2412日目・・・「カイの研究」・・・1976、7年頃にアメリカに滞在していた頃に暇つぶしに書き始めたボクの「小説・エメラルドブルーの謎(碧き眼の人形伝説)」だったけれど・・・「カイの研究」・・・随分と時間がたってしまった・・・人生、アソビとネテいる時間がオホイかも・・・相撲界は大きな問題なんだか?、「拗(こじ)れてしまっている」・・・

 アレッ、レレレッ・・・「徳」の漢字が「紱(糸+犮)=紱(ひも・フツ)」に文字化け?・・・「伊都(怡土・意図・夷土)の犬=狗=戌=いぬ」・・・幕府のイヌめッ・・・「壬生侍=新撰組」・・・「新選組の前身集団・文久三年(1863年清河八郎が京へ率いた浪士組を壬生にある新徳寺に代表を集め、尊皇攘夷を目的とする反幕勢力に変化させようとの策略を演説し、賛同した同志を新徴組として江戸に帰った」・・・「壬生(みぶ)寺(新徳寺)=相撲力士の稽古場」でもあった・・・
  ↓↑
 「1863年6月3日
  大阪北新地で
  壬生浪士組新選組)と
  死傷事件を起こした
  大坂相撲の力士で
  死亡したのは
  中頭の
  熊川熊次郎(肥後出身)・・・「熊の川の熊の次郎」?
  大坂相撲
  小野川部屋に所属
  地位は
  中頭(関取)
  前頭七枚目
  事件後の場所の番付には名がある・・?
  事件の手打ちとして
  京都での興行では
  京都、大阪の両相撲が協力
  力士の中には
  後に勤皇の志士となった者もいた・・・」
  ↓↑
 「拗れる」・・・関取、力士の手が小さいのか、どうなのか?・・・
 ビンタ・・・「頬を平手打ちすること・鬢(ビン・ひげ)の辺りのこと・鬢(ビン)=頭髪の左右側面、もみあげの根元の部分のこと・ビンタが平手打ちで用いられるようになったのは旧日本軍の部下への制裁、懲罰行為」・・・
ーーーーー
 拗=扌(手)+幼(幺+力)・・・
   「テ(シュ)はオサナイ(ヨウ)」・・・
      主要・腫瘍・主用・取葉
      主の小さい力
      幺=嬰児・糸玉・糸頭(いとがしら=伊都頭)
        幼=幺麼(ヨウマ)
          同じ部首「幾・幻・麼・幽」
      麼=こまかい・小さい・・・類字は「靡(なびく)」
       =麼虫
       =ちいさい・幺麼(ヨウマ)
       =麼虫(マチュウ)=微細な虫
        麼陋(マロウ)=姿が矮小で醜い(字通)
        姿のいやしいこと
        麼眇(ビビョウ)=極めて小さい
          (大漢和・字通ともに「ビ」音)
        麼事(モジ)=甚麼(ジンモ)
        恁麼(インモ)=什麼(ジュウモ、ソモ)
        作麼生・怎麼生・什麼生(ソモサン)
        =何事、いかに、なに、か、や
        ・・・等の疑問の助詞
        麼麼(モモ)=乳母
       =なに・どんな・か・や・疑問を表す語
        細かい・かすか・そうか・そう
        バ・ビ・マ・ミ・モ
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 「コロマ村」にある入植者名簿には
 「イトウ オケイ」
 「ニシカワ モトジ」
 「マスミズ クニノスケ」
 「サクライ マツノスケ」
 等の名が記載されてあった・・・
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 ドイツ=独逸・独乙・徳意志・都逸・岱枝
     独乙都蘭度・度逸都蘭土
     独徳(→独逸&徳川幕府?)
     紱國・紱意志(→徳川の意志?)
