2430日目・・・2017-12-17・・・「デセンバー=十二月・De-cember・Dec=十番目の月」・・・「de-・・・=打ち消し・否定・逆・除去などを意味する動詞」・・・ラテン語「de-」 ・・・「DE=off(離れる)・down(下)」・・・「離れる」ことから「否定(デナイ=deny)」は知っているが・・・「デ=de」は「出=山+山」であるカナ・・・電話にデル(∂=出る・偏導函数)???・・・デかける・・・ダスって・・・

 「拒絶(デクリン=de-cline)」、「強意(a great de-al)・デール=de-al=分配する・分ける・配る・処理する・扱う」・・・
 「詳細(de-tails)・デティール」・・・
 「旅立ち(デパァチャー・de-parture)」・・・
 「de-vice=装置・考案物・からくり・意匠・工夫・手段・方法・a safety device=安全装置」・・・
 「デヴィス=出葉意素・出羽夷州」って?・・・
 「旨い(デリシャス=de-licious)」・・・唾が出るか?
 「De-cember=デセンバァ=出船場吾(五+口)」
       「出船場阿(阝+可)」
       「出戦場拳(𠔉+手)」・・・
 「あげる・あがる(上・揚・挙・騰)」・・・
 「拳(𠔉+手)=あげる・かかげる・こぶし・ケン= fist(フィスト)・knuckle up」・・・
 「拳大の石=a stone the size of one's fist(フィスト)」・・・
 「アゲル」は「与える」でもあるけれど・・・
 「ヤる」って?・・・「何をクレるの?」
 「フィスト=附意素訳」・・・???
 ↓↑
 De-termining(〜を決心する、決意する・決める)
 de-cide
 de-vices(装置・手段・方法)
 detective(探偵)
 de-tect(に…を見つける、看破する・発見する・検出する
 de-tect hypocrisy(偽善を見破る)
ーーーーー
 三月=March・Mar
 四月=April・Apr
 五月=May・
 六月=June・Jun
 七月=July・Jul
 八月=August・Aug
 九月=September・Sept
 十月=October・Oct
 十一月=November・Nov
 十二月=December・Dec・・・十番目の月
 ↓↑
 一月=January・Jan・・・・ 十一番目の月
 二月=February・Feb・・・・十二番目の月
ーーーーー
 ・・・「獻(虍+鬲+犬)=ケン=献(南+犬)」・・・
 「獻=物を煮る意と音とを示す鬳(ケン)と犬(ケン)から成り、 もと「羮(あつもの)」にして「神に捧げる犬」の意を表わし、「たてまつる」の意になった・・・「鬳=南=あつい」・・・
  会意兼形声文字「獻(鬳+犬)」
 「頭部が虎の形をした甑(こしき)」の象形
 「耳を立てた犬」の象形
 (「甑(こしき)に血を塗るためのいけにえの犬」)
 (「虎の模様がある煮炊きの用具=甑(こしき)」)
 「鬲(かなえ・レキ)=古代中国で用いられた三足の器
           足は中空、煮炊きに用いた」
 「融=鬲+虫=とける・ユウ」・・・「融合・核融合
ーーーーー
 2017年 丁酉(庚・ ・辛)
 0012月 壬子(壬・ ・癸)
 0017日 戊寅(己・丙・甲)
ーーーーー
 宇宙サテライト(satellite)戦争(war)
 衛星間戦争・・・
 ↓↑
 衛星(natural satellite)
 惑星や準惑星小惑星の周りを
 公転する天然の天体
 ↓↑
 satellite(サテライト)
 衛星・人工衛星
