1979日目・・・「逃げる女」・・・「佐久間(遠藤憲一)・梨江子(水野美紀)・美緒(仲里依紗)」・・・「仲里依紗(財・印)」さん、暗くて、重く、奈落に突き落とすほどの演技が凄かった・・・モチロン、「水野美紀(比・官)」さんも、「遠藤憲一(食・財)」さんも、演出家も・・・これが、「事実」だったら、「フィクション(fiction)」でなかったら・・・「サビシぃ」・・・「仏性」は万物に宿る「物象・物証」だが、個々人の人間諸関係の「ココロ」を観せてはくれない。「物象」だけでは「観えないココロの仏性」は理解できな
今年は「丙(ひのえ)の申(さる)年」だが、「ム=私・よこしま」の漢字を「・・・ござる」とも訓読みしている・・・英語なら「セルフィッシュ(selfish)・エゴ(Ego)」・・・「比の重のム」であるカナ・・・
1657年は明暦三年は「丁酉年」で、明暦の大火(一月十八日)後の二月十日に生まれたのが「新井白石」だった。清国の年号は「順治十四年」、その前年の1656年は「丙申年」である・・・
新井白石は「1724年(享保九年)」に『史疑』を書いたらしいのだが、この古代研究の書物は「湮滅(インメツ=隠滅)」されてしまった(らしい)・・・何故か?・・・
『アリストテーレス』の「詩学の第二部」も「湮滅」してしまった(?)らしい・・・漢和字典には、「湮(イン・エン)」とは「しずむ(沈む)・うもれる(埋もれる)・ほろびる(滅びる)・ふさぐ(塞ぐ)・とどこおる(滞る)・むすばれる(結ばれる)」とあり、熟語には「埋湮」、「湮没」、「湮淪」がある。
「湮(イン・エン)」=「水+西+土(十一)」
の合字である。
「淪(リン)」
も沈む意味である。類字に
「渝(ユ・かはる・かわる・かえる・あふれる
変更させる・改める)」
がある。
「淪」=「水(氵・サンズイ)+侖」
の合字で、
「水(氵・さんずい・さんすい)」
サンズ=纂髄・纂推・纂誰・纂垂・纂出
産巣日(次の高御産巣日・次の神産巣日)」
であり、
「水(みつ・みづ=御津・密・蜜・三・瑞)」
である。
「瑞」は『瑞皐』の「瑞(ズイ)」でもあった。
「侖」は「集+冊(簡符)」
の合字で、いわゆる、書物の項目の札であり、順序立てる、筋道を立てるである。
「現存・古事記」は「712年のモノ」ではあるまい。
「現存・古事記」は「ドウシ(同志)の混乱(今覧)」に対する「メッセーッジ」として「改作」され、「記録(?)されたモノ」に違いない・・・?
『新井白石』のような合理的精神(?)に富んだ人物でさえも、自分の娘、『ます』の婚期、縁談を心配して
「占い師」を訪ねた(1717年・享保二年)、と云う。だが、「占い師」の言葉を鵜呑みに信じたとは思えない。「合理的懐疑論者」で、読書家であった『新井白石』は中国の「運命学」にも興味を抱いたハズに違いなく、どのようなモノなのか、その関係の著書も読んでいたハズであるのだが、意外と「易=占い」にのめり込んでいたようだ・・・シドッチの訊問に関して、「西洋思想=形而下学」として評価しても、その宗教、イエス誕生から〜死亡までの「聖書=信仰→形而上学」を信じられない愚論としていたのにもかかわらず・・・「処女懐胎」は今現在なら可能ではあるだろうが・・・
兎に角、今現在、生きているミンナは「頑張ってきたし、頑張っている」・・・確かに「御先祖」が居なければ、今の自分は存在しない・・・だが、自分自身に「命」を繋いでくれた「御先祖さま」と云っても「千差万別」である・・・
「逃げる女の美緒さん」にはドノような「御先祖様へのコトバ」があるのか・・・
・・・今日のETV「やまびこ学校」の「無着成恭」氏の「こころの時代・アンコールシリーズ・私の戦後70年・仏性を見いだし人を育てる(再)シリーズ・私の戦後70年アンコール。日本人が戦後積み重ねてきたものとは何か・第5回戦後教育から現代まで人を育てることの本質に迫る(初回放送去年12月13日)」をみたが、なぜ「(個々の)ヒトではなく、人間」として「仏が悟った考え方?=無常」を「仏性」と云わねばならないのか・・・「仏性→無常」が「無情・無上」に聴こえてしまう・・・
