2493日目・・・畝傍山(うねびやま)=畝火山・・・「うねびやま」・・・「恩恵(うね)」って?・・・拉致されている「八重子」さん・・・「明治、国は神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとし、山の麓に橿原神宮を興し、多武峰で奉斎してきた神武天皇の御霊を移した」・・・「畝(亠田久)=うね=畦・畆・羽根・雨音・恩恵(ウネ)」、「傍(イ旁)=かたわら」、「山(凵l)=やま=凵(カン・コン)をl(線引きで分ける)」・・・

 かんにょう(凵繞)
 かんがまえ(凵構)
 うけばこ(受け箱)
 くぼむ(凹)・欠ける(坎)
 ・・・山=凵(うけばこ)をl(仕切り)で(分ける・二分) ・・・
 ・・・山=弁当の凵を仕切りで等分する・・・
 ↓↑
 香具山は
 畝傍雄々しと
 耳成と
 相争ひき
 神代より
 かくにあるらし
 ↓↑
 中大兄
 近江宮
 に
 天の下知らしめし
 天皇
 の
 三山の歌・・・天智天皇なら「乙巳の変」だが、呑気な・・・
 13
 原文
 ↓
 高山波=香具山は・・時代は高句麗
 雲根火=畝傍・・・・筋骨隆々の形象・心象だが
          「出雲」と「根の国=越の国」
 雄男志=をおし・・・雄々しい男の志
 等=と・・・・・・・ひとしい・対等・同等
 耳梨=耳利木・・・・みみ成か、耳無(塞)
 與=と(与)・・・・あたえよ、と
 相諍競伎=相あらそいき・・・諍=いさかう+競伎
              言+争=言い争う+競伎
 神代従=神代より・・「従(したがい)」が「従来=より」
 如此尓有良之=斯(か)くなるらし
 古昔母=古昔(いにしへ)も
 然尓有許曽=しかなれこそ
 虚蝉毛=うつせみも
 嬬乎=嬬(つま)を・・・嬬=女+需
 ↓↑          需=雨+而(しかも・しかし・ジ・ニ)
              =もとめる・ジュ
               必要・もとめ
 ↓↑          需給・需要・応需・軍需
 ↓↑          実需・特需・必需・民需
 相<挌>良思吉=相(挌)らしき=あらそうらしき?
          アイ
 ↓↑         良思吉?・・・吉と思うが相良し?
 反歌
 14
 高山与=香具山と・・・・・高山=香具山(コウグ)
 耳梨山与=耳梨山と・・・・耳梨=耳成(阝B)=耳無・・・聾
 相之時=あひし時
 立見尓来之=立ちて見に来し
 伊奈美國波良=印南国原⇔兵庫県南部の
             加古川
             明石川二流域にまたがる野(原)
             溜め池が多い⇔用水池・灌漑池?
     伊波=いなみ・いわ=「否み・居並み」
     伊奈美=稲靡・稲尾・稲美・稲葉
         イナば・イナび・イナぶ・イナべ・イナぼ
 15
 渡津海乃=わたつみの
 豊旗雲尓=とよはたくもに
 伊理比紗之=いりひさし
 今夜乃月夜=こよひのつくよ
 清明己曽=さやにてりこそ
ーーーーーー

 畝傍山の位置
 北緯34度29分33秒
 東経135度47分05秒
 ↓↑
 寄山=よりやま
 思賸=思ひあまり(おもひあまり)
 痛文=甚も(いたも)
 為便無=すべ無み(すべなみ)
 玉手次=玉たすき(たまたすき)
 雲飛山仁=畝傍の山に(うねびのやまに)
 吾印結=われは標結ふ(われはしめゆふ)
 ↓↑
 題詞=寄山(よりやま・キザン)
 原文=思賸 痛文為便無 玉手次 雲飛山仁 吾印結
 ・・・この「原文」の漢字羅列から
    仮名での上の「ニホン語」の表現は本当なのか?
    ・・・ムリに思える・・・
 ↓↑
 万葉集
 「瑞山(みずやま)」とも詠まれた・・・
 「瑞穂(みずほ)」・・・「豊葦原千五百秋-水穂-国」
             「大日本帝国海軍水上機母艦-瑞穂」
 「玄瑞(ゲンズイ)」・・「久坂玄瑞
 「瑞皐(ズイコウ)」・・「高野長英
 「畝傍山天香久山耳成山」は「大和三山
 「畝傍山」は「死火山」ならば、
  ・・・「瑞山=みずやま=水山」・・・お水取りのヤマ
                    緒視亠訳理
 ↓↑
 思いあまって
 何とも仕方がなく
 畝火の山に
 私は標を結う
 たまだすき=(玉襷(タマの飾りのタスキ)
 頚(うなじ)の熱いヤマイ(病)に掛け
 頚(うなじ)=畝火(うねび)の枕詞
        ・・・畝火=畝の草焼きの火・・・焼き畑?
