2569日目・・・「ブラック・イズ・ビューティフル(Black is Beautiful・黒って素敵・黒って素晴しい・黒は最高・黒はイカスゼ・黒はスゴイ・美しい)」?・・・「Black is Crows(Ravens)」、「Black is 」・・・「ブラック・インディアン、アメリコ・ライベリアン、アフリカ系ラテンアメリカ人、アフリカ系アメリカ人(African-American)は、アメリカ合衆国民のうち、アフリカ出身の黒人(ネグロイド)もしくはその子孫」・・・Black is Beautiful・・


 「Black is sad; unhappy; sorrowful(嘆き悲しむ); mournful(哀れな)」・・・
 「ススを混ぜた黒い漆の上に更に純粋な漆を塗り重ねられていた」
 「細かい炭素の粉末を混ぜた漆」
 「漆黒=七黒」の「漆器=japan」・・・黒光りって?・・・
 「朱塗りの漆器が、長年使われ
  下地の黒が浮かび上がってきたものを
  根来(ねごろ)」・・・
 「東大寺に伝わる根来の盆」
      ・・・根来=ねごろ⇒ニグロ=ネグロ=Negro
   ネグロイド(Negroid)=ニガー(nigger)差別用語
   「切支丹国より、黒坊主参り候・年齢は26歳〜27歳ほど
    十人力の剛力、牛のように黒き身体(信長公記)」
   「太田牛一末裔の・・・ナンで「太の田の牛の一」なのか?
    加賀-大田家に伝わった自筆本の写し」に
   「黒人・弥助(彌+助)が
    ↓↑ ・・・彌(弓爾)+助(且力)
       且(かつ・シャ・ショ)=其の上に・ながら、つつ
       ↓↑
       まづ(先)・しばらく(姑)・未定の意をあらはす
       よし・たとへ・仮設(假設)の辭
       また、はた、すら
       それでも矢張り、然るになほ
       まさに…す(先づ マサニと讀み、 スと返し讀む)
       將に同じ
    ↓↑「苟且(かりそめ)」
       と(與)・此処に・殆んど
        次且(シシヨ)は、しさる貌、進まず=趑趄
       しく(薦)
       祭に牲を載する臺、まないた、俎の古字
       多き貌
       陰曆、六月の異名
       シヨ・ソ
       へだつ(阻)
       恭謹の貌
       ソ
    ↓↑ ゆく(往)=徂
    弥助は
    私宅と腰刀を与えられ
    時には道具持ちをしていた」の記録・・・
  ↓↑  ↓↑   
 「黒瑪瑙=オニキス(Onyx)=瑪瑙で平行な縞のあるもの
      ギリシア語の爪(Onyxis)に由来」
 「黒瑪瑙=ブラックオニキス(black onyx)」
 「黒瑪瑙、白瑪瑙はカメオの材料
 「表面に浮き彫りを施したものをカメオ(cameo)
     沈め彫りを施したものをインタリオ
     カメオ(cameo)と・・・「亀尾」?
     インタリオ(Intaglio)を
     まとめて
     カメオ(cameo)と呼ぶ」
 黒曜石(obsidian・オブシディアン)=「黒曜石」のい反射?・・・
 「アブシィディィアン(ヌ)」・・・「阿武私意出意異案?」・・・
 輝き=かがやき=耀き・・・加賀焼き?
           ・・・「九谷焼」と、「大樋焼
  ↓↑  ↓↑
 「ブライトネス brightness.
  オレオ材料ール aureole.
  ダズル dazzle.
  グリント glint.
  グリッター glitter.
  グロー glow.
  ラスター luster.
  レイ ray.
  シーン sheen.