  ・・・「徳」が「紱(糸+犮)=紱(ひも・フツ)」
     に文字化け?・・・「伊都(怡土・意図)の犬=狗」
    「犮(ハツ)=ナ+乂+ヽ」=走る犬・・・
    犮(ハツ・バツ)=犬+ノ=犬部・犬を犠牲とした象形
    「犬+ノ」=犬に「ノ」をつけて犠牲(殺す)
    犬を犠牲にして神に供え、災いを取り除く意
    「祓=はらう・フツ=示+犮」の原字・部首は犬部
    「お祓い・お払い・御祓い」
 独逸(German・Preussen・Prussia
    プロシア=普魯西)
      ・・・普(奈良部)魯の西(にし)
    普=並+日=あまねく・あまねし・フ
          広く行き渡る・普及・普遍
          なみ・ふつう・普通・普段
          普及
  ↓↑
 逸=免+辶=はしる・にげる・にがす・イツ・イチ
   逸機・後逸・奔逸
   かくれる・しなう
   世に知られない
   逸事・逸書・隠逸
   それる・はずれる
   ある場所からさっと抜け去る
   逸出・逸走・後逸
   わがまま・みだら
   逸脱・淫逸・放逸
   足がはやい・抜きんでている・すぐれる
   逸材・逸出・逸足
   逸=イツ・イチ
     それる・横にそれて逃れる
     抜けて見えなくなる
     逸脱・散逸
     世間に知られていない
     逸事・逸聞・逸話
        ↓↑
 ・・・甲斐の「独逸人=独り免れる人」、シュネル(すねる)=猿田彦(サルタビコ=猿多比拠=沙流他尾拠=申多比処・エンデンゲン)・・・塩田の源・・・死海(The Dead Sea)・・・塩湖・・・
 「さる、旅の処(處)」・・・「作留多諺」、「エンデンゲン=塩伝諺」・・・「彦根=ひこね=比古音」・・・「井伊直弼」・・・
 「井伊直弼
  彦根藩
  第十三代藩主の
  井伊直中の十四男
  1815年10月10日
  彦根城
  二の丸で生まれた
  母は側室・お富の方
  幼名は鉄之助、後に鉄三郎
  天保二年(1831年)
  井伊直中の逝去で
  槻御殿から
  尾末町御用屋敷に移り
  300俵の宛行扶持(あてがいぶち)を与えられ
  部屋住み生活
  天保五年(1834年)
  弟の
  直恭と共に他家への
  養子候補として江戸に赴いたが
  養子縁組が成立したのは直恭だけ
  自身は採用されず
  彦根に戻った
  住居の屋敷を
 「埋木舎」
  と名付けた・・・
  自分の渾名は
 「チャカポン(茶・歌・鼓)」
  弘化三年正月
  兄で世子の
  井伊直元の急死で
  藩主・井伊直亮(なおあき)の世子となる
  ↓↑
  会津藩
  松平容敬とは同じ溜詰の大名として
  信頼関係を築いた
  嘉永3年(1850年)9月
  藩主、直亮が逝去
  嘉永四年(1851年)十一月二十一日
  井伊直弼
  彦根藩主に就任」
  安政七年(1860年)三月三日午前九時頃
  桜田門外の変
  暗殺、絶命・・・
  居合い抜き、抜刀の達人が籠の中、
  ピストルで撃たれては・・・ドウしようもナイ・・・
ーーーーー
 「拗(す)ねる」、「拗(こじ)れる・抉(こじ)れる」・・・「執拗(シツヨウ)」・・・「平松武兵衛」・・・
 会津藩プロシア(ドイツ)人の「ジョン・ヘンリー・スネル」を軍事顧問に招聘し、藩主、松平容保は彼に「日本名、平松武兵衛」を与えた・・・そして・・・「平松武兵衛」は・・・
ーー↓↑ーー
 ・・・以下はスベテ、コンピュータでの関係記事を検索し、少々改作して添付したモノで、「原文」そのものではない。重複添付したモノは「諸説・若干異なる説」があるので、これも混乱なき様・・・「ヘンリー・スネル」を検索すれば原文そのものが閲覧できる・・・アシからず・・・

ーー↓↑ーー
 「平松武兵衛=ジョン・ヘンリー・スネル」
            ・・・拗(す)ねる・・・
 会津藩士と
 家族三十七名
 十七歳
 「おけい」・・・於恵(お恵み=於目具務)
  ↓↑     於計(涌意・尾ケ井→美景・美形)
         於圭・・・圭=十一十一=たま・ケイ・ケ
               =玉器・先端の尖った玉の板
         月桂樹=オリーブ
          佳字(かじ・ケイジ)=嘉字・好字
         =諸国郡郷名著好字令・好字二字令・好字令
          元明天皇
          和銅六年(713年)五月甲子の勅令
          桂小五郎木戸孝允
 ↓↑  ↓↑    
 「おけい」は大工 (桶屋とも)の
       「伊藤文吉」と・・・文記知
       「お菊」の長女・・・嗚(ウ・オ・ああ)訊く
               素戔嗚・阿起句・・・
 ↓↑     文詰の於記句(規矩)の納(おさ)める音名
 藩士
 「桜井松之助」
 米国船
 「チャイナ号」で・・・「Chinese=中国語=漢字の號、合」?
