2488日目・・・「釧路=くしろ=釧=久代=句詞賂」・・・「釧=古代の腕輪・貝、石、青銅、鉄などで造り、青銅製のモノのには鈴をつけたものもある・ひじまき(肘巻き・肱巻き)・たまき(玉木・玉置・環)」・・・「環=たまき=珠樹=押木之玉縵=立縵=磐木之玉縵」・・・「縵=糸+曼」・・・

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 曼=日+罒+又=ひく・ながい
        ひろい・ひっぱる・ひろがる
        うつくしい
        マン・バン
       「曼曼」
       「曼姫」
       「曼珠沙華(マンジュシャゲ)」
       「衍曼(エンマン)」
       「靡曼(ビマン)」
       「曼陀羅=マンダラ=曼荼羅
 ↓↑     ↓↑
 「縵 =かづら=蘰=蔓=鬘=葛=葛山」
 「和良=かつら=桂=楿」
 「勝等=かつら=勝良=勝占=勝貫=藤(かつら)」
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 押木珠縵(オシキのタマカズラ)
 一云
 立縵(タチカズラ)・・・釧 (くしろ)は
             腕輪(bracelet)だが?
 又云、         釧路=句詞賂=久代
             ・・・くじら(久志羅・櫛羅・鯨・鯢)
 磐木縵(イワキのカズラ)
 ↓↑
 岩木・違和記・磐城・夷和記・岩城・岩切・伊脇・Iwaki
 ↓↑
 日本人苗字
 いわき
 磐木・磐城・盤城
 伊脇・井脇・猪脇
 岩木・岩槻
 岩樹・岩気・岩亀
 岩己・岩城
 岩喜・岩毅・岩結
 伊和喜・居和城
 嶽城
 巌木・巌紀・厳・巌城・巌樹
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 たまかずら=玉鬘(髟+曼)=玉縵(糸+曼)
          髟=镸+彡=ヒョウ
            髪の毛が長く垂れ下がっているさま
 古代の装飾品の一
 多くの玉を糸に通した髪飾り
 「押木の玉鬘を持たしめて(古事記)」
 かつら・かもじ(髢・髪文字=加文字)
     かもじ=母or妻
 「あれを見よ しらが(白髪)女の玉鬘
  (誹諧連歌抄・恋)
 枕言葉
 玉鬘を頭に「かける」ところから
 「懸(か)く」また、その
 「かけ」の類音
 「影」にかかる・・・「玉鬘かけぬ」・・・?
 「玉鬘かけぬ時なく恋ふれども
            万葉集・二九九四」
 「玉鬘影に見えつつ忘らえぬかも
            万葉集・一四九」
    影=景+彡
      景行天皇の「彡(サン・セン)」
            彡=刷毛跡(痕・蹟・迹)⇔倭タケル
      「彡」ならば、
     「押木」=押さえる木⇔版木刷りの?
      馬楝(ばれん)
      木版・版画を摺る道具
      馬連・馬簾などとも表記
      竹の皮などで作った
      撚紐を渦巻状にした
      紙縒りを芯として
      大量の紙を重ねて漆を塗った
      丸皿状の
      当て皮(馬楝あて)に当てて
      滑りを良くするために
      これを竹の皮で包んで作る
      楝(木+柬・あふち・レン)=樗=栴=檀=せんだん
       (白檀の別名で半寄生の小高木
        黄色の小花が咲?)
        初夏
        淡紫色の花をつける
        襲(かさね)の色目の一つ
        表は薄色で、裏は青
        一説に、表は紫、裏は薄色。夏に用いた
      ・・・長押 (なげし) =鴨居の上につけた横木・・・?
