞徳・帝徳・禎徳
 都夫多都御魂(トフタト-オンコン)・・・「塗布・土風・問ふ」他訳
 阿和佐久御魂(アワサク-オンコン)・・・「阿波・安房」裂く
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 火星(Mars・マールス・マーズ・Άρης=アレース)



 ・・・提灯!?・・・「お猿のかごや」は「山上武夫(大正6年=1917年2月8日〜1987年11月2日)作詞、海沼實(明治42年=1909年1月31日〜1971年6月13日)作曲による昭和13年=1939年12月にビクターレコード、歌手、尾村まさこの童謡として発売」・・・
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 「提=扌+是」督の「音今」
    提供(貞鏡・貞享)・提督(底度久)
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 「貞享」=江戸前期、霊元天皇東山天皇の時の年号
      1684年2月21日〜1688年9月30日
      天和の後、元禄の前
     「永貞吉、王用享于帝、吉
     (永貞なれば吉、王用って帝に享す、吉)」
      貞享暦(じょうきょうれき)は
      唐代の
      長慶宣明暦(ちょうけいせんみょうれき)
      天安三年(859年)に
      渤海使がもたらし、それまでの
      大衍暦・五紀暦に代わり用いられた
      暦博士
      大春日真野麻呂の強い推挙による
      長慶宣明暦
      に変えて
      渋川 春海が
      貞享暦を作成
      日本初の国産暦
      和暦として改元
      幼名は六蔵
      諱は都翁(つつち)
      字は春海、順正
      通称は助左衛門
      号は新蘆
      姓は安井から保井、渋川と改姓
      将軍は
      第五代
      徳川綱吉=犬公方=「能狂」
 「貞鏡」=初代
      双龍斎 貞鏡
     (そうりゅうさい ていきょう)
      講談師
      本名は中村貞之助
      寛政十一年(1799年)
      〜
      安政二年九月二日(1855年10月12日)
      享年57
      初代錦城斎典山の門下
      隻眼だったために同じ隻眼の
      伊達政宗法名
     「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」
      に因んで貞山と号した
      得意演目は「伊達評定」
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 那須 与一=系図上は那須氏二代当主
       一般的に宗隆
       家督を相続した後は
       資隆と名乗った
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 追大壹の・・・追(おい・ツイ)の大(おほ)の壹(ひとつ・イチ)
       「追大壹=685年に施行された官位制にあるもの」
       「辺境地方の長官の官位」
 笠石神社=那須国造碑(なすのくにのみやっこのひ)
      下野那須国造の那須直韋提(なすあたいいで)が
      評督(こうりのかみ)
      に任命
      石碑が
      西暦700年に建てられ
      栃木県の
      大田原市
      碑は
      那須直韋提の子
      意斯麻呂(おしまろ)
      が建てた
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 700年(文武四年)に没した
  那須直韋提(なすのあたいいで) の頌徳碑
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  那須  直   韋提
  (なす の あたい いで)
  は
  評督
  を賜はれり
 ↓↑
  意斯麻呂
 (おしまろ)
  ら
  碑銘を立て
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 提=扌+是(日疋)・・・疋=乛(オウ)+ト+人
   さげる・ひっさげる
   テイ・ダイ・チョウ・・・提灯(チョウチン)
   手にさげて持つ・提琴・提携
   差し出す・持ち出す
   提案・提起・提供・提言・提示・提出・提唱・前提
   先に立って引き連れる
   提督(テイトク)
   梵語の音訳字(ダイ)
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   さげる・ひっさげる・持つ・手にさげて持つ
   かかげる・かかげて示す・差し出す
   ひきいる・ひきつれる
