2151日目・・・前回は「虚-数」の考察だったが、「纂数・数学」の基礎は高校生時代に学んだハズだが、「計算方法」以前に教科書に書かれてある日本文、「和漢混交文」での説明記事の難解さの「壁」である。そして「数学・纂数」の問題、設問説明の難解さである。「数学」以前に問題は「国語」をドウ、読み解くかであるが、一つのコトバの意味が理解出来なければお手上げである。そして「定理・公理・公式」は「暗記せよ」の教師の教育的立場である。確かに、小学、中学、高校の「基本教育」は「コトバの暗記」が前提らしい。だが、学生の立場

 ボク的には「定理・公理・公式」の「暗記」が大嫌いであったし、今現在も大嫌いである。加減乗除は小学生で習うが、ボクは「引き算」が理解出来なかった。その期間は結核で入院中で、回復して通学した時には既にその「引き算」の授業は終わっていた。友達とは本当にアリガタイもので、「引き算」を教えてくれたのは隣りの席に坐る「SK君」だった。それに「掛け算」は暗記したが、「割り算」が理解できなかった。縦割りの「掛け算」と「割り算」は一年上級生の「Y君」が教えてくれたが、本当のところはナゼ、そうなるのか?の理解は難しかったが、縦の割の割り算は図式的に納得はできた・・・
 中学一年で「代数」を習ったが「(a+b)²」の答えが、ナゼ、「(a²+2ab+b²)」で、「2ab」が出てくるのか?・・・暫くは理解が出来なかった。教えてくれたのは、やっぱし、隣席の同級生の女の子の「SGさん」だった。「二乗は(a+b)と(a+b)の掛け算だから、縦に掛け算すれば、2abが出てくるョ、ッ」だった。
  (a+b)
 ×(a+b)
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄・・・一文字同士をスベテ掛ける。そして同じ係数を足す・・・ノートに書いた縦の掛け算では確かに「2ab」が出た・・・
 なるほど、目に視える「理窟」であった・・・
 「定理・定式・公理・公式」の「式」は教科書を調べれば解るから暗記の必要がない?・・・ボクの時代の「数学」は「暗記」が前提だから、その「理窟」はスッ飛んでいた・・・で、「暗記」は苦手で嫌いだった。「暗記」よりもその都度、教科書をみればイイから・・・そして、スグ、忘れた・・・
 「英語」はマッタク、英語以前的に「日本語」が理解出来なければ、お手上げで、過去形、現在形はなんとなく「動詞の変化」として理解出来たが、中学二年生で習う未来形の助動詞の「will shall」と、他の助動詞の「can may might could would should」は「時制」とか「助動詞」の日本語自体の説明もなく、理解できていないのに、それが前提で授業・・・しかも新任の若い美人教師は声が小さく、教室で綽名を囁かれると顔を紅く染めてスグに職員室に閉じこもって授業をしてくれない・・・「前置詞」にいたっては、「動詞と一緒に暗記すれ」って、ドウシがドウしたって・・・その意味がマッタク理解困難であった・・・「at by behind besides during for from in into of on onto over since till up under untill wiht」・・・家の内外、壁、door、窓などの構造と家の中に机と椅子の絵が黒板に描かれ、その空間の上下左右で、前置詞が示されたならばスグ理解出来たろうに・・・
 肝心の「国語」であるが、これも新任の若い男教師・・・古文・・・授業で教科書を読んで聞かせてくれるが、「なんとなく判るだろう」であった・・・確かに「おもしろい」はナンとなく分かったが・・・意味が違う・・・「interesting」と「fun enjoy」・・・「so funny」・・・そもそも、ローマ字は小学校四年で習ったが、「英語の単語」のスペルと音の出鱈目なコトには・・・どうしょうもない・・・
 教師は「定理・公理・公式」の、その「理窟」を教えるべきであるカナ・・・教科書に対して「参考書」や「虎の巻」があるのも不思議だし、「学習塾」があるのも不思議だし、「予備校の教師」がTVタレントになって人気商売で稼いでいるのも不思議である・・・「参考書」や「虎の巻」をみれば「理解」できる、と云うモノではない。結果の「答え」が解ると云うタグイのモノである。ボクは「虎の巻」をみても理解出来なかった。先生に訊けば、その「理窟」が解ると云うモノでもない・・・ダイタイからして高校の女性数学教師は黒板に数字、数式を書いては、それを自分で解いてはサッサと消してはマタ書いていく・・・自分で復習してんの、かッ・・・て、サッ・・・
 高校の「歴史」なら教師よりも同級の生徒の方が詳しかったが・・・ボクは歴史年号などはマッタク憶えるのは苦手で、憶えるつもりもなかったが、「モノガタリ」だけには興味があった・・・「おはなし」が好きだったダケ・・・
 高校の漢文の教師は楽しかった。飲み屋をバァーとか、キャバレーとか、女給をネェちゃんとか、漢文に似つかわしくないコトバの連発だった。それに「漢詩文」は「漢字を見ながら日本語に読み下してコソ美しい情景と喧騒で静寂な響きが漂う」とは、まさにその通りだな、とも感じたが・・・粛々、飄飄、落々、侃侃、洋々、峨々、攓麗々しくの畳語、擬態語も漢字じゃぁなくちゃぁ・・・奄々、呵々・・・日本語の粘着性は読み下しではなかったカナ・・・