 大規模な空港の主ターミナルから
 通路を伸ばして設けた補助ターミナル
 ↓↑
 サテライトウイルス
 (satellite virus)
 増殖するために
 他のウイルスの存在を必要とするウイルス
 D型肝炎ウイルスなど
 衛星ウイルス・欠損ウイルス
 サテライトオフィス(satellite office)
 都市周辺部に設置され
 都市部にある本社と連携
 ↓↑
 本体から離れて存在するもの
 の比喩
 衛星・人工衛星・衛星国・衛星雄
 サテライトDNA
 ゲノムDNAの中にある反復配列の一種
 他のウイルスと共存することで
 感染・増殖する
 (ウイルスに寄生する)
 性質を持つウイルス(サテライトウイルス)
 または
 核酸(サテライト核酸)のこと
 ↓↑
 衛星、惑星の周りを公転する天体
 人工衛星放送衛星通信衛星
 「本体から離れて存在するもの」の比喩
ーーーーー
 シリ ヲ ウス・・・尻を刺し貫いた「倭男具那」→日本建
 『日本書紀
 『先代旧事本紀
 本の名は「小碓尊(おうすのみこと)
      小碓王(おうすのみこ)」
 亦の名は「日本童男(やまとおぐな)
 後の名は「日本武尊(やまとたけるのみこと)
      日本武皇子(やまとたけるのみこ)」
 『古事記
 本の名は「小碓命(おうすのみこと)」
 亦の名は「倭男具那命(やまとおぐなのみこと)
      倭男具那王(やまとおぐなのみこ)」
 後の名は「倭建命(やまとたけるのみこと)
      倭建御子(やまとたけるのみこ)」
 「ヲウス(小碓)」
 『日本書紀
 双子(大碓命小碓尊)として生まれた
 景行天皇が怪しんで
 「臼(キュウ)=うす=碓(タイ)」
 に向かって叫んだことによる
 「ヲグナ(童男=男具那)」=未婚の男子
 「ヤマトタケル」の名称は
 ↓↑
 ↓↑
 ヤマトタケル(?〜景行天皇四十三年)
 日本武尊日本書紀
 倭建命(古事記
 第十二代
 景行天皇の皇子
 第十四代
 仲哀天皇の父
 熊襲征討
 東国征討
 オウスノミコト (小碓命)
 西方の熊襲征伐で
 童女に扮して
 川上梟帥 (かわかみの たける)
 を討つ
 そのとき
 梟帥が、
 日本建の名を献上
 ↓↑
 天皇小碓命
 「何汝兄於朝夕之大御食不參出來、
  專汝泥疑教覺。(泥疑二字以音)、下效此」
 如此詔以後、至于五日、猶不參出。
 爾
 天皇問賜小碓命
 「何汝兄久不參出。
  若有未誨乎」
 答白
 「既爲泥疑也。」
 又詔
 「如何泥疑之。」
 答白
 「朝署入廁之時、
  待捕、搤批而、
  引闕其枝、
  裹薦投棄」
 ↓↑
 爾
 臨其樂日、
 如
 童女之髮、
 梳垂其結御髮、
 服其姨之御衣御裳、
 既成
 童女之姿、
 交立女人之中、入坐其室內。
 爾
 熊曾建兄弟二人、
 見感其孃子、
 坐於己中而盛樂。
 故臨其酣時、
 自懷出劒、
 取
 熊曾之衣衿、
 以劒
 自其
 胸刺通之時、
 其弟
 建、
 見畏逃出。
 乃追、
 至其室之椅本、
 取其背皮、
 劒
 自
 尻刺通。・・・尻(しり)を
        刺(さ)し
        通(とう)す
 ↓↑
 爾其
 熊曾建
 白言
 「莫動其刀、
  僕有白言」
 爾暫許、押伏。
 於是白言
 「汝命者誰」
 爾詔
 「吾者
  坐
  纒向之日代宮、
  所知大八嶋國、
  大帶日子淤斯呂和氣天皇之御子、
  名
  倭男具那王者也。
  意禮
  熊曾建二人、
  不伏
  無禮聞看而、
  取殺意禮詔而遣」
 爾其
 熊曾建白
 「信、然也。
  於西方、
  除
  吾二人
  無
  建強人。・・・・建強の人→腱弱の人=アキレス
  然於
  大倭國、
  ?
