2244日目・・・「ガンジーの暗殺=1948年1月30日」と「アンベードカルの死亡=1956年12月6日」・・・

 「KMO(1970年6月10日
      庚戌・壬午・辛酉
      or
      1971年5月10日
      辛亥・癸巳・乙未
      〜
      2017年2月13日
      丁酉・ 壬寅・庚午」
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 鳥啼歌(とりなくうた)=(国音の歌)
 明治三十六年(1903年
 万朝報   掲載
 坂本百次郎 作
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 とりなくこゑす ゆめさませ
 鳥 啼く声 す 夢 覚ませ
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 みよあけわたる ひんかしを
 見よ明け渡 る 東   を
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 そらいろはえて おきつへに
 空 色 映えて 沖つ 辺に
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 ほふねむれゐぬ もやのうち
 帆船 群れゐぬ 靄 の中
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 鳥啼く声す 夢覚ませ
 見よ明け渡る 東を
 空色映えて 沖つ辺に
 帆船群れゐぬ 靄の中
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 仮名手本忠臣蔵・四十七士+α・・・「咎無くして死ぬ」
 α=?=京(亠口亅八)=みやこ・ケイ・キョウ=ん=む?
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 「いろは歌
 文献上に最初に見出されるのは
 承暦三年(1079年)
 「金 光 明  最 勝  王 経  音 義」
 (こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)
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  いろはにほへと ちりぬるを
 (色 はにほへど 散りぬるを)
  わかよたれそ  つねならむ
 (我が世たれぞ  常 ならむ)
  うゐのおくやま けふこえて
 (有為の奥 山  今日越えて)
  あさきゆめみし ゑひもせす
 (浅 き夢 見じ 酔ひもせず) 
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 以呂波耳本へ止
 色 はにほへど・・・伊呂波
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 千利奴流乎
 散りぬるを・・・・
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 和加餘多連曽
 我が世たれぞ・・・
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 津祢那良牟
 常 ならむ・・・・・
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 有為能於久耶万
 有為の奥 山・・・・
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 計不己衣天
 今日越えて・・・・
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 阿佐伎喩女美之
 浅 き夢 見じ・・・・
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 恵比毛勢須
 酔ひもせず・・・・
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 「いろは四十七字」、最後に
 「京」の字を加えて「四十八字」
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 「匂いたつような色の花も散ってしまう
  この世で誰が不変でいられよう
  いま現世を超越し、
  はかない夢をみたり、
  酔いにふけったりすまい」
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 「涅槃経の無常偈(むじょうげ)」で
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 「諸行無常=諸行は無常であって
  是生滅法=これは生滅の法である
  生滅滅已=この生と滅とを超えたところに
  寂滅為楽=真の大楽がある」の意
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 「京」の文字は・・・「  四 十     八」字目
            肆(四)拾(足)捌(八)
 「京」=「亠+口+亅+八」=数の単位で
     「兆の1万倍」
     「10の16乗」・古くは「兆の10倍」
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 「ナーガリー」=「ナガラ(都・京)の文字」という意味
 デーヴァ-ナーガリー(サンスクリット語=deva-nāgarī)
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 紀元前3世紀頃から用いられてきたブラーフミー文字は地方によってさまざまな文字に分化し、南部と北部で分かれ、北部からはグプタ文字が生まれ、グプタ文字からシッダマートリカー文字(いわゆる梵字)が発展した。ナーガリー文字はシッダマートリカー文字の文字の上部の横線が伸び、全体に角張った形に変形したもの・・・
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 「ナーガリーはナガラ(都市)の文字という意味である。それがのちに神聖化されデーヴァ(神)を加え、デーヴァナーガリー(神聖なる都市文字)と呼ばれるようになった」・・・
 「ナーガリー文字の出現時期を7世紀あるいは8世紀とする説もあるが、年代が確実にわかるものは9世紀後半のものがもっとも古い。11世紀になると字体がほぼ現在のものと同じになり、シッダマートリカー文字にとってかわった。ほかの文字が地方ごと・言語ごとに異なっていたのに対し、デーヴァ-ナーガリーはサンスクリットを書くための地域をこえた文字として発達し、北部インドだけでなく、デカン地方や南インドでも使用された」・・・
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 「ナーガリー」は「ナガラ(都市)の文字」という意味
 「ナガー」は「長い・河川・紐」の意味・・・
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 「無抵抗主義=the principle of non-resistance」?
