2573日目・・・「大輝丸事件」・・・「火星(Mars )の時代」・・・Red Planet(レッド・プラネット・赤い惑星)・・・「マーウォルス(マウォルス、Māvors)・マーメルス(マメルス、Māmers)」・・・「グラディーウゥス(グラディウス、Gradīvus、進軍する者という異称)」・・・「アレース=アーレース(ΑΡΗΣ、Arēs、Ἄρης, Ārēs)」・・・聖樹は「トネリコ(梣)=木+山+今?」・・・「和名の由来は、本種の樹皮に付着しているイボタロウムシ(イボタ蝋=虫白蝋・水蝋蝋)が分泌す
揖=ゆずる・あつまる・へりくだる・あつまる・あつめる・ユウ・シュウ・会釈・胸の前に両手を組み合わせて行う礼法・一揖・揖譲・揖揖・・・
揖=扌+咠=手+口+耳=ユウ(イフ)・笏(しゃく)を持ち、上体をやや前に傾けてする礼・中国の昔の礼の一・両手を胸の前で組み、これを上下したり前にすすめたりする礼・・・葺(ふき)・茸(きのこ)・・・
「儋耳(タンジ)・珠?(シュガイ)」=海南島
「夷洲(イシュウ)」=台湾
↓↑ ↓↑
「粤(エツ)の地は
牽牛・婺女(ブジョ)の分野
今の
蒼梧・鬱林・合甫・交阯・九真・南海・日南
の諸郡は、みなその分野として粤(エツ)の地
・・・
粤=ノ+囗+米+丂
異体字は𠿋・𦉿
粵ここに・ああ・エツ・オチ・発語の語・嘆息の声
合甫郡の
徐聞県より
南方海上に出れば
大きい島があり
東西南北千里四方で
武帝の元封元年(前110)
これを略取して
儋耳(タンジ)・珠?(シュガイ)
の二郡を置いた
民はみな布を服ているが
ひとえの夜着のようであり
真ん中に穴を穿って頭を出していた
男子は農耕し
禾稲(イネ)・紵麻(チョマ)を種え
女子は桑蚕・機織・紡績をした
馬と虎がおらず
民に牛・羊・豕(ブタ)・鶏・犬の五畜あり
山に麈(シュ)・麖(ケイ)が多くいた
シュもケイも大鹿
武器は矛・盾・刀・木弓弩・竹矢、骨鏃があった
郡県となった当初より
吏卒の中国人に
侵害されることが多かったため
その民はおおむね数年に一度叛乱した
元帝(前48〜前33)
この地を放棄した
(『漢書』地理志下粤)」
↓↑
咠=ささやく(囁く)・そしる(謗る・誹る)・シュウ・ユウ
↓↑
「カイガラムシ(介殻虫・Coccoidea)
カメムシ目ヨコバイ亜目腹吻群カイガラムシ上科に
分類される昆虫の総称
果樹や鑑賞樹木の重要な害虫
いくつかの種で
分泌する体被覆物質や
体内に蓄積される色素が重要な
経済資源ともなっている分類群」・・・
「ルビーロウ-カイ-ガラムシ」・・・?
ルビー=紅玉 (birthstone)・真紅色・・・ルビ(ruby)
カイ=甲斐(X)・回・解・海・歌意・・・?
「1945年、九州大学の
安松京三は、
九州大学農学部植物園で
月桂樹(ゲッケイジュ)の枝に寄生した
ルビーロウカイガラムシを採集し
ガラス管に入れておいたところ
トビコバチ科の新種の
寄生バチが出てきたのを発見
1954年
石井悌と連名の論文で新種記載
ルビーアカヤドリコバチ・・・紅玉赤宿小蜂?