 明治二(1869)年五月一日
 横浜港から米国へと向かった
 明治二(1869)年五月二十日
 米国、カルフォルニアに到着
 ゴールド・ヒルで農地を買い取り
 「若松 コロニー(Wakamatsu Tea and Silk Colony)」
 日本人村を作った
 ↓↑
 兄・ヘンリー
 1869年(明治二年)
 カリフォルニア州
 日本人妻の
 ジョウ
 を含む
 会津若松の人々
 約40人と共に移住
 カリフォルニア州エルドラド郡
 サンフランシスコの北東
 ゴールド・ヒル
 に購入した
 600エーカーの土地に
 「若松コロニー」
 という名の開拓地を建設
 ↓↑
 「若松コロニー」の経営は行き詰り
 1871年4月
 ヘンリーは金策に日本へと向かった・・・が
 後、消息不明・・・
 ↓↑
 明治三(1870)年
 「若松コロニー」は
 「ビーア・カンプ」
 の土地として「購入」された?・・・ダレが売却したんだか
 シャネル契約の借金の担保で没収された・・・?
 「シュネル亡き後、
  残されたコロニーのメンバーを救済した隣家
  ビア・カンプ家はプロシアカトリック
 ↓↑
 明治四(1871)年
 「おけい」
 十九歳で死亡
 桜井松之助が
 10数年後、あるいは15年後とも・・・
 桜井松之助など
 移民の生き残りの人たちによって
 「おけい」の墓碑が建てられた
 「桜井松之助」は
 帰国することなく
 大正四(1915)年
 現地で67歳で死没
 ↓↑
 「弟・シュネル」は
 新潟から東京へ移り
 商会を開き
 1882年(明治十九年)頃まで
 日本国内で活動
 後、消息不明・・・
 ↓↑
 ↓↑
 スネル兄弟・・・オランダの植民地、インドネシアで育った
 幕末期の商人
 兄はジョン・ヘンリー・スネル(John Henry Schnell)
 日本名、平松武兵衛
 (1843年?〜1871年?)