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 腕輪=bracelet=うでわ=有出話=有出羽
    俗語で「手錠」=「手枷・手械・杻・梏」
   「手纏(たまき)」
        纏⇔纏(まとい)・江戸時代に町火消の各組が
        用いた旗印の一種・各組により様々な意匠が凝らし
        上部に組を表す頭があり
        馬簾(ばれん、上部から垂れ下がった細長い飾り)
        と呼ばれる紙や革製の房飾りがついて
        手に持って振り上げ たり
        回転させると踊るようになっている
        纏           ⇔纒
        纏(糸+廛・糸+广+田+坴)⇔纒(糸+厂+黒+土)
            廛=やしき・みせ・テン・デン
        奈良県桜井市の遺跡
        纒向(まきむく)遺跡・・・巻向と書くことあり
           纒向珠城(たまき)宮
           眞記務句-意施記?
         
   「釧(くしろ)」
    と呼ばれていた
    ブレスレット
    無礼素劣 訳
ーーーーー
 日本書紀
 夏四月甲午朔
 天皇欲設吳人、
 歷問群臣曰
 「其共食者、誰好乎。」
 群臣僉曰
 「根使主可。」
 天皇、卽命
 根使主爲共食者、
 遂於
 石上高拔原、饗吳人。
 時、
 密遣舍人、
 視察裝飾、
 舍人復命曰
 「根使主
  所著玉縵、
  大貴最好。
  又衆人云、
  前迎使時
  又亦著之。」
 於是、天皇欲自見、
 命
 臣連
 裝
 如
 饗之時、
 引見殿前。
 皇后、
 仰天歔欷、
 啼泣傷哀。
 天皇問曰
 「何由泣耶。」
 皇后
 避床而對曰
 「此玉縵者、
  昔
  妾兄
  大草香皇子、
  奉
  穴穗天皇勅、
  進妾於陛下時、
  爲
  妾
  所獻之物也。
  故、
  致疑
  於
  根使主、
  不覺
  涕垂哀泣矣。」
  ↓↑
 (即位14年)
 夏4月1日。
 天皇は呉人に食事を振る舞おうと思い
 群臣に次々に問い
 「共に食事をする人は誰がよいか?」
 群臣たちはことごとく言いました。
 「根使主(ネノオミ)がよい」
 天皇はすぐに
 根使主(ネノオミ)に命じて
 共食者(アイタゲヒト)とした
 石上(イソノカミ)の
 高抜原(タカヌキノハラ)で
 呉人と食事をさせました
 そのときに
 密かに舎人を派遣して、
 装飾を視察させ
 舎人は報告して言った
 「根使主が身につけた
  玉縵(タマカズラ)は
  太くて高貴で、
  とても好ましいもので
  衆人(モロビト)も言って
  『前に使者を迎えたときにも
   また、身につけていた』と」
 それで天皇は見たいと思い
 臣連に命じて
 食事をしたときのような装いで
 殿(オオトノ=天皇の宮殿)の前へと
 呼び寄せた
 すると皇后(草香幡梭姫皇女)が
 天を仰ぎ見て嘆き
 泣き悲しみました
 天皇が訊いた
 「どういう理由があって泣いているのだ?」
 皇后は床を降りて
 (天皇・皇后は一段高い床にいる)
 答えた
 「この玉縵(タマカズラ)は、
  昔、わたしめの
  兄の
  大草香皇子(オオクサカノミコ)が
  穴穂天皇(アナホノスメラミコト=安康天皇
  の勅命を受け
  わたしめを陛下(雄略天皇)に送るときに
  わたしのために献上した
  結納品なのです
  それで根使主を疑って
  不覚にも涙を流してしまいました」
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 天皇聞驚大怒、深責根使主、
 根使主
 對言
 「死罪々々、實臣之愆。」
 詔曰
 「根使主、自今以後、
  子々孫々八十聯綿、
  莫預群臣之例。」
 乃將欲斬之、
 根使主逃匿、
 至於
 日根造
 稻城
 而
 待戰、
 遂爲
 官軍見殺。
 天皇命有司、
 二分子孫、
 一分爲
 大草香
 部民
 以封
 皇后、
 一分
 賜
 茅渟縣主
 爲
 負嚢者。
 卽求
 難波
 吉士
 日香々
 子孫
 賜
 姓
 爲
 大草香部吉士
 其
 日香々等
 語在
 穴穗天皇紀。
 事平之後、
 小根使主(小根使主、根使主子也)
 夜臥
 謂人曰
 「天皇城不堅、我父城堅。」
 天皇傳聞是語、
 使人
 見
 根使主宅、