  スパークル sparkle.」・・・
 「Shine like a obsidian(luster black stone)」・・・
 「luster(lʌ'stər・ラァスタァ(ル)」
 「北海道地方
  東部に
  遠軽町
  白滝黒曜石原産地、
  西部に
  赤石川黒曜石原産地・・・「朱は、辰砂・丹
               加熱した漆に朱を混ぜる」
  がある。
 例文
 Hokkaido region: Obsidian is produced in Shirataki,
  Engaru-cho in the east of Hokkaido
   and in Akaishikawa in the west of Hokkaido.」
  ↓↑
 美しい・ご立派・・・ギリシャ語=カロス(καλος)=カラス=(ómorfos)・・・
 ギリシア語「ωραίος (el) 男性 (oraíos), όμορφος (el) 男性 (ómorfos)」・・・
 スロヴァキア語「krásny 男性・krásna 女性・krásne 中性」・・・

ーーーーー
 黒艶のカラス
 「からす=烏=鴉」は「くろい」
 「からす=烏=鴉」は「かしこい」
 「からす=烏=鴉」は「かんがえる」
  ↓↑
 英語・・・・・・クロウ(crow)・・・黒鵜・黒兎・苦労
             九郎義経(源氏=ゲンジ=言字・玄事)
                  カラス(鴉・烏)天狗
         レイヴン(raven
         ルク=ルック(rook)・・・ロック(rock)磐
                      ロック(lock)錠
         ジャクドー=ジャックドー(jackdaw)
 ギリシャ語・・・コラキ(κοράκι・koraki)
         コローネー(κορωυη)
 オランダ語・・・クラーイ(kraai)・・・暗ぁい
 韓語・・・・・・カマグィ・・・・・竃灰・釜喰・鎌句意
                  釜次郎(榎本)・鎌足(中臣)
 中国語・・・・・ウーヤー・ウヤ(烏鴉)
 ドイツ語・・・・ラーベ(Rabe)
         クレーエ(Krähe)・・・暮れぇえ
 フランス語・・・フルー(freux)・シュカ(choucas)
         コルボー(corbeau)・コルネイユcorneille
 イタリア語・・・コルヴォ(corvo)
 ラテン語・・・・コルウス(corus)⇔児(子)留碓(臼)=小碓
ーーーーー
 アフリカン・アメリカン
 民族的回帰運動でもある
    ・・・ルーツ(Roots)は
    アレックス・ヘイリー原作の小説『ルーツ』
   (Roots: The Saga of an American Family)
    発祥(起源、由来、原点)・先祖(祖先)・故郷(出身地)
 「ブラック・パワー」
 を提起した黒人たちは、
 「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」
 をスローガンに掲げ、
 人種的存在(?)を
      ・・・黒人の王は同胞の黒人を奴隷として売った
         どんな人種も同胞、家族構成員を奴隷として売った
         飢饉で日本東北では妻子、娘を売った
         自分自身を借金の肩代わりとして奴隷として売った
         秀吉は
         葡萄牙ポルトガル)奴隷商人に激怒した?
         安寿、厨子王、そして姉弟の母は
         人買いに拉致誘拐され
         山椒大夫に売り飛ばされた
        「マリア・ルス(Maria Luz)号事件
         明治五年(1872年)
         日本の横浜港に停泊中の
         マリア・ルス号(ペルー船籍)内の
         清国人苦力を奴隷であるとして
         日本政府が解放した」 
ー↓↑ー明治五年(1872年)ー↓↑ー
 外務卿(外務大臣
 副島種臣
 人道主義
 日本の主権独立を主張し
 神奈川県権令(県副知事)
 大江卓
 に清国人救助を命じ
 大江の指揮で
 林権典事
 と
 法律顧問の
 米国人ジョージ・ウォーレス・ヒル
 らによって
 マリア・ルス船内に
 清国人230人を発見し
 清国人救出のため法手続きを決定
 ↓↑
 出航許可を申請していた
 マリア・ルスは
 旧暦7月4日
 横浜港からの出航停止を命じられたが
 ポルトガル領事をはじめとした
 数国から抗議の申し入れがあり
