2241日目・・・昨日は朝、9時半頃にバスで隣り町の巨大な市立病院へその後の体調検診を受けに行ってきたが、2月22日に再入院して、再手術するコトになった。「解放」、なかなか、そうは問屋が卸さない、と云うことらしいが、夜(2017年2月15日・水・午後10:25〜午後11:15のNHKの「総合診療医ドクターGスペシャル・第三弾・脳卒中」を見ながら「脳梗塞」でなく、「心筋梗塞」て幸いであったカナ、と思ったりして・・・その前の「ためしてガッテン」の「骨ホルモン」もなるほど、で、「爆笑問題」の「世界遺産・薬師寺


 「薬師寺」=「凍れる音楽」=「frozen music」=「建築は凍れる音楽 gefrorene Musik」?・・・「芸術的な対称形(対称構成)」?
 病院の入り口にはホテルのような案内係が待機して車でやってくる人々や、徒歩でやって来る人々を中に誘導案内し、待ち合いロービーにも案内係がいて外来患者の各診療科の受付け窓口へ案内していた。とにかく診断待ちの人びとが大勢で、都会の駅の待合室のような感じで混雑していた・・・循環器科の受付窓口前の長椅子に座って呼ばれるのを待っていたが、長い時間の順番待機・・・行き交う人々を観察していたが、さすが冬国の北海道、病院通いの人々が着ているファッション、履いている長靴(沓)、雪靴(沓)もカラフルでお洒落である・・・受付窓口の両脇には自動血圧計が設置されていたが、次から次へとその計器に腕を突っ込んで測る人が絶えない・・・診察後に入院の手続き説明、服用薬の説明、そして支払い窓口に並んで精算・・・

 巨大な病院の外に出て処方薬局で薬を貰って、バス停へ・・・既に12時半のバスは2、3分前に出発していた・・・次のバスは1時間後・・・
 地元の駅のバス停に着き、帰宅途中、スーパーで食糧の買い物、午後3時にやっと、モモの居ない我が家の玄関に辿り着いた・・・寒い雪国であっても、今更ながらボロ屋敷であっても、生きて、住める家と、場所があることに感謝ではあるカナ・・・ホームレスや、難民の人々の寒空を思いながら・・・
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 以下はウイッキペデア、&、他のブログ辞典、記事を参照、参考に添付・・・
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 薬師如来薬師瑠璃光如来=薬師(瑠璃光)仏
      薬師(瑠璃光)王・大医王仏
      青色の肌を持つ仏
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 薬師如来の経典
 永徽元年(650年)
 玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経(薬師経)』
 景竜元年(707年)
 義浄訳『薬師瑠璃光七佛本願功徳経(七仏薬師経)』
 その他
 建武〜永昌年間(317〜322年)
 「帛尸梨密多羅訳」
 大明元年(457年)
 「慧簡訳」
 大業十一年(615年)
 「達磨笈多訳」
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 「薬師本願功徳経」
 薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土)の教主
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 菩薩の時に十二の大願
 衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、
    災禍を消去し、
    衣食などを満足せしめ、
    かつ仏行を行じて
    無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成った
    瑠璃光を以て衆生の病苦を救う
    無明の病を直す法薬を与える
    医薬の仏として、
    如来として現世利益信仰を集める・・・
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 密教経典
 「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」
 「薬師七仏供養儀軌如意王経」
 薬師経に説かれ
 真言宗東密)では顕教系の如来
 「覚禅抄(東密)」において
 「胎蔵大日如来」と同体
 雑密系の別尊曼荼羅では中尊
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 天台宗台密
 薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主
 天皇と結び付けらた
 「阿裟縛抄(台密)」で
 「釈迦如来大日如来」と同一体
 顕教での「妙法蓮華経」に説かれる
 「久遠実成の釈迦如来密教大日如来
 「釈迦如来衆生救済の姿」
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 「東方の如来」=「五智如来阿閦如来」とも同一視
 「チベット仏教(蔵密)」で信仰され
 チベット僧により日本でも灌頂
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 十二誓願
 光明普照(自らの光で三千世界を照らし、あまねく衆生を悟りに導く)
 随意成弁(仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる)
 施無尽仏(仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す)
 安心大乗(世の外道を正し、衆生仏道へと導く)
 具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける)
 諸根具足(生まれつきの障碍・病気・身体的苦痛を癒やす)
 除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける)
 転女得仏(成仏するために男性への転生を望む女性を援ける)
 安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける)
 苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける)
 飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く)
 美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す)
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 徳川家康・・・薬好きで、自分自身の「薬箱」を管理していた
 生母、「於大の方」が
 鳳来寺(愛知県新城市)の本尊の
 薬師如来に祈願して誕生した
 家康は薬師如来が人間界に現れたとの伝承・・・
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 「薬師寺」・・・ヤクシジ=訳詞字(事・辞)
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 「日本書紀天武天皇九年(680年)十一月十二日条
 「天武天皇」が
 「持統天皇=鵜野讃良(うののさらら)」皇后の病気平癒を祈願し
 「薬師寺の建立」を発願
 百僧を得度(出家)させた・・・「百済の僧侶」?
