2517日目・・・「身内兄弟での権力闘争」・・・「八王の乱」・・・夏目、夏日、夏蜜柑・・・重曹・・・スッパイ・・・檸檬顔(レモン フェ素)・・・

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 八王の乱
 ↓↑
 汝南王-司馬亮(?〜291)
 司馬懿の三男(司馬師
        司馬昭の異母弟)
 ↓↑
 楚王-司馬瑋(271〜291)
 司馬炎の五男(司馬衷の異母弟)
 ↓↑
 趙王-司馬倫(?〜301)
 司馬懿の九男(司馬亮の異母弟)
 ↓↑
 斉王-司馬冏(?〜302)
 司馬炎の同母弟(司馬攸の子)
 ↓↑
 長沙王-司馬乂(277〜304)
    ・・・乂=草をかる・刈・おさめる・おさまる
      「乂安・乂寧」・艾(ガイ・すぐれる・かしこい)
 司馬炎の六男(司馬瑋の同母弟)
 ↓↑      瑋=ウェイ・ィ
 成都王-司馬穎(279〜306)
 司馬炎の十六男(司馬乂の異母弟)
 ↓↑
 河間王-司馬顒(?〜306)
    顒(おおきい・ギョウ・グ)=禺+頁
      あおぐ・つつしむ
      大きな頭・頭が大きいさま
    怪鳥・旱魃を呼ぶとされる
    異体字は「𩤛・𪃍」
 司馬懿の弟(司馬孚の孫)
 ↓↑
 東海王-司馬越(?〜311)
 (司馬懿や司馬孚の弟の司馬馗の孫)
 ↓↑
 盧綝(盧志の甥)が著した
 『八王故事』(現在は散逸)に由来
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 三王の
 司馬冏(斉王)・・・司馬の冏(まど・窓・明り取り)
 司馬穎(成都王)
 司馬顒(河間王)
 が
 司馬倫(?〜301年・西晋の第三代皇帝・八王の一人
      字は子彝・司馬懿の第九子(末子)・建始帝)
         彝(イ)=青銅製礼器の総称・常法
 討伐で決起
 ↓↑
 三王の一人
 司馬冏(斉王)
 「冏=あきらか・ケイ・キョウ・ソウ」
  冏=𦉪+口=冂+㕣=囧=𡆾(竜龕手鑑)
    あきらか・まど(窓)・ケイ
    異体字は冋・𢍴・𡇇・𡆾・囧・臦・臩
    冏冏・冏光・冏徹・冏然・冏牧
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  鄴=業+阝=ギョウ
   異体字は「邺」
   鄴(業に阝・おおざと)
   地名
   後趙冉魏前燕東魏北斉
   の各王朝の都
   河北省
   邯鄲市
   臨漳県にあたり
   河南省安陽市にまたがっている
   春秋時代
   斉の
   桓公
   城塞都市を建設したのが始まり
   戦国時代
   魏に属し
   西門豹が治め
   黄河や漳河から運河を引く
   灌漑の大事業を行い栄えた(史記
   紀元前239年
   魏は鄴を趙に与えるが
   紀元前236年
   秦の将軍
   王翦らが攻略して以降は秦の領地
    翦=きる・はさみきる・きりそろえる・はさむ・セン
      剪(セン)
      そぐ・けずる・ほろ(滅)ぼす
 ↓↑
   鄴=業+阝=ギョウ・ゴウ
     業=わざ・しごと・つとめ
       生活のてだて・なりわい
       生活のために行う仕事
       業務・職業・学問
       技芸・学業・修業
       しわざ・行い
       悪業・ごう
       仏教で、報いのもとの行い
       報いを招く前世の行い
       業果・宿業
     阝=邑(おおざと・むら・ユウ)
 ↓↑
 曹操(ソウソウ)⇔≠曹爽(ソウソウ)
 永寿元年(155年)
  〜
 建安二十五年一月二十三日(220年3月15日)
 後漢末期の武将、政治家・詩人・兵法家
 字は孟徳
 幼名は
 阿瞞(アマン)・吉利・・・瞞=だます・あざむく・くらます・マン
                瞞着・欺瞞
                くらい・はっきり見えない
                モン・はじる
                瞞然
         吉利・・・キリスト?・めでたい
         吉利氏=島津氏傍系の武家
             日置市日吉町吉利を領していた
 豫州
 沛国
 譙県(安徽省亳州市譙城区)の出身
 後漢の丞相・魏王
 三国時代の魏の基礎を作った
 廟号は太祖・・・太(おほの)
 謚号は武皇帝・・武(たける
 魏の武帝・・・・武
 魏武とも
 ↓↑
 曹爽(ソウソウ)
 (?〜正始十年正月十日・249年2月9日)
 字は昭伯
 父は曹真
 妻は劉氏
 244年(正始五年)
 蜀漢征伐を試みるが(興勢の役)
 蜀の
 王平の・・・王のタイラ?