 實如其言、
 故
 收殺之。
 根使主
 之後
 爲
 坂本臣、
 自是始焉。
ーーーーー
 天皇はそれを聞いてとても怒り
 根使主(ネノオミ)を深く責めた
 根使主は答えて
 「死罪死罪
 (ウベナリ=敬意と謝意を表す慣用句で
  深い意味は無い)
  まことにわたしめの過ちです」
 詔(ミコトノリ)して言いました。
 「根使主は今より以後
  子々孫々
  八十聯綿
 (ウミノコノヤソツヅキ=聯は「連」と同義)
  に群臣
 (マヘツノクミタチ)の
  例(ツラ)に預けてはいけない」
 それで斬り殺そうとした
 根使主は逃げ隠れ
 日根(ヒネ=和泉国日根郡)に至って
 稲城(イナキ=稲で作った城)を作って
 待ち戦った
 官軍に殺され
 天皇
 有司(ツカサツカサ=官僚・役人)に命じ
 (根使主を)
 二つの子孫に分け
 一部を
 大草香部(オオクサカベ
      和泉国
      大島郡
      日下部郷?)の民とし
 皇后に与えた
 一部を
 茅渟県主(チヌノアガタヌシ)に与え
 負嚢者(フクロカツギビト)とした
 難波吉士日香々(ナニワノキシヒカカ)の
 子孫を探し求め
 姓を与え
 大草香部吉士(オオクサカベノキシ)とした
 その日香香(ヒカカ)たちの
 語(コト=物語のこと)は
 穴穂天皇の紀にある
 事が平定した後
 小根使主(オネノオミ)は
 夜臥(フ)して人に語り
 小根使主は根使主の子
 「天皇の城は堅くない。
  わたしの父の城は硬い」
 天皇は人伝てにこの語(コト)を聞いて
 使者を送って
 根使主の宅(イエ)を見させ
 その言葉の通りで
 それで捕らえて殺した
 根使主が後に
 坂本臣(サカモトノオミ)
 となったのはこれが始まりです・・・?
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 縵=糸+日+罒(網)+又(右手)
        又=フ+乀=一+ノ+乀
         =一+乄(示)=一+乂(刈)
    ↓↑
 手足指縵網相=(シュソクマンモウソウ)
         首 足 蔓 妄 想
         守 則 萬 孟 宗
 手足の指の間に
 水鳥の水掻(かき)のような
 金色の膜があり
 全ての人々を掬(すく)い
 取って
 漏れなく救うという意・・・?
 ↓↑
 縵=マン・バン
   無地の絹
   ゆるやか・ゆったりとした
   連れ弾き
 ↓↑
 縵面(なめ)・・・ナメ=臀-呫(と-なめ)
      トンボ・蜻蛉・蜻蜓
      とんぼ・あきづ
      dragonfly   ・damselfly
      ドラゴンフライ・ダムセルフライ
              騙 せる附等意?
 縵=マン・バン
 無地の絹・むじぎぬ
 ゆるい・ゆるやか
 つれびき・合奏する
 縵楽
 縵面(マンメン・バンメン・なめ⇔名目)
 ↓↑
 縵=糸+曼
 縵=謂、雜聲之和樂者也
 又、如、縵布(粗樸的布帛)
     縵帛(沒有文采的布帛)
     縵胡(武士所系的素色
          無紋的纓帶)
     ↓↑
     趙客縵胡纓・・・纓=冠の紐
     ↓↑        背後の中央に
               垂らす紐
         纓=糸+嬰=エイ・ヨウ・ひも
           冠の両わきから
           顔をとりまき顎の下で結ぶ
           許嫁(許婚)のいる標
           娘がつける紐
           冠の紐を結ぶ・冠をかぶる
           冠の後につける
     ↓↑    尻尾のような飾り
     呉鉤霜雪明
     銀鞍照白馬
     颯沓如流星
     十歩殺一人
     千里不留行
     事了拂衣去
     深蔵身與名
     ↓↑
     李白 俠客行=侠遊二十五曲の一
            任侠の士を詠う
     客は趙の地の出
     縵の衣服
     胡の紐で帯び
     呉の曲った刃先の剣は
     霜雪のように輝き
     銀の鞍は白馬を照らす
     颯沓(サットウ)
     颯爽(サッソウ)
     速きこと流星の如し
     十歩で一人を殺し
     千里にあり、その行も留めず
     事が終われば
     衣を払い
     身も名も深く蔵(かくす)・・・?