「人間社会の戦争(否定)を捉える考え方」は「池上章」氏と同じではあろうが・・・
「コトバ」として、昨夜のTVで「池上章」氏の説明していた「軍事(産業)兵器輸出→防衛(産業)兵器移転」と説明する政治屋、政府官僚の「云い換えコトバ」とは同じカモ・・・そして、「社会科学」として「客観的(?)なコトバの説明」としては「イケガミさん」だろうが・・・「客観主義的(?)」にも感じる・・・「立場」は「生活の枠の中のジャーナリスト?」であるカモ・・・
「今上天皇」の戦争への反省のコトバには戦争の惨禍を「客観視し、且つ主体的な痛みと実践」があるようにも思えるが・・・「檻の中の傀儡?」であるカモ・・・
いずれも、「カネの切れ目が、イノチの切れ目」、「イノチの切れ目が、カネの切れ目」の「プチブル意識の人間社会の海」でモガイテいるのカモ・・・
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幕末の蘭学者と関わった(?)朱子学者で、伊達藩、仙台に生まれた
『桜田虎門(名は景質・字は仲文・別号は欽斎)』
(1774年生〜1839年十月三日没)
と言う人物が
「推命書」なる「占いの本」を出版した。
日本では
「四柱推命学」と呼ばれるモノで、
中国の
「運命学(淵海子平)」を最初(?)に翻訳したと言われるモノである。いわば、
個人の「生年・月・日・時」の「干支」を調べて、
その人物の「宿命」と「運命」を「推理」する「学問体系」である。
彼は江戸の『服部栗斎』の門下となり、そこの「麹渓書院」の助教となり、後に「順造館」を創立、督学となり、更に仙台の「養賢堂」の指南となったが、学頭の『大槻平泉』と対立、引退して著述に専念した。著作には「経世談初編」、「四書摘疏」、「近思録摘説」、「詩職名」があるらしい・・・
新井白石・・・不思議なのが地震や火災に対処して、あれだけ慎重になって、自分の書籍類を守った『新井白石』なのに彼の著書、
『史疑』だけが何処かへ消えてしまったのである。
・・・だが、誰かがこの『史疑』を読んでいるハズだし、「写本」も何処かに埋もれているに違いない・・・のだが、この『史疑』は「現存・古事記」の『鍵(キイ)』かも・・・
とにかく、新井白石は当時の「鎖国日本での世界知識の最高峰?」の知識の源泉だった・・・
白石の『史疑』をブログ検索で調べたが「松本清張の推理小説」以外には以下の「北海道教育大学リポジトり」の記述を発見するのみ・・・
「新井白石・江戸中期の儒学者,政治家。名は君美(きんみ),通称は勘解由(かげゆ)。白石は号。・・・上記のほか、最晩年に心血を注いで 完成した作品に『史疑(しぎ)』があるが、これはいまは伝わらず、わずかに「白石遺文」にみられる」・・・?
新井白石のアウトライン(outline)は以下の「コトバンク」の紹介が手っとり早いかも・・・
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E4%BA%95%E7%99%BD%E7%9F%B3-14405
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弁証法
弁=ム(私・ござる・かいな・シ・ボウ・ム=よこしま=邪)
+
廾(手手・キョウ・ク=両手を高くささげる・手をこまぬく)
廾=一+ノ+|
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「足袋(たび・ソクタイ)」は「和泉式部」が最初にハイタそうだが・・・「まだ、ふみも、みず、あまの、はしだて」・・・
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ユカリ 「おじさんは職業柄、宗教、哲学、占術、世界の神話の
書物には眼をとおしているのよね」
私 「深くは無いが、浅く広くさ」
ユカリ 「だって、インド神話も、『チベットの死者の書』も読
んでいるし」
