2109日目・・・ボクの人生、ずいぶんと「自分自身にウソつき」であり、「他人にも随分とウソつき」であったとは思う・・・しかも、自己反省も軽く、重くはない・・・「ホントウのコト」を云うと、人間関係では色々と問題が起こる「人間社会」ではあるな・・・「嘘もも方便」らしいが、鳥の「うそ=鷽・𪀯」はナゼ「ウソ」の名前がついたんだか・・・由来は「口笛=うそ(古語)」だからそうだが、「口笛」は人間の口笛で、その鳴き声が「口笛(フィフィ?)」に似ているからだそうだが、「古語」自体が通じなくなった結果か、「異言語」のコト

 前回は隋の「杜臺卿」の甥と、その伯父の「杜公瞻」の人物について書き込んだが・・・随書にある「臺キョウ」と「コウ瞻」は「邪馬台の語句」の「靡(なびく)」でもあるカナ・・・
 唐の図書館長になった「阿倍仲麻呂=晁衡=朝衡(文武天皇二年(698年)〜宝亀元年(770年)一月)はナニをしてたんだか・・・霊亀三年・養老元年(717年)、多治比県守が率いる第9次遣唐使の随伴で留学生、天平勝宝四年(752年)衛尉少卿、翌年(753年)秘書監・衛尉卿。「秘書監の晁衡」とは「唐代の秘書省で太史、著作の二極を管轄、一時期は蘭台、麟台と改称」したポジションである・・・「吉備真備」には帰国時には尽力した・・・
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 753年に「秘書監・衛尉卿」になった
 「阿倍仲麻呂=晁衡=朝衡」は
 「魏徴(580年〜643年)」
 「長孫無忌(?〜659年)」
 656年(顕慶元年)、隋書は
  長孫無忌によって「志・三十巻完成」
 「顔師古(581年〜645年)」
 「孔穎達(574年・建徳三年)〜648年(貞観二十二年)」の
 「隋書」を管轄し、改作、改竄したカモ・・・
 「隋書は
  太宗(李世民)の
  貞観二年(628)、
  四部書(経、史、子、集)を校訂させた・630年とも」
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 「漢字文字」が合致しない「隋書」ではあったし、
 「旧唐書後晋の劉く (りゅうく) らの奉勅撰
  開運二(945)年に完成)」
 「新唐書(嘉祐六年(1060年)完成」
 がナゼか「二書」・・・歴史書は色々書き洩らしたモノや、誤写が多いから「杜撰(ズサン)」だったんだろう・・・
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  姓が「杜(木十一)」の「杜撰(ズサン)」の漢字の意味・・・
 「杜の撰集・撰修」、「選択」で、コトバを選ぶのは至難のワザである・・・「杜さん」がコトバを選んで批難されるのは不本意だろう・・・
 「杜撰」とは「宋の杜黙(トモク)」という詩人で、彼の作った詩は「律(詩の様式)」に合わないものが多かったかららしい・・・姓名が「杜(もり)の黙(だんまり)」である・・・中国も半島も、日本も「歴史書?」には「おフザケ(不山戯・巫山戯)」の名前が多いが、実在した人物なのかは、ボク的には「?」である・・・個々人のセンスも教養も「過去的経験の範疇」の内であるとは思うが、「著作物で、典拠の正確でないこと、いい加減に書かれていたり、 誤りが多いこと」は、「コピペ」のボク的には当たり前のコトであるカナ・・・
 今現在は「コンピュータ検索時代」である。「文字バケ」がなければ、検索記録のコピー(copy)は「ウソ」も「ホントウ」も間違いなく「正確に転写記録」できる。それでもキイボードを打つ時には間違って、熟語文字の切り取りや、文章の段落範囲の切り取りで原文でないモノもコピーもするだろう・・・
 「著作物の典拠」も辿(たど)れば、その「典拠も転拠の出どころ」は即座に検索できる。「杜撰」と考える人には、それなりの知識も教養も前提である・・・
 「典拠・根拠」・・・哂っちゃうのが、「コレは典拠不明で独自研究が多い」の注意書きである。確かに「原理・定理・定義・公理」と云われるモノには、その「典拠の実証根拠理論の記録」が必要である・・・「日本国憲法」は「人権保障の根拠」を謳った記録文(典拠)ではある・・・「根拠の典拠」ではあるが・・・これって、「大言壮語」なのか・・・「70年」はナントカ・・・
 「一郎」は大言壮語の大法螺吹きと「哂(わら・嗤)われて」て記録を現実的に実現してきた・・・以前的な問題は「典拠不明」ではなく、現前に記録されている「文章の整合的な論理の是非と実証性」である・・・
