2497日目・・・財務省の「改竄文書」・・・「竄」・・・「行政の責任」って、「竄=ネズミが穴に逃げ隠れるコト」・・・「文書などの字句を直すこと。特に、悪用するために、勝手(?)に直すこと」・・・「意図的な改竄目的=悪用」、「普通、悪用する場合にいう」、「悪意の書き換え」、もう少し云えば「証拠の改竄、アリバイの捏造」・・・「捏造」とは異なるだろうが・・・善意での「手直しする、直す」、利便性の「改新」を「改竄」とは云わない・・・学問上の誤謬の訂正は「改訂」である・・・「大化の改竄」は「日本書紀の記録上」で、
イヤァ〜、ツクヅク「幕末明治の人々」が「自己の信念(?)」の立場を崩さず生きていたか・・・彼らは「改竄」ではなく超主観的に「維新」と云ったが・・・「差額の損得で生きる町人」ではなかったから・・・当然、無理が生じるのはアタリマエだった・・・
「安藤ニュースキャスター」のTV番組をみていてワラった。なんか、出てきた評論家(男)?が「江戸時代の役人ではないから、そんなコトをスルはずがない」って・・・いやぁ〜ッ、あのオッサン、何時の時代のTV番組に出ているのか?・・・それでもナンか、自分のコメントした内容には疑問がないような・・・あの「ふにおちないような表情」と、彼の追加コメントはCMで遮られ終わったが、他人を疑わないヒトはマコトにご立派であるカナ・・・
「竄=穴の中、家の八(屋根)の鼠」と「鼠=ねずみ=鼡」の漢字は異なっている・・・「竄」は「家の天井に棲むネズミ」か?、あるいは「米蔵のネズミ」か?・・・「鼢(もぐら・
鼴・土竜)」のようなネズミなのか?それとも「大黒様のお使いのネズミ」か・・・「大国主の改竄の名前」が「大国=ダイコク=大黒」になった・・・?・・・
「インドの闇黒神(大黒天)は、中国では仏法の守護神・厨房の神となり、日本に入って神道の「大国主命」と習合して福神になった」・・・
鼠には災害時、船の沈没や火事、地震の発生以前に安全な場所に逃げ出す。「大国主」は「須佐之男」が仕掛けた野火からネズミによって助けられた・・・シヴァ神の化身、「大暗黒天」・・・
調べていたら「米俵に乗る一対の鼠像」の写真掲載のブログがあった・・・食物・財福を司る神であるらしいが、「黒いネズミ(夜の闇の中の営み)」は安産と子宝の子孫繁栄の象徴だからだろう・・・
日本へは空海の密教の招来らしいから「景教」の碑文の漢字は「移鼠(イエス・キリスト)」は「十二支の子(鼠)」、「未艷(マリヤ)」は「十二支の未(羊)」である・・・
「改竄」は・・・日本の「本地垂迹の十八番(おはこ)」である・・・「七代目市川団十郎が、代々の芸、十八種類を選定し『歌舞伎十八番(歌舞妓狂言組十八番)』を天保三年(1832年)三月に発表しオハコと云うコトバが定着・秘伝書が秘蔵されている箱からの呼称」・・・多分、漢字の「十八=拾八=足捌」の「番(蝶番・鍵・鈎・鉤・鑰)」・・・
記録された「漢字」は「自由にオヨミ」ください・・・
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竄=穴+鼠=宀+八+𦥑+𠄌+冫+𠄌+冫+乚
𦥑=両手で持ち上げる、拱く
𠄌=異体字は「𠃉・鳦」・・・乚=乙
鳦=鳥+乙=つばめ=燕
イツ・イチ・アツ・エチ
・・・「竄」は燕(つばめ)の爪から逃げるネズミ・・・
「𠄌」は「戉」の「𠄌」ならば「鉞(まさかり)」である
兎に角、
「竄=穴+鼠」は
匪賊・敵・獣などが慌てて逃げ去る
のがれる・にげる・にげかくれる
「竄入・竄伏」
はな(放)す・追放する
「竄流」
あらためる・書きかえる
「改竄」
鼠(ねずみ)が穴にかくれる意
改竄(カイザン)
貶竄(ヘンザン)
奔竄(ホンザン)
流竄(ルザン)
竄(かく)れる
竄定(ザンテイ)
穿竄(センザン)・点竄(テンザン)
匿竄(トクザン)・伏竄(フクザン)
奔竄(ホンザン)
ーー↓↑ーー
皇極天皇・・・皇(白王)、極める
重祚 「白の王=新羅の王」?
齊明天皇・・・齊(亠刀Yノ𠄌乀冂一)=斉
斎=文(亠乂)ノ示l
↓↑
諱 寶女王
別称 天豊財重日足姫尊・・・財=貝(目八)+才
父親 茅渟王
母親 吉備姫王
皇配=天皇の配偶者(夫)
高向王・・・用明天皇の孫
↓↑ 百済王族
高向王?