私 「たいした働きもせず余った時間を、乱雑に乱読したと
云うわけだ」
ユカリ 「ねぇ、おじさん、ギリシャ神話の先にはエジプト古代
文明があるでしょう。おじさんは若い頃、ギリシャに
も、インドにも、エジプトまでにも行ってきたのよね。
どおして?」
私 「取り立てて理由はないんだ。俺達は団塊の世代なんて
云われて、敗戦前後に生まれた日本人でな、小学校で
は一クラスが五、六十人前後の生徒がぎっしり詰まっ
た教室で男女平等、民主化教育、そして科学的教育。
中学時代は六十年安保、高校時代はキューバ危機、ケ
ネディ大統領の暗殺、大学時代はヴェトナム戦争、沖
縄返還、七十年安保ってね」
ユカリ 「それが、どうなの?」
私 「それがどうなんだ、というからじゃあなくてさ。そう
だな、戦争と敗戦を経験していた親達の世代は自分と
家族を食わせるのが精いっぱいで、必死で働いていた
んだ。俺達は金持ちの子供も貧乏人の子供も状況的に
は同じモノを喰っていて大した変わりがなかったんだ。
そして、みんなの生活がそれなりに段々とよくなって
いったハズなんだがさ、親達の意識的な苦労と言う基
準は敗戦が出発点で、親達は二度と戦争はしちゃイケ
ナイとか、戦争で人を殺すのはイケナイって当然にも
わかっているんだが、生活がよくなってきたのは隣の
国とか、何処かの国が戦争して結果的には日本は儲っ
たからだ、ってこともよく知っていてね。自分達が戦
争しないで生活がよくなるならこれほどイイコトはな
いからな」
ユカリ 「だから、どうなの?」
私 「うん、だからさ、敗戦直後の日本の指導者がエライっ
てのは、日本ダケは戦争しないで、アメリカみたいに
生活をよくしましょう、と云う立場で国際政治の駆引
きをやってきたんだ。他人の国はどうぞ、お好きなよ
うに戦争してください、ってさ。国際的な『国家』と
しての名誉も権利も主張しません、そして役に立つな
ら出来る限りの物はナントカしますからってさ。日本
の幕末と明治維新の国際的な実力をよく知っていた明
治生まれの外交官さ」
ユカリ 「それって、吉田首相なのね・・・それで」
私 「そのへんの親達の立場の価値観が理解出来ないって、
混乱していた世代なんだ」
ユカリ 「その親達の価値観って?」
私 「そうだな、簡単に云えば、俺達の敗戦直後の親の世代
は生きる為の本音と建前を使い分けることそのものに
価値観を置いたんだと思うんだが。昔で云えば、源平
の武士団が台頭してくる律令制度の崩壊期、戦国時代
前期の武士団が台頭してくる封建制度の混乱期。既成
の支配権力が機能しなくなった時期に似ている。従来
の法や掟が農民や商人、一般人の最低限の生活や命を
護ってはくれなくなった時代だ。いわば、一般人は『
自由』に自分自身を護らなければならなかった時代だ。
自分自身と家族を護る為の現実的な『エゴ』で生きて
行かねばならない時代だな。もう少し云えば、誰でも
が『闇屋』として生きて行かねばならなかっんだ。敗
戦直後、ある石部金吉の裁判官が法律をかたくなに守
って家族共々栄養失調で死んでしまった話がある。生
活と命を護ってはくれない法律なんかは一般庶民には
どうでもいいコトさ。『理念としての日本国憲法』も
いまだにアルンダカ、ナインダカ、『軍隊がアル』と
云うところで機能していないんだから、どうでもイイ
んだろうな。この闇屋根性の『親のエゴ』を『国家』
の指導者も国際社会でしていたんだ。現実的に生きて
行くためには見える部分は笑顔で諸手をさすって、当
面は『長いモノには巻かれろ』さ。だが、『巻かれた
くない』が本音だし、俺達には『巻かれるんじゃない
ゾ』の立場をとっていたんだ。『国家再興』の為の『
臥薪嘗胆』だと考えていたのさ」
ユカリ 「そうなのね、そうなんだわ、『臥薪嘗胆』、『巻かれ
ちゃダメ』なのよね」
私 「ところが俺達の世代の半分以上は『臥薪嘗胆』なんか
じゃなかったのさ。明治生まれの指導者の思惑からは
遥かに反れた方向に歩き始めていたのさ」
ユカリ 「ソレたって、何処へ?」
私 「書かれた『憲法』を文字どおり信じようとしたのさ。