 コトバと数字が「本」に書かれているから「正しい」と考える人間の「本当(本に当る)」の浅ハカさである・・・もちろん、「信じ込んでしまった専門家、教養人」の吹聴のアサハカさでもある・・・自然界、人間社会に対する「安全・安心」の根拠はない・・・「畏怖」すべきコトを忘れているか、「畏怖」を売り物にしている・・・
 「ビックバン(宇宙創造時、初源の大爆発)」があったなどとは「七夕祭り」以下のモノガタリである・・・無から有は生じないのは「人間認識の原理」である。NHKの「サイエンスゼロ」の天文博士(谷口氏)の論理には納得できる。宇宙法則の現象は、何処であっても「同じ」なのだから・・・個別特殊は現象の本質ではない・・・今のところ「宇宙存在の始原」ではなく、「個々の銀河、星々の存在の終始・始終」である・・・「アルものとしてのアルもの」の変化である・・・
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 また、「杜臺卿」の甥と、その伯父の「杜公瞻」が杜撰にトンでしまった・・・
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 瞻(セン・セム)=目+袪=
          袪=厃+儿+言・・・危険な人の言葉?・・・「袪」は「瞻」の漢字の「右の字」だったハズだが「文字バケ」なのか、どうなのか文字(袪)が変化してしまっている・・・瞻の分解(目+厃+儿+言)を再構成させたモノが望んでいた漢字である・・・ボクの書き込んだ「漢字」には結構、どうような文字バケが多いが、「ブログ事典」と「IMEパッド」で拾った「袪←(目+厃+儿+言)」の「袪に文字バケ」したモノ(袪・袪)である・・・
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 瞻=まばる(瞻る)・観る・セン・セム
 「目 (ま)を 張る」の意
 目を大きく開いてよく見る・注視する
 見る・見上げる・仰(あお)ぎ見る・目を遣る
 ・・・類似の意味漢字に「臣」があるが・・・「大臣」は人民を監視する「支配階級の長官」であるが、「瞻」は観るモノが異なる・・・「天体の星々」である・・・
(目+厃+儿+言)
 慶州の瞻星台
 瞻星臺(センセイダイ)
 須弥山を描いた
 17世紀のインドの絵が描かれてある
 慶州瞻星台=韓国
       慶尚
       北道
       慶州市の建造物
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 この
 建造物が
 天文台であると、
 最初に主張をしたのは
 日本の
 気象学者で
 朝鮮総督府観測所所長をつとめた
 和田雄治
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 瞻星台に関する記事は、
 朝鮮半島の正史
 『三国史記』・・・・新羅の正史
           高麗17代仁宗の命を受け
           金富軾らが作成
           三国時代新羅高句麗百済
           から
           統一新羅末期までを対象とする
           紀伝体の歴史書
           1143年執筆開始
           全50巻「三国史記
           1145年に高麗で完成
 には一切ない。だが、
 『三国遺事』・・・・高麗の高僧
           一然(1206年〜1289年)によって
           書かれた私撰の史書
           大部分の撰述の時期は
           1270年代後半〜1280年代中頃
           一然の没後に
           弟子の
           無極(宝鑑国師の混丘)が
           補筆・署名し、刊行
           書名の「遺事」は
           『三国史記』にもれた事項を収録
 『輿地考』・・・・・「?」、
           「東國文献備考(1770年)」
           にある記録・・・
 には記録
 最初に登場するのが
 『三国遺事』の
 「善徳女王」の記事
 慶州
 瞻星台は
 「善徳女王(632年〜647年)・・・・645年は
                  大化の改新
                  対価の掛意晋?
