2324日目・・・夫婦の「愛=爫(爪)+冖+心+夂」と「情=忄+青」、or「情=忄+主+月=肉・舟)」の違いをナンかETVのマンガでやっていたのをチラッとみたコトがあるが・・・最近のインターネット上での漢字辞典は字数の増加と詳細な説明を進化させている。「愛の異体字」は、「爱(簡体字)・㤅(古字)・𢛭(古字)・𢜤(同字)・𢟪(古字)・𤔠(同字)・ 𤔤(古字)」・・・「㤅・𢟪」の漢字構成をみるとナンカ、怖ろしいカンジにおもえるが・・・「簡体字=爱・異体字=𢖻・𢙴・𤔠・𤔤・㤅・𢛭・𢜤・𢟪・爱・𡦎・声符=旡・㤅

 ↓↑
 「愛(アイ)=いと-しい・・・「糸-詞意」、「意図-恣意」
        う-い・・・・・「初」、「有為」、「憂い」
        お-しむ・・・・「惜しむ」、「吝」、「尾氏務」
        め-でる・・・・「目出留」・「女出る」
        かな-しい・・・「仮名-詞意」・「金-誣い」
        まな」・・・・・「眞名=まな=魚」
 名のり
 「あ・あき・さね
  ちか・ちかし・つね
  なり・なる・のり・ひで
  めぐむ・やす・よし・より」
 ↓↑
 「㤅=愛」はタラフク喰わせ、のど(咽喉)が咽(噎・むせ)ぶほどに満足させる心情(こころ)のコトである・・・
 「㒫の古字(古文)=旡=むせぶ・つまる・つくす・キ
             いっぱいになって、つかえる
             食べつくす」
 ↓↑
 You should only eat oysters
  when there is an 'r' in the month.
 ↓↑
 「花見過ぎたら牡蠣食うな」
 ↓↑
 あらららら、ッ、である・・・「らりるれろ・・・覶理留礪(牡蠣・かき・oyster・オイスター)賂」である・・・「'r'のつかない月のカキは食べられない」って?・・・「産卵することで牡蠣の身が細り、水っぽくなってしまうため」、「"r"のつく月 = 1〜4月、9〜12月つまり、5〜8月までは牡蠣に発生する(腸炎ビブリオ菌、大腸菌、ウイルス)は食中毒の時期("r"のつかない月は牡蠣を食べるな」・・・
     蠣(かき・レイ)・・・・・書き・例
 英   語=オイスター(oyster) 於意素多阿
 独逸  語=アオスター(Auster) 青素多阿
       アウスター(Auster) 蛙有素多阿
 仏蘭西 語=ユイットル(huître) 唯通訳留
 伊太利亜語=オストリカ(ostrica) 於素訳理化
 ↓↑
 「於(御)意素多蛙(阿・鴉)」・・・
 January(1月)・・睦月(むつき)
 February(2月)・如月(きさらぎ)
 March(3月)・・・弥生(やよい)
 April(4月)・・・卯月(うづき)
 ↓↑
 May(5月)・・・・皐月(さつき)
 June(6月)・・・・水無月(みなづき)
 July(7月)・・・・文月(ふづき・ふみつき・ふみづき)
           文暴文暴文暴文暴月?
           あばく文の月?
           or
           乱暴な文の月?
           夷則(いそく)?・・・蝦夷の規則?
自由利有蘇(Julius)?
           変重差留(Caesar)の月?
           北海道北斗市「文月村」って?・・・
 August(8月)・・・葉月(はづき)
 ↓↑
 September(9月)・・長月(ながつき)
 October(10月)・・神無月(かんなづき)
           神在月(かみありづき)
 November(11月)・・霜月(しもつき)
 December(12月)・・師走(しわす)
 「アァルの付く字句(ラリルレロ)の書きは句得(重)無い」?・・・「R・r→L・l」・・・「ラリルレロ」・・・
 ↓↑
 「あさき=蛙左記=阿覚記=あざき=字記」、「ゆめみし=由馬見史=ユバミジ=湯場視字」、「えいもせず=柄意摸施事=エイモゼズ=重意洩是亠」・・・?
