1933日目・・・「カラス」が飛来して1袋80円の町内指定のゴミの詰まったビニール袋を玄関の箱から道路に引っ張り出してメチャメチャに散らかしていった・・・食べ物は入っていないのに・・・語音は「マリア・カラス(Μαρία Κάλλας)」なのに・・・カラスもこの時期、生きていくのは、苦労が大変だ・・・「イースター島」では「従来のモアイ像」が神格を失って、「鳥」が「新しいモアイの神様」に取って代わられたは、島の人びとが「大津波」に襲われて逃げ場が無くなった時に空中に舞う「鳥」を見上げたからだろう・・・

 烏(からす、カラス)、鴉(からす)
 英語 クロウ crow
 独語 クレーエ Krähe
 仏語 コルボー corbeau
 伊語 コルヴォ corvo
 西語 クエルボ cuervo
 羅語 コルニクス cornix
 希語 コローネー κορωυη
 露語 ヴァローナ ворона
 マレーシア語
   ブロンガガク burung gagak
 中語 ウーヤー 乌鸦
 韓語 カマグィ 까마귀
 蘭語 クラーイ kraai
 葡語 コルウォ corvo
 アラビア語
    ゴラーブ
 ヘブライ語
    オレヴorフォーレーブ
 ・・・ここは日本語の「くろ(黒)い羽根の鳥」の色調と重なるだろう・・・「木村鷹太郎(1870〜1931)・世界的研究に基づける日本太古史」氏に詳しく訊いてみたい・・・
 TVのニュースでは「黄金のツタンカーメンの髯(ひげ・須・鬍・髭・鬚)」が捥げ落ち、それを無造作に博物館の係員が接着剤でくっ付け、その接着剤がはみ出していたらしい・・・それをドイツの修復専門家に元どうりに直してモライ、カイロ博物館に納められた、とか・・・
 エジプトでは「ホルス」が「鷹(たか)・鸇(隼・鶻・はやぶさ)」として「神格化」されたのは、天空の高いところから地上を見下ろす、鳥瞰、俯瞰出来るところを飛んでいたからだろう。「ホルス」は「フォーレーブ」に類音する・・・ボクが妄想するに、地中海は火山島が多い、古代のアレクサンドリアの遺跡は海底に沈んでいた。当然、火山噴火、地震があれば、その後に襲ってくるのは「大津波」である・・・そして、「出エジプト記」の紅海での海が分裂したハナシである・・・割れた「紅海(コウカイ)」を渡ったか、どうかは別にして、海岸を襲った「津波」が襲う前か、退いた後に渡った可能性はある・・・ファラオ(パロ)の戦車軍団が「津波」に呑みこまれたのなら、その海岸をモーゼが渡ったのは「津波の襲う前」であろう・・・「火の柱」は「火山の爆発」・・・でなければ、「UFO」だろう・・・?・・・
 東洋にも「渤海(ボッカイ)弯」と「黄海(コウカイ)」と云う名の「海の名」がある・・・「渤海弯」は大陸中国のチンタオ(青島・ドイツ語Tsingtau・Qingdao・Tsingtao)のある「山東半島」と、大連旅順港のある「遼東半島(リョウトウハントウ)」、朝鮮半島西岸に囲まれた場所で、「黄海(Yellow Sea・フランス人ダンヴィルが1737年に命名・Hoang Hai ・Hwang Hai))」は東支那海への出口である・・・
  ↓↑
 帝国日本連合艦隊が、
 明治二十七年(1894年)9月17日の「黄海海戦」では「清国北洋艦隊」、
 明治三十七年(1904年)8月10、14日「黄海海戦蔚山沖」で「ロシア、バルチック艦隊
 を撃沈した場所である・・・
  ↓↑
 「渤海国(金・女真・モンゴル・粛慎・満州)」は元々、古代中国では「燕国(公孫氏)」の地だった。なぜ、漢字名使用が先行している「粛慎」が、日本語として「みしはせ」と呼ばれたのか・・・「視馳覇施(長谷・羽生)かも・・・
