2349日目・・・朝から隣の町に行って、「運転免許証」の更新で新しいモノと交換・・・帰りは「ホーマック」で「水洗便座」と家の壁に塗る「白いペンキ」を買って帰宅・・・随分と長い時間、昼寝をしていた・・・夢の中で先週、TVでみた「悦ちゃん」が登場し、ボクに何やら話しかけていたが・・・「獅子文六」さんと云えば、子供の頃にみた映画は、加藤大助が主演の「大番」だったが・・・確か、映画の中では「大番」とは「大型の名刺」のコトを指す「名詞」だったハズだが・・・「敗戦ゼロ年・東京ブラックホール1945〜1946」・・・

 「ウイキペデア」で調べると・・・
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 「悦ちゃん
 昭和時代の一世を風靡した小説家・獅子文六の小説の
 ドラマ
 ユースケ・サンタマリアが演じるパパ
 NHK土曜時代ドラマ『悦ちゃん
 時代は昭和10年(1935年)の東京・銀座
 「獅子文六」のペンネーム・・・?
 九九の中の「四四 十六」をもじったもの・・・?
 「四×四」が「十六・拾六」って、「文六」にはならんが?
 「四+四」=「拾六」=拾う亠の八」?・・・「八・捌」?
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 獅子文六・・・文禄・・・紊・分・聞・蚊・紋・刎
     ・・・「文=亠+乂」・・・音は乂(かる・重なる)?
     ・・・「六=亠+八」・・・六=陸
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 『悦ちゃん』は
 1937年の映画版
 1958年の日本テレビ
 1965年(朝日放送
 1974年(NHK
 と何度も映像化・・・
 NHKは2回目
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 獅子 文六(しし ぶんろく)
 1893年明治26年)7月1日
   〜
 1969年(昭和44年)12月13日)
 本名は、岩田 豊雄
 号は牡丹亭
 戦争で疎開した
 愛媛県
 北宇和郡
 津島町に句碑がある・・・
 母方の祖父は花火職人の平山甚太
 実父は
 元中津藩士の岩田茂穂
 弟の岩田彦二郎は
 札幌グランドホテル社長
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 横浜弁天通の岩田商会に生まれた
 父の岩田茂穂は
 福澤諭吉に学んだのち
 絹織物商を営んでいたが
 文六9歳のおりに死去
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 日清戦争開戦前年に生まれ
 1922年
 から数年間
 演劇の勉強のためにフランスへ
 フランス人の
 マリー・ショウミーと結婚
 帰国後に長女
 巴絵が生まれるが
 妻は病死
 富永シヅ子と再婚
 戦後にシヅ子も病死
 元男爵
 吉川重吉の娘
 幸子と3度目の結婚
 「四四、十六」をもじった
 獅子文六の筆名で
 小説家として活動
 1934年
 雑誌『新青年』に掲載された
 『金色青春譜』が処女作
 1936年
 新聞連載小説として報知新聞に掲載の
 『悦ちゃん』で人気
 1937年
 岸田國士久保田万太郎と共に
 劇団「文学座」を創立
 1942年
 真珠湾攻撃の「九軍神」の一人を描いた
 『海軍』
 で朝日文化賞を受賞
 戦中に海軍関係の文章を多数発表
 戦後に「戦争協力作家」として「追放」の仮指定
 1ヶ月半後に解除
 多くの作品が映像化
 1951年
 『自由学校』が
 松竹(渋谷実監督)
 大映吉村公三郎監督)で競作映画化
 1955年
 『青春怪談』が
 日活(市川崑監督)
 新東宝阿部豊監督)
 で競作映画化
 1961年
 『娘と私』は
 NHKでテレビドラマ化
 連続テレビ小説の第1作
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『大番』 東宝、1957年
『続大番 風雲編』 東宝、1957年
『続々大番 怒濤篇』 東宝、1957年
『大番 完結篇』 東宝、1958年
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 ・・・「戦争協力作家」ですか・・・戦前の日本人はスベテが「戦争協力国民」だったハズなのに・・・
 8月20日NHKスペシャル、「戦後ゼロ年・東京ブラックホール1945〜1946」・・・