 7月20日
 ポルトガルとイタリア領事
 傍聴のもとで
 ヘレロ船長の裁判が行われた
 ↓↑
 清国人奴隷解放
 ↓↑
 船長側弁護人イギリス人
 フレデリック・ヴィクター・ディキンズは
 仮にこの船が奴隷船として
 奴隷を載せていようが、いまいが
 マカオ及び清国海上で行われた犯罪は
 日本政府の所轄ではない
 買奴は、
 万国公法にあたる
 海賊行為にあたらない上に、
 日本でも禁止していないではないか
 奴隷運搬船の出航停止について速やかに解除し
 日本側に
 出航停止中の保証金を要求する
 との意見書を提出
 ↓↑
 マリア・ルスの船長は訴追され
 神奈川県庁に設置された
 大江卓を裁判長とする
 特設裁判所は
 7月27日(8月30日)の判決で
 港内での乗客虐待に対する
 厳重処罰として
 清国人の解放を条件に
 マリア・ルスの出航許可を与えた
 しかし、船長は判決を不服とし
 清国人の
 「移民契約」履行請求の訴えを起こし
 清国人をマリア・ルスに戻すよう主張
 これに対し
 2度目の裁判で
 移民契約の内容は奴隷契約であり
 人道に反するものであるから
 無効であるとして却下
 清国人は解放され
 9月13日(10月15日)に帰国
 清国政府は
 日本の友情的行動への謝意を表明
 翌年2月
 ペルー政府は
 海軍大臣ガルシャを訪日させ
 マリア・ルス問題に対して
 謝罪と損害賠償を
 日本政府に要求
 両国間で仲裁契約が結ばれ
 両国同意のもとで
 第三国のロシア帝国による
 国際仲裁裁判が開催
 ロシア皇帝
 アレクサンドル2世により
 サンクトペテルブルク
 国際仲裁裁判開催
 日本側代表として全権公使の
 榎本武揚が出席
 1875年(明治八年)6月
 法廷は
 「日本側の措置は一般国際法にも条約にも
  違反せず妥当なものである」
 とする判決
 ペルー側の要求を退けた
 旧暦7月20日に大江が下した判決は
 有名になり
 「奴隷解放事件」と呼ばれた
 ↓↑
 船長側の
 フレデリック・ヴィクター・ディキンズ弁護士の意見書は
 芸娼妓の見直しに繋がり
 同年10月の芸娼妓解放令に至る・・・
ー↓↑ーー↓↑ー
 第二次世界大戦終結後も
 白人から否定され、・・・洗脳・刷り込み
 自らも否定してきた・・・自虐・現状諦念?⇔神の慈悲、他力本願?
 黒人の人種的特徴を
 「黒人らしさ」
 として逆に強調し、
 彼らの
 民族的アイデンティティーを・・・民族的≠人種的
 主張する
 表現のひとつとして
 アフロヘアーという
 髪型も生み出した・・・清王朝の辮髪の暴力的強制は
           「民族としての同化」か?・・・
           「国民としての公平化」か?
 彼ら黒人は
 キリスト教から
 イスラム教へ
 改宗したほか、・・・なぜ、「イスラム」だったのか?
           男性社会(家父長)維持なのか?
           食えない女性(未亡人・寡婦)の
           一夫多妻システムは
           現実救済だったのか?
 自らを
 「ブラック(黒人)」
 と自称し、
 これを現在の黒人たちの一般的な自称とした・・・?
ー↓↑ーー↓↑ー
 2018年7月18日
 「ヨハネスブルクAFP時事
  オバマ米大統領は17日
  南アフリカ
  ヨハネスブルクで演説し、
  世の中に
 「恐怖と恨みの政治」
        ・・・人類史で
          「恐怖と恨みの無い時代」は無かった?
 が広がっていると警告
 トランプ米大統領について
 直接的な言及はなかったが
 気候変動や
 移民問題などを話題に取り上げ
 暗に批判した」
  ↓↑
 南アの
 故ネルソン・マンデラ元大統領の
 生誕100年を記念する集会で演説
 オバマ氏は集まった1万人以上の聴衆を前に
 「私たちは今、・・・・・・昔も今も、だろう・・・
  奇妙で不確かな時代にいる
  少しの間、一歩下がって、
  物事を大局的に見ることが役に立つかもしれない」
 と訴えた。
 移民問題に関しては
 「国境が問題だと主張するのは
  間違いではないが・・・間違いだろう・・・
  だからといって
  人種や信仰に
  基づいた政策を
  取る理由にはならない」
 と強調
 メキシコ国境の壁建設や
 移民への強硬策を暗に批判した
 トランプ氏が
 懐疑的な気候変動について
 「ほぼ全ての科学者が認めている」
 と指摘した(2018/07/18-07:31)・・・
ーーーーー
 以下も以上も検索ページから添付し「?」にイチャモン・・
 ・・・侵略者か・・・難民の移動か・・・?