     李太白集158(太白巻02-30・俠客行)
    (唐代の詩仙、李白が詠んだ
     『侠客行』の冒頭部分)
      李白
     (701年
      長安元年
       〜
      762年10月22日
      宝応元年九月三十日)
      字は太白
      号は青蓮居士
      杜甫と同年代・・・安倍仲麻呂
      ↓↑
     赤=激情と嫉妬
     藍=浪漫
     白=真実
     緑=回想
     黒=神秘
       秦の心像、形象、印象の色彩
       死の色・・・
     (査 良𨉷=金庸
    ↓↑
    縵閣(用布帛搭成的樓閣)
    帷幔・幃幕(curtain)
   如布縵(布制帷幕)
     縵=màn・慢と同義?
       他を見縊(みくび)って奢る
       慢心・我慢・驕慢・高慢・傲慢
       自慢・侮慢・暴慢・増上慢
       ↓↑
        𥶡緩
       惰慢(slow)
       緩縵
縵者=窖者・密者(莊子·齊物論)
       𥶡心也・禮緩緩兮
 ↓↑
 花鬘・花縵
 はなかづら
 花を糸で貫いたり
 花の枝を輪にして
 作った髪飾り
 ↓↑
 「ここに
  多遅摩毛理(タジマモリ)
  縵四縵(カゲヨカゲ)
  矛四矛(ホコヨホコ)
  を分けて
  大后 に献り
  縵四縵・矛四矛を
  天皇の御陵の戸に献り置きて
  その木の実を縕げて叫び哭びて白さく
 「常世国(トコヨノクニ)の
  トキジクの
  カクのキのミを
  持ちて参上りて侍ふ」
  とまをし て
  遂に叫び哭びて死にき
 ↓↑
 縵八縵(かげやかげ)
 「八つの縵」
 縵=木の実を紐でつなげたもの
    ↓↑ 
 植物を輪状にした髪飾り
 安康天皇元年二月条
 樹枝形の玉飾りがついた冠
 「押木珠縵」
 687(持統天皇元)年三月条
 仏前の荘厳用の
 華鬘に相当する
 殯宮の「華縵」
 五月五日
 菖蒲の葉を輪にして
 「蘰」に用いる
 ↓↑    ↓↑
 大阪府
 羽曳野市
 軽里
 ↓↑
 軽部(かるべ)
 日本の姓、地名
 允恭天皇の皇子
 木梨-軽皇子(きなし の かるのみこ)
 の御名代部の軽部
 各地の軽部の居住地に
 軽部の地名が付き、苗字となった
 奈良県
 橿原(かしはら)市
 大軽(おおかる)
 付近の古地名
 ↓↑
 津軽
 斉明天皇元年(655年)
 「津刈-蝦夷
 古くは
 「津借」と記録
 蝦夷松前から渡って
 津を借りて住んだ
 15〜16世紀
 南部氏が青森県全域を支配し
 16世紀末に
 大浦為信が津軽地方を統一した
 ↓↑
 津軽郡(つがるぐん)
 津軽郡 (北海道)
 北海道(渡島国)にあった郡
 津軽郡 (陸奥国)
 青森県陸奥国)にあった郡
 ↓↑
 岩木山(ガンボクサン)
 ↓↑
 岩木山(いわきさん)
 青森県弘前市
 西津軽郡
 鰺ヶ沢町に位置する
 火山
 1,625 mの青森県の最高峰
 山容から
 津軽富士とも
 「お」をつけて
 「お岩木(いわき山)」
 「お岩木(いわき様)」
 ↓↑
 岩木山神社
 丹後国の郎党
 大江時廉の陰謀によって滅ぼされた
 岩城正氏の子
 「安寿と厨子王丸」の伝説が残され
 「安寿」が岩木山に祀られている
 「岩木山の神は
  丹後国の人を忌み嫌う」という言い伝え
 ↓↑
 五所
 川原市
 十三(旧市浦村
 ↓↑
 十三湊(とさみなと)
 中世から近世に
 青森県
 五所川原市
 十三湖の辺りにあった
 湊(みなと)・・・「氵+秦?⇔奏」・・・溙
               演奏=カナでる
               合奏
 近世以降
 「じゅうさんみなと」と呼ばれる
 「十三湊遺跡」
 十三湊は
 十三湖西側の日本海と湖に
 挟まれた
 やり状の
 「砂嘴(サシ)」にあった
 「十三(とさ)」の地名
 「トー・サム(湖・のほとり)」
 というアイヌ語・・・
 「十三の意味」は無いのか?
