2065日目・・・2階の屋根に登りペンキ塗りを終えた・・・タカイところは周りの東西の山並み、街の情景が見渡せて気持ちがイイ。隣の家の屋根に跳び移りたい気持ちにもなるが、足腰のバネも衰えて、最早、無理。ペンキ塗りは屋根の上で時々寝ころびながら空を仰ぐコト度々・・・子供の頃は小屋の屋根から飛び降りたり、崖から飛び降りたりの冒険で、足も挫いたり、頸や胸落ちを打撲したり。それでも、凝りずに高いところに登ったが・・・鼠小僧が抱えて江戸の屋根を跳び回る千両箱(一般的なタイプの箱の大きさは縦40cm、横14.5cm、

 「鼠小僧(1797〜1832)」か、「ルパン(1905年〜1939年)」か・・・毎週木曜日「鼠小僧(鼠シリーズ・赤川次郎)」をみているが、「彼のシゴト」は、本来、「役人」と「政治家」の「仕事」であるだろう・・・
 大映映画、市川雷蔵の一連の「忍びの者〜中野学校〜在る、殺し屋シリーズ」に欠けていたのは「鼠小僧」ではあるかな。「ご存知 女ねずみ小僧(1977年)」の「小川真由美」さんはカッコイカッタが・・・
 以前、史実では「最期は自首して処刑(獄門)?」になったと書き込んだが、「ウイッキペデア」を調べたら「逮捕、束縛、曳き回し後、処刑獄門」とあった・・・
 小説には「長谷川伸芥川龍之介大佛次郎吉行淳之介江見水蔭直木三十五菊池寛」などの「著作」があるらしいが、読んだコトは無い。
 大佛次郎はフランス文学者で、「鞍馬天狗」だが・・・それに、「モーリス・マリー・エミール・ルブラン(Maurice Marie Émile Leblanc,1864年12月11日〜1941年11月6日・仏蘭西人)は、親日家であり、ルブランの執筆の中で柔道や空手を紹介し、『怪盗紳士ルパン・第4話「謎の旅行者」』では日本には絶対に行ってみたいとも話しており、日本を「古いふるい神秘の国」と評している・・・」らしい・・・
 「ルパンもの(奇巌城=Aiguille creuse(エギーユ・クルーズ=針の城)など」は、小学生の5、6年頃に子供向けのモノ(西條八十?翻訳)を読んだコトがあるが、本格的な翻訳モノも後で少しは読んだが記憶から忘却・・・ハリのシロ・・・
 手塚治虫のマンガ(鉄腕アトム)には「黄金三角」の名で「ハムエッグ」が演じていたが・・・
 兎に角、鼠小僧は映画の時代劇でチョイ役、脇役で出てくるのは「何度もみた」が・・・
 元々、「歌舞伎・演劇・ドサマワリ」は「反権力のジャーナリズム(journalism)」の庶民への情報提供だったのに・・・ショシンを忘却してゴヨウ演出屋(?)が「文化伝統芸術の名」で跋扈している・・・
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 以下はウイッキペデア・・・
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 鼠小僧
 寛政九年(1797年)
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 天保三年八月十九日(1832年9月13日)
 江戸時代(化政期)に
 大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯
 本名は次郎吉
 鼠小僧次郎吉
 本橋人形町で誕生
 10歳前後で
 木具職人の家へ奉公
 16歳で親元へ帰った
 その後は
 鳶人足
 父親から25歳の時に勘当
 その後は賭博で身を持ち崩し、
 資金稼ぎのために盗人稼業・・・
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 文政六年(1823年)以降
 武家屋敷の奥向に忍び込むこと
 28箇所32回
 文政八年(1825年)
 土浦藩上屋敷日本橋蛎殻町二丁目)
 藩主は奏者番
 土屋彦直
 に忍び込んで捕縛
 南町奉行所の尋問を受けるが、
 「初めて盗み」とウソをつき
 入墨、追放の刑
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 上方から
 江戸に舞い戻って
 父親の住んでいる長屋に住む
 賭博の資金欲しさから
 盗人稼業
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 その後
 七年にもわたって
 武家屋敷に
 七十一箇所、九十回
 にわたって忍び込み
 天保三年五月五日(1832年6月3日・8日?、6日?)
 日本橋浜町
 上野国
 小幡藩屋敷(藩主は松平忠恵)
 で捕縛
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 北町奉行
 榊原忠之の尋問に対し、
 十年間に荒らした屋敷
 九十五箇所、八百三十九回、
 盗んだ金、三千両余り
 と鼠小僧は供述・・・
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 三ヵ月後の
 八月十九日(9月13日)
 市中引き回し、獄門の判決
 鼠小僧には
 美しい着物を身に付けさせ、
 薄化粧をして口紅まで注していた・・・
 五尺に満たぬ小男
 処刑は小塚原刑場
 享年三十六
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 ・・・彼の名誉(大衆妄想、義賊)の為に「鼠小僧」が、ジシュでなくて、よかったカナ・・・