 「モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー
 (Gandhi、1869年10月2日〜1948年1月30日)
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  己巳(戊・庚・丙)       丁亥
  癸酉(庚・ ・辛)正官・正財  癸丑
  丙寅(己・丙・甲)戌亥=空亡  乙卯
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  民衆暴動ではなく、
  非暴力、不服従主義(無抵抗主義ではない)
  の社会運動者」、彼自身によれば「サティヤーグ」
 ・・・「非暴力、不服従」主義?・・・「無殺生主義・無殺傷主義」・・・不服従運動?・・・「カースト制度そのものの制度廃止には賛成しなかった」、「ヒンズー教の輪廻転生(サンサーラ)」を否定しなかった・・・「ア=不・非・無」?・・・
 非暴力(ア-ヒンサー・a-hiṃsā)
 「忌避(ア・a)」+「暴力(ヒンサー・hiṃsā)」
 「否定・非・避(ア・a)」+「暴力(ヒンサー・hiṃsā)」
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 「バーバー・サーヒブ=ビームラーオ・ラームジー
  アンベードカル
 (Bhimrao Ramji Ambedkar・1891年4月14日〜1956年12月6日)」
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  辛卯(甲・ ・乙)      丙申
  壬辰(乙・癸・戊)食神・傷官 己亥
  庚午(丙・ ・丁)戌亥=空亡 丁未
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  インドの政治家(ネルー内閣の法務大臣
  インド憲法の草案作成者
  反カースト(不可触賎民〈ダリット〉改革)運動の指導者
  死の2か月前に約50万人の人々と共に仏教に集団改宗」
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 「不可触民」は、ヒンドゥー社会の中でも最下層階級であり、「触れると穢れる人間」とされた・・・
 「不可触民=ダリット=アチュート・アンタッチャブル・アウトカースト・アヴァルナ」=「困窮した者・押しつぶされた者・抑圧されている者」の意・・・
 「ジャーティ(Jāti・出自・生まれ」としての職業は
 「マハール(屠畜業者)、パーリヤ(太鼓たたき)、バンギー(人糞処理の清掃人)など」、
 「接触する物体の浄・不浄の度合いによって決められ、汚物清掃人(バンギ)、洗濯人(ドービー)、皮なめし職人(チャマール)、皮革労働者(チャマール)、屠畜業者(マハール)、貧農、土地を持たない労働者、街路清掃人(バンギー、またはチュラ)、街の手工業者、バーリヤなどの民俗芸能者、洗濯人(ドービー)などなどは、不浄なものに触れるとして、特に低い地位におかれている」、
 「触れてはいけないだけでなく、
  見ることも、
  近づくことも、
  その声を聞くことさえ
  いけない存在で、
  ヒンドゥー教徒にもかかわらず、
  ヒンドゥー寺院への立ち入りが禁止され、
  ヴァルナに属する上位4身分の
  ヒンドゥー教徒カーストヒンドゥー
  たちが使用する
  井戸、貯水池の使用も禁止され
  不可触民(ダリット)は、きびしく差別された」・・・
 「不可触民のなかにも序列があり、
  占い師と
  医師を兼ねる
  バッルバンというジャーティは、
  不可触民のなかの最高位で、
  賤民中のバラモンと自称」
 されているらしい・・・
 「カーストポルトガル語で「血統」を表す語
      「カスタ(casta)」
       ラテン語
      「カストゥス(castus)=純粋なもの、
            混ざってはならないもの・純血)」
 15世紀にポルトガル人がインド現地の身分制度である
 ヴァルナとジャーティを同一視して
 「カースト」と呼んだ。
 「カースト」は歴史的に存在したというよりも、
 植民地時代後期の特に20世紀において「捏造されたもの」・・・

 音素文字(segmental script・単音文字)の
 デーヴァナーガリーサンスクリット語=devanāgarī)
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 非暴力(アヒンサー・ahiṃsā)
 忌避(ア・a)+暴力(ヒムサー・hiṃsā)
 否定・非・避(ア・a)+暴力(ヒムサー・hiṃsā)
 「ア」+「ヒムサァ」・・・「蛙(ア・かえる)比務差鴉」?
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 「インド宗教史上長い歴史を持ち、ヒンドゥー教、仏教(仏陀に代表される)、ジャイナ教の伝統において何度もよみがえった。また、彼の非暴力抵抗の思想は、「新約聖書」や『バガヴァッド・ギーター』の教えに特に影響されている。自らの思想と生き方を、ガンディーは自叙伝の中で書いている。以下にガンディーが語った言葉からの引用を列記する」
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 「私は失望したとき、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利をしたことを思い出す。暴君や殺戮者はそのときには無敵に見えるが、最終的には滅びてしまう。どんなときも、私はそれを思うのだ」。
 「狂気染みた破壊が、全体主義の名のもとで行われるか、自由と民主主義の聖なる名のもので行われるかということが、死にゆく人々や孤児や浮浪者に対して、一体何の違いをもたらすのであろうか」
 「“目には目を”は全世界を盲目にしているのだ」
 「私には人に命を捧げる覚悟がある。
  しかし、
  人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない」
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 22 乙卯(甲・ ・乙)
 23 丙辰(乙・癸・戊)
 24 丁巳(戊・庚・丙)