2087日目・・・「台(臺・䑓・ダイ」の漢字にコダワル・・・「ダイ(呉音)・ タイ(漢音)・うてな・高く造った建物や構造物・うてな」・・・「灯台・ 番台・高台・露台・楼台・天文台」、「台風=颱風=颶風(ぐふう)」であるが、ブログの由来辞典によれば「当時の中央気象台長、岡田武松が颱風を使い、当用漢字が制定の1946年以降は、台の字が代用された」との説明があるが、「颶(風+貝)風(ぐふう)」とは知らなかった。だが、「颶(風+貝)」なら、この貝は「巻き貝」の形をイメージさせ、「竜巻の渦」と、「台風の目を中心に

 「台湾」の方角からは意味的にナルほどでもあるが、「台湾」の語源は何だろう?・・・
 「17世紀はじめ、文献上にはじめて「台湾」という言葉が登場。当時の文献では、「台湾」は、「大員」と表記」されていたらしい。「台湾」の表記が一般化したのは帝国日本統治以後らしいが、昔読んだ本には「三国志時代の呉」が「台湾経由」で「倭(日本)」を目指し、その派遣軍団船に失敗したとあったが、「台湾」が「大員」とは記されてはいなかった、と思うが・・・ブログ(ウイッキペデア)でこれも調べたら、
 「230年〜231年頃、孫権は遼東の公孫淵に使者を送って魏を挟撃しようとしたが失敗した。また、東の夷州・亶州(今の台湾・沖縄諸島)に探索と人を集めさせに衛温・諸葛直と兵1万を派遣したが、亶州には辿り着けず、夷州から数千人の住民を連れ帰っただけに終わった」
 とあった・・・「邪馬台国卑弥呼」時代は「台湾」は「亶州」である・・・1644年、明が滅亡し、「鄭芝竜・鄭成功(国姓爺・母は日本人で、日本名は田川福松・号は大木。日本名は和唐内とも)」の親子は台湾を拠点に反清復明の運動を展開した。鄭成功は1661年、2万5千の大水軍を率いてオランダの台湾支配の拠点、ゼーランディア城を占領、翌年にオランダは台湾から撤退。以後、1683年までの22年間は本土の清王朝から独立した鄭氏台湾が存続」の時代は「大員」と記録されていたんだか・・・現在の「台湾」は法治国家で、大陸中国政府よりは遥かに「自由」ではあるカナ・・・
 で、「台」の意味は「政府の役所・弾正台・平らで小高い土地」であり・・・「台(上古音diəg)」は、音符「厶(<㠯・耜・鋤・すき)」+「口(くち、又は神器)」の会意形声・・・「後世に音を借り」て「私」同様一人称の語句として仮借され、後世、「臺」の代替字・・・と、あったが・・・
 「台所」は調理場で「かみさん」の占有空間である・・・「台数」は機器、車輛(車輌)などの数詞である・・・
 「うてな」とは日本語であるらしいが、妄想すれば「うてな=討(撃・打・右手)て名」・・・「討=言+寸」でコトバを寸(はかる)であるカナ?・・・「うで=腕・生出」の「な=名・納(おさめる)・那(くに)・按(按配・按排・塩梅・案配)・南(みなみ)」でアルな、ッ・・・
 按配するとは「三浦按針(ウイリアム・アダムス)」は、日本で西洋式帆船を造った人物で、科学技術者でもあった。「鍼灸(シンキュウ)按摩(アンマ)の座頭の市」さん・・・「タケシ」の下駄のタップは圧巻だった・・・「台詞(せりふ)=科白」はイマイチだったが・・・





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 台(臺・䑓・ダイ=ム+口=(吉冖一ム十一)
            =(甘冖一ム十一)
            =(其一ム十一)?
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 ↓↑
 台形(トラピゾイド=trapezoid・米語)
   (トラピズィアム=trapezium・英語)
    トラピージアム
    トラピーデァム
    ギリシャ語「trapeza(トラッペザ)」
    テーブル=「table」が語源
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 ・・「トラピージアム」=「虎(とら=寅・勾)比意時編・訳等比意字編」・・・「トラピーデァム」=「虎(とら=寅・勾)比出編・訳等比出編」・・・「トラッペザ」=「訳等通経挿」・・・?