 盾津(たてつ)
 孔舎衛坂(くさえのざか)・・・くさかざか(孔舎衙坂)
      ・・・「衛(エイ・エ)」ではなく
         「衙(ガ・カ)」・・・孔舎衙(くさか)
          衙=彳+吾+亍
            つかさ・まいる・あつまる
            ゲ・ゴ・ガ・ギョ
            天子のいる所・宮城
            衙内・衙兵・兵営・役所・衙府・衙門
            「衙門(ガモン)」
            戦ひ合わす
            郡衙(ぐんが)=地方の役所
 大阪府
 中河内郡
 孔舎衛村・・・「衛(エイ・エ)」は「まもる」・衛兵・自衛
        「攻められた」、だから「守衛・防衛」した
 大字
 日下〔東大阪市日下〕の山麓地帯から
 草香山の北部を越える坂道・・・
  ↓↑
 若御毛沼命神武天皇
 と
 那賀須泥彦の
 日下の戦い
 難波の生駒山地の西側の
 潟湖岸に上陸した若御毛沼命神武天皇
 盾津にかっては飛行場
 那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)の防衛・自衛
 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ
          若御毛沼命神武天皇
 と
 五瀬命(イツセ命)の上陸侵攻・侵略
 「盾」を持って進撃
 その土地を名付けて盾津(タテツ)
       日下の蓼津(タデツ)
 「盾」を持って進撃とは、相手が弓矢を射って防戦した
  ↓↑
 盾(たて・ジュン・楯・shield)・・・矛盾
    ・・・イージス(Aegis, Egis)=女神アテナが用いる
         防具「アイギス
 蓼=艹+翏(羽𠆢彡)
      ・・・㐱=シン
           髮の稠(しげ)る
           彡に従ひ、人に従ふ
           詩に曰く、㐱髮(シンパツ)雲の如し
         𠆢=ひとやね・ひとがしら・mǒu
         彡=毛羽・刷毛痕・爪痕
 ↓↑ 翏=the sound of the wind,
       to soar(ソァー)
       飛ぶ・鳥が高く飛ぶさま
       The eagle soared into the sky.
       ワシは空に舞い上がった=飛鳥・飛翔
       Ibis(アイビス・朱鷺・鴇)
or
       Grosbeak(グロォゥスビィーク
       カル・シメ・アトリ科の
       嘴が大きな円錐形の
       鳥の総称・斑鳩)
↓↑ were dipping and soaring.
 蓼(たで・リョウ・リョウ・リク
    ・ペルシカリア節・Persicaria) の総称
  タデ科タデ属の植物の総称
  イヌタデ・ハナタデ・ オオケタデ・サクラタデ
  特に、葉を和風香辛料とするヤナギタデ・・・草加・草香
  蓼食う虫も好き好き
  ↓↑
 日下貝塚遺跡
 神武天皇聖蹟
 盾津 顕彰碑
 善根寺春日神
 足立氏の屋敷跡
  ↓↑
 磐余彦(若御毛沼命神武天皇)が上陸した
 「白肩(しらかた)の津」は
 「盾津(たてつ)」と呼ばれるようになった
  ↓↑
 神武天皇
 聖蹟
 盾津
 顕彰碑 (東大阪市日下町7丁目に所在)
 「神武天皇
  戌午年三月
  皇軍ヲ率イテ
  青雲
  白肩津
  二至リ給ヒ
  翌四月
  孔舎衛坂二
  戦ハセラレ・・・」
  ↓↑
 「近鉄石切駅
    石切四光地蔵堂
    石切劔箭(つるぎや)神社上之社
   旧生駒トンネル入り口近くの
   旧孔舎衛坂(くさえざか)駅から
    丹波神社、大龍寺、旧河澄家
    原始蓮・稲田桃栽培地
    日下貝塚遺跡
    神武天皇聖蹟盾津顕彰碑
    善根寺春日神
    足立氏屋敷跡
  ↓↑
 古代大阪湾の東端の