そして、『憲法=現実の規範』としてアルベキだ、と
教えられもしたし、当然だとも考えたんだ」
ユカリ 「おじさん、それって、当り前じゃないの。『国家再興
』の為の『臥薪嘗胆』は『日本国憲法』の実現じゃな
いの。それがソレたって?」
私 「ああ、アタリマエなんだがさ。国家の指導者は、戦争
に負けた国が最後にはどんな目に会うか、充分に知っ
ていた。かっては自分達が近隣諸国にやったメチャメ
チャでたら目なコトだからな。しのび難きをしのび、
『明治国家再興の為の臥薪嘗胆』の建前なのさ『日本
国憲法』は。敗戦直後の国家的指導者の立場はさ、決
して本音は譲ってはいないんだ」
ユカリ 「『明治国家再興』の建前なの・・・」
私 「アア。そして、親達の半分くらいは『国家再興』なん
てどうでもよかッたんだ。そんな心の余裕なんかなか
ったハズだ。マッカーサー元帥であろうが、誰であろ
うが、生活と命を現実に保証してくれるならばさ。今
まで充分に『長いモノ』に巻かれて来て、親兄弟親族
の命も財産も失って来たんだ。だから『長いモノに巻
かれてもヨシ』だったんだ。だが『命にかかわるコト
はゴメンだ』と言うところが敗戦直後の国家指導者と
、俺達の親との共通項だったのさ。ユカちゃんは聴い
たことがないだろうな『岸壁の母』って唄を。とにも
かくにも『勝ってくるぞと、勇ましく出征』した息子
の生きて帰って来る姿を見たかった母親の気持ち、そ
の立場を充分理解して捕虜生活から帰還してきた俺達
の親。帰ってこなかった息子に対しては『くだんの母
』と云う歌もあった。もう、今時、誰も歌わないだろ
うな・・・そして、その親の立場を理解できなかった
俺達の世代」
ユカリ 「・・・親の立場も知らないで、なんだ!」
私 「ああ、まったくな。そして『建前を親の立場』だと考
え違いしてしまった連中は、『無責任時代』の親達の
裏にある批判的立場を見る事なく、カッコイイなんて
本気で考え、それを原点にして出世し、『私利私欲』、
自己保身することを自己目的にしてしまったのさ。そ
して現在的に日本をパンクさせる寸前まで膨張させて
いるんだ」
ユカリ 「ジャァ、そうじゃないんだ、と『本音の部分を親の立
場』だと思った人はエジプトまでにも旅に出たの?」
私 「イヤ、違うナ。『フーテンの寅さん』みたいに単なる
フーテンの旅をして、その旅も結局は行きずまって、
『建前と本音でナントカ我慢して生活している親元、
家族』の所に帰ってきては、またイヤになり、その循
環を繰り返したダケさッ。エジプトを出て故郷を捨て
たジプシーにはなれなかったのさ」
ユカリ 「中途半端なんだ」
私 「まぁーナッ、そう言うことだな。釈迦にも坊主にもな
れない、コジキ坊主になることもイヤ。現俗もイヤ。
真似をしたいが困るとすぐ親の巣に帰ってきては寝込
んじゃう。チョット元気になると又、フラフラと出か
けていく」
ユカリ 「そして、理屈だけは一人前なのね・・・でも、イイ、
私、おじさんがスキよ。おじさんは私ダケのおじさん
だもの」
私 「・・・幕末にフランスに派遣された幕府の後家人は途
中、エジプトに立ち寄ってピラミッドとスフィンクス
の前で写真を撮っている。彼らにはフランスでの目的
使命があったが、古代エジプト文明を仰ぎ視て何を考
えていたんだろう、ナッ」
ユカリ 「ああ、あの写真は私も視たわ。チョンマゲ、着物姿で、
帯刀のオサムライ。おじさんも彼らと同じ場所に立っ
たのね」
私 「あの時、二十三、四の俺が見上げたスフィンクスとピ
ラミッド・・・それ自体には余り感動はなかったな。
・・・時期が時期だったからあの時のエジプトの人々
は日本人である俺に凄く親切だった」
ユカリ 「とにかく、私よりも長い時間を生きて、私よりもモノ
シリだわよね、おじさんは・・・『エジプトの死者の
書』も読んでいるんでしょうし、ね。古代のエジプト
神話を教えてよ。私、あまり詳しくは知らないから」
私 「そうだな、それじゃぁ、一発、ブツか。古代エジプト
文明を」
ユカリ 「例のごとく、『古事記』の漢字に『古代エジプトの言