 だが「漢文・中国語」は基本的に「動詞」が文頭に来る支配階級の「命令文」であったろう・・・日本語は基本的に「動詞」が文尾にくる原語である。相手の言葉、あるいは顔色(?)を窺っての「動詞」である・・・
 「化学・物理」の教師はチンプン、カンプンで、中学校で興味を持った「化学・生物」まで理解が混乱した・・・もはや「ベン・ケーシ」になることは無理だった・・・
 それでも、「自分の理解力」のなさを他人や環境、状況のせいにするワケにはいかない。それらを理解し、出来る同級生はワンサカいて、彼らの試験の点数は高得点だったのだから・・・
 問題は自分自身の勉強に対する姿勢と立場であったかな・・・
 ・・・TVで「ファファミリーヒストリー」を「チューリップの財津和夫」さんのオジイサン、オトウサンの経歴を観てツクヅク、そう思う。「緒方民平さんの恩師の財津先生」もエライ・・・だが、チャンスや自覚の問題は時間的に個々人、別々である・・・この世の中では先人の「知識」と「技能・技術」を学び、それらを理解、習得、思考し、実践するコトは自分自身と家族、そして人々の生活、生きていくコトを支える手段であり、基盤であるはアルが・・・「緒方民平」さんは官僚を止め、独立して植民地での農業開拓の実業家になった・・・彼の時代、場所は、その成功を阻んでしまったが・・・国策での移民開拓、満州でも、樺太でも、北海道でも状況は同じだったろうが・・・北海道は「日本領土」だったが・・・国家間戦争での勝敗は人命の損耗と、領土の占領の「拡大縮小」、そして「利権」・・・ダレの利権になるんだか・・・厚顔無恥な「アマリ」・・・
 「役人への就職」は古代中国の昔から「生活の安定保障の場」で、律令制度の時代には「科挙に落第した人間」のアコガレの職場だった。あまり教育環境に恵まれなかった人々は自らが「去勢(castrate・emasculate・ geld)」し、「宦官」になるコトも厭わなかった・・・怖ろしい・・・日本ではどうか?・・・下級武士の生活は苦しかった。「浪人生活」では「爪楊枝」である・・・町人生活が羨望の的だったかも・・・人々を楽しませるアソビの文化は「町人のモノ」である・・・ホトンドが「侍(さむらい)崩れの町人」であったが・・・四民平等の明治以降の「小役人」はエライ人物もいたが、ホトンドが元幕藩の識字率の高い下級武士だった・・・「虎の威を借りた」だろう・・・そして、やっと「プチブル意識」が芽生えた?
 そして、中国だが、「科挙合格官僚」よりも「宦官官僚」が実権を握った期間が多かった・・・官僚派閥、後宮女官派閥、親族縁者派閥、そして「王朝崩壊、交代」ではその「役人の生活保障」も崩壊した・・・
 今現在、ボクにとってはコンピュータで「無料」で懇切丁寧に教えてくれている「先生」には感謝、感激である。彼らの「懇切丁寧」とは「定理・公理・公式」の「図形」と「五W一H」でのコトバでの咬み砕いた記述と、比喩である。
 で、文字に対する自分自身の記憶に自信がなく、スグにキィボードを叩く検索依存症になってしまったが、「ウイッキペデアの300円寄付要請」とは、ヤッパ、「カネ」か・・・NHKのワンセグ受信料徴収・・・ここでも厚顔無恥なアベのエピゴーネン、「タカイチ」って、「汰化異知差萎重」か?
 日常、簡単に使用しているコトバほど、その意味が曖昧で混乱してしまう。考えているコトバ自体のナニが知りたかったのかも雲散霧消していく・・・以前は字典、辞書、百科事典の依存症だったが・・・今現在は「カミの書物」をホトンド開かない・・・目が悪くなって、レンズがなければ細かい字は無理である。コンピュータは拡大できるが、複雑な文字構成の部分漢字は拡大しても字が太くなり、くっ付いていて判別し難い時もあるが・・・
 それに、ボク的には特に「毎」の部分の「ノ一」の部分を頻繁に使用したいのだが・・・「ノ一」の部首の意味は「髪挿し・簪・笄・鈿・兂・櫛」である。本来、「ノ」と「一」は接合している文字である。だが、「IMEパット」の「2画」には出てくるがコピーが出来ない、まさに「ノー(no)」である・・・???
 一度は「漢和辞典」で、この「ノ一」を調べてもらいたいのだが・・・
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 ・・・トリトメもなく・・・取り敢えずは興味あるコトは「all-around」で検索出来るが、理解は「about」である・・・コンピュータの「monitor」に書き込まれて表現されているモノも「Almighty の絶対(absolute・アブソリュート)・absolutely(アブソルートリー)」ではない・・・
 これって「あぶ=阿部・阿武・阿毎・虻」の「蘇留有胡訳」、「反留胡訳理意」・・・?・・・阿毎王朝(阿蘇山麓)・・・則天武后(周)・・・阿倍仲麻呂(唐図書館長)=晁衡=朝衡(チョウコウ)・・・聴講・兆候・徴候・長江・長考・釣行?・・・商家の店先などにつり下げた行灯、吊行燈(つりあんどん・つりアンドン)・・・唐音・・・
 行燈=土蔵破窃盗犯(第三類 犯罪行為)・・・