  吾二人而、
  建男者坐祁理。
  是以、
  吾
  獻御名。・・・ 獻御名=献御名
       獻(虍鬲犬)=献(南犬)
鬳=南
会意兼形声文字です(鬳+犬)
      「頭部が虎の形をした、甑(こしき)」の象形
      「耳 を立てた犬」の象形
      「甑(こしき)に血を塗るためのいけにえの犬」
      「神聖化された甑(こしき)を意味=神に物を捧げる」
  自今以後、
  應稱
  倭建御子」・・・倭(やまと)
          建(たける
          御子(みこ・オンシ)
 是事白訖、
 卽
 如
 熟苽・・・・・・・熟苽
 振折・・・・・・・振折(ふりわる)
 而殺也。
 故、
 自其時稱御名、
 謂
 倭建命。
 然而還上之時、
 山藭・河藭
 及
 穴戸藭、
 皆言向和而參上。
ーーーーー
 ↓↑
 「川上梟帥(熊曾建)」・・・川上「梟帥」
 ↓↑    熊襲(くまそ)=古事記に「熊曾」
       筑前国風土記に「球磨囎唹」
       梟=母鳥を食らう不孝の鳥
         夏至に梟のあつものを
         百官に賜う儀式があった
       梟(キョウ・ふくろう)=鳥+木
         梟を木に磔る意
         鳥の頭が木の上にある
         フクロウは
         餌を木の枝に刺す
 ↓↑      Minerva(ミネルバ)=アテネの聖なる鳥
 から捧げられた名・・・?
 「尊」は皇位継承者・・・
 『日本書紀』で表記
 乎訳得訳(弟)の「小碓」は阿仁(兄)の「大碓」を本当に殺したのか?
 何故、父親の「景行天皇」は「小碓」を怖れていたのか?
 何故、子供の
 仲哀天皇
 神功皇后
 と
 武内宿禰
 に殺されたのか・・・?
ーー↓↑ーー
 仲哀天皇
 成務天皇十八年?〜仲哀天皇九年二月六日
 第十四代天皇
 在位
 仲哀天皇元年一月十一日〜同九年二月六日
 父親は
 日本武尊(命)の次男
 皇后は
 三韓征伐の
 神功皇后
 子供は
 応神天皇
 熊襲を討とうとしたが
 橿日宮で
 崩御
 和風諡号
 足仲彦天皇
 (たらしなかつひこのすめらみこと)
 帯中日子天皇古事記
 日本武尊(やまとたけるのみこと)の
 第二王子
 皇后は
 気長足姫(おきながたらしひめ)
 神功(じんぐう)皇后
 ↓↑
 日本武尊
 第二王子
 母はフタジイリヒメノミコト
 皇后はオキナガタラシヒメノミコト
 神功皇后
 熊襲を討つため
 皇后とともに筑紫に行幸
 死没
 足仲彦尊
 (たらしなかつひこのみこと)
 成務天皇七年 〜 仲哀天皇九年
 52歳
 ↓↑
 母=両道入姫(ふたじのいりひめ
        垂仁天皇 皇女)
 皇后=気長足姫尊
   (おきながたらしひめのみこと・神功皇后
 皇子皇女
 誉田別 皇子(ほむたわけのおうじ・応神天皇
 籠坂(かごさか)皇子
 誉屋別(ほむやわけ)皇子
 宮=角鹿笥飯宮
  (つぬげのけひのみや・敦賀
   → 徳勒津宮(ところつのみや・南海道
   → 穴戸
 ↓↑
 足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
 帯中日子天皇古事記
 「タラシヒコ」
 の称号は
 12代景行
 13代成務
 14代仲哀
 7世紀 前半に在位した
 34代舒明
 35代皇極
 両天皇が同じ称号
 ↓↑
 叔父の
 成務天皇に嗣子が無く即位
 日本武尊の第二子
 母は垂仁天皇の皇女・両道入姫命
 皇后は神功皇后
 仲哀天皇(148年〜200年3月8日)
 第14代天皇
 日本武尊の実子
 在位=192年2月11日〜200年3月8日
ーー↓↑ーー
 seri-o-us
 ・・・「シリ-オ-ウス」・・・Sirius
 シリウス(Sirius)=大犬座の最も明るい恒星
 地球上から見える最も明るい恒星
 「おおいぬ座のα星
  α-CMa=α Canis Majoris
  セイリオス(Σείριος・Seirios)」
 「天狼(ろう)星」
 実視連星で、
 伴星 シリウスBは
 「子犬」ともいわれる
 シリウスBは地球の3倍程度の大きさ
 質量は太陽と同じくらいで
 密度は太陽の10倍
 古代エジプト
 「ナイルの星」
 エジプト神話の
 「ソティス」
 シリウス星=太陽神ラーの妹
 「ソティスはわが妹にして
  明けの明星はわが子なり」
 ↓↑
 ・・・・「サティス・シティス・スティス・セティス」
      査定 数・指定 素・州綴 素・施渟 州
          「子弟=師弟=姉弟=私邸=支弟=視程」
 ・・・・「ソティス」?