 ↓↑
 砂嘴(サシ・sand spit)
 沿岸流により
 運ばれた
 漂砂が
 静水域で
 堆積して形成
 嘴(くちばし)形の地形
 砂嘴が発達し
 対岸、またはその付近までに至ると
 砂州と呼ばれる
 砂嘴が枝分かれしているような地形は
 「分岐砂嘴」と呼ばれる
 清水港が分岐砂嘴の好例
 島と繋がった場合
 「陸繋(リクケイ)砂州」と呼び
 つながった島を
 「陸繋島」と言う
 ↓↑
 「地震津波で壊滅」
 などと記す偽書の跳梁・・・?・・・
 破壊されたかどうか別にして
 「地震津波」はあった・・・
 「岩木山」は
 「過去に何度も噴火を繰り返してきた
  活火山」である・・・
 1571(元亀2)年〜
 1600(慶長5)年水蒸気噴火、泥流発生
        2月22日
        噴火場所は「鳥の海火口爆発」
        地震、降灰
        7月23日
        火砕物降下、泥流・地震、降灰
 1672(寛文12)年6月27日、7月28日
        地震による山崩れ
 〜
 1782〜83(天明2〜3)年
 1845(弘化2)年
 1863(文久3)年〜〜〜1986(昭和61)年地震
 ↓↑
 安藤氏
 鎌倉幕府執権
 北条義時によって
 蝦夷沙汰代官(えぞさただいかん)
 に任命され
 エミシ出身の在地豪族・・・
 前九年の役で戦った
 北方の勇者
 安倍貞任(あべさだとう)
 の末裔を名乗り
 室町時代には
 「日之本将軍」
 の称号を与えられ
 津軽海峡を挟んだ
 北方世界を支配・・・
 14世紀前半
 一族内部の跡目相続
 蝦夷沙汰代官職を巡る争い
 (「津軽の大乱」)
 に勝利した
 安藤季久(あんどうすえひさ)
   宗季(むねすえ)
 が津軽西浜に拠点を移した
 ↓↑
 15世紀半ば
 南部氏との戦いに
 安藤氏が敗北
 安藤氏は
 柴崎城(しばさきじょう・中泊町
 に逃れ
 蝦夷ヶ島へと落ち伸び
 後、
 津軽奪回を試みるが叶わず
 安藤氏は
 秋田檜山(ひやま)方面へと
 拠点を移した
 ↓↑
 『廻船式目』に
 「三津七湊」の一つ
 「奥州津軽十三湊」が記録
 15世紀前半
 火事場整理の跡と考えられる
 多量の被熱した
 礫を廃棄した遺構が多数存在
 火災により多くの施設が
 焼失した後
 いったん復興作業が行われた
 火災は
 永享四年(1432年)
 南部氏との抗争で敗れた際の火災・・・
ーーーーー
 ・・・手足指縵網相・・・釈迦はイワキの河童を・・・喝破・合羽・・・だがスクえず、ショウジたジコの責任とした?