 日下・石切地域周辺は
 縄文時代
 日下貝塚遺跡
 鬼虎川遺跡・・・弥生時代中期の銅鐸・銅釧・異形青銅器
         銅剣・銅戈の鋳型や、鉄鑿・鉄鏃が出土
         縄文時代晩期末のものと思われる
         土偶(小型の立体的な体部)が1点出土
         頭部(人面)のみ
 などの遺跡
  ↓↑
 尾根道をとおる
 雄略天皇
 日下直越のルート
  ↓↑
 古代には
 河内国
 河内郡
 日下郷に含まれ
 一帯は
 河内湖の
 草香江(日下江)とよばれる入江で
 生駒山から北にのびる山系
 盾津(たてつ)と曰ふ、今
 蓼津(たでつ)と云へるは訛れるなり
  ↓↑
 隣接自治
 大阪府
 中河内郡
 石切町、盾津町、英田村
 北河内郡
 四条町
 奈良県
 生駒郡
 生駒町
 孔舎衙村役場
 大阪府
 中河内郡
 孔舎衙村
 大字
 日下
 孔舎衙村(くさかむら)は
 大阪府中河内郡にあった村で
 東大阪市の北東端にあたる
  ↓↑
 日根市村(ひねいちむら)
 1889年(明治22年)4月1日
 町村制の施行により
 河内郡日下村・善根寺村・布市村・河内屋南新田
 の区域をもって
 日根市村が発足
 1896年(明治29年)4月1日
 所属郡が中河内郡に変更
 1912年(大正元年)10月1日
 日根市村を改称し
 孔舎衙村
 となる
 1955年(昭和30年)1月11日
 枚岡町・縄手町・石切町
 と合併して
 枚岡市が発足
 同日
 孔舎衙村
 廃止
ーーーーー
 神武天皇=狭野命〈さののみこと〉
 神武天皇
 庚午年〜神武天皇76年3月11日)
 初代天皇
 在位
 神武天皇元年1月1日〜神武天皇76年3月11日
 和風諡号
 神日本磐余彦天皇
 (かむやまといわれびこのすめらみこと・日本書紀
 神倭伊波礼毘古命
 (かむやまといわれびこのみこと・古事記
 狭野尊(さののみこと・幼名)
 彦火火出見(ひこほほでみ・諱)
  ↓↑
 狭野神社
 鎮座地
 宮崎県
 西諸県郡
 高原町
 蒲牟田117
 由緒等
 主祭神
 神日本磐余彦天皇(幼名:狭野尊)
 相殿
 吾平津姫
 天津彦火瓊瓊杵尊
 木花開耶姫命
 彦火火出見尊
 豊玉姫命
 鵜葺草葺不合尊
 玉依姫命
  ↓↑
 狭野弟上娘子
 (さの の おとかみおとめ)
 狭野茅上娘子
 (さの の ちがみおとめ)
 は万葉集の女性歌人
 夫は天平朝に
 越前国流罪となった
 中臣宅守天平十三年赦免)
 宅守との贈答歌が
 『万葉集』巻十五にある・・・
  ↓↑
ーーーーー
 福山藩とは
 「備後・深津郡・十一万石」
  (びんご)
      ↓  深津郡
      ↓   ↓      十一万石」
      ↓   ↓      ↓
      ↓  シンシングン  ジュウイチマンゴク
      ↓  身心訓云    重  位置 萬語句→太安萬侶
      ↓   ↓      ↓        多夜須満路
      ↓  ふかず     たりはじめよろずいし
      ↓  附加事     足 肇  夜路図意思  
   便  語→ビゴ
        ↓                卑
        備互=(毘・美・火・日・薇・微・・彌
            鼻・琵・媚・眉・梶=尾語(弥)
      ↓
     (古・景・山・曜・苑・光・ 呼・腔・琶・態・毛・取)
      ↓
   毘(田+比)・琵(王+王+比)琶(王+王+巴)・眉(巴+目)
   梶(木+尾)→きび→黍・機微・驥尾・記備→吉備
         →かじ=化字・加地
   張(弓+長)→弓矢の長、伴う鞆(とも)
革+丙→カクヘイ→(改)革兵
                 ↓
               かわ ひのえ→化話の比の江
               渦輪 ヒ(匙・七)の柄→天体図の目数
                  七→牝・雌・♀(金星記号)
