1946日目・・・アイも変わらず書き込んでいるコトは同じようなコトを、アキもせず、また同じようにオウム返しのようなパターンで、やっているナッと、自分でもツクヅク思うが、今現在はコレが人生のプロセスと・・・NHKのヒストリアでは「真田丸」、美人のアナウンサーの紹介で進行するのが、面白かったけれど、ナニかが説明不足のように思うのは目線が支配階級の「名誉・出世・智慧・武勇」の「賞讃(?)」と、「身分的階級、階層社会」を現在に重ねて「肯定的(?)」に、その生き方を階級、階層の上下はどうであれ「みんな、マモル気持

 当時の「時代」を踏まえれば、「真田一族」の派手に散った「雪村」も、地味に生き残っていった「信之」もワルクないけれどネッ・・・物語である「七人の侍」の「勘兵衛、七郎次、平八の思想」は無い・・・「当然」だとは思うが・・・
 「真田紐(縦糸と横糸を使い機で織った平たく狭い織物の紐」、漢語で「絛紐(さなだひも)」、「一重織り・袋織り」があり、「材質は木綿・正絹を使う。主に茶道具の桐箱の紐・刀の下げ緒・鎧兜着用時の紐・帯締め帯留用の紐・荷物紐等に使用」・・・
 「真田虫(条虫、絛虫はテニア科や裂頭条虫科の扁形動物の総称・成体は寄生虫・古代には「寸白(すばく)」・・・
 「さなだマル」・・・「廿五まで生き過ぎたりや、一兵衛」・・・彼らには「戦(いくさ)」は「命を懸ける丁半博打」ななってしまった。「戦自体が目的」になってしまっていた・・・
 そして、「ディァハンター(The Deer Hunter)」の「ニックとロシアンルーレット」・・・彼らには生き残るコトが目的ではなくなってしまった、が・・・「戦(いくさ)の目的」とは「蟻」か、「蜂」の女王に訊いてみたい・・・ナニをマモッてイキてイキたいのか・・・
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  ↓↑
 「大鳥 逸平(いっぺい・1588年〜1612年)
  元々が
  大久保長安の江戸築城普請の
  人足元締
  廿五まで生き過ぎたりや一兵衛
  と銘に刻んだ厳物造太刀を担ぎ、
  300人ものカブキ者を束ね
  子分(コブン)・・・古文?
  に
  大風嵐之助・・・・ダイフウランシジョ
  天狗魔右衛門・・・テングマウエイモン
  風吹藪右衛門・・・フウスイソウウエイモン
  大橋摺右衛門・・・ダイキョウシュウウエイモン
  がいた・・・・・・コレラの漢字変換をしてみる・・・
  かぶき・・・・・・カブキ=歌舞伎・冠木・株木・蕪木・甲木
  者の頭領
  姓は
  大鳥居、大鳥井
  別名
 「大鳥勘解由(おおとり かげゆ)
  大鳥逸平次勘解由(おおとり いっぺいじ かげゆ)」
 とも・・・
 「大トリ(多訳理・太訳理)の、
  一頁の、陰愉(䕃喩→隠喩・引喩)」・・・?
 「勘解由(勘解由使の略)」は
 「新井白石」の別名でもあったが、元々が「律令制下の令外官=地方行政の監査役」であった・・・ナゼ、「新井白石」が「勘解由」なんだか?・・・
 「鳥居強右衛門(とりい すねえもん・勝商・かつあき・天文九年(1540年)〜天正三年(1575年)五月十六日(17日?)」と云う、長篠の戦で援軍情報を長篠城に伝え、捕虜となり、磔にされ、徳川方の英雄になった「足軽」も存在した・・・ナゼ、「強」が「強右衛門(スネえもん)」なのか・・・足軽で、強脚、臑(脛)・・・ここは「アキレス腱」では無く、若干異なるが、マラトン、マラソンの結果である・・・「エウクレス(Eukles)」がマラトンの戦場からアテナイまで走り、「我ら勝てり」とエウアンゲリオン(良い知らせ)を告げて絶命した・・・マラトンの走者はフィリッピデス(Philippides)とも・・・「走れメロス」はモノガタリだが・・・「鳥居耀蔵」も悔しかった・・・
 駅伝(エキデン)って「亦伝・役伝・益伝」・・・「最初の駅伝、東京奠都50周年記念として讀賣新聞社会部長・土岐善麿の発案で同社が主催。1917年4月27日の東海道駅伝徒歩競走」、「京都の三条大橋を午後2時に出発、東京の上野不忍池までの23区間、約508kmを昼夜問わず走り抜けるもので、ゴールに到着したのは翌々日の午前11時34分」、「東海道駅伝徒歩競争」の開催で、当時の大日本体育協会副会長、および神宮皇學館館長・武田千代三郎が競技名を「駅伝」と名づけた・・・「武田千代三郎」さんって、ダレデスか・・・
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 「大鳥逸平次勘解由」
 「勘解由使
 「勘解由」
  ↓↑
 令外官=リョウゲのカン
    =両下(領家・領下・領毛・両毛)の換・・・?
