2410日目・・・コダワッて、同じことを再三、再試繰り返えす・・・「中毒」・・・フユなのに、昨日から一ぴき、「ハエさん」が家の中を飛び廻り、ボクに纏わりついてくる・・・今のボクにとっては、とっても「いとしい友人」・・・タシカ、去年の冬にも家の中で「越冬する蝿(蠅)」がボクと遊んでくれた・・・

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 切羽詰られ=物事が差迫って、どうにも切抜けられなくなる
 ↓↑    追いつめられて全く窮する
       切羽は鐔(つば・鍔)を
       刀身に固定させるために
       柄とハバキの間に挟み込む卵形の薄い銅板
       切羽により挟み込まれた鐔が
       固定されている状態に譬え
       身動きのとれない様を
       切羽詰まると云う
 ↓↑    ハバキ=鎺・鈨・はばき
          =日本刀の部材の一つ
           刀身の手元の部分に嵌める金具
           鎺金 (はばきがね)
          「鎺」は国字
           はばきがね
           人が脛巾(はばき)をはいた形に似て
           刀剣などの刀身が鍔(つば) に
           接する部分に
           嵌(は)める鞘口(さやぐち)形の金具
           刀身が鞘から
           抜け落ちないようにするためツメル
           鞘(さや)の中で刀身は
           鞘(さや)に触れることなく
           浮かせるモノ
           はばき=刀の根元をしっかり締めくくり
           刀身がぐらぐらして
           鞘(さや)に当たらないように
           支える役目をしている
 ↓↑    はばき=脛巾・行纏=旅行や作業などの際
           脛(すね・臑)に巻きつけ
           紐(ひも)で結び、
           動きやすくしたもの
           古くは藁(わら)や布で作った
           後世の脚絆(きゃはん)
 ↓↑        脛巾裳(はばきも)
 つめる(詰める)・なじる(詰る)
 詰問
 反詰・喬詰・查詰・盤詰・研詰・究詰・維摩
 詰責・詰難・責詰
 詰屈・詰屈・詰屈聱牙・詰旦・詰曲・詰禁・駁詰
 ↓↑
 「刀=かたな=片名」の・・・偏旁の部首の意味
              「片(仮)名=カタ(カ)ナ」
 「鞘(さや・ショウ)=革+肖」
          ・・・「肖古王=照古王」?
 ↓↑
 自然乾燥で10年以上寝かした
 朴(ほお・パク)の木を使用
   ・・・朴市=朴市 秦    田来津
        (えち はた の たくつ)
      ?〜天智天皇二年八月二十八日
       (663年10月5日)
      氏は秦、朴市とも・・・朴市=愛智?
      姓は造
      大花上・秦河勝の子
          ・・・「秦川勝」とも
        皇極三(644)年
          不尽(富士)川辺で
          大生部多が
          常世神と称して虫を祭り
          都鄙の人がこぞって
          これを信仰すると
          民の惑わされるを憎んで
          大生部多を打ち懲らした・・・人物?
      645(大化元)年
      古人大兄皇子
      蘇我田口川堀
      物部朴井椎子
      吉備笠垂
      倭漢文麻呂
      らと共に、改新政権に対する
      謀反計画の謀反に加わったが
      吉備笠垂
      の裏切りによって失敗
      皇子は殺害された?・・・
      兵は向けたが皇子を殺害したかどうかは?
      ・・・で、
     「朴市-秦-田来津」は許された・・・ナゼ?
      ↓↑
      662(天智元)年
      小山下の位・・・小さい山(やま)の下(した)
      秦田来津
      は
      狭井梹榔=さいのあじまさ=狭井檳榔・・・?