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 台形
 ↓↑   
 不等辺四辺形=梯形(テイケイ)
        梯子(はしご)形・・・脚立・踏み台
 ↓↑
 四角形の一種
 少なくとも
 一組の対辺が
 互いに平行図形
 平行な2本の
 対辺を台形の底辺といい
 上方を上底
 下方を下底
 と、よぶ
 もう一組の対辺を
 台形の脚
 と、よぶ
 下底の両端にある
 2つの内角(底角)の大きさが
 互いに等しいとき、
 上底の両端にある
 2つの底角も
 互いに等しい
 このような台形を
 等脚台形
 と、いう
 等脚台形は
 線対称な図形で
 その対称軸は
 2本の底辺それぞれの
 中点をともに通る
 台形の脚もまた平行となっているとき、
 すなわち対辺が
 2組とも
 それぞれ平行であるような
 四角形は
 平行四辺形
 と、よぶ
 平行四辺形は
 台形の特殊な形と考えられ
 点対称な図形であり、
 その対称の中心は
 対角線の
 交点に等しい
 ↓↑
 台形を
 対角線の1本を境に分割すると
 2つの三角形になるが
 その
 三角形の面積比は
 上底
 と
 下底の長さの比に等しい
 これは分割によって
 高さ(台形の場合は上底と下底の間の距離)の
 等しい三角形が
 2つできるため
 ↓↑
 台形を2本の対角線で分割すると
 4つの三角形になるが、
 台形の底辺を辺に持つ
 2つの三角形の面積比は
 上底と下底の長さの比の平方に等しい
 これは
 分割によって
 相似な三角形ができるためである
 ↓↑
 台形の脚を辺に持つ
 2つの三角形の面積は互いに等しく、
 それらはともに、
 台形の底辺を辺に持つ
 2つの三角形の面積の
 相乗平均に等しい
 ↓↑
 台形の面積 S の公式
 a, b, h は
 上底、下底、高さに対応する長さで
 用語で表現するなら
 (上底 + 下底)×(高さ)÷ 2=S
 この公式は、
 台形を対角線で2つに分けたときの
 各々の三角形の面積が
  ah/2
 および
  bh/2
 であることから得られる
 別の方法として
 2つの台形を
 上底と下底以外の辺
 (上図での AD もしくは BC)同士を
 重ね合わせて
 平行四辺形をつくり
 その平行四辺形の面積
 (底辺)×(高さ)= (a + b)h
  であり、
 その半分が
 台形の面積にあたるので
  S = (a + b)h/2
 が導かれる
 a = 0
 とおくと
 底辺 b の三角形の面積に等しい
 4本の辺の長さ x, y, z, w
 が分かっている場合は
 S=x+z/4(x-z)√(x+y-z+w)(x-y-z+w)
            (x+y-z-w)(-x+y+z+w)
 ただし
 x と z は平行で
 x は z よりも長い辺とする
 x = z ならば
 その台形は
 平行四辺形である
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 ↓↑
 台形大地
 ↓↑
 火山地形
 火山
 火砕流台地
 (pyroclastic plateau)
 洪水玄武岩・・・玄武=蛇+亀・北方(亥-子-丑)
 に対して
 洪水流紋岩
 と呼ばれることもある
 台風や地震などで簡単に崩壊
 岩手・宮城内陸地震
 鬼首カルデラ
 向町カルデラ
 の周辺に分布する
 火砕流台地が大規模に崩壊被害
 アンデス山脈中部
 イエローストーン
 トバ湖周辺
 アファール盆地
 タウポ火山帯などに分布
 日本では
 シラス台地
 阿蘇カルデラ
 猪牟田カルデラ
 の周辺に存在
 ↓↑
 熊本県・・・・・・「隋書東夷伝・第八一巻列伝四六
           俀(倭)人伝」の場所である
          「都於
           邪靡堆、
           則魏志所謂
           邪馬臺
           者也」
 の
 阿蘇カルデラ・・・カルデラ=軽出等→輕皇子・珂瑠皇子
 南北25km、
 東西18kmで、
 中心部に中央火口丘の
 阿蘇五岳
 カルデラ底を
 北部の阿蘇
 南部の南郷谷
 に分断
 カルデラ内の
 阿蘇谷と南郷谷には
 湖底堆積物
 阿蘇カルデラ形成後に
 カルデラ内において
 湖が少なくとも3回出現・・・
 古いものから、
 古阿蘇
 久木野湖
 阿蘇谷湖
 と呼ばれている
 ↓↑
 阿蘇カルデラの大きさ比較
 インドネシアのトバカルデラが世界最大
 日本では
 屈斜路カルデラが最大第1位
 阿蘇は第2位
 じょうご(漏斗)型カルデラ
 大きくても30km程度
 バイアス型カルデラは70〜80km・・・
 ↓↑
 阿蘇
 じょうご型カルデラの内側に集落を形成し、
 農地開墾が行なわれている例は、
 世界的にも珍しい・・・危険でもある・・・
 ↓↑
 溶岩台地
 テーブル状の台地
 「メサ (mesa)」・・・語源はスペイン語
            丸いテーブルなら
            日本語ならマルメの
           「眼差・目佐」?