 ↓↑
 いろはにほへと ちりぬるを
 色 は匂ほへど 散りぬるを
 意賂葉似補経訳 地理塗留尾
 ↓↑
 わかよたれそ  つねならむ
 我が世たれぞ  常 ならむ
 和歌与足礪素  通音名等務
 ↓↑
 うゐのおくやま けふこえて
 有為の奥 山  今日越えて
 宇意の於句哉磨 懸附故重氐
 ↓↑
 あさきゆめみし ゑひもせす
 浅き 夢 見じ 酔ひもせず
 蛙作記喩馬視字 重意摸施事
 ↓↑
 四十七文字の最後に「京」の字を加える・・・
 ウイッキペデアでは「文脈についての確定した説明は、現時点では存在しない」とあり、個々人の解釈は自由カモ・・・ん=む=務?
ーーーーー
 ・・・「愛情」にも「度量衡」があるんだろう、なッ・・・「情=心が青い・心が主の月(肉・冃・舟)」って、ハカレルものならナンだろう?・・・「度量」の「衝突」じゃぁないョナッ・・・
 ↓↑
 「情」
 「物事に感じて起こる心の動き・気持ち
  情熱・情念・感情・苦情・激情
  私情・純情・叙情・心情・表情」
 「思いやり・なさけ」
 「温情・厚情・同情・人情・薄情・非情・友情」
 「異性を慕う心・男女の愛」
 「情交・情死・情事・情欲・色情・恋情」
 「物事の実際のありさま」
 「情況・情景・情状・情勢・情報・下情
  国情・事情・実情・政情・陳情・敵情・内情」
 「そのものから感じられるおもむき・味わい」
 「情趣・詩情・余情・旅情」
 「風情 (ふぜい)」
 名のりは「さね・もと」・・・ 
 ↓↑
 衡=彳+ク(勹・々?)+田+一+人+亍
  =彳+𩵋(魚・角+大)+亍
     𩵋=魚=まな・いお・さかな・うお・ゴ・ギョ
  =くびき・はかり・はかる
 度=長さ
 量=体積・容量
 衡=質量・重量
 同時にそれぞれをはかるための
 道具(物差・枡・秤)や基準
 「衡」と類縁の文字で
 「権(ケン)」=分銅
 ↓↑
 古代には
 「斤(キン)=物の重量を表す単位
       =秤(はかり・ビン)」
 ↓↑
 衡=よこぎ=軫
   よこぎ・くびき・まっすぐな横木
   門の二本の柱の上にわたした横木
   牛の角があたらないように、
   角に結びつけたよこぎ
   馬車の轅(ながえ)の端にわたした横木
   秤(はかり)・天秤の横棒・棒ばかりの棹(竿)
   はかり・めかた・標準・めかたをはかる
   物事のよしあしや成否を考える
   横にのびた眉毛の線
   横になったさま・横ざま
   横にまっすぐのびた・たいらな
   つりあいがとれた
   ・・・𠂉(髪挿し・櫛)
   ・・・「ノ一=髪挿し・櫛・鈿・簪・笄」
 ↓↑
 「行」
 いく・ゆく・動いて進む・動かして進ませる
 たび・よそへ出発する
 やる・動いて事をする・動かす
 やらせる・ふるまい・身もち
 仏に仕える者のつとめ
 みち・道路・時が進む・楽府(ガフ・歌謡曲)の長い唄
 ↓↑
 「五行」
 宇宙をめぐり動く
 木・火・土・金・水
 の五つの基本的な物質
 漢字の書体の一
 楷書(カイショ)の少しくずれたもの
 行書・ゆくゆく・旅行の途中
 臨時の役所
 兵士二十五人を一行(イッコウ)
 一列に並んだもの
 をあらわす ことば・とんや・同業組合
 大きな商店や専門の職業
 世代、仲間などの順序・序列
 ↓↑
 「彳(テキ)」、「亍(チョク)」
 彳=ただずむ・テキ・チャク
 「彳」の字は少しずつ歩くの意味
 十字路の象形である「行」が使われて
 「彳」はその左半分
 「亍(チョク)」
 亍=たたずむ・とどまる・たちどまる
   すこし歩く・狭い歩幅で歩く
   チョク
ーーーーー
 ・・・「衡=はかり・はかる・ちか・はかる・ひで・ひとし・ひら・ひろ・まもる・コウ」で、意味は「よこぎ(横木・軫)」であった・・・「衡」の類字は「衝突・衝撃」の「衝」で
 「つく・突き当たる
  衝撃・衝天・衝動・衝突・緩衝・折衝」
 「交通の重要な所=要衝・町を突き抜ける大通り」
 名のりは
 「つぎ・みち・もり・ゆく」
 で、漢字構成は
 「衝(ショウ)=彳(テキ)+重+亍(チョク)」
 ↓↑
 「衡」と意味類縁の文字で
 「権(ケン)=分銅」がある・・・分ける金は同じ?