 そもそも「渤海」は漢字からして海が勃起し、盛り上がる「津波の前兆」である・・・「黄海」の漢字使用の日本地名では岩手県東磐井郡黄海(きのみ)村=一関市藤沢町黄海」が存在するが・・・
 ↓↑
 モーゼの「シナイ山(Mount Sinai)=ホレブ山(Horeb)=ラス・サフサファ(Ras sufsafeh, Ras sasafeh) ?」は場所が特定されていないそうだが、多分、旧約聖書の当時の山は「活火山→休火山→活火山」だったのではないのか・・・
 で、太陽(太陽暦)と月(陰暦)、これを併せた暦が「太陽太陰暦」である・・・「ハヤブサ」の姿、頭部を持つ「ホルスの両目(太陽・月)」であった・・・であるならば、「ホルス=隼(はやぶさ)」とは「天空」そのものである・・・補留守・・・?・・・「留守藩」は
 二つの目(両目=りょうめ・両眼=リョウガン)の
 左目は「ウアジェト(ウジャト・ウジャト・udjat・wjat・ujat」の目で「月」、
 右目は「ラーの目」で「太陽」
 であった・・・これは、「古事記」ならば、「伊邪那岐イザナギ伊弉諾・伊耶那岐)」の両目から生まれた「天照大神(左目)」と「月夜見尊月読命(右目)」である。「須佐之男=建速-素戔嗚尊素戔男尊素戔嗚尊」は「鼻」から生まれたが・・・
 エジプト神話と「古事記日本書紀」では、「左右の眼」は「月(ミギ)と太陽(ヒダリ)」が逆であるが、イズレも「女性(神)」であろう。元々、「ホルス」は「イシス(ギリシア語)」=「アセト(古代エジプト語」から生まれた・・・当然、「イシス(アセト)」とは「伊邪那美命伊弉冉尊イザナミ)」である。「黄泉(よみ)の国」の女王である・・・
  ↓↑
 「イシス=石須・石州・石主→磐の国」=周防(すは)なる磐国山(いはくにやま)」
 「石見(島根県西半部)・岩見」
 「磐城国(いわきのくに)=戊辰戦争後の1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)、陸奥国が分割され、岩代国磐城国陸前国陸中国陸奥国の5国が設立=磐州(ばんしゅう)=福島県浜通り福島県中通りのうち 白河郡、宮城県南部」
 「岩国=山口県の東端に位置・1940年(昭和15)岩国、麻里布(まりふ)の2町と川下、愛宕、灘 (なだ)の3村が合併」
 「いしす」は「アセト」・・・「會瀬戸」である・・・?
 ならば「伊邪那岐イザナギ」とは「ホルス=隼(はやぶさ)」である・・・当然、「隼人→熊襲→熊鷹」である・・・「熊襲」の「襲(ソ)」は「かさねる・おそう」である・・・大隈重信の「大隈」は河川の「隈(すみ・くま・ワイ)」である・・・「球磨・久万」である・・・「隈(くま・ワイ)」と 「隅(すみ・グウ)」は異字だが、日本では、混同されて使用されているらしい・・・「津波」は河口から「河川」のうわっ滑りで「河川の隈」を逆流し駆けのぼる・・・
 照隈 (てりぐま) 、反隈 (かえりぐま)は画法の技術だが、「暈」と同義異字らしい・・・
 「隅→一隅・海隅・四隅・片隅・辺隅・大隅 (おおすみ) 国・隅州・薩隅(サツグウう) 」、
 「隅隅(すみずみ)・片隅・四隅 (よすみ) 」、
 「龍宮(寓)城」にはダレが住んで居るんだか・・・「寓→一時的に 別の所に身を寄せる・仮住まい・寓居・仮寓・寄寓・流寓」、「他の物を利用して気持ちを託する→寓意・寓言・寓話」、「目をとめる→寓目」・・・
 その他の類字は
 「偶→グウ(偶々・偶数・偶然・木偶)」、
 「遇→遭遇」・・・
  ↓↑
 ・・・神話も、幕末、明治の文明開化も「混乱」で、ボクの妄想も大混乱になってくるのは当然だが、日本史に於いて「明治以前」に「エジプト神話」の知識を持っていた人物が存在した・・・?