 薬師寺東塔の屋上にある
 相輪支柱に刻まれた
 「東塔檫銘(とうとうさつめい)」にも同趣旨の記述
 天武天皇は寺の完成を見ずに
 朱鳥元年(686年)死没
 伽藍整備は
 持統天皇文武天皇の代に引き継がれた
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 「東塔檫銘」
 「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の
  即位八年、庚辰の歳、
  中宮持統天皇)の病気のため、
  この伽藍を創り始めたが、
  未完成のうちに崩御したので、
  その意志を継いで、
  太上天皇(持統)が完成したものである」
 という意味の記録
 「天皇即位八年、庚辰之歳」は、
 「日本書紀天武天皇九年」と同年
 「日本書紀天智天皇の没した翌年(壬申年、西暦672年)を
 「天武天皇元年」だが、
 「天武天皇即位は翌年(西暦673年)で
 「天皇即位八年」とは即位の年から数えて八年目という意味・・・
 持統天皇二年(688年)
 薬師寺
 「無遮大会(かぎりなきおがみ・ムシャタイカイ)」
 という行事が行われた
 「続日本紀文武天皇二年(698年)」
 造営がほぼ完成
 この「創建薬師寺」は、
 藤原京
 右京八条三坊の地にあった
 大和三山
 畝傍山と香久山の中間にあたる
 橿原市城殿町に寺跡が残り、
 「本薬師寺(もとやくしじ)跡」
 として特別史跡に指定されている
 和銅三年(710年)
 平城京遷都
 薬師寺は飛鳥から平城京
 六条大路に面した
 右京六条二坊(現在地)に移転
 長和四年(1015年)成立の
 『薬師寺縁起』によれば
 養老二年(718年)である
 平城薬師寺境内からは
 霊亀二年(716年)の記載のある木簡が出土
 造営は
 養老二年よりも若干早くから始まっていた・・・
 「扶桑略記天平二年(730年)三月二十九9日条」に、
 「始薬師寺東塔立」
 「東塔(三重塔)」が完成した
 平城京への移転後も、
 飛鳥の薬師寺(本薬師寺)はしばらく存続
 後に廃寺
 本薬師寺跡には
 金堂・東塔の礎石、西塔の心礎が残っている
 本薬師寺の伽藍配置は
 「薬師寺式伽藍配置」と称され
 中央に金堂、その手前に中門、背後に講堂を配し、
 金堂の手前東西に塔を置く
 中門左右から出た回廊が講堂の左右に達し、
 金堂、東西両塔は回廊で囲まれている
 この伽藍配置は
 平城薬師寺においても踏襲
 本薬師寺、平城薬師寺双方の発掘調査により、
 両伽藍の
 建物の規模、
 位置関係などはほぼ等しく、
 本薬師寺の伽藍を平城薬師寺に再現しようとした
 ただし、
 平城薬師寺では中門の規模が拡大され、
 回廊も幅が広げられた
 平城京薬師寺
 天禄四年(973年)
 火災
 享禄元年(1528年)
 筒井順興の兵火で多くの建物を失った
 奈良時代の建物は東塔を残すのみ
 天禄四年の火災
 金堂、東塔、西塔は焼け残った
 講堂、僧坊、南大門などが焼けた
 西僧坊の跡地からは僧たちが使用していた
 唐時代の陶磁器が多数出土
 「東塔」
 「扶桑略記・平城移転後の天平二年(730年)」
 新築とする説が通説
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 東塔
 奈良時代天平年間)にさかのぼる唯一のもの
 総高34.1メートル(相輪含む)
 日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、
 東寺五重塔
 興福寺五重塔
 醍醐寺五重塔
 に次ぎ、
 4番目の高さ
 屋根の出が6か所
 一見六重の塔に見えるが、
 下から1・3・5番目の屋根は
 裳階(もこし)
 構造的には三重の塔
 塔の先端部の相輪にある
 青銅製の水煙(すいえん)には
 飛天像が透かし彫りされている
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 相輪の中心部の柱の最下部には
 「東塔檫銘」と称される銘文が刻まれて、
 薬師寺の創建と本尊造立の趣旨が漢文で記されている
 塔の建築年代については
 飛鳥の本薬師寺から移築されたとする説(移建説)と、
 平城京で新たに建てられたとする説(非移建説)とがあったが、
 『扶桑略記』の記述のとおり、
 天平二年(730年)
 平城京にて新築
 当初、東塔・西塔の初層内部には
 釈迦八相(釈迦の生涯の8つの主要な出来事)
 を表した塑像群が安置されていた
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 ・・・「薬師寺=病院」・・・「薬師如来=ヤクシニョライ=訳詞如覶異」・・・なんで、「役(ヤク・エキ)」が「エン」なんだか・・・「エンのギョウジャ」=「役の行者」=「役 小角(えん の おづの(おづぬ・おつの)・舒明天皇六年(634年)伝〜大宝元年六月七日(701年7月16日)伝)」・・・
 役
 「仕事(務め)・職務・労役・役員」
 「防人(さきもり
  軍事制度で辺境(国境)を守る兵士」
 「いくさ・戦争・戦役」
 「人民に課する労働
  えだち(税として公用の労役に従事
  すること)」
 「兵士・兵卒」
 「使う・働かせる・使役」
 「使われる・仕える」
 「召使い」
 「営む」
 「仲間」
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 「ヤク」
 「つかさ(役人)」
 「官職(国家公務員に割り当てられる職)」
 「役目・地位」
 「税・役儀(課税)」
 「役銀(金沢藩が藩士に課した家禄税)」
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