葉』を重ねていくとエジプトは一体、何なのか見えて
来るハズよね。アレでまたヤッテみましょうよ。『文
字霊振り』で」
私 「よし、それじゃぁ、やるか。ユカちゃんが考えている
以上に、『文字霊振り』の原点だゾ。ユカちゃんには
凄く驚くような発見があるはずだ。俺も最初は半信半
疑だったが、かって、エジプトに関する本を読みなお
し、『文字霊振り』で考えてみると、エジプトは地中
海文明の外枠、外輪の東西南北の南に位置することを
考えればナルホドと云うことなんだ。まったく、『古
事記』が何を意図し、どんな思想的文化を有する誰が
意図したモノであるか見えて来るんだ」
ユカリ 「既にエジプトも検討していたのね。さすがにズルイ、
おじさん。私をおいてきぼりにしないでョね」
私 「もちろんだ。さて、それで、エジプト関係の本だが、
石上玄一郎氏の『エジプトの死者の書(人文書院・1
980年)』や、同氏の新書本の『エジプトの死者の
書(第三文明社・1989年)』、ウオリス・バッジ
編纂で、今村光一編訳の『エジプト死者の書(たま出
版・昭和五十七年)』があるが、ここで使用されてい
る『古代エジプトの言葉』の『音』と、黒川哲朗氏の
『図説・古代エジプトの動物(六興出版1987年)
』や、最近、出版されたステファヌ・ロッシーニ氏、
リュト・シュマン=アンテルム氏供著で、矢島文夫氏
、吉田春美氏の訳の『図説・エジプトの神々(河出書
房新社)』を参考にしていく。日本語に翻訳されたエ
ジプトの神々の名前はその『発音』がいまだハッキリ
していないし、さらに日本語に訳される時もその『カ
タカナの発音表記』も類似音で学者、訳者によっても
違う。俺も混同して話していくが、発音が若干違って
も『文字霊振り』をしていくモノとするゾ、ユカちゃ
ん」
ユカリ 「ええ、了解、了解」
私 「エジプトの神々の話だが、古代のギリシャ人達は自分
達の神々とエジプトの神々を重ね併せて理解しょうと
してたんだ。これは言語に於ける翻訳と同じだと思う
のだ。異国の言葉を理解するには先ずは音声だ。そし
てその音声が何を意味しているか・・・意味の同一性
、音声の違い。意味の同一性は文字の違い・・・だが
、絵文字なら意味の同一性は、絵が示す実体の意味の
同一性でもあるナ。これは具体的なモノに限られると
は思うが、抽象的な言葉も根本は肉体的な実体の快楽
や痛みからの派生だから感性的に感じる部分が絵文字
によって示され、なおかつ、その絵文字に変化を与え
ればイイ。例えば心はハートマーク、そのハートに矢
が刺さっていたら心が痛む。二つのハートに矢が串刺
しになっていたら二人の気持ちの痛みは同じモノとか
・・・そして、異国の神の理解は自国の神との共通項
を捜して重ねて理解するのがてっとりばやいからな」
ユカリ 「そうよね。絵文字なら見るコトによって具体的なモノ
がどこの国の人々にも理解できるわね。写実的な絵が
万人にある意味で共感を得るのもソレよね」
私 「そうだな、言葉の説明を要する抽象的な絵は一般化さ
れて理解するのは難しいな。普遍的な共通項をポイン
トにして訴えてはいない・・・まぁ、観賞者個々人の
枠内で勝手にイイもワルイも、スキもキライも任せた
、と云うコトだ」
ユカリ 「そうよね、私は写実的な絵が好き。そして、その絵の
色彩の施し方だわ」
私 「そうだな、色づかいだな。そして、タッチだな・・・
躍動感があるか、静止的なのか、立体的なのか、一面
的なのか」
ユカリ 「技術よね」
私 「そう言うコトだな。・・・エジプトの絵文字も絵も石
像も建築も顔の表情は凄く写実的なんだが他の部分は
動きが余り無いな。だが、具体的なモノが何かを致密
に表現させている。その点、漢字は写実的では無いの
だが、漢字自体が動いているよな。例えば、笑うと言
う漢字は竹と夭との組み合せだが、まさに顔が笑って
いる・・・これは、俺だけのモノじゃあないらしい。
誰かも云っていたようだが・・・マァ、漢字文化の中
に育った民族的な独特なモノだろうが」
