2035日目・・・大きな自然の変動は人間社会に災害を与えるのは必須である・・・震度7ともなれば確実に甚大な害を被(こうむ)る・・・問題は事後の対策と処理である。稼働している「川内原発」、休止中の各地の原発に「影響は無かった」とのコトだが、あの揺れで何らかの影響があったったコトは想像に難くない。そして、その「影響の度合い」を、現在、我々は自分自身の目で確認するコトは出来ない・・・原発事故後の避難対策はアルのか、ナイのか、それともムイミなのか・・・原発一基の事故は地球規模である・・・「戦争の準備態勢」には膨



 「自然災害」への対策には、ホトンドが「事の後」である。戦争も都会での市民(国民)の「避難、防御対策」はマンガなみで、「東京大空襲」は死者数10万人(1945年3月10日、3月13日夜〜14日)の空襲の焼夷弾で焼け野原・・・1発の原爆投下には「避難も防御対策」も無意味・・・それでも、避難対策があったのは「児童疎開(1943年・昭和18年〜1944年・昭和19年8月)」くらい・・・いずれも「後の祭りも出来ない」である・・・しかも、戦争中の大地震の被害は闇の中である・・・戦時中の1943年〜戦後の1946年にかけての巨大地震・・・
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 1943年(昭和18年)9月10日17時36分54秒
 鳥取地震
 震源
 鳥取県気高郡豊実村野坂川中流
 M7.2(Mw7.0)鳥取市震度6
 死者 1,083人
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 1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分
 昭和東南海地震遠州沖大地震東南海地震・・・諏訪地震
 震源
 「熊野灘」M7.9
 紀伊半島東部の
 熊野灘三重県尾鷲市沖約20km〜浜名湖沖まで破壊
 死者 1330人・・・1223人
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 1945年1月13日午前3時38分23秒
 三河地震
 愛知県の三河湾M6.8(Mw6.6)
 直下型地震
 南海地震の一
 死者 2,306人
 行方不明者 1,126人
 負傷者 3,866人
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 戦後の
 1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分
 昭和南地震=南海地震
 潮岬南方沖78km、深さ24km震源
 大津波被害
 死者 1330人
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 ・・・「国家」は「国民の生命と財産を守る国家安全保障」と云いながら、戦争災害でも、自然災害でも、最期(最後)は「個々人の自己責任」らしい。しかも、「政治屋」はその「自己責任」すらとらない・・・「国家」は基本的には「法人格」の「徴税機関で税金配分機関」であるから、「倒産後」には「個々人」には「責任」は負わないし、モチロン、「私的蓄財」した「政治屋」は意図的な「国家の計画倒産」もする・・・
 「自由」と「民主」は「主義」としては「矛盾」するコトバである。「矛盾」していないと思っているのは、「民主公平」が「選択の自由=博打蓄財」にあると錯覚しているか、「プチブル幻想(階級社会の特殊利害)=出世上昇・給与、俸給拝金」に汚染されているか、である・・・貰ったカネの目的使用は「自由」である。「私有蓄財」も、「消費使用選択」も「自由」である。だが問題は「エンゲル係数」の枠内でのコトであり、「衣食住の民主的な公平」ではないのアタリマエである・・・ダレでも出世、儲けるコトが出来るが、「選択の自由」は「市場の需要と供給」の相対的な「アンバランスの中」にある・・・「選択は自由」だが、相手次第である・・・
 「ニホンジン」なら、毎度の「自然災害」は諦めるコトは出来るカモ、だが、「戦争災害」は許さないとしたのが「人間天皇」を象徴とする「日本国憲法下のニホン人」である・・・「人間同士の責任」としたのだ・・・
 すべてではないだろうが、西洋人、中東人なら「カミ」に責任転嫁するだろう・・・中国人は「テン」である・・・
 何があっても「自然」と共に生きていると「自覚?」しているのは・・・「秘境の人びと」かもだが・・・「自覚」も無いカモ、自覚以前に「自覚」のしようも無いカモ・・・
 ・・・城主は「改易」の二文字、城壁は「地震」の二文字で崩壊・・・掛意得記、字振・・・