 の治世下に建造された・・・
 「善徳女王」は仏教に力を入れ
 仏教の発展を願い、
 仏教の霊山である
 須弥山を模った祭壇説・・・
 他に
 太陽時計説なども・・・漢字からは「天文台」だろう
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 瞻・・・目+袪
 異体字
 聸・・・耳+袪
     袪・・・儋・襜・檐・膽・䦲・憺・簷
         譫・澹・蟾・黵・擔・贍
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 「杜公膽」は
 「隋の
  杜公瞻
 (玉燭寶典の著者)
  は
  杜臺卿の甥
 ・・・「杜臺卿」→「杜撰(ずさん)」で
          「臺(台)」が
          「経」の
          「笈(おい)」
 ・・・「杜の臺の卿」・・・「杜撰」な「臺=台」の「卿」・・・
 「杜=木(十八)+土(十一)」
 「杜=ずさん・もり・ト・ド・ヅ(ズ)
    ふさぎ止める
   =杜絶・杜甫(詩人)・杜詩・李杜
    木の名のヤマナシ=杜梨(果樹)
    途の代用字」
 ・・・「杜(もり)の鍛冶屋(かじや)」って、「神社の聖域の鍛冶屋→化字哉」・・・「YAHOOの知恵袋」には、
 「杜=森・酒杜氏(サカトウジ)・杜撰・杜漏(ズロウ)、杜宇(トウ)、杜氏(トウジ)、杜翁(トウ)、杜鵑(トケン)、杜鵑花(トケンカ)、杜康(トコウ)、杜衡(トコウ)、杜国(トコク)、杜詩(トウシ)、杜子(トシシュウン)、杜若(トジャク)、杜松(トショウ)、杜如晦(トジョカイ)、杜世忠(トセイチュウ)、杜絶(トゼツ)、杜仲(トチュウ)、杜仲茶(トチュウチャ)、杜父魚(トギョフ)、杜甫(トホ)、杜牧(トボク)、杜預(ドヨ)、白杜(ハクト)、房杜(ボウト)、北杜(ホクト)、李杜(リト)、老杜(ロウト)」
 などの漢字があった・・・加えて、熟字訓・当て字として
 杜若(かきつばた)
 杜夫魚(かくぶつ)
 杜父魚(かじか)
 杜衡(かんあおい)
 杜斤(ちぎばかり)
 杜松(ねず)
 杜仲(はいまゆみ)
 杜鵑=ほととぎす=杜宇(ほととぎす)
 杜鵑草(ほととぎす)
 杜松(むろ)
 である・・・で、「卿=卯の間に良(白旨)」、ORは「斤+即」で、「卯(ウ)」は「タタっ切る」の意味であったが・・・
 卿=かみ・きみ・めでたい・ケイ・キョウ
   政治を行う重臣・大臣
   卿相 (ケイショウ)・九卿・上卿 (しょうけい)
   古代中国の身分の高い階級・貴族
   「卿大夫 (ケイタイフ) 」
   同輩を呼ぶ敬称
   「諸卿(ショキョウ・ショケイ)」
 である・・・
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 「射て座」の「矮小銀河」も書き込んでおきたいが・・・TVの「サイエンスゼロ」で観たコトバの断片・・・
 射て座の「矮小銀河に渦状」に発見された26個の
 縦状の
 「赤い星々が連なったリボンの輪」
 銀河や星の色は
 青・白・黄・橙・赤
 の順で消滅・・・青色は超新星爆発
 個々の銀河はその重力で引き合い合体する
 天の川銀河
 46億年ころに
 アンドロメダ銀河と衝突合体し、
 分離した後
 30億年後に再合体
 赤くなった銀河は銀河内の星々の生成を止める
 赤い銀河は
 青い銀河の爆発で
 銀河のガスを銀河外に放出して赤色になる
 赤い銀河は重力が重くなり星々を生成しなくなる
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 ・・・???・・・他名葉多の夢想・・・