メス→手術用執刀小刀
       ↓
 「西(酉)=長崎=諌早=七赤・金星・少女」
九星学=鬼(気)門遁甲
             七→北斗七星
 「宝永七年(1710年・庚寅)」
     ↓
  ホウエイシチネン→訪英志知念・訪英(七年=漆年→失念)
 「水野家」から
 「阿部(正邦)家」の領地となったところで、
     ↓
     正邦=セイホウ→西方・栖鳳・正方・制法
     ただしくに→忠国→正鵠
     ただすくに→糺(糾・質)す句似(句字・句辞)
 江戸城の詰め所は
 「帝鑑の間」
     ↓
     帝の
     鑑(かがみ・加々見・加賀見・各務)=歴史の
       鑑(金+監)→近刊・金柑・金管・金冠
     間(カン→巻・奸・姦・翰)
(あいだ→合拿)
(ま→眞・間・磨・魔・摩)
     間(門+日)→もんひ→文比・聞比・悶彼・問秘
 岡山県
 笠岡市→「笠」の音ヨミは「リュウ
     「横島」がある・・・
 阿蘇山、熊本、玉名、ヨコシマに
 登場したのは
 「阿毎王朝(隋書の煬帝の随処)」と
          ↓
        「卷八十一 列傳第四十六 東夷俀國」
        「大業三年(607年丁卯)」
         皇帝(煬帝=楊広)激怒
         「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」の文言
 「裴世清」、
 「小野妹子=蘇因高→素咽喉→音声、発声の本(もと)」
    子供に「毛人・広人」
    ↓    ↓  ↓
    ↓    蝦夷煬帝=楊広は文帝楊堅の次男、名は広
    ↓          母は独孤伽羅
    ↓          王子時代は北方の「晋王」
    ↓          腹心に「楊素」と「張衡」
  「日本書紀(巻第弐拾弐・22)」には、
  「十五年…秋 七月戊申朔庚戌
  大禮
  小野臣妹子(冠位大徳冠)→中国の冠位十二階の大禮(示+豊)
  (蘇因高)
  の
  遣於大唐
  以
  鞍作福利、・・・鞍(革安)作の福利・・・福利厚生?
          鞍作=鞍作 止利(鳥)
          鞍作=鞍作 太郎=蘇我入鹿=林太郎
          鞍作=鞍作の子供=イマヌエル・カント
             馬具職人の四男
             1764年
            『美と崇高との感情性に関する観察』出版 
          鞍作 =皮安作・かわやすつくる
          臓(月蔵)カワヤス作=秦河安(秦河勝
          虫を「常世神」として崇める集団を討伐
  為通事」
    ↓
  開皇二十年(600年・庚申・推古天皇八年)
  倭王
  姓
  阿毎→アマイ・アブ→阿武・アベ→阿部
            則天武后  阿毎王朝(肥後・阿蘇山麓)
               俀王姓阿毎  字 多利思北孤
                  アマイ 號 阿輩雞彌
                  アマイ   阿波(安房・安和)
                        の君・掲備  
  字
  多利思(北)比孤
  號
  阿輩雞(鷄)彌・・・雞=鶏=鵻・・・推古?
  遣使詣闕。
  上令所司
  訪其風俗。
  使者言
  倭王
  以天為兄⇔兄=億計天皇・大石尊・意祁命・仁賢天皇
           意富祁王(おほけのみこ)
           諱は大脚(おおし)・・・?
  以日為弟⇔弟=弘計天皇・来目稚子・袁祁之石巣別命・顕宗天皇
           袁祁王(をけのみこ)・・・?
  天
  未明時出
  聽政
  跏趺坐
  日出
  便停理務
  云委我弟。
  高祖曰
  「此太無義理」・・・此(これ)、
            太(おほの)に
            義の理が無い?