        ↓↑
 雲飛山仁=くもとぶやまに・・・苦も止伏(塗布)ヤマイ仁
      雲の飛ぶ山の仁
      畝傍(項の熱)の山に(うねびのやまに)
 私は印(手の印)を結ぶのである
 手の指で印を結ぶこと・その指の形
 手印=悟りや修行の内容を象徴的に示す・印契(いんげい)
    手の形を押して印としたもの・てがた
    自筆の文書・自分の署名
 標結ふ=縄などで結んで印(しるし)とした
     標示木
ーーー↓↑ーーー
 畝(うね)
 ↓↑
 畝傍(うねび)
 「田の畝」のようにくねくねした
 尾根を多く持つところから名付けられ
 記紀では、
 「畝火山・雲根火山・宇禰縻夜摩・御峯山」
 などと表記
 「慈明寺山」とも
 ↓↑
 「李 恩恵(リ・ウネ)」は
 「金賢姫(キム・ヒョンヒ)
  北朝鮮の元工作員(スパイ)
  1987年の
  大韓航空機爆破事件の実行犯
  の日本人化教育係」・・・
 「李 恩恵(リ・ウネ)」の
  朝鮮名は
 「金日成に恩恵と与えられ」・・・
 「北朝鮮による日本人拉致で
  日本から拉致された
  田口八重子さん」・・・
 1978年(昭和53年)6月29日頃拉致
 東京の飲食店員
 田口八重子
 (1955年・昭和30年8月10日〜当時22歳)
 1984年・昭和59年頃に
 平壌郊外の
 中和郡忠龍里にある
 日本人居住地で
 横田めぐみさんと
 工作員女性1名と同居・・・
ーーーー↓ー
 杉原千畝(1900〜1986)・・・「千の畝」?
 ↓↑
 日本のジャーナリズムが
 「人民民主主義」の名称を省いて
 「北朝鮮」と呼称する様になって
 英語圏に於いて
 「拉致事案を Kidnap(誘拐)」
 から
 「Abduction(拉致)」へと表現を変えた
ーー↓↑ーーー


 「畝傍(うねび)」
 大日本帝国海軍
 防護巡洋艦であったハズ・・・
 1886年(明治十九年)10月
 フランスで建造され、完成された
 日本海軍最初の軍艦
 日本に回航される途中
 同年十二月上旬
 シンガポール出発後、消息不明・・・
 艦名は奈良県
 「畝傍山」より命名
 正式な艦名は
 「畝傍艦」・・・艦=カン
 ↓↑      カン=鑑(かがみ)=鏡
         大今水増+鑑=手本・模範?
         拉致誘拐の手本?
    鑑(かがみ)=四鏡(シキョウ)
    平安時代後期〜室町時代前期までに成立
    「鏡物(かがみもの)」と呼ばれ
    『大鏡・今鏡・水鏡・増鏡』
     だい こん みず ます
    の4つの歴史物語・・・
    「モノガタリ」がナンで
    「歴史書」なんだか?
    老人が
    「昔はこんな事があったなぁ」って?
    時代順には
    「水鏡→大鏡→今鏡→増鏡」
     すい・だい・いま・ます
    『増鏡』によれば
     他に
    『弥世継(いやよつぎ)』
     (世継とは『大鏡』の別称)
    が存在していたらしい・・・
    『今鏡』以後『増鏡』以前の
    歴史を扱った・・・亡失・・・
    「四鏡」に数えられない鏡物は
    『吾妻鏡(東鑑)・後鑑』
 ↓↑ など・・・
 ↓↑
 消息不明の原因・・・「畝+α」・「α+畝」?