      ↓↑
  ・・・「蘇帝(綴)素」?
      ↓↑
      蘇定方(592年〜667年)
  隋-唐の軍人
  660年(顕慶五)高宗
  左武衛大将軍として新羅派遣
  661年七月の
  平壌討伐が失敗
  662年二月撤退
  名は烈
  字は定方
  諡は荘
  本貫は「冀州武邑県」
      紀州武勇懸?
 656年
 程知節に従って前軍総管
 阿史那賀魯を攻撃
 鷹娑川で
 阿史那賀魯が2万騎で対陣
 定方は総管の
 蘇海政
 とともに連戦したが
 決着つかず
 突厥の別部の
 鼠尼施らが2万騎を率いて
 敵方に来援
 定方は騎兵の精鋭500を率い
 山嶺を越えて敵陣に討ち入り戦勝
 657年
 伊麗道行軍大総管
 再度、
 阿史那賀魯を攻撃
 阿史那賀魯と
 処木昆の
 屈律啜の数百騎は西方に逃走
 阿史那賀魯が油断し狩猟の最中に
 定方は襲撃して破った
 阿史那賀魯はさらに
 石国に逃れた
 阿史那弥射の子の
 阿史那元爽が
 蕭嗣業と合流し
 阿史那賀魯を捕縛
 定方は
 左驍衛大将軍に任ぜられ
 邢国公に封ぜられた
 子の
 蘇慶節も
 武邑県公に封ぜられた
 ↓↑
 659年
 思結闕俟斤都曼が
 疏勒・朱倶波・渇槃陀
 の三カ国を煽って唐に叛乱
 定方は安撫大使となって討伐
 葉葉水にいたり
 都曼
 が馬頭川を守ると
 定方は歩兵の精鋭1万と騎兵3000を選抜し
 昼夜分かたず
 三百里を駆け抜け
 都曼の陣の前に現れ
 都曼は驚いて戦うこともなく城に逃げ込んだ
 唐軍がこれを攻めたて
 都曼は窮迫し
 自らを縛って降伏
 定方が捕虜を
 乾陽殿に献上
 邢州
 鉅鹿の
 三百戸の
 食邑を加えられ
 左武衛大将軍
 ↓↑
 660年
 熊津道大総管
 軍を率いて百済の征討
 城山から海をわたって
 熊津口に上陸
 沿岸の百済軍を撃破
 真都城に進軍
 百済の主力と決戦勝利
 百済
 義慈
 太子の
 隆は北方に逃走
 定方が
 泗沘城を包囲
 義慈の子の
 泰が自立して王を称し
 泰は抗戦を続けようとしたが
 義慈は開門して
 降伏
 百済の将軍の
 禰植
 と
 義慈は唐軍に降り
 泰も捕らえられ
 百済は平定
 百済
 義慈
 隆
 泰
 らは
 東都洛陽に送られた
 ↓↑
 定方は三カ国を滅ぼし
 子の
 蘇慶節は
 尚輦奉御の位を加えられ
 定方は
 遼東道行軍大総管
 平壌道行軍大総管に転じた
 高句麗の軍を
 浿江で破り
 馬邑山の敵営を落とし
 平壌包囲
 大雪に遭って
 包囲を解いて帰還
 涼州安集大使に任ぜられ
 吐蕃
 や
 吐谷渾とも戦った
 667年
 76歳で死去
 左驍衛大将軍・幽州都督の位を追贈
 諡を荘
ーーーーー
  ↓↑
 「ソティス」は
 ナイルの洪水のはじまりを告げる星
 太陽が昇る直前にあらわれる頃
 ナイルの氾濫がはじまる
 イシスの化身で
 夏至のはじめの雨は
 「イシスの涙雨」
 「イシスの星」・・・石州?=イシス=医師国?