 確実に幕末にはエジプトのカイロ、そこのスフィンクスとピラミッドを観た日本人の武士が居た・・・
 「古代エジプト埃及)学事始め」・・・ダレが?・・・「カイロ(喀愛羅・改羅・詼祿・該祿・海樓・詼祿)臥句」なんだか、「水沢の伊達男」・・・「彫る州」、「掘る州」か、石狩平野・・・
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  ↓↑
 ホルス神の左目(ウジャトの目)は
 ホルスの父「オシリス」の仇で、
 ホルスの叔父である
 「セト(河馬神・鰐神)」と戦った時に失われた・・・
  瀬戸→瀬戸内海・・・
  ↓↑
 「ウアジェト(ウジャト)」は、
 コブラ(毒蛇・蝮・飯匙倩=波布
 ↓   ハブ=Habu・Have・ホンハブ)
 ↓      ↓↑
     ハブ=車輪の中心部にあって、
        車輪の外周と車軸とを繋ぐ
        スポークが集中する部分
 ↓      中心地、結節点、集線装置
 ↓      ↑・・・最近は「ハブ空港」は羽田とか・・・
 頭上にコブラをつけた女神で
 下エジプトの守護女神・・・
 「ウアジェトの目」は、
 周期的に朔望(満ち欠け)する「月」の象徴で、
 その満ち欠けの象徴は命の「再生」でもある・・・
 この「左目」はエジプト全土を旅した後、
 トート神(知恵の神・月の神・時の神)よって、
 ホルスの眼として回復、再生された・・・
 この「左目」は
 「ミイラ(木乃伊・死者の乾物)」
 に添えられた
 ツタンカーメン
 「ウジャトの目の胸飾り」を着用・・・
 「ウアジェトの目(左目)」と
 「ラーの目(右目)」の左右に合わせた両目が、
 ミイラの柩(棺)の左側面に描かれた・・・
  ↓↑
 「ラーの目(右目)」は、太陽神である。
 「ラーは
  自らを崇め敬わない人間に
  復讐し滅ぼすため、
  自らの片目を
  雌ライオンの頭を持つ
  セクメト(破壊の女神)
  に作り変え地上に送り、
  人間界で殺戮させた」
  ↓↑
 ラー(Ra)・レー(Re)
 ハヤブサの頭をもつ姿
  ↓↑
 アトゥムと習合
 アトゥム(両性具有神・創造神・手の神)
 は
 ヘリオポリスでは最重要神
 原初の水である
 ヌン(水の神)から
 「蛇(コブラ)」として生まれ、
 シュー(大気の男神)子→ゲブ(大地神)孫
 テフヌト(湿気の女神)子→ヌト(天空神)孫
 バステト(Bastet・猫の女神)
 の父親
  ↓↑
 セクメト(破壊の女神)
 は
 ラーが人間を滅ぼすために
 その「目」から生み出された
 目から
 強烈な光を放ち、焼き滅ぼす
 象徴する
 元素は火
 色は赤
 ↓
 ラー
 の息子
 シュー(大気)
 と
 テフヌト(湿気)
 が旅に出て帰って来ず
 二人が帰って来た時に
 涙を流し、
 その涙から
 人間が生まれた
 ↓
 ラーは
 自分を敬わない
 人間を滅ぼすために
 セクメト(破壊)
 を送り込もうとしたが、
 オシリス
 の意見により取りやめた
 ↓
 イシスは
 ラーの権力を奪うため、
 彼の垂らした
 唾液を含んだ
 泥をこねて作った
 毒蛇に噛まれ、
 毒の苦しみに耐えかね
 解毒薬と引き換えに
 自分を支配できる
 本当の名前を教えたため、
 トート(智慧・文字、書記の神)
 にその座を譲った
 ↓
 ラーはアトゥム神と習合して
 「ラー・アトゥム」、
 ホルス神と習合して
 「ラー・ホルアクティ」、
 アメン神と習合して
 「ラー・アメン」
 となった・・・
 ↓
 ラーは太陽神で
 太陽の昇り沈みとともに
 ラー自体も変身
 日の出は
 タマオシコガネ
 の
 ケプリ
 日中は
 ハヤブサ
 夜は
 雄羊の姿で