 頑強な抵抗で失敗
 補給に氐・羌族を動員
 輸送などの事故で犠牲者が出
 その後、
 何晏達・・・何の晏の達?
 が政治を壟断し
 魏は乱れた
 司馬懿
 憂慮、保身のため「高齢」で「病気」と
 称して引き籠った
 ↓↑
 後
 曹爽(ソウソウ)は
 何晏達らと共に謀反を企て
 投獄され、即日三族皆殺しの刑で処刑
ーー↓↑ーー
 曹操の子孫の
 渡来人
 ↓↑
 新撰姓氏録
 「大崗忌寸、
  出自魏
  文帝之後
  安貴公也、
  大泊瀬幼武天皇
 (謚雄略)御世。
  率四部衆
  帰化
  (中略)
  亦
  高野天皇
  神護景雲三年。
  依居地。
  改賜
  大崗
  忌寸姓」
 ↓↑
 曹丕(魏文帝)の子孫
 安貴公が
 雄略天皇の時に一族とともに帰化
 神護景雲三年
 「大崗忌寸」の姓を賜った・・・
 一族からは
 高向玄理が出ている・・・
 ↓↑
 曹操は降伏させた
 烏桓族を中国内地に住まわせ
 烏桓の兵士を曹操軍に加入させた
 曹操軍の
 烏桓の騎兵として活躍
 ↓↑
 父母
 曹嵩
 丁氏
 弟
 曹徳
 曹彬(薊恭公)
 曹玉(朗陵哀侯)
 ↓↑
 妻妾
 正室
 ↓↑
 劉夫人
 丁夫人
 卞王后(後、皇后を追贈)
 ↓↑
 側室
 ↓↑
 杜夫人、環夫人、秦夫人、尹夫人(元何進の嫁)
 王昭儀
 孫姫、李姫、周姫、劉姫、宋姫、趙姫、陳姫
 某氏(元張済の妻)
 子
 曹昂(豊愍王)母は劉夫人・養母は丁夫人。早逝
 曹鑠(相殤王)母は劉夫人・早逝
 曹丕(文皇帝)母は卞氏
 曹彰(任城威王)母は卞氏
 曹植(陳思王)母は卞氏
 曹熊(蕭懐王)母は卞氏
 曹沖(蠟哀王)母は環夫人
 曹據(彭城王)母は環夫人
 曹宇(燕王)母は環夫人
 曹林(沛穆王)母は杜夫人
 曹袞(中山恭王)母は杜夫人
 曹玹(済陽懐王)母は秦夫人
 曹峻(陳留恭王)母は秦夫人
 曹矩(范陽閔王)母は尹夫人
 曹幹(趙王)母は陳姫・養母は王昭儀
 曹上(臨邑殤公子)母は孫姫
 曹彪(楚王)母は孫姫
 曹勤(剛殤公子)母は孫姫
 曹乗(穀城殤公子)母は李姫
 曹整(郿戴公子)母は李姫
 曹京(霊殤公子)母は李姫
 曹均(樊安公)母は周姫
 曹棘(廣宗殤公子)母は劉姫
 曹徽(東平霊王)母は宋姫
 曹茂(楽陵王)母は趙姫
 娘
 曹憲(献帝の貴人)
 曹節(献穆皇后)
 曹華(献帝の貴人)
 清河公主(夏侯楙夫人)母は劉夫人
 安陽公主(荀紣の長子荀?の妻)
 金郷公主(何晏夫人)母は杜夫人
 高城公主 母は杜夫人
 金郷公主と同一人の可能性がある
 従子・族子
 甥もしくは曹操より一世代下の親族
 ↓↑
 曹安民
 曹休
 曹真
 曹彬
 曹遵
 ↓↑
 夏侯充
 夏侯楙
 夏侯衡
 夏侯覇
 夏侯称
 夏侯威
 夏侯栄
 夏侯恵
 夏侯和
 夏侯尚
 夏侯儒
 従兄弟
 族兄弟
 いとこ、もしくは
 同世代の親族
 ↓↑
 夏侯惇
 夏侯淵
 夏侯廉
 ↓↑
 曹仁
 曹洪
 曹純
 曹紹
 曹邵?
 養子
 何晏
 秦朗
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 ・・・夏をカサネル・・・夏蜜柑に重曹・・・