ーー↓↑ーー
 『甘粕継成日記』
     ・・・「甘糟備後継成 遺文」
         甘(あま)い・・・廿+一
         糟(かす)を・・・米+曹
         粕(かす)を・・・米+白
         継(つぐ)・・・・糸+L+米
         成(なり)・・・・万+戈
  「シュネル兄弟にとって重要な男
   会津藩主「松平容保」以上に、
   米沢藩
   色部久長
    ・・・家老
       新潟港の守備隊長
       慶応四年七月二十九日(1868/9/15)
       享年44歳、戊辰で戦死
       米沢藩、戦争首謀者扱いとされた
   甘粕継成
    ・・・米沢藩参謀・砲術者
       ご先祖は切支丹(キリシタン
       甘粕右衛門信綱(=右衛門)
       洗礼名ルイス
       切支丹として死んだ親族
       甘粕右衛門信綱(甘糟景継)
       1550〜1611年
       の次男
       米沢切支丹大弾圧と、殉教史実
       1629年1月12日(寛永五/十二/十八)
       処刑決行
       甘粕信綱(右衛門)処刑
       領内で藩士を含む多数の
       キリシタンを逮捕、死罪決行
       1639年(寛永十六年)
       吉利支丹横目を郷村に配置
       ↓↑
       甘粕継成は
      「新保勘左衛門」の変名で
       明治二年十一月二十九日、病死
   シュネル(兄)は
       会津の軍事顧問
       米沢藩軍事顧問兼務
 同年(明治二(1869)年)5月24日
 兄ヘンリー・スネルは
 鶴ケ城で藩主
 松平容保(かたもり)と会い
 髪を剃(そ)り、
 日本製の羽織を着て、
 袴(はかま)をはき、
 名を
 「平松武兵衛」と称し
 城下西(西若松駅南西隣・材木町一丁目)
 に屋敷を与えられた
 ↓↑
 弟はエドワルド・スネル(Edward Schnell)
 (1844年?〜没年不詳)
 ↓↑
 オランダ出身ではなく
 オランダ国籍の
 プロイセン
ーー↓↑ーー
 『会津藩武器購入に関する一問題』
 慶応四(1868)年三月二十三日
 会津藩
 弟エドワルド・スネルから
 オランダ製ライフル銃(ヤーゲル銃)
 七百八拾挺を
 七千二拾ドルで
 会津藩商人の
 鈴木多門が
 新潟港経由で買っている
ーーーーー
 「貍(たぬき)」は「徳川家康」・江戸幕府第一代将軍
 ↓↑       「江戸幕府第一代征夷大将軍
 「貍(たぬき)」から漢字構成部分の
 「田を抜く」と
 「豸(むじな・チ・ジ・タイ)+土(十一)」
 「ネコやトラのような背が長い獣
  足のない虫
  伝説上の羊のような神獣」
 「獬」・・・
 「豸+α」は「爪(つめ・ソウ・ショウ)」の鋭い動物・・・
 ↓↑
 薶=艹(艸)+貍(狸・たぬき・リ・バイ)
   たぬき・リ・バイ
   薶=艹+豸+里=薶(うず)める
    =犠牲を埋めること
   イヌ科の哺乳類で山地に棲む
   人を化かす・・・うづめ=宇受女
   狸(たぬき)・貍(バイ)は
   薶に通ず
 ↓↑↓↑
 薶(うず)める=犠牲を埋めること
 ↓↑
 うづ=渦・疼・踞・堆・熅・煨・
    薶・瘞・鷃・鶉・
 ↓↑
 「リ」音の漢字=里・裏・裡・理・厘・俚・
         哩・狸・貍・鯉・薶(埋)
         埋(マイ)
 ↓↑
 「甲(きのえ・コウ)」を構成に含む漢字
 爅 㕅 䮵 疃 㢆 厴 粴 㾖 墥 䆹
 捚 䘃 榸 䡴 炠 鲤 䭚 玾 㙻 勭
 笚 㳌 噇 缠 䃥 徸 䖖 柙 鄽 䛅
 濹 闸 䧉 犝 㕓 䱳 癦 㦟 喱 緾
 䁼 娌 膧 䋥 曈 薶 䘥 氃 钾 䣑
 燑 鸭 䭪 瓼 㠉 厣 㼿 嚜 䆘 悝
 荲 䖬
 ↓↑
 常用漢字表内音訓
 リ=利 吏 履 理 璃 痢 裏 里 離
