2454日目・・・前回も書き込んだが「義」の数多くの「概念規定」は「我意念規定」に「曖昧」をもたらす・・・ボクにとっては「義=羊+我」は「字義=漢字字形の意味内容」であるが、字形が何故、「羊+我」の構成になっているんだか?・・・「犠牲の犠」は「牛+羊+我」で「牛(牡・牝・犍)」も加わった・・・「女媧(じょか、拼音: Nüwa→ナワ?=縄=名葉・名把=藁(わら)を撚(よ)って、あるモノを縛る、束ねる、繋ぐ、吊るす、引っ張る物)は古代中国神話に登場する人類を創造した女神・三皇の一人・姓は風・人首蛇体・伏羲(

 「諫め・諫む・諫める・幾諫・諫鼓・諫止・諫死・諫臣・諫早・諫争・諫諍・諷諫・箴諫・諫言・苦諫・強諫・極諫・切諫・忠諫・直諫・痛諫・死諫・屍諫・尸諫・諫議」、「諫早市諫早湾」、「往者諫むべからず」は判るが、「三度諫めて身を退く」って、辞めてどうするんだか、コレって「病(ヤ)めて」か?・・・諫めてもらって、ヤめてイイコトは高年齢の自動車運転だろう・・・
 「規諫(キカン)・強諫(キョウカン)・極諫(キョッカン)・苦諫(クカン)・至諫(シカン)・正諫( セイカン)・切諫(セッカン)・忠諫(チュウカン)・直諫(チョッカン)・諷諫(フウカン)・諫める(いさめる) ・諫言(カンゲン)・諫止(カンシ)・諫死(カンシ) ・諫臣( カンシン)・諫争・諫諍(カンソウ)」・・・
 それにしても「諫早湾」の地名由来が「?」で、調べてみても「中世の荘園名、「伊佐早荘」に由来し、近世、領主・龍造寺氏が諫早に改姓し、地名も「諫早」になった、とか・・・「肥前国-高来郡-伊佐早庄が起源」・・・高麗移民の定住地だろう・・・有明海、島原周辺の事件を見れば、「諫めは早い方がイイ」である・・・「諫早」の苗字が「新潟県-南魚沼郡-塩沢町-天野沢に集中」に集中って?・・・水俣、新潟の水銀被害・・・「イザ、はや」・・・「アズマ、はや」の用法ならば、「イザは、もはや存在しない」だろう・・・伊座・委邪・夷邪・・・委(イ)奴(ヌ)の横島(邪馬台国の居座)かもだが、古事記は「伊邪-那岐(なき)・伊邪-那美(なみ)」で、日本書紀は「伊弉諾伊弉冉」の兄妹であり、夫婦(めおと)で、イザ-ナミの別名は「黄泉津大神道敷大神」であった・・・
 ↓↑
 「弉諾(ざなき)」=弉=さかん・ゾウ・ソウ・ジョウ(ジャゥ)
           壯(爿十一)+廾(こまねく・キョウ・ク)
           諾=言+若=承諾
 「弉冉(ざなみ)」=弉=さかん・ゾウ・ソウ・ジョウ(ジャゥ)
           壯(爿十一)+廾(こまねく・キョウ・ク)
           冉=冂+土=しなやか・あやうい・ゼン・ネン
 ↓↑

 諫早湾
 諫早・・・北緯32度50分 東経130度3分
 「長崎県南東部、島原半島の北側に有明海島原湾)から湾入した支湾。諫早湾は、有明海の中央部西岸からさらに南西側に入りこんだ湾を指す呼称・泉水海とも呼ばれる」・・・
ーーーーー
 「伏羲(フッキ)」の「羲(キ)=羊+禾+丂(万)+戈」の漢字は「義(ギ)=羊+我」とは異なる部品構成である・・・「羲和(ギカ・ギワ)」は古代中国の伝説上の人物・太陽の御者とか太陽を生んだ母・後、東南西北の、それぞれの地の天文に関する任務を担当する羲仲 (ギチュウ)、羲叔(ギシュク)、和仲(カチュウ・ワチュウ)、和叔(カシュク・ワシュク)の四人兄弟の総称」が「羲」・・・「王羲之」の「羲」でもあるが・・・