      ↓↑      ↓↑  
          梹(木兵)=檳(木賓)→兵=賓
      ↓↑  青森県東津軽郡
          外ヶ浜町三厩
          梹榔(字)
          ↓↑
          賓客=敬って
             もてなすべき客人
             訪れて来た人
          嬪=女+賓=天皇の寝所に侍する女官
          ↓↑皇后・妃・夫人の下位で
            四位・五位の者
            後世の
            女御(にょうご)・更衣(こうい)
          ↓↑
          賓県(ヒン-ケン)
          中華人民共和国
          黒竜江省ハルビン(哈爾濱)市に位置する県
          県人民政府の所在地は
          賓州鎮
          漢晋代は「挹婁」
          南北朝時代は「勿吉」
          隋代は「靺鞨」の居住地
          唐代は「渤海」の版図
          968年
         「渤海」滅亡
         「遼」により
          東京道・・・その後
         「金」により上京会寧府
         「元」は遼陽省開元路
         「明」は奴儿干都司
          を設置
         「清」初はニングタ将軍の管轄区
          1744年(乾隆九年)
          ラリン・アルチュカ副都統の管轄
         (拉林  阿勒楚喀)
          1880年(光緒六年)
          賓州庁が設置
          1909年(宣統元年)
          賓州府に昇格
          中華民国成立で
          1913年(民国二年)
          賓県と改称・・・
          当初は吉林省の管轄
          1945年(民国三十四年)
          松江省に
          1954年
          黒竜江省に移管
      ↓↑  ↓↑
          檳榔・蒲葵・梹榔
          ヤシ科の常緑高木
          暖地の海岸付近に生え
          シュロ(棕櫚)に似る
          高さ10メートル近く
          葉は大きな扇状で柄が長く
          幹の頂に多数集まってつく
          花は黄色で小さく
          果実は楕円形で青色
      ↓↑  ↓↑
          檳榔子・梹榔子
          檳榔樹の種子
          健胃
          収斂(シュウレン)
          ↓↑・・・縮むこと・引き締まること
          ↓↑   一つにまとまること・集約
               租税などを取り立てること
               生物学で
               系統の異なる生物どうし
               近似した形質をもつ
               方向へと進化する現象
          ↓↑   相近・収斂
          条虫駆除
          などの薬用
          暗黒色の染め物の染料に使用
      ↓↑  古名は、
      ↓↑  あじまさ・・・阿字正・阿字眞差
                 庵治倭・蛙詞眞作?
      ↓↑  ↓  ↑
      ↓↑  阿島 さッ?・・・阿毎王朝の島(横島)
          味鋺 さッ?
          名古屋市北区
          味鋺あじま)は元は悪地で
          湿地帯の悪しき地・・・?
         「鋺(かなまり)」=「金の椀」
                  =「金物の椀」
                  =「仮名モノの話夢」
      ↓↑  ↓↑
      ↓↑  檳榔毛の車・梹榔毛の車
      ↓↑  檳榔の
          葉を
          細かに裂き
      ↓↑  白く
          晒(さら)したもので
      ↓↑  車の箱を
          覆(おほ)った牛車
      ↓↑  大臣以下、四位以上の
      ↓↑  公卿 ・女房・高僧が乗った牛車
      と
      兵五千を率いて
      百済王子
      豊璋
      の帰国に従って
      百済渡航
      王位についた
      豊璋
      と
      鬼室福信は
      都を山害の地である
      州柔から
      平地で農業生産力の高い
      避城へ遷そうと議したが
      田来津は避城は敵に近く
      平地での防衛に不向きして反対
      二カ月後
      避城で
      新羅の攻撃を受け
      州柔に撤退
      ↓↑
      663(天智二)年
      白村江で
      唐水軍に大敗
 ↓↑   戦死
 朴(ほお・パク・ボク)の木は油気がなく
 「磁気を遮断」する特性があり
 固すぎず
 あく(灰汁)がないので
 刀が錆びない
 ↓↑
 「え の き=榎=朴」
 「榎(十八夏・十八一ノ目夂)・榎木」
 「榎=えのき=朴市(えのち・えいち)」?
