2448日目・・・高校サッカーの決勝戦・・・すごいゲームだったけれど・・・本日は「成人式」ですか・・・「歳」が基準の「成人式」って「是非もない」かッ?・・・「実力主義の社会」では「年齢・性別・人種」は関係ない(?)とは思うが、「何の実力・能力」なのか、「政治に参加出来る基準」とはナンなんだか?・・・「アメリカ・ミネソタ州ドーセットで最年少の町長!3歳のジェームズ・タフツくんがアイスクリーム(分配?)を公約にして当選」って?・・・今現在は「ネコ」でも、「犬」でも社長になったり、署長、店長になったりする時代

 占いでの「立運(0〜10歳)」は、一応「人間の自我自覚の始まりの通過点」だが、「第一次反抗期=自我自立時期」の出発点と重なる(?)ナンでも自分自身でヤッテミタイ時期・・・
 だが、「人間社会の子供達の巣立ち」って・・・先進国はアマリにも「子供達の巣立ちには過保護で、圧し込み知識の長い期間」かも・・・「教育は階級国家の国策」・・・「子供のデシャバル余裕は無い一方的なモノ」だから当然・・・
 自分の子供に願望を賭けて「デシャバル親」は多いらしい(?)けれど、それにコタエテくれる「子供」が少なくなるのも当然・・・
 「政治的社会参加としての自覚認識(?)の十八歳の選挙権」も不思議だ・・・意外と「保守」に脳ミソが汚染されているのか、無関心だったのかは、前回の衆議院選挙の投票である・・・
 「18歳は51・17
  19歳は39・66%
  18歳と19歳を合わせた投票率
  45・45%」
 普通、「コレが、お前の権利だッ」って云われたら投票に行く年齢だと思ったが・・・
 多分、小学生、中学生はモチロン、高校生の「生徒会」は「選挙」として、ダレかを自分たちの代表として「選ぶ」と云う機能が、「生徒会役員」はルールを「作る」と云う機能が備わってはいないんだろうナッ?・・・「ホーム-ルーム(学級活動・class activity?・homeroom activity?)」ってのもあったけれど・・・現在的に概念が異なっているのカモ?・・・
 「学級会(生徒会)活動」って、どうやら「生徒の自発的な協同体活動」じゃぁないらしいのカモ・・・むかし、「生徒会」は「各サークルの予算配分」などの議事、決定などもしていた記憶があるけれど・・・
 「十二才春、中学入学、十五才春、中学卒業」・・・「第二次反抗期」は「中学時代の思春期」・・・
 現実的には世間で働いて自立していく年齢は「十五歳春、中学卒業後」だろうと思うが・・・
 中学卒業後は「決められた選択可能な枠内での選択の自由(?)」があった・・・「与えられた枠内での選択の自由」は今現在も同じであるが、高校進学、大学進学は「親のフトコロ次第」だろう。
 老若男女、若者から老人まで、「資格認証」は無いカモだが、「独学」と云う手がある。「コンピュータの時代」である。3食と家に籠る時間、電気代さえあれば、「中学〜大学院までの知的記憶力」を増やせる環境には存在しているハズだ・・・
 モチロン、その後の「職業の選択は自由」・・・高校中退して年収30億円と云う人物がTVで自分の成金生活を自慢していたが・・・この資本主義の時代に、みんなが30億を稼げるワケではないのは当然だが「可能性」はある・・・
 ほとんど、「中学生時代くらいまでは未だ道徳、倫理的正義感がある」らしいが?・・・イザ、自分が働いてカネが稼げると云う「他人の世界」に接触していくと・・・「下町ロッケット」、「陸王」の世界・・・あるいは「ドクターX」の「疎外された美知子の世界」・・・技術はあっても「カネの世界には疎い」・・・
 それよりも、カネの苦労の結末は「半沢直樹(やられたらやり返す、倍返しだ)の世界」かも・・・儲からなきゃ、ニッチもサッチも・・・
 個々人が成長していくプロセスで「道徳、倫理的正義感が揺らぎ始めるのは十五歳以降」からカモ(?)だが・・・ひとそれぞれ・・・