 「𢐱(キ)=艹+土+我+弓・芏+我+弓」
 「𦏁(き)=羊+秀(禾乃)+戈」
 は
 「羲」の異字である・・・
 「義=羲=𢐱=𦏁」・・・
 ならば
 「我=禾の丂(万)=艹の弓(芎)=秀の戈」
      丂=曲(枉)がったモノ・・・枉=木(十八)+王
        曲げさせたモノ
        曲げたモノ
 ・・・技術(わざ)で巧妙、たくみに湾(彎)曲させたモノ
 だろう・・・その道具は「手にする刃物・石器・木器」である・・・だが、調べた字典には「義」が「羲=𢐱=𦏁」の「同義」との説明はなく(?)、「ヒトの姓名」に使用とのみ記されている・・・
   ↓↑
 「王羲之(オウギシ)
   羲和(ギカ・ギワ)
  伏羲 (フッキ)」
   ↓↑
  羊(ヨウ)+α
  意符は羊(ヨウ)
  義・羲・𢐱・𦏁
  羯・羚・羌・群・羔・羹
  羞・羨・羶・着・羝・美
  羸」
 「声符はギ
  義・・・羛=羊+弗・・・?・・・「¥+$=円+弗」?
  儀=儀式・儀礼
  䣡=義+邑(村)
  䧧=義+阜(丘)=岌䧧
  檥=木+義=艤=舟+義=艤装
  議=言+義=議会・議事
  㕒=厂+義=「崖+義」?・・・崖っぷちに立つ義?
   =嶬=山+義=険しい・嶮しい
  艤=舟+義=艤装
  鸃=鳥+義=鵔䴊(シュンギ)・錦鶏(キンケイ)・雉科の鳥
  䴊=義+鳥
  礒=石+義=磯・石生
  轙=車+義=𨏢、所以縛銜者也=くつわ(轡)・くつばみ
       馬の口に含ませ、手綱をつける金具
       銜勒(カンロク・ガンロク
       ふくむ・物を口に入れる
  嶬=山+義=険しい・嶮しい・阢
  蟻=虫+義=黒色・蟻酸・浮蟻(フギ)=酒に浮く泡滓・酒
  䲑=魚+義・・・魚の義体(擬態)?・・・木魚?
  㬢=日+義=曦=日+羲=日光・旭日
   ↓↑
 「王羲之(オウギシ)」
 「303年〜361年
  中国東晋の政治家・書家
  字は逸少
   ↓↑
  太安二(303)年頃〜升平五(361)年頃
  東晋の書家
  瑯や臨沂(リンギ・山東省) の人
  字は逸少
  官は右軍将軍・王右軍
  会稽内史
  初め
  衛夫人の書風を習い、後、
  漢、魏の碑文を研究し
  「楷、行、草」の
  各書体を完成・・・現代書体の創始者
  「義」が「角張った意味」なら、
  碁盤の升目(桝目)、都市の碁盤目の条理、道筋
  そして、「字義」とは
  方形に納められた
 「楷書体の漢字」である・・・   
   ↓↑
  王羲之(オウギシ)の
  本籍は
  琅邪(ロウヤ・ラウヤ)郡
   ↓↑
  臨沂(リンギ)県(山東省-臨沂市)
  瑯邪=瑯琊=琅玡・・・
        琅→狼→中山狼⇒黄鼠狼・・・おおかみ=大神
        娘・浪・稂・觔・朗・䀶・蜋・㝗
        筤・鋃・桹・𥍫・踉・𣂞・莨・閬
      琊→揶→からかうからかう・はぐらかす・ヤ
        揶揄(ヤユ)
  春秋時代
  越王
  句践(コウセン・クセン)が
  山東省膠南県南西の地に
  黄海を望む台館を起こし
  諸侯と会盟を行った
  秦の始皇帝
  治所に琅邪郡を置き
  二十八年(前219)
  泰山封禅の後
  琅邪台を設けた・・・琅=美石、真珠の玉
              玉や金属の鳴る音
           琺瑯の「瑯」?