 差別侵食によって形成された台地
 卓状台地とも呼ばれ
 さらに浸食が進み
 孤立丘となったものは、
 「ビュート (butte)」
  と呼ばれる
 主に乾燥帯に発達する地形で
 アメリカ合衆国西部に多い
 上位に硬い水平な地層が、
 下位に柔らかい地層が
 あり、
 下の地層が浸食されて急崖を形成
 上部は浸食されないために
 テーブル状の台地となる
 日本では
 屋島
 万年山(はねやま)・・・大分県玖珠(くす)町
             由来の名は
             昔は
            「刎山」と書き
             刎(は)ねながらできた山
             二重メサ(ダブルメサ山)
             一段目の平坦面は下バネ
             上段は上バネ
             山の向かいには
             玖珠(くず)盆地
             を挟んで
             大岩扇山に
             小岩扇山(テーブルマウンテン
             隣に「切株山(メサ)」がある
 荒船山などが
 メサの例で。
 ビュートの例は
 伐株山
 鷹ノ巣山
 などがある
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 ↓↑
 ペルー南部ナスカ台地
 ナスカの巨大地上絵(図形)
 ハチドリ
 サル
 クモ
 宇宙飛行士
 ↓↑
 実際には
 台形・三角形・長方形
 などの
 幾何学模様や
 直線が大半
 地上絵の近くには
 約四十の
 台形ピラミッド
 および
 広場によって構成された
 大遺跡カワチ
 が広がっている
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 ↓↑
 ピラミッド(Egyptian pyramids)=ハラム・・・孕む?
                 金字塔
 エジプトに位置する、
 四角錐形の古代ピラミッド
 2008年時点で
 138基が発見
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 ギリシア語で三角形の
 パンを指す
 ピューラミス(πυραμίς・pyramis;ピラミス・ピラムス)
 に由来・・・
 古代エジプト語では
 ギザのピラミッドに「昇る」という意味の
 「メル(ミル、ムルとも・ヒエログリフでは△と書く)」
 という言葉を当てていた・・・
 ↓↑
 階段ピラミッド
 ピラミッドの最初の形態
 第3王朝時代サッカラに、
 宰相イムホテプが設計
 ジェセル王が築いた
 ジェゼル王のピラミッドがその始まり
 当初は日干し煉瓦による
 方形のマスタバとして建立され
 後に
 煉瓦を積み上げて
 階段状の巨石建造物とした
 一度階段形態が完成した後も、
 追加して拡張
 完成時の寸法は
 東西約121m、南北約109m、高さ約60m。
 ↓↑
 第4王朝期
 スネフェル王
 既存のピラミッドを基調に
 51度の勾配を持つピラミッドを造り上げた
 このメイドゥームのピラミッドは
 最初に
 四角錐の形状を採用しており、
 画期的な建造物であったが
 後に(あるいは建設途中に)崩壊した
 このピラミッド
 (崩壊ピラミッド、
  偽ピラミッドとも)
 このピラミッドを
 スネフェルのものとして数えない場合もある・・・
 スネフェル王
 屈折ピラミッドも築いた
 これは建設途中に(地上から49m地点で)
 勾配を約54度から約43度に変更
 高さは約101m
 屈折ピラミッドの形状の理由
 勾配が急過ぎ
 (崩壊の危険、玄室にかかる重量過多)
 角度を途中で変更した。
 建造中に王が病気になったので、
 完成を急ぐため高さの目標を下げた
 完成形であり、
 下エジプト・上エジプトの合一を象徴
 などの説・・・
 スネフェルは更に
 ダハシュールにおいて、
 勾配約43度で、
 側面が二等辺三角形
 赤いピラミッドを建造
 これによって真正ピラミッドの外形が完成
 スネフェルが1人で
 3つもピラミッドを築いている点から導かれる
 王墓説否定論に対しては、
 メイドゥームのピラミッドは
 勾配がきつすぎて崩壊、
 同様に屈折ピラミッドは一定の高さ以上にできなかった
 最終的に43度のピラミッドが誕生した、
 という反論・・・
 ↓↑
 世界一高いピラミッド
 スネフェルの次の
 クフ王によって
 ギザの大ピラミッド
 勾配は51度52分
 底辺は各辺230m、高さ146m
 第2位の
 カフラー王のピラミッドもこれに匹敵
 底辺215m、高さ143.5m
 この2つに隣接する
 メンカウラー王のピラミッドは
 規模が縮小し、
 底辺108m、高さ66.5m
 縮小の理由は謎・・・
 3つはギザの三大ピラミッドと呼ばれた
ーーーーー
 ・・・???・・・ダイチ・・・