ユカリ 「でも、アルファベット文化で育った外人も・がミズ、
川がミズの流れ、雨が天から落ちて来るミズの点の水
滴であると漢字の造りを書きながら教えたらすぐ理解
できたって、ロンドン留学を経験した友達がいってい
たわ」
私 「だろうな、特に日本人の漢字自体の理解の仕方は具体
的な視覚的イメージと表裏一体だ。アルファベットの
組み合せをみて説明は無理だろうナ」
ユカリ 「まさに表音文字だものね」
私 「ああ、まさにだ。さっきの話に戻るが、異国の言語が
理解できないのは音声が違うからだが、音が同一で、
意味が違う言葉が複数あり、その意味を区別して理解
出来るのは漢字を視てからって云うのが日本語じゃあ
ないのかな。若干発音の違いで区別はしているとは思
うのだが、しかも表音文字は漢字と漢字から派生した
カタカナやヒラガナ・・・『古事記』、『万葉集』の
時代は『万葉仮名』だが、この『万葉仮名』を学者先
生は『表音文字』と考えているようだが、これは『表
意文字』であると同時にその『表音』も兼ね、『古事
記』を記録した『太安萬侶』独特の『漢字』の使用法
なんだ、と言うことに気が付いてはいない」
ユカリ 「まったく、そのとうりだわ、『文字霊振り』なのよ」
私 「『文字霊振り』・・・エライ言葉を俺とユカちゃんは
発明した、と云うわけだな・・・しかも、英語、ギリ
シャ語、エジプト語まで、ドシャブリのごとく『振り
』に『振』ってきた」
ユカリ 「そうよね、おじさん・・・スゴイ発見と概念規定だわ
。私たちは『聖書』が語っている『バベルの塔』、ま
だ世界が音と意味が統一されていた言語の原点に行っ
たり来たりしているのよね。まさに『バベルの塔の破
壊』は、諸民族の言語がバラバラになったことだもの」
私 「『バ・ベ・ル』、あるいは『バ・ベル』だな。そして、
『バベルの塔』が天文観測の塔であるならば、『古代
天文学』が破壊されてしまったことの示唆だ。・・・
人間の願望が生きて神への存在の場所に近づくこと、
神自体になりたいこと、なることが『天体の星』を意
味しているならば『神の怒り』が『バベルの塔』の破
壊となったこともナルホドだよな。古代エジプトでは
『バ』、『バァ』の音声が意味するモノは『霊魂』な
んだ。それに『カァ』も」
ユカリ 「『バ』、『バァ』は『霊魂』を意味するのぉーッ!・
・・バカ、カバ・・・」
私 「ああ、まさに『ババァ』で、『バァ』だ。そして『バ
ァル(Bar=Baal)』は『太陽円盤が描かれて
いる白い冠の先端の丸い部分から長い紐』をたらした
『ミトラ(頭巾)』を被った神だ。彼はデルタ地帯に
居住していた外国人の神であるらしいが、『火の神』
であり、『嵐の神』だ。象徴される色は『赤=朱』で
、特に古代エジプトでは船乗り達が信仰した神であっ
たのだ。『嵐の神』なら当然だよな。『砂漠の神』と
か『雷神・嵐神』とか言われているが、一般的には戦
いの神として信仰されたのだ。『旧約聖書』の『モー
ゼの出エジプト記』が『紅海』を目の前にして立ち往
生したとき、現実的には『何』を必要としたかは云う
までもないだろう」
ユカリ 「船と船乗りだわよね」
私 「そう、そして東の国へ渡ろうとして『黄海』を目の前
にした人々もさ。単に『砂漠の神』とか『雷神・嵐神
』とか云ってしまうとな、見えなくなる」
ユカリ 「コウカイって」
私 「遼東半島の大連と、山東半島の煙台、威海に挟まれた
勃海海峡を出た黄色い海、Yellow seaのコ
トだ。現在は黄海(ホワン・ハイ)と呼ばれている」
ユカリ 「!・・・コウカイ、なの・・・紅じゃなくて黄色・・
・呉音ならば、『黄(ウ)』の海(ハイ)・・・コウ
カイ」
私 「ああ、コウカイ、ウカイだ。このコウカイ、ウカイを
漢字転換すれば『旧約聖書』の『出エジプト記』の『
モーゼの奇跡』の真実と事実が見える仕掛になってい
るんだ」
ユカリ 「コウカイは、更の改、公の開、後の悔、航の海、公の
海、降る灰。ウカイは、迂回、鵜飼なんだわ!・・・
紅海は真っ二つには割れなかったんだわ」
ーーーーー
・・・つづく・・・