・・・高(句麗)を向く
狛犬(こまいぬ)
↓↑ ↓↑
高向王⇔高麗(こま・こうらい)
↓↑ 高句麗(こうくり)
紀元前37年〜668年
後高句麗(899年〜918年)
後三国時代
新羅で叛乱を起こした
「弓裔」が901年に
高句麗の復興を唱え
国号を高句麗と定めてから
滅亡までの弓裔政権全体
「弓裔」は
899年の挙兵当時
新羅第48代
↓↑ 景文王の庶子であることを自称
901年
開城に遷都
国号を高句麗
904年
正式な国号を
摩震(摩訶震旦)に改め
年号を武泰
905年には
↓↑ 鉄円(江原道鉄原郡)に遷都
911年には国号を
泰封に改め
年号を
「水徳万歳」と定めた・・・水の徳の万歳?
後の高麗(コウライ)国(918年〜1392年)
の王国も
↓↑ 日本では「コマ」と読む
皇極天皇となる前
高向王が夫
漢皇子を産んだ
舒明天皇の皇后として
中大兄皇子(天智天皇)
間人皇女(孝徳天皇の皇后)
大海人皇子(天武天皇)
を産んだ
高向王とは
用明天皇の皇子の
高向皇子
聖徳太子の末弟の
蜂子皇子などと
同じ父を持ち
↓↑ 高向王はその子
↓↑ ↓↑
舒明天皇・・・推古天皇元年(593年)?
↓↑ ↓↑ 〜
舒明天皇十三年十月九日
(641年11月17日)
第三十四代天皇
在位、舒明天皇元年一月四日
(629年2月2日)
〜
舒明天皇十三年十月九日
(641年11月17日)
舒明天皇が崩御
皇后は48歳
舒=舍(舎)+予
𠆢+舌(千口)+預(予頁)
諱は田村(たむら)
和風諡号は
息長足日広額天皇
广のムの客の頁(page)
在位中
最初の遣唐使を送る
唐から
「高表仁」の返訪
高表仁=コウヒョウジン
好評人・強面・傲慢
嫌(厭)な奴
隋の頃に渡った者も含め
高向玄理と
僧侶の
霊雲、旻、南淵請安
が帰国
↓↑ 百済と新羅からの使節
子女
漢皇子・・・漢(あや・カン)皇子
天智天皇・・中大兄皇子
間人皇女・・間人(カンジン・まひと)
天武天皇・・大海人皇子
皇居
皇極・飛鳥(とぶとり・ヒチョウ)-板蓋宮
斉明・飛鳥(とぶとり・ヒチョウ)-板蓋宮
↓↑
高向 玄理(たかむこ の くろまろ)
高向=コウコウ
玄理=ゲンリ・・・玄(武)の王の里⇔北方
?〜白雉五年(654年)
史賂記字語撚?
名は黒麻呂
高向古足の子・・・高を向く古の足
姓は漢人のち史(ふひと)
冠位は大錦上
高向氏(高向村主=すぐり
高向 史=ふひと)
応神朝に
阿知王
とともに渡来した
七姓漢人の一つ
段姓
夫(尖?)公の後裔
魏の
文帝の末裔を称する渡来系氏族
東漢氏の一族
高向の名称
河内国
錦部郡
高向村
(河内長野市-高向(たこう))に由来
高向玄理(たかむこのくろまろ)
渡来人の子孫
本姓は高向漢人
(たかむこの あやひと)
推古十六(608)年
第二回の遣隋使
小野妹子に従って渡海
留学生として
隋、唐に学んだ
留学すること
三十二年
640年帰朝
国の博士
大化改新の際の政治的顧問
僧旻 (みん)
高向玄理
らが任命され
官職制度の整備の中心的存在
となった
任那・新羅
朝鮮半島にあった国家の
外交を任され
再度、遣唐使とし
長安で客死
↓↑
高向玄理
608年に日本初の
国費留学生
隋に渡り
32年間学び
640年
南淵請安(みなみぶちしょうあん)
らとともに帰国
646年
新羅へ派遣
654年
遣唐押使として入唐
唐で没
本姓は高向漢人(たかむこのあやひと)
『旧事』
天香語山の別名を
「高倉下」
「手栗彦命」
天降った後、
紀伊国熊野邑に住む
尾張氏・熊野氏の祖
↓↑
『書紀』
熊野-高倉下(クマノタカクラジ)。
棚倉孫(タナクラヒコ)神社の祭神
「天香古山命」
「天香古山命」=「高倉下」=「手栗彦」
「手栗彦」が「棚倉孫」に転じた
↓↑
籠神社の古伝
「天香語山命」
は亦名
「手栗彦命」
亦名
「高志神」
彦火明彦命が天上にて生む神也
母天道姫命
亦名
祖母命也
『旧事』に
天香語山命
別名を手栗彦、高倉下
天降った後
紀伊国-熊野邑
に住む
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・・・「カイザン」・・・ああ、あの「大菩薩峠」の「中里介山」の小説の「机竜之助」・・・主演は「片岡知恵蔵」だったけれど、ちい当時、チイサイコロのボクにはツマラナイ映画だった・・・