 対清戦争に備え
 海軍卿
 川村純義
 により出された
 軍艦船増強の建議により購入
 大甲鉄艦3隻のうちの1隻
 他の2隻はイギリス製の
 浪速
 と
 高千穂
 本艦の外見
 旧式な3檣バーク型機帆船
 防護甲板を主防御とした
 防護巡洋艦
 同年5月27日
 起工
 6月5日
 日本海軍は
 本艦を正式に
 「畝傍」と命名
 候補艦名は
 畝傍の他に、
 蜻蛉(あきつ)・・・日本
 磐余(いわれ)・・・神武天皇
 ・・・
 ↓↑
 1886年(明治十九年)4月6日
 進水
 10月18日
 「畝傍」は
 フランス人艦長
 ルフェーブル
 の指揮下
 北フランスの
 ル・アーヴル
 から
 日本へ出港
 飯牟礼俊位
 海軍大尉
 以下
 日本海将兵(日本側回航員)
 駐日フランス人の家族が乗船
 造船所雇用の
 フランス人乗員70数名
 によって回航
 12月3日
 寄港地
 シンガポール
 出港
 12月14日〜15日に
 横浜港到着予定だったが
 南シナ海洋上で行方不明・・・
 12月下旬
 甲鉄艦
 扶桑
 や
 海門
 が
 土佐沖〜八丈島
 にかけての海面捜索を実施
 全乗客乗員計90名の消息は不明
 1887年(明治二十年)10月19日
 亡失認定
 日本は軍艦の回航に保険をかけ
 約124万5千3百円の保険金が下りた
 畝傍の代艦として防護巡洋艦
 千代田をイギリスに発注
 畝傍の同型艦となる予定だった
 防護巡洋艦
 秋津洲(横須賀海軍工廠)は
 イギリス式の巡洋艦として
 再設計・建造・・・
 日本は
 畝傍の
 建造費の残額を払う必要が無くなった
 フランスは残額を回収するため
 水雷砲艦
 千島を建造
 千島も回航中の
 1892年(明治二十五年)11月30日
 瀬戸内海でイギリス商船と衝突
 遭難(千島艦事件)
 ↓↑
 「畝傍の名」は当艦が初代で
 縁起が悪い名と言われ
 後の艦に継承されていない・・・
ーー↓↑ーー 
 杉原千畝
 (すぎはら ちうね・サンゲンセンポ)
 1900年(明治33年)1月1日
 〜
 1986年(昭和61年)7月31日
 外交官
 第二次世界大戦
 リトアニア
 カウナス領事館に赴任
 杉原は
 ナチス・ドイツの迫害により
 ポーランド等欧州各地から逃れてきた
 難民たちを
 1940年7月〜8月
 外務省からの訓令に反して
 大量のビザ(通過査証)を発給
 およそ6,000人にのぼる避難民を救った
ーー↓↑ーー
 畝(うね・ム・モ・ボウ・ホ・せ)
   畝=亠+田+久
    =亩(簡体字)・畆(俗字)
     畑の(ridge)
     織物・編み物の(rib)
      畝目返し(うのめがえし)
          雨根目かえし
          有音目返し
          采 女カエシ
     畝(せ・面積の単位・三十歩
       約1アール(1辺が10mの正方形)
ーー↓↑ーー
 畦(あぜ・ケイ)
 ↓↑  畦=田+圭(土土・十一十一)・・・α+圭
                桂・蛙・挂・硅・珪・跬・鮭
                桂小五郎=乞食=木戸孝允
     圃畦(ホケイ)・野畦(ヤケイ)
     畦から行くも田から行くも同じ
     (手段や方法が違っても
      同じ結果になる
      結局、行き着く所は同じ)
     田=「口+十」
      =口+〆る
      =口を閉じる・・・?
 ↓↑  畦塗り=田打ちのあと、
         くろぬり
       畦=水田の区画を成すと同時に
         泥土のきめ細かさによって
         水漏れを防ぐ方法でもある
         畦畔(ケイハン)
         泥畦(デイケイ・ネイケイ?)
 ↓↑      ↓↑
         mire(マァィア(ル))
           =ぬかるみ・泥沼

          ミオ(mio)=澪=水路=水脈・・・みゃく
 ↓↑       ↓↑
          mi-rror=ミラー=かがみ・鏡
 ↓↑       ↓↑
          mire
         沼地・ぬかるみにはまる
         窮地、苦境に陥る
         沼地
         窮地=sink in deep mire
         深い泥沼に沈む
         be in the mire
         にっちもさっちも
         いかなくなっている
     畦道(あぜみち)
     畦目(うなめ)
 ↓↑  畷(田の中の細道・あぜ道
       なわてじ・なわて道
       まっすぐな長い道)
     畔(ほとり・滸・湖畔)
     略(ほぼ・リャク)
       領土を経営する・経略
       筋道を立てた計画
       英略・機略・計略・才略・策略
       商略・政略・戦略・知略・武略
       謀略
 ↓↑    ↓↑
       略
       他の領分に踏み込み、奪い取る
       略奪・攻略・劫略・殺略・侵略
       はぶく
       下略・省略・前略・中略
       細部をはぶいて
       簡単にしてあること
       大体のところ・あらまし
       略字・略式・略称・略図・略歴
       概略・簡略
       略する=全体のうち一部分をはぶく
       一部を省(はぶ)いて簡単にする
       省略する
       かすめとる・うばう・攻略
       略称
ーー↓↑ーーー↓↑ーー
   畝=畦(あぜ・うね)
     田と田の間に土を盛って作った境界
     敷居や鴨居(かもい) の
     溝と溝との間にある仕切り
    「畔」とも書く
     畦目(うなめ)・畦(うね)
  畦(あぜ・うね)
    畦=田+圭
     線状に幾筋もの高低があること
     畔=あぜ=塍
ーー↓↑ーー↓↑ーー
    ・・・小泉八雲の「鏡の少女」・・・
ーー↓↑ーー
 春畝(畦)・・・「うね」・・・伊藤博文=号は春畝・・・