  於是
  訓令・・・訓(倭語・和語・日本語)での令
       令=いいつけ・命じる
         のり・きまり・おきて
      訓令=上級行政機関が
          下級行政機関の権限行使について
          指揮、命令
       令=おさ・長官・よい・りっぱな
         他人の親族に対する敬称
         令室・令嬢
  改之。・・・之を改(あらためる)
  王妻
  號
  雞(鷄)彌
  後宮
  有
  女六七百人。
  名
  太子為
  利歌彌多弗利。
ーーーーー
 「推古天皇、五年(607年丁卯)
     鞍作福利と隋王朝、大唐に渡る」
     ↓
     鞍作太郎=蘇我蝦夷の子、蘇我入鹿
     鞍作止利(鳥)は「司馬達等」の孫、
    「鞍部多須奈」の子
     子供は「福利・人足・眞枝」
     法隆寺釈迦三尊像を制作。
     制作様式は
     杏仁形の眼
     アルカイックスマイルの微笑
              ↓
    「仁」とは種子(シュシ)
         趣旨・主旨・諏詞・修史・終始
         ↓
         ↓三輪氏の祖→三輪山の祭神は「蛇」
         たね→意富多-多泥古(古事記)
       大田-田根子(日本書紀
       大直-禰子(大神神社大和一宮、
             真清田神社尾張一宮
       大田-田根子
兵庫県美方(みかた)郡
            多他神社  観方
                  (美方郡は
明治に出来た郡名
太  安萬侶
       おほ たた ねこ
       意富 多多 泥古→意は富で多音の呼
       いとみタタ ねコ
       意斗見 多、他音呼→多=(夕+夕)
                    夕暮れ・黄昏
       いとみタタ どろ     いにしへ
       意図見、タのタ、太の度路、異西辺
               汰・うず→渦
              杏  仁形の眼
              ↓
              キョウニン→漢語音
      「杏(あんず)、杏子」の種
       あんにん→唐語音
      「銀杏・アーモンド」の種(禾重)
       喘息の治療薬→苦み強い「苦杏仁」
       薬膳、嗜好食品→苦み弱の「甜杏仁」
      「杏仁」=アンジン
         三浦按 針=ウイリアム・アダムス
 「日出処天子」とは、
 「聖徳太子」らしいのだが・・・?
 ・・・別名、異称もどっさり、多くある。「十二個」も・・・?
    ↓
 「厩戸皇子」、
  厩(キュウ)=厂(がんだれ)+既(艮の牙)→うまやど→午宿
    九・球  Lの逆字・元誰 キ・昏の解  宇摩夜斗
 「厩戸王」、
   戸(とだれ・と・へ・コ)=一+尸(屍・シ・形代→潟代)
     頭誰  都 辺 胡  肇   史 示華場音 兄弟
                位地  視 氏 臣  ↓
来目皇子・組め往時・往事
   真人=大海人皇子 久米・久留米・包め
 「上宮王」、
  上(うえ・かみ・ジョウ)
  上=ト(うらなう・ボク)+一(壱・イチ・はじめ)
      占う 
  馬宿宮
 「豊聡耳」、
  豊(とよ・ホウ)=曲(くせ・よこしま・くま・キョク)
           +     横島・邪 熊  極
           豆(まめ・トウ・ズ)
            間女 島  頭
 「上宮之厩戸豊聡耳命」
聡(さとし・ソウ)=耳+ハ+ム+心
        訓    双   字 葉 務 個々賂
 「法主王」、
法(のり・おきて・きまり・ノリ)=氵+十+一+ム→ノリ=海苔
       沖出  記眞理     水 足  武 典・憲・法
 「豊耳聡聖」、
聖(ひじり・セイ)=耳+口+王
       比字理 姓   時 候 追
 「徳豊聡耳法大王」
  徳(トク)=彳+ナ+罒+心=悳=直(ナ目L)+心→L=乙
    解   行 人 編  名阿見  個々賂
 「上宮太子聖徳皇」、
太(うず・おほ・タイ)=一+人+ゝ
     太秦 尾補 他意・対 壱の人は天・点・店・転
                     手務→織姫
 「厩戸豊聰耳聖徳法王」
耳=みみ・ジ
        みみ→見観・身診・実味・巳未・三視
            壬看→水野(美津濃)の看護
           ジ→辞・字・時・児・時・地・璽・次・自
 そして、
 「阿部」である・・・そして、「阿部正邦」である・・・
 「阿部の姓」→「阿部御主人」の祖、
日本書紀」には元「布施」であった、とある。
 ・・・「乞食(こじき)」や「坊主」に
   施すコトを「布施」と言うが、
   犬に「伏せ」と命令コトバや、
   漢字に「ルビ」を「附せ」と言うことは
カタ仮名や平仮名である。
  「病気」になった時は「臥せ」である。
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 ・・・???・・・