 夜の船に乗り
 死の世界を旅を・・・する
  ↓↑
 ・・・「留守藩」・・・「源頼朝の奥州征伐後、陸奥国の留守職を務めた伊沢家景を家祖とし、家景の子・家元 以降、留守氏を称す・岩切城を拠点にした・」、「江戸留守居役」とは「藩主が国元に居る時に江戸に常駐した江戸家老」・・・
  ↓↑
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 留守氏
 南北朝時代
 当初は南朝
 元弘三年(1333年)九月
 北畠顕家より陸奥諸郡の奉行に任ぜられた
 建武三年(1336年)一月
 顕家が
 義良親王を奉じて霊山へ移ると、
 北朝方に転じた
 観応二年(1351年)
 観応の擾乱
 留守家冬
 は
 足利尊氏方につき、
 岩切城に
 畠山高国を迎え
 足利直義方の
 吉良貞家と戦うが、
 岩切城陥落敗戦
 吉良方に加勢した
 国分氏に所領の多く奪われた
  ↓↑
 奥州探題
 大崎氏の介入を受けた
 留守詮家が切腹に追い込まれると
 伊達氏に救援を請う
 その代償として
 伊達氏から次々と養子を送り込まれ
 (14代郡宗・16代景宗・18代政景)、
 16世紀前半までには、
 次第に伊達氏の傘下へと組み込まれた
  ↓↑
 天正十八年(1590年)
 小田原征伐
 第18代
 留守政景
 小田原征伐に参陣しなかったので
 奥州仕置によって
 留守氏は本領を没収
 以後は
 甥の
 伊達政宗
 に仕えた
  ↓↑
 水沢伊達氏
 文禄二年(1593年)
 磐井郡二桜城主
 政景は、
 伊達姓を与えられ一門の家格に列した
 政景の家系は
 一関城主
 金ケ崎城主
 を経て、
 寛永六年(1629年)
 政景の子
 宗利が
 胆沢郡水沢城主
 以降幕末まで同地を治めた
 水沢伊達氏の所領を以て
 水沢藩と呼称することもあるが、
 これは
 亘理藩・涌谷藩・岩出山藩などと同様の俗称
 正式な支藩(大名)ではない
  ↓↑
 政景の直系は
 第4代・宗景で絶え、
 その養子として
 仙台藩主綱村の弟
 村任が養子
 元禄八年(1695年)
 村任が新設された
 中津山藩の藩主に就任
 水沢領を
 涌谷伊達氏から迎えた養子
 村景
 に譲り水沢を離れ、
 以後、村景の血統が当主を継ぐ
  ↓↑
 幕末の
 第13代
 邦寧
 は
 慶応4年(1868年)
 戊辰戦争
 敗戦にともない、
 水沢伊達氏領が
 仙台藩から没収されたため失領
 明治二年(1869年)
 邦寧は旧姓に復して
 留守氏
 を名乗る
 同年、居城の
 水沢城が
 胆沢県庁として
 新政府に接収
 水沢伊達氏家中は
 陪臣であるからとして
 帰農を命じられ、
 仙台藩の士族籍を得られなかった
 士分を保つために
 家中一同そろって
 北海道開拓に
 参加すべきとの意見が出され、
 邦寧
 は病身のため
 仙台に残留し、
 吉田元俶
 坂本平九郎
 が
 家中200名を率いて
 石狩国
 札幌郡に移住
 水沢伊達氏家中によって拓かれたのが
 平岸村(札幌市豊平区平岸)
  ↓↑
 ・・・「水沢市史(岩手県水沢市)」・・・高野長英の出生地
・・・「日高賞(ひだかしょう)」ですか・・・「岩手県競馬組合水沢競馬場で施行する地方競馬の重賞競走」・・・正式名称は「留守杯日高賞」とはネッ・・・「競走名は毎年4月28〜29日」、「絵巻・日高火防祭の開催を記念」し、命名はその祭事を始めたとされる水沢城主「留守家」から・・・
ーーーーー
  ↓↑
 セト(Set)、
    Seth(セトゥ)、Setekh(セテカー)、
    Setesh、Seti(セティ)、Sutekh(ステカー )、
    Setech、Sutech、