 常用漢字表外音訓
 リ=厘 梨 麗
 ↓↑
 表外漢字
 俐 俚 秔 剺 劙 哩 唎 喱 嚟 娌 嫠
 孋 孷 峛 峲 廲 悝 悧 悷 摛 攦 李
 柂 栗 梩 欐 氂 浬 浰 芮 漓 灕 犁
 犂 犛 狸 猍 瓈 盠 砅 离 籬 縭 纚
 罹 艃 茘 荔 莅 莉 莱 萊 蒞 薶 蘺
 蜊 蟸
 ↓↑
 藻貝=アマモ(甘藻)の生えている場所に多いので
    モガイ(藻貝)と呼ぶ
 甘藻(あまも・eelgrass)
 海草(うみくさ)
 生育場所は内湾の波静かな水深1〜2mから10mまでの砂泥
 葉の長さは50cm〜1mくらい
 葉状部(葉身、葉鞘)、地下茎、根の3つに区分でき
 葉条部は水中に、
 地下茎と根は海底に埋在
 多年生
 群落が形成されているところをアマモ場という
 陸から海へ入った海草
 種子植物で、種類が少なく、岩礁には生えない
 胞子植物の海藻とは区別
 和名「あまも・アマモ」は
 地下茎を噛むと甘みを感じることに由来
 植物名としては日本一長い別名
 「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ
 (龍  寓 の乙 姫 の元 結 の切り外し )
 を持つ
 アマモ(Zostera marina Linnaeus)
 オモダカ目アマモ科 (Helobiales Zosteraceae)
 ↓↑
 属名の「Zostera」は女性名詞で
 細長い葉形の特徴を表す
 ギリシャ語の
 「zoster(帯,ベルト)」に由来
 種小名「marina」は女性形で
 「海中生の・海の」の意味
ーーーーー
 有毒渦鞭毛藻
 (ゆうどくうずべんもうそう
  toxic dinoflagellate)
 毒素の産生能力を持った渦鞭毛藻
 毒を産生する藻類は
 珪藻・ラフィド藻・ハプト藻
 など
 渦鞭毛藻は特に種類が豊富で
 微量でも著しい生理活性を示すので
 他の有毒藻類とは別枠で扱われる
 渦鞭毛藻=海域・淡水域共に広く分布する
      植物プランクトン
      渦鞭毛藻の約半分は
      光合成を行う独立栄養生物で
      生態ピラミッドの最底辺に位置する
      残りの半分は
      バクテリアや他の藻類を捕食する
      従属栄養生物で
      より大型の生物に捕食される点は同じ
      有毒渦鞭毛藻にも
      独立栄養性のものと
      従属栄養性のものの
      双方が含まれる
 有毒渦鞭毛藻を
 魚類や貝類が捕食すると
 産生された毒素が分解されずに
 捕食者に蓄積され
 毒素を蓄積した魚介類は
 貝毒
 や
 シガテラ(ciguatera)
 ↓↑   ・・・熱帯の海洋に生息する
      プランクトンが産生する
      毒素に汚染された魚介類を
 ↓↑   摂取することで発生する食中毒
 といった食中毒の原因となる
 有毒渦鞭毛藻には
 水環境の富栄養化などにより
 赤潮を形成する種もあり
 大発生し問題視される
 船舶の航行増加と高速化に伴い
 バラスト水によって他水域から
 持ち込まれる(持ち出される)
 有毒渦鞭毛藻が増加し
 その為
 従来
 貝毒が発生していなかった水域で
 食中毒が発生・・・
 ↓↑
 有毒渦鞭毛藻
 産生する毒の種類や
 その作用対象によって
 4つのグループに分けられる
 1 魚介類に直接作用するもの
 2 麻痺性貝毒
 3 下痢性貝毒
 4 神経性貝毒シガテラ
 1・・・・・・フィエステリアなど一部の渦鞭毛藻
 2〜4・・・渦鞭毛藻を直接摂取した生物には無害
     だが
     食物連鎖による
     生物濃縮を介して
     ヒトなどの高次の捕食者に毒性を与える・・・
ーーーーー
 ・・・つまり、「あまも=アマを模す」が連鎖作用をすると
 所為物の濃縮を媒介してヒト(比徒・比訳)などの
 高次の捕初句者に毒性を与える・・・?