(Anicetus beneficus Ishii & Yasumatsu)
と命名された」・・・
↓↑
安松京三(Yasumatsu・アンショウ キョウゾウ)
・・・安=宀+女
松=十+八+八+ム
京=亠+口+亅+八
三=参
と
石井 悌(Ishii)・・・「磐井・岩井」の「悌=忄+弟」
悌=したがう・やわらぐ・やすらか・テイ・ダイ
年長者に従順なこと・孝悌
兄弟の仲がよいこと・悌友
兄や目上の者に素直につかえること
やわらぎ楽しむこと・豈悌(ガイテイ)
↓↑
ルビーアカ-ヤドリ-コバチ
2018/7/29/22:30
「アレース=マルス=戦いの神・・・阿(蛙)例重素(諏)
神なのに
人間のディオメーデースに敗北・・・神に勝ったのは
ヤコブ=イスラエル(旧約聖書)
イスラエル(神と戦う者という意味)
(アテーナー女神がディオメーデースを支援)
・・・芦名・葦名・蘆名・蘆品・足名?
ヘーラクレースからは半殺し
巨人の兄弟アローアダイ(オートスとエピアルテース)
により
青銅の壺の中に
13か月間幽閉された
アレースの好戦的な神格が
ギリシア人には不評・・・
主にギリシアの蛮地であるトラーキアで崇拝・・・」
・・・「トラキア」・・・虎起(来)鴉・・・虎は香良洲から来る?
「神々の中では嫌われ
愛人のアプロディーテー(ヴィーナス)や従者と子供達
そして彼が引き起こした
戦争が冥界の住人(死者)を増やすことから
冥界の王・ハーデースとは関係が深い」・・・
「アンタレス(Antares)
さそり座α星・火星に似たもの(ギリシア語)」を意味する
「"Άντάρης"」に由来・・・
ーーーーー
1922年(大正11年)・・・弐拾弐・拾壱
↓↑・・・1922年=千九百弐拾弐=千玖珀念仁
大正11年=タイショウ十一ネン
=対象・対照・対称・大賞・大将・大笑
・・・大小・代償・大証・代将・大商
十一念・撚
↓↑
大輝丸事件(だいきまるじけん)・・・一の人の光の軍
日本の「海賊」による・・・「海賊」?
外国人殺害事件
「尼港(ニコライエフスク )事件の復讐」
↓↑ ・・・シベリア出兵中の
日本軍隊と
ソビエト・パルチザンとの間の紛争事件
1920年2月
アムール川河口の
ニコライエフスク (尼港) を
占領中の日本軍は
↓↑ ソビエト・パルチザンの攻撃を受け降伏
↓↑ 将兵および居留民は捕虜
パルチザン側は
351名の日本将兵、副領事を含む
383名の日本居留民を殺害
市内を焼払って逃亡
ソビエト政府は
事件責任者を死刑に処し
事件には無関係との態度をとった
日本政府は交渉すべき
相手方政府が存在しないことを理由に
北樺太・サガレン州の主要地点を保障占領
日本軍は
1922年10月まで
4年2ヵ月とどまり
北サハリン占領は
1925年5月まで続き
日ソ基本条約附属公文において
↓↑ ↓↑
ソビエト政府が
日本政府に遺憾の意を表明
6月24日
シベリアから日本が撤兵を声明
日本側も保障占領を解除し解決・・・
10月25日
シベリアからの樺太北部を除いて日本軍が撤兵を完了
12月27日
鳳翔(ホウシヤウ)
日本海軍初の航空母艦・世界初の新造空母
12月30日
ソビエト連邦成立
↓↑
大正11年(1922年)
大正 9年(1920年)の
「尼港(ニコライエフスク )事件の復讐」
の名のもとに
江連(えづれ)力一郎
らが
ロシア船を次々と拿捕して
積み荷を略奪
ロシア人12人、中国人4人、朝鮮人1人を殺害
↓↑
2年前の
大正9年(1920年)
ロシア沿海州の都市
ニコライエフスク (尼港)が
パルチザン(ロシア赤軍?)の襲撃を受け
多数の市民が虐殺
多数の婦女子を含む
在留
日本人700人が巻き込まれて全滅
女性への残虐な殺害
日本社会は反露感情に沸き立った
↓↑
1922年(大正11年)10月9日〜10月22日、23日
大輝丸事件(だいきまるじけん)
事件の経過
↓↑
首謀者
江連(えづれ)力一郎(当時34歳)は・・・江連力一郎?