    Tabeh、Typhon(タイフォン
 はエジプト神話の
 オシリスの弟
 ホルスの叔父
 エジプト九柱の神々の一柱
  ↓↑
 セト
 ジャッカル(オオカミ)の頭をした神
 壁画などで表現されている
 セトの頭は
 ツチブタ
 一般的に四角い両耳、
 先の分かれた尾(パピルスの花)、
 曲がって大きく突き出した鼻を持ち、
 犬、
 ツチブタ、
 ジャッカル
 のほか、
 シマウマ、
 ロバ、
 ワニ、
 ブタ、
 カバ
 などの象徴神
 「セト・アニマル」とは
 様々な動物を
 合体させて想像上の動物
 「トエリス」も合体動物神
 「トエリス
 (タウエレト=Tawaret, Taueret, Taweret)、
  タウルト(Taurt)、 トエリス(Toeris)、
  イプス(Ipy)、イペット(Ipet)、
  アペット(Apet) オペット(Opet)、
  レレト(Reret)」
 は、家庭と出産を司る女神
 直立した雌の
 「河馬の姿」で描かれ
 「河馬の頭、
  獅子の脚、
  鰐の背と尾をもつ
  人間(神)として描かれる」・・・ことも
  ↓↑
 「セト」
  ↓↑
 太陽神ラー
 と
 ヌトの間に生まれた、
 オシリスに続く
 2番目の子
 イシス、ネフティスは妹
 王権獲得のため、
 母親のヌトの産道を通らず、
 子宮を破って
 脇腹から生まれた
 オシリスの弟として生まれた
 実父はラーではなく
 「ゲブ」であるとの説・・・解部・外部?
 ネフティスの夫であり、
 アヌビスの父
 セトは砂漠の王
 Osririan(ナイル川
 と対比され、
 荒れ狂う海の神・・・海神=須佐之男
  ↓↑
 空の神である
 ホルス
 と対比され
 大地の事象に関連付けられた・・・地震
 彼の呼吸は
 ミミズなどのゼン虫を招き
 金属の鉱石は
 「セトの骨」と呼ばれた・・・
  ↓↑
 セトは
 紀元前3000年代
 ナイル川下流部の
 下エジプトの王を守護する神・・・
 時代を下るにつれ
 オシリスが人気となり
 セトは兄オシリスを殺すという
 エピソードが生まれた・・・
 父親(オシリス)の敵討ちに乗り出す
 ホルスの敵役にされてた・・・
 神話では
 セトとホルスの戦いは
 80年間に及び、
 セトは
 ホルスの左の目を奪うが、
 セトは睾丸と片足を失った
 北斗七星はセトの片足とされた・・・
 敗れたセトは、
 地上の世界を去り地下世界に隠遁
 地上には雷の声として響くだけ・・・「地鳴り」は地震
 セトは天空にある神々の世界へ帰り、
 おおぐま(大熊)座となった・・・大隈
 『死者の書』の一つでは、
 セトは
 アペプを殺した・・・會経譜
 夜の象徴たる
 大蛇アペプ
 と
 アトゥム=ラー=太陽
 の象徴たる
 未去勢の雄猫
 は毎晩戦っている・・・
  ↓↑
 アペプ(Apep)
 エジプト神話における悪神
 古代エジプト語での名は
 アーペプ(アアペプ、Aapep)、
 アペピ(Apepi)、
 アピペ(Apipe)、
 アポペ(Apope)
 など・・・
 本来の発音ははっきりしない
 古典ギリシア語転記で
 アポピス(’Αποφις, Apophis)
 アポピスは闇と混沌を象徴
  ↓↑
 その姿は
 大蛇
 太陽の運行を邪魔するラーの最大の敵
 アポピスは世界が誕生する前の、
 ヌンに象徴される
 原始の水から生まれた
 もとは太陽神としての役割を担っていた
 それを
 ラーに奪われ
 ラーを憎み、敵対した・・・
 ラーの乗る太陽の船の航行を
 守護する
 セトは、
 アペプの天敵・・・
 時代が下ると、その邪悪さのために
 セトと同一視された・・・
ーーーーー
 ・・・「エジプト(埃及)コトハ字メ」にはクロウする・・・