 自分自身の「立場、立ち位置」の「選択」である・・・
 一般的、現実的な「大人の市民社会のルール」が「十五歳までに教え込まれたルールとは異なる、相反する」から・・・
 同時に「性欲」に関する「不自然な禁止項目」も増える・・・「第二次反抗期」が重なるのは当然・・・
 「マモるベきルール、市民社会の法律の根幹」は?・・・「私有財産の自由な処分の保障」・・・で、アルらしいが・・・これをめぐって「マモレないルール」もワンサカ・・・それは「オトナ自体が守ってはイナイモノ」である・・・
 ・・・まだ、相撲業界がモヤモヤしているらしい・・・外国人の相撲取りは「出稼ぎ」で「日本の土俵の上」で頑張っているん・・・
 「白鳳」も「日馬富士」も「日本資本主義時代の小ブル意識の哲学者」である・・・「土俵の上の勝敗」に「生活」がカカッテいんだ・・・「横綱」の後に居場所がないのは自明である・・・
 「見世物のヒトツ」なのに・・・「品格」って?・・・勝負は「カチ、マケ」で「ヒキワケ」はない・・・
 「礼儀」ってナンなんだか?・・・階級社会序列の上下相互対応の行為・・・「主人、客人の公平、平等の対応行為」ではないだろう・・・「人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式・特に、敬意を表す作法」ですか?・・・さすが、「戦国時代の武器を伏せたボス交渉の作法空間と作法行為」・・・
 自然美を造り直し、手をつけた加えた「御花」、「御茶」、「狂言」に意味を見出した「プチブル戦国支配階級、階層」はタイシタものである・・・「歌舞伎・浄瑠璃」は町民、庶民に「美化」されたモノだが・・・
 自然の「ワビ・サビ」の「色彩」はスキだけれど・・・意図的、人工的な「ワビ・サビ」・・・権力者にオベッカの御伽衆、側用人幇間(ホウカン)、太鼓持ち等の「技芸(伎藝)・技術」が「反権力の道具」などとは、とてもとても思えない・・・どっちにしても「武芸の一部」で、「藝」は「階級社会の枠内」を前提にした「自己保身」と同時に「他者保身」の道具・・・?
 キレゴトでヘリクツをコネルのも「品格の文化」だから・・・
 ミエル部分は「本質」ではない・・・「本質は殺戮で、殺伐」・・・小さいボス交の部屋から出たら生殺与奪を争う殺し合いの修羅場・・・「日本のワビ、サビの文化」は「核シェルター(shelter)の空間文化」カモ・・・
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 ・・・相撲と云う格闘技に「土俵」と云う「枠組み」を造ったモノこそ「日本文化の礼(仕様・方法)」・・・「人情相撲」だから・・・ハッキリした勝負のケッチャクは視える部分だけでオッケイ!!・・・神聖な見世物なんだから・・・不浄なカネのハナシはオミット・・・てら銭の分配以前にテラセンがナキャァ、生きられない・・・
 なんか、自然界の「帆立て貝」が海の工場廃液、下水汚濁、汚染が少なくなって獲れなくなったって・・・
 清水に魚棲まず=孔子家語入官
        「水至清即無レ魚、人至察則無レ徒」
 「あまりに清らかな水には魚がすまないように
  潔癖すぎる人には
  かえって他の人の従いつくことがない
  (水清ければ魚棲まず)」
 「水清ければ魚棲 (す) まず」って?・・・
 「水銀マグロ」や、「原爆マグロ」って「マグロ自体が棲めなくなったワケ」でもないか・・・問題は「人間が喰えなくなった」んだ・・・イタイ、イタイ病だし、水俣病だし・・・放射能汚染だから・・・
 それでも、腹減ったら、汚染されていても喰えるモノは喰う・・・イタミを感じないなら今日死ぬよりも、明日死ぬほうがイイのが自然だからカモ?・・・
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 ・・・???・・・