           金属の錆止めや装飾のため
           表面に焼き付ける
           不透明なガラス質の釉 (うわぐすり)
           それを焼きつけた金属器
           エナメル(enamel)製品
           装飾品の七宝焼
            邪=よこしま・邪悪
              瑯琊(ロウヤ・ラウヤ)は
              山東省にある山名
  王羲之(オウギシ)は
  魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族
  琅邪王氏の出身
  曾祖父は王覧(王祥の弟)
  祖父は王正
  父は王曠」
 ・・・日本に「千字文」を招来させた人物は
 「王仁(わに)=辰孫王と共に百済から日本に渡来
         千字文論語を伝えた
         王仁日本書紀
         和邇吉師(わにきし・古事記
         百済に渡来した中国人・・・?
         姓である王氏から楽浪郡の王氏・・・?」
 王仁=わに・オウジン・ワンジン=和邇=わに=鰐
    和邇(カジ・わに・あに?・おに?)・・・
          ワジン         
          和人・阿邇 ・鬼
ーーーーー
 ・・・「義=羊は我」・・・「未(ひつじ)は羊」で「未艷(未艶)」は「マリア(Maria)=ミリアム(Miryam)=瑪利亞」だった・・・弥師訶(メシア)=基督(キリスト)・・・
 「僧伽=ソグド語の sang(石)」で、
 「岑穏僧伽(シモン・ペテロ)」
  岑=山+今=みね・シン・ジン
  穏=禾+爫+彐(ヨ)+心=おだやか・オン・・・隠
   =禾+刀+彐(ヨ)+心
   =禾+刍+心
   =禾+急=禾+㤂
  僧=イ+曽(曾)=ソウ・・・坊主
  伽=イ+力+口=とぎ・カ・キャ
 ↓↑
 聖母マリア(Miryām・Maryām・Μαρία・María・アヴェ-マリア・ Ave Maria・ミレアム)・・・
 「ナザレのイエスの母・・・「序聴=イエス」?・・・「移鼠」
              「序でに聴く=序を読ませて聴く
                     序を読んで聴かせる」
  ナザレのヨセフの妻・・・・ヨセフ=若瑟(ジャクヒツ)?
  ヨアキムとアンナの娘・・・義なる神の祖父母
               イオアキムとアンナ
              (生神女マリヤの両親)
  処女マリア
  童貞-瑪利亞・・・「未艷(未艶)」・・・豊+色
            未だエン(つや)ならず・・・?
            イスラエル=Israel=以色列・伊色剌
 ↓↑
  大秦景教-大聖通-真帰法讃(開元五年・717年の筆写)
  大秦景教-宣元至-本経(開元八年・720年の筆写)
 ↓↑
  大秦景教-宣元至-本経
  大秦景教-宣元至-本経-幢記・・・経幢=石柱
 ↓↑
  義なる預言者モイセイ(モーゼ)
 ↓↑
 「義(ギ)」
 日本語で漢字を用いる際の
 「意味=意義」
 を表す
 漢字の三要素は
 字形
 音
 字義
 ↓↑
 「己の威儀なり・我+羊の会意」
 「羊+我声」・・・?
 「羊」を含む漢字は
 「祥・善 に羊を含むのと同じく
  ヒツジ(羊)を神に捧げる
  ギセイ(犠牲)に常用した習慣に基づく
 ・・・「十二支」の「動物名」は、その一年間の各月に「犠牲にされた動物の名」か?・・・「龍」は存在しないが・・・?・・・代用の犠牲動物はナニ?・・・
 ↓↑
 もともと「宜」と同じく神への供物が
 くっきりと角張って美しく揃っていること・・・
 切り揃えた犠牲の肉の形が
 方形、長方形に揃っているコト・・・
 「書経・文侯之命」の「父義和の鄭注」に
 「義とは匹(そろう)なり」
 とある・・・らしい・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・