 ・・・毛は「下總(総)=下総国(しもうさのくに・下總國)」・「上總(総)=上総国(かずさのくに・上總國)」・・・
 千葉県北部を主たる領域とする旧国名
 北で常陸国下野国
 西で上野国武蔵国
 南で上総国
 内海を挟んで相模国
 と接する
 「よき麻の生いたる土地というところより
  捄国(ふさのくに・総国・(古語拾遺)」
 と称した
 総(ふさ・うさ)国の北部
 総(ふさ・うさ)国の分割によって建てられた・・・
 古くは
 「之毛豆不佐(しもつふさ)」
 これが(しもふさ・しもうさ)に転じた・・・
 国の名前に「上・下」や「前・後」と付くものは
 いずれも
 都(畿内)に近いほうが
 「上・前」
 上総国下総国の場合、
 西国からの移住や開拓が
 黒潮にのって
 外房側からはじまり、
 そのため
 房総半島の
 南東側が
 都に近い上総となり、
 北西側が下総となった
 上総・下総の分割を6世紀中葉・・・との説も・・・
  ↓↑
 毛野(けの・けぬ)
 群馬県と栃木県南部を合わせた地域
 史書には「毛野」自体の名称はないが、
 「上毛野(かみつけの)」
 「下毛野(しもつけの)」
 の名称記録ある
 上毛野は上野国(こうずけのくに・群馬県領域)
 下毛野は下野国(しもつけのくに・栃木県領域)
 「毛野」の名残
 上毛・東毛・西毛・両毛という地域
 「毛野河」から転訛した
 「鬼怒川(きぬがわ)の名称・・・
 東日本最大の
 太田天神山古墳
 (群馬県太田市、墳丘長210メートル)
 墳丘長が80メートルを越す大型古墳が45基、
 総数では約1万基もの古墳がある
 墳丘長200メートル以上の古墳が築かれたのは
 畿内、吉備、毛野のみ
 畿内王墓に特有の
 長持形石棺の使用
 「崇神天皇(第10代)皇子の
  豊城入彦命に始まる
  上毛野氏(かみつけのうじ・かみつけのし)の伝承
  各人物は
  対蝦夷・対朝鮮の軍事・外交に携わっていた」・・・
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 ・・・で、籠城では、原則的には戦に勝てない・・・が・・・
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  天干  地支(蔵干?)→天干変通 地支(蔵干変通)12運
生年⇒甲 午(丙・ ・丁)年生→偏財天干変通
                 (偏官・  ・正官)・沐浴
生月⇒癸 酉(庚・ ・辛)月生→傷官天干変通
                 (比肩・  ・劫財)・帝旺
                 羊刃・劫財格
     支合・庚辛
生日⇒庚 辰(乙・癸・戊)申酉=空亡
                 (正財・傷官・偏印)・養
土曜日
生時⇒?
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 大運サイクル順旋
31 甲 午(丙・ ・丁)年
    ↓生月干支
10 癸 酉(庚・ ・辛)
17 庚 辰(乙・癸・戊)
生年月日時の干支と大運・年運との関係
  命式干支 
31 甲 午(丙・ ・丁)年   
10 癸 酉(庚・ ・辛)月    
17 庚 辰(乙・癸・戊)日
           申酉
大運干支  
16 己 卯(甲・ ・乙)
   月沖・日害
年運干支 
33 丙 申(己・壬・庚)年
立運                   
流年2月節分から
流月節入り〜翌月節入り前までの干支
66迄 
16 己 卯(甲・ ・乙)
印綬
現在62歳
――命式と流年月日時の干支関係――
31 甲 午(丙・ ・丁)
10 癸 酉(庚・ ・辛)沖
17 庚 辰(乙・癸・戊)害
      申酉空亡
―――→↑
2016年 午・酉→合辛←辰
偏官年
33 丙 申(己・壬・庚)年
―――→↑
2月 
比肩月
27 庚 寅(己・丙・甲)月
   年三合丙  
―――→↑
3月
28 辛卯
(甲・ ・乙)
___月沖・日害
4月
29 壬辰
(乙・癸・戊)
___月支合辛・日刑
5月
30 癸巳
(戊・庚・丙)
___月三合辛
6月
31 甲午
(丙・ ・丁)
___年刑
7月
32 乙未
(丁・乙・己)
___年支合丙
8月
33 丙申
(己・壬・庚)
___
9月
34 丁酉
(庚・ ・辛)
___月刑・日支合辛
10月
35 戊戌
(辛・丁・戊)
___年三合丙・月害・日沖戊
11月
36 己亥
(戊・甲・壬)
___
12月
37 庚子
(壬・ ・癸)
___年沖・日三合壬
 ・・・「日の本」って「比の本」・・・