 ↓↑
 「衝(ショウ)=冲(チュウ)」で
 占い用語では十二支の「対冲=対沖・対中」で、元の十二支から数えて七番目の支で、相対し、双方、相剋する関係で「七冲」と呼ばれる・・・ちなみに「冲=冫+中」の「冫」は「氷」である・・・
 子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
 冲冲冲冲冲冲冲冲冲冲冲冲
 衝衝衝衝衝衝衝衝衝衝衝衝
 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
 午未申酉戌亥子丑寅卯辰巳
 ↓↑ ↓↑
 天秤宮(てんびんきゅう)
 黄道十二宮の7番目である。
 獣帯の黄経180度〜210度までの領域
 9月23日(秋分)〜10月23日(霜降
 四大元素の空気
 双児宮宝瓶宮と一緒に空気のサイン
 対極のサインは
 白羊宮
 アストライアー(Astraiā)
 ゼウスとテミスの娘
 他説で
 星空の神アストライオスと暁の女神エーオースの娘
 アストライアー=星のごとく輝く者・星乙女
 ホーラ(ホーライ)三女神の一柱
 正義の神格化である
 ディケー女神と同一
 有翼の女神
 アストライアーは
 神々の中で最後まで地上に留まり
 正義を訴え続けたが
 欲望、殺戮によって血に染まった地上を去った
 善悪をはかるため
 天秤座になった・・・
ーー↓↑ーー↓↑ー
 「衝(ショウ)=冲(チュウ)」、またもや・・・ハンシが跳ぶが・・・三段跳び・・・ホップ(hop・片足飛び)、ステップ(step・足運び・歩き方・足どり・歩きぶり(gait)・歩調・足並み)、ジャンプ(jump・跳び上がる・跳躍する・ハネる)・・・
 「鵯越(ひよどりごえ)の戦い」は
 「一ノ谷の戦い鵯越
  寿永三年、
  治承八年二月七日(1184年3月20日
  摂津国福原、須磨での源平合戦
   ↓↑
 ・・・???・・・源九郎(義経)の最後・・・
 頼朝と対立し朝敵とされ
 難を逃れ再び
 藤原秀衡を頼ったが
 秀衡の死、
 頼朝の追及を受けた
 当主
 藤原泰衡
 に攻められ、
 平泉の
 衣川館で自刃・・・
   ↓↑
 平安時代末期〜鎌倉時代初期
 藤原頼衡(ふじわらのよりひら)
        ・・・頼衡
 奥州
 藤原氏の武将
 奥州藤原氏
 第三代当主
 藤原秀衡・・・・・・秀衡
 の六男の末男
 五兄
 通衡・・・・・・・・通衡
 と同様に、
 四人の
 兄達・・・・・・・・国衡
           泰衡
           忠衡
           高衡
 と比べて
 藤原頼衡の
 記録が少なく
 伝承が多いので
 非実在説がある・・・
 『吾妻鏡
 五兄の
 通衡
 と共に
 名前が見えず
 『玉葉愚管抄・明月記・六代勝事記
 にも
 頼衡に関する記述は無い
 『尊卑分脈』に
 文治五年(1189年)二月十五日
 次兄の
 泰衡
 によって殺害されたと記録
 この四ヶ月後
 三兄の
 忠衡
 五兄の
 通衡も
 父、藤原秀衡の遺言を破った
 泰衡
 に対して反乱を起こし
 討たれている・・・
 ↓↑
 父の遺言と
 源義経を支持し
 泰衡によって殺害されたのは
 忠衡
 通衡
 が誅された理由と同じ・・・
 死去時の年齢は
 16歳前後とも・・・
  ↓↑
 「義経記
 南北朝時代室町時代初期に成立
 源義経とその主従を書いた
 軍記物語の『義経記
 義経
 を保護した
 秀衡の死の床を囲む
 息子達が挿画で描かれ
 「義経を大将として、
  頼朝の襲撃に備えよ」
 という
 秀衡の遺言を呼び寄せた
 6人の息子達に言い聞かせた
 『義経記』は
 秀衡には
 6人の息子達
 六男にして
 末子の
 頼衡の存在は認識・・・
   ↓↑
 『尊卑分脈』の記述によれば
 頼衡の通称は
 「錦戸太郎」で
 この通称は史料によって
 読みが同じである長兄の
 国衡(西木戸太郎)
 に冠せられていることも多い・・・
   ↓↑
 頼衡の5人の兄達は
 通称(別名)から基盤地域を持っていた
 或いは地域に何らかの関わりがあった・・・
 頼衡に関する記録や伝承の中からは
 それらを読み取ることができない
 通称の読みが同じである
 長兄・国衡
 との関連や、後述の伝承から
 文治五年(1189年)時点で
 16歳前後だったとすると
 基盤となる地域を所有していなかった・・・
 ↓↑ 
 出羽国
 置賜郡
 米沢の
 錦戸薬師堂の由来に
 頼衡
 が輿に奉安し、
 鳥越を越えて
 守本尊の
 薬師像を当地に運んだ伝承・・・
 頼衡の
 長兄
 国衡(西木戸太郎国衡)
 が阿津賀志山の戦い
 鳥取越を奪われて・・・・鳥取越?