茨城県
結城町出身
海城中学卒
明治大学中退
のちに
陸軍に入隊し軍曹
彼は柔道、剣道、合気道など各武術をきわめ
段位は合計で30段
↓↑
尼港での
惨劇に悲憤慷慨し
復讐を決意
軍部や実業家から
潤沢な資金を回収し
決行の機会をうかがった
神戸西之宮の
相沢汽船会社所有の
船・大輝丸740トンを用意し
「オホーツク海に砂金採取に行く」
と称して乗組員を募集
呼びかけに
人夫、失業者、学生など
60人が集まった
9月26日
北海道・小樽を出航
10月1日
樺太北部の
アレクサンドロフスク・サハリンスキーに入港
江連は乗組員全員を船の甲板に整列させ
ピストルを誇示しつつ檄を飛ばす
↓↑
「オホーツクでの砂金回収60貫は
流氷による航海不能により見送ることにする。
そこで我らは進路を変え、
アムール川河口の
ニコライエフスク (尼港)に向かう。
諸君らもよく知るはずの尼港だ!」
↓↑
10月9日
ニコライエフスク (尼港)に入港
沖合でロシアのランチ1隻、発動機船1隻を略奪
北樺太の
ポコピー、デスカストリー付近で
帆船1隻および多量の海産物や油類を略奪
同時にロシア人船長以下12人
および先の発動機船の乗組員4人を
大輝丸の船員室に監禁
↓↑
10月22日、23日
捕虜17人全員を甲板に引き出すや
命乞いを聞き入れることもなく
ピストルと日本刀を使い分けて殺害
小樽に帰港し
略奪品を荷揚げし、
各乗組員に150円ずつの分配をし
厳重な口止めを約束させて解散
↓↑
事件後、乗組員だった
田中三木蔵
菊池種松
が、自首し事件が発覚
「兵站」として使用していた
稚内の倉庫から
大量の武器弾薬が発見
江連は直ちに全国に指名手配
江連は
情婦の「生首お梅」
参謀格の
石川房吉を引き連れ
札幌郡下手稲村の
温泉旅館・光風館に逗留
同年12月13日
警官隊の急襲を受け
抵抗することもなく縛についた
江連は取調べの席でも法廷においても
「ニコライエフスク (尼港)事件で
殺害された日本人の霊をなぐさめるため
天にかわって正義の剣をとり
懲罰をこころみた」
旨弁明
3年間、未決であったが
大正14年(1925年)2月27日
懲役12年の刑に処せられた
他の乗組員34人には
懲役12年から
罰金500円までの有罪判決が下った
↓↑
江連はのちに数度にわたる特赦
昭和8年(1933年)に出獄
翌9年
マリー・ローザンヌ号
金塊引揚事件に関与し再び捕らえられるが無罪
後に満蒙開拓団に加わった・・・
消息は不明
心形刀流杖術・・・心形(シンケイ)⇔神経・唇形
刀流(トウリュウ)⇔逗留・東流・当流
杖術(ジョウジュツ)⇔上述
を学んでいた江連は獄中で
ステッキ術の指南書を著し
現在でも復刻版が刊行
未決のままであった二人の乗組員のうち、
一人は戦後見つかって
執行猶予つきの有罪判決
他は
事件発生から
45年後の1967年2月28日
東京地裁は時効完成による免訴の判決
↓↑
日露戦争中に
北海道国後島海岸にて
沈んだロシア軍用船
「アンナ・ローザンヌ号」
から金貨2500万ドルを引き上げると騙って
1万6千人あまりから
36万円(当時)を集めた詐欺事件
資金集めのため設立された後援会には
会長・有馬聡頼子爵
理事長・三輪光儀陸軍少将
をはじめ名士が多数名を連ねていた・・・
ーーーーー
・・・???・・・「拉致誘拐被害者」を「救済」出来るか・・・「救済」出来なかったとしたら・・・