 オリオン座のベテルギウス・・・
 嗚理音   経照義宇蘇
          うす=臼・碓・有珠・宇津・宇受=猿女
 こいぬ座プロキオン・・・譜賂記音?
 ともに、冬の大三角を形成
ーーーーー
 屯蹇(チュンケン)=なやむ・なやみ苦しむ
 ↓↑=あしなえ
    足が悪く、自由に動かないこと
    なえぐ
    蹇歩(ケンポ)
    おごる・たかぶる・おごり高ぶるさま
    かたい・強い・正直
    蹇諤(ケンガク)
    まがる・くねくねと曲がるさま
    かたくな・素直でない・とどこおる
    とどまる・とまる・ゆきなやむ
    蹇滞(ケンタイ)
    まがる・くねくね曲がるさま
    易(エキ)の六十四卦の一
    あしなえ・足が自由に動かないこと・なえぐ
    「蹇歩=ヤマトタケル=倭武・日本健
 ↓↑   ↓↑
 西園八校尉(サイエンハッコウイ)
 中国の後漢末期
 中平五年(188年)
 に置かれた官職の総称
 また
 西園三軍
 皇帝直属の部隊
 「西園軍」を創設し
 「西園軍」を率いる人物として
 霊帝に寵愛された
 蹇碩
 (『三国志演義』では十常侍の一人)
 袁紹
 鮑鴻
 の3名を中心にすえた
↓↑
 8月
 「西園軍」が設置された
 10月
 平楽観(宮殿の西側、西園にある演場)
 で閲兵式
 霊帝
 自らが出席し
 甲冑を身に纏って騎乗
 自らを
 「無上将軍」と称した
 その横に
 何進
 が控え
 「西園八校尉」が任命
 ↓↑
 『後漢書
 (何進伝)』
 上軍校尉 ― 蹇碩(小黄門)
 中軍校尉 ― 袁紹(虎賁中郎将)
 下軍校尉 ― 鮑鴻(屯騎都尉)
 典軍校尉 ― 曹操(議郎)
 助軍校尉 ― 趙融
 佐軍校尉 ― 淳于瓊
 その他、左右校尉があった
 ↓↑
 『山陽公載記』
 上軍校尉 ― 蹇碩(小黄門)
 中軍校尉 ― 袁紹(虎賁中郎将)
 下軍校尉 ― 鮑鴻(屯騎校尉)
 典軍校尉 ― 曹操(議郎)
 助軍左校尉 ― 趙融
 助軍右校尉 ― 馮芳
 左校尉 ― 夏牟(諫議大夫)
 右校尉 ― 淳于瓊
 ↓↑
 中平(チュウヘイ)
 後漢
 霊帝
 劉宏の治世に行われた
 四番目の元号
 184年〜189年
 中平六年四月
 少帝劉弁が即位し
 改元されて
 光熹元年とされたが
 八月
 昭寧と改められ
 九月
 献帝
 劉協が即位し
 永漢に改められた
 十二月
 光熹・昭寧・永漢
 の三号は除かれ
 再び
 中平六年に戻された
 ↓↑
 元年二月・黄巾の乱
 元年三月・党人の禁錮を解く
      盧植皇甫嵩
      黄巾賊討伐に派遣
 元年十一月・黄巾の乱を一旦鎮圧
 元年十二月・光和七年を中平元年と改元
 六年四月・霊帝崩御
      少帝
      劉弁が即位
      何太后が朝に臨む
 六年八月・大将軍何進が宦官に殺される
      袁紹
      兵を率いて宮中の宦官を誅殺
      并州牧の
      董卓が兵を率いて洛陽に入る
 六年九月・董卓
      少帝を廃し
      献帝
      劉協を立て
      何太后を毒殺
 六年十一月・董卓
       相国となる
 ↓↑
 中平 元年 2年 3年 4年 5年 6年
 西暦184年 185年 186年 187年 188年 189年
 干支 甲子 乙丑 丙寅 丁卯 戊辰 己巳
    ↓↑
 2月節分前は
   183年
亥年
   001月
    甲子
001日
丁丑日
ーーーーー
 ・・・???・・・「出る」の「考察=コウサツ=絞殺・高察・高札」・・・