 源頼朝の軍に敗れ
 僧に守本尊の
 薬師像を託して
 僧が当地に庵を結んだ・・・
 国衡は
 大関山を越えて
 出羽に逃れる途中で
 和田義盛と戦い、討たれた・・・
 国衡
 と
 頼衡
 は同一人物で
 頼衡の伝は
 国衡のものから派生した・・・
 次兄
 泰衡
 も秋田で討たれ
 遺体を埋葬した場所に
 錦神社が建ち
 夫人が亡くなった場所に
 西木戸神社が建てた・・・
 岩手県
 紫波町
 小屋敷地内の
 稲荷街道の道端には
 錦戸太郎頼衡の墓
 と伝えられている
 自然石の角柱がある
 頂部は斜に切断されてい
 頼衡は父
 秀衡の死後
 義経に通じたことから
 次兄
 泰衡との間に不和が生じ
 頼衡は密かに
 平泉を脱出して北方に逃走
 紫波町雫石町の境にある
 東根山の山麓で追っ手に捕らえられ殺害された
 村人が哀れんで
 自然石を立てて墓印とした
 これを聞いた
 平泉の
 泰衡は怒って
 直ちに墓石を取りはらうように命じ
 里人たちは、止む無くそれを取り覗いて
 近くのやぶへ捨ててしまった
 それから間もないある晩のこと、
 当時奥羽きっての強力者として有名であった
 由利八郎がこの地に通りかかったが
 墓石を捨てたあたりまでくると
 草むらの中か妖しげな光り物がポーと浮かんで
 八郎は
 「狐狸のしわざに相違ない」
 と思いながら、腰の大刀を抜いてこれを斬りつけ
 その途端「カチン」という音がしたと思うと、
 光り物はゆらゆらと揺れながら飛び出してき
 八郎はその後を追いかけたが
 錦戸太郎の墓までくると消えてなくなった
 八郎の体は汗で満たされ、急に疲れが襲って来た
 翌朝、この話を聞いて里人たちが墓のところに来てみると
 取り除いたはずの墓石がもとの通りに立っていた
 よく見ると
 頂部が斜に切断されてい
 里人たちは
 「八郎の怪力にたよって墓石をもどしてもらったのだろう」
 と噂した・・・
 別の伝承
 『応仁武鑑』の「浪岡記」
 青森県青森市浪岡町(津軽の外ケ浜)に
 頼衡が次兄の
 泰衡と対立した後この地に逃れ
 浪岡右京大夫
 と名乗ってこの地を支配
 浪岡氏(行岡氏)の祖となった・・・
 鎌倉時代末期〜南北朝時代にかけ
 その
 浪岡氏に
 浪岡秀種(行岡右兵衛大夫秀種)
 という人物がおり、
 秀種は頼衡の曾孫・・・とされ
 秀種は
 北畠顕家に仕え
 秀種の娘である
 頼子(萩の局)は
 顕家の妻となり
 北畠顕成、女子(安東貞季妻)
 北畠師顕らの母になった・・・
 顕家の死後、
 顕成は外祖父右兵衛大夫を頼り
 のちに所領を譲られ、浪岡北畠氏の始まり・・・
 頼衡は妻帯者で子供が1人いた・・・ことになる・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・「度量衡(ドリョウコウ)」・・・「阿倍仲麻呂=朝衡」・・・