 「ニレ(楡)科の落葉高木
  高さは20メートル
  葉は左右不同の広卵形・雌雄同株
  春に葉とともに淡黄色の小花を数個ずつつける
  小核果は熟すと橙色になり食用
  材は器具・薪炭などに使用
  昔は街道の一里塚に植えられた
  古名は「え」
ーー↓↑ーーー


 錦江(キンコウ・クムガン・にしきえ)
 大韓民国
 南西部の主要河川
 全羅北道長水郡の小白山脈に端を発し
 全羅北道忠清北道忠清北道
 と
 大田の道市境・忠清南道を通った後
 忠清南道全羅北道の道境を流れ
 群山
 と
 舒川
 の市郡境で黄海に注ぐ
ーー↓↑ーー
 熊津(ユウシン・ウンジン)
 古代朝鮮の百済の古都
 万葉仮名では
 久麻那利(くまなり・こむなり)
 百済語では
 固麻那羅(コマナル)
 と表記・呼称
 熊川(錦江)のほとりの都市
 現在の忠清南道公州
 ↓↑
 熊川港
 朝鮮半島の南東海岸
 慶尚南道
 熊川郡
 に
 室町時代、朝鮮を代表する貿易港
 桃山以降
 活況は釜山港へ移った
 熊川茶碗は積出港で
 熊川茶碗の産地は何処か明白ではない・・・
 慶尚南道
 晋州辺・・・
 同質の土・釉、その形が特徴的
 口辺がやや端反り
 胴は丸く膨らみ椀形
 高台は広く竹節
 この形が
 熊川形として朝鮮茶碗の一基本形
 土は白土と赤土があり
 白土の方はややザラメいている
 赤土の方は細かくねっとりとしている
 釉色は白鼠色を基調として
 浅黄、褐色、枇杷色などの濃淡が重なり
 これに加え
 暗褐色や暗紫色の
 雨漏染みが景をなす
 ときに、
 釉が白く溜まり、幕状に景色を添えている
 見込みに「鏡」があるのが
 熊川の約束になっており
 それも小さい程よいとされている
 これは小さいからよいのではなく
 小さいものに上作が多い・・・
 ↓↑
 熊川(こもがい)
 場所は
 熊川邑城という
 邑(集落・町)を城壁で囲んだ
 朝鮮側の城があった所
 ↓↑
 百済泗沘(サビ)城
 扶蘇山城
 聖王(聖明王
 538年
 当時のサピ(泗沘・しび・サビ)
 今の扶余に遷都・・・「扶余官北里(百済遺蹟=泗沘城址)」
 国号も
 「南扶余」
 公州の公山城と同様に、
 白馬江(錦江の別名)を
 見下ろす
 扶蘇山城は
 泗沘(サビ)城下の防衛の中核だった・・・
 ↓↑
 錦江(キンコウ・クムガン・にしきえ)
 ↓↑「金 港 ・苦夢願 ・似史記重」?
         熊 河
         熊 川=応永14年(1407)熊川県斎浦の港
         熊 川=こもがい=蒲生貝・古毛甲斐
 ↓↑          籠 貝・古毛蝦夷(我意)
 大韓民国
 南西部の主要河川
 全羅北道
 長水郡の
 小白山脈に端を発し
 全羅北道忠清北道忠清北道
 と
 大田の
 道市境・忠清南道を通った後
 忠清南道
 と
 全羅北道の道境を流れ
 群山
 と
 舒川
 の市郡境で黄海に注ぐ
 ↓↑
 錦江(キンコウ・クムガン)
   「金 港 ・苦夢願」・・・?
 沿岸の
 江景(カンギョン)
 や
 河口の
 群山(グンザン)
 は物資の集散地として栄えた
 忠清南道
 公州からは
 熊津江(クムガン)・・・熊(くま)津(つ)江(え)
             熊津江=ユウシンコウ
                 勇 臣 功
           錦江=キンコウ・クムガン・にしきえ
             「金 港 ・苦夢願 ・似史記重」?
 忠清南道
 扶余からは
 白馬江(ペンマガン)・・・白(しろ)い馬(うま・め)の江
 と呼ぶ。
 ↓↑
 錦江
 三国時代
 百済にとって重要な水上交通路
 公州に
 百済の旧都
 熊津(ユウシン・クムシン・くまづ)
    熊 津 =熊 川(くむがい)→熊(球磨)川
         熊 川(ウンチョン)
 扶余に
 新都
 泗沘・・・泗沘(しび・ハングルでサビ)
         泗=氵+四・沘=氵+比(上+匕)
           泗=泪? 沘=水の上の匕(牝)?