 ↓↑
 地名
 提(ひさげ)・菩提(ぼだい)・千提寺(せんだいじ)
 提興屋(ひさげこうや)・求菩提(くぼて)
   ↓↑
   招提 (しょうだい) ・菩提 (ぼだい)
   提灯 (ちょうちん) ・提子 (ひさげ) 
   招提・前提・提案・提起・提議・提供・提琴
   提携・提言・提示・提出・提唱・提訴・提題
   提灯・提督・提婆・提瓶・提要・提論・提喩
   提撕・提腕・菩提・孩提・闡提・提子・提ぐ
   ↓↑
 後生菩提(ごしょうぼだい)
 耳提面命(じていめんめい)
 上求菩提(じょうぐぼだい)
 提綱挈領(ていこうけつりょう)
 提耳面命(ていじめんめい)
 発菩提心(ほつぼだいしん)
 煩悩菩提(ぼんのうぼだい)
 無上菩提(むじょうぼだい)
 ↓↑
 傘と提灯は戻らぬつもりで貸せ
 (かさとちょうちんはもどらぬつもりでかせ)
 暮れぬ先の提灯(くれぬさきのちょうちん)
 提灯に釣り鐘(ちょうちんにつりがね)
   釣り合わないこと、比較にならないことのたとえ
   提灯と釣り鐘は形は似ているが重さがまるで違う
 提灯持ち(ちょうちんもち)
 提灯持ち川へはまる(ちょうちんもちかわへはまる)
   人を導くべき人が、先に失敗してしまうことのたとえ
   提灯を持って先導する人が、
   自分の足元が暗いため川に落ちてしまう
 提灯持ちは先に立て(ちょうちんもちはさきにたて)
 月夜に提灯(つきよにちょうちん)
   不必要なことのたとえ
   月夜に提灯は必要ないことから
  「月夜に提灯夏火鉢」
 月夜に提灯も外聞(つきよにちょうちんもがいぶん)
   実際は不必要なことでも、
   世間体のためにしなければならないたとえ
   月夜に提灯をともすような無駄なことも、
   世間体のために必要なこともある
 手鍋提げても(てなべさげても)
   好きな男と夫婦になれるなら、
   どんな苦労もいとわないということ
 盗人の提灯持ち(ぬすびとのちょうちんもち)
   悪人の手先となって、手助けをすること
   「提灯持ち」は、
   人の手先になって、その人をほめ従う者
 闇夜の提灯(やみよのちょうちん)
   ひどく困っている時に、
   頼りになるものに出会うことのたとえ
   「闇夜の灯火」
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 淡路(タンジ)→種子(タネジ)→丹児(タンジ)
 ↓↑         ↓↑
 海南島は       ↓↑
 前漢時代から「儋耳(タンジ)・珠崖(シュガイ)」
 ↓↑
 儋耳や
 儋=儋=亻+袪=擔・担
   になう・にたい・こがめ(小甕⇔小亀?)・タン・セン・ゼン
   異体字は擔・担
   担(儋、擔)
   担ぐ、担う
   担(擔) - 東アジアの荷物や重さの単位
   延喜式では人ひとりが担ぐ荷物の量
   中国語圏の尺貫法では100斤
   袪=厃+儿+言
     ヂァン・しつこくものを言う様子
 ↓↑
 筋の通らない無責任な言葉・うわごとを譫語(センゴ)といいます。
 譫(セン)=たわごと
       筋の通らない無責任な言葉
       うわごと・譫語(センゴ)
   鼈甲=ベッコウ=別項・別稿
 ↓↑
 古代中国で
 夷洲(イシュウ)=「台湾」
 海南島=「儋耳(タンジ)・珠崖(シュガイ)」
 秦の始皇帝時代の地域=象郡・・・?
 『漢書・地理志』
 合甫郡
 徐聞県
 大きい島=海南島
 『後漢書・郡国志』
 徐聞県
 ↓↑
 呉の孫権
 赤烏五年(242)
 将軍-聶友
 校尉-陸凱
 を遣はし兵三萬を率いて
 朱崖・儋耳(海南島)を討っ
 ↓↑
 隋統一王朝
 海南島
 珠崖(シュガイ)郡
 十県・12670戸(『隋書・地理志』)
 ↓↑
 南朝-梁
 崖州(ガイシュウ)
 『旧唐書
 崖州
 四県、1110戸・・・1110・壱千壱百壱拾
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 ・・・拾壱&壱拾・壱足・・・

 ↓↑
 土偶
 霧ヶ峰
 八ヶ岳
 中信高原
 長野県
 茅野市
 諏訪市
 諏訪郡
 下諏訪町
 小県郡
 長和町
 にまたがる火山
 ↓↑
 八ヶ岳縄文道
 棚畑遺跡
 八ヶ岳縄文王国の
 国宝土偶
 「縄文のビーナス
 の出土地
 『棚畑遺跡』
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 「仮面の女神
 の出土地
 『中ッ原遺跡』
 ↓↑
 茅野市米沢埴原田
 棚畑遺跡
 縄文時代中期(約5,000年前)〜後期前半(4,000年前)
 縄文時代の住居址が149箇所発掘
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 「黒曜石」流通の交易・交流の拠点
 環状集落が南北2箇所にある
 双環状の遺跡
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