           七・ヒ・・・匕首(あいくち)=合口
                 牝頸(頚)
 があり、川にまつわる多くの伝説がある
 古代に
 日本・百済新羅・唐との間で戦われた
 「白村江の戦い」が行われた
 白江・白村江
 は
 錦江と「推定」されている・・・
 「推定」である・・・
 ↓↑
 歌謡曲
 「夢見る白馬江(クムクヌン・ペンマガン)」
 はこの川を歌ったもの・・・?
 明治時代初期
 日本で
 長浦江(Basil bay)と呼ばれ
 明治十一年(1878年
 日本海軍の
 天城が目測により
 河口付近の略地図を制作・・・
 ↓↑
ーーーーー
 ・・・大日本帝国海軍・・・「天城=あまぎ=甘木・雨着・天木・尼木・雨木・安眞木」・・・「天城越え」・・・
 「天城越え(あまぎごえ)」は、
 静岡県伊豆市
 と
 賀茂郡河津町
  の境にある天城峠を越える旅路」
 「伊豆半島を南北に縦断する天城峠越えの道」・・・
 天城越え 石川さゆり [Amagi Goe] Ishikawa sayuri
https://www.youtube.com/watch?v=v51Ny-AqIzw
 ・・・アマギコエ・・・「雨木=あまぎ=天気=テンキ=天機・転記・転義」の「こえ=声・聲・肥」・・・「伝記=デンキ=伝奇=電気」・・・
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 釜山・蔚山周辺に
 安骨浦-倭城
 熊川 -倭城(邑城)
 機張 -倭城
 大王岩公園
 ↓↑
 小西行長
 「熊川-倭城」に
 文禄三年(1593年)
 グレゴリオ・デ・セスデペス
 神父
 を招き
 韓国でのキリスト教の発祥の地となった・・・?
 上杉景勝が築城に関わった
 「熊川-倭城」は
 「西生浦-倭城」とならび
 洲本城や伊予松山城の元になった登り石垣
 ↓↑
 「熊(くま・ユウ)」の
 朝鮮(ハングル)語音
 「熊=コム」
 中国語音
 「熊=シォン(xiong)」
 「百済方言」で
 「熊(コム)」を
 「熊(クム)」
 「熊」の祖語音「くむ」は「クム」
 ↓↑ 
 「コム・クム・くま=熊」
 と
 「神(かみ・kami)」は同系
 「熊=くま・クム・コマ」は
 「高麗(こま・koma)・高句麗」の「神」
 朝鮮の「檀君神話」で
 「コム=熊」=「神・聖なるもの」・・・御の接頭語がつくモノ
 「熊野神社熊野古道熊野大社
 「狛犬(こまいぬ)=狛(こま)=高麗(こま)」
 「コム=熊」
 「熊本・熊谷・熊野・里熊・大熊・熊町・熊村
  熊川・熊内」
 「熊=くま=隈・隅・阿」
 「赤隈・松隈・丸隈・道隈
  大隈・小隈・乙隈・横隈・篠隈・七隈」
 熊本県の「熊」は「加藤清正」以後、
 「隈→くま→熊」になった・・・
 じゃぁ「熊襲」の「熊」が「襲=かさなる=重なる・套なる」だが、「熊本・熊襲」も昔からの表記ではない・・・球磨・求馬・・・坂本竜馬、坂本於龍(おりょう)・・・「合理記あやめ」の「おりょう」さんは恰好イカッタ・・・「剛力彩芽」?・・・
 「套=かさねる・おおい・つつみ・ありきたり・トウ
   =重ねる・被せる・覆う・蔽い・外套・古くさい
    套語・常套・套言(トウゲン)
    外套・手套・書套
    同じことを重ねる
    套語・旧套・常套・陳套」
 ・・・染物、染料を「襲(かさね)る」・・・
 襲=おそう・おそいかかる・つぐ・シュウ
  =襲撃・奇襲・強襲
   つぐ・受けつぐ・引きつぐ・あとをつぐ
  =襲名・世襲・踏襲
   かさねる・重ね着する・重ねた着物
   襲衣
   因襲(インシュウ)・奇襲(キシュウ)
   逆襲(ギャクシュウ)・急襲(キュウシュウ)
   強襲(キョウシュウ)
ーーーーー
 ・・・