1928日目・・・『キンダーブック』は幼いころオフクロがボクに買え与えてくれた「絵本」だった・・・堀文子さんは「群れない、慣れない、頼らない」ですか・・・「こころの時代・アンコール・シリーズ・私の戦後70年(今、あの日々を思う)シリーズ・私の戦後70年。日本人が戦後積み重ねてきたものは何だったのか。私たちの生き方を問い直す。第3回は命を描く画家が見る今。初回放送10月11日」・・・「自由は、命懸けのこと」、「群れない、慣れない、頼らない。これが私のモットーです」か・・・
最近、「あわや、大惨事」の事故が多いが・・・「あわや」とはナニか?・・・「もうちょっとで、寸前で」・・・「鳥肌(鳥膚)がたつような事態寸前」・・・「訳理葉拿(とりはだ)」・・・「寒さや恐怖などによって、皮膚に鳥肌があらわれる。鳥肌立(だ)つ」、「鳥の毛を毟(むし)った痕のような細かい突起が出る現象。立毛筋の収縮でおこる。関西地方では「さぶいぼ」(寒くて出るイボの意味)」、「蕁麻疹・湿疹」、「粟粒(あわつぶ・ゾクリュウ・ショクリュウ・ソクリュウ)→粟→栗(くり・リツ)に類字」に比喩して、鳥肌が立つ様なシチュエーションの際に「肌に粟を生じる」という言葉が使われる・・・「交感神経の興奮・緊張によるもので、恐怖だけでなく、強い喜びや衝撃的な事実を知った際にもこの防御反応」・・・ニャンコの毛を逆立てて怒った状態や、飛び跳ねるのも同じ現象・・・「粟=あわ=沫・泡・阿波・安房・安和・愍・淡」の「淡路島」ですか・・・パチンと弾けそうな「危機的状況に慌(あわ)てる」デス・・・
「あわび=鮑・鰒・蚫(abalone)」は
「ミミガイ科の大型の巻貝の総称
アワビ属については
Haliotisではなくて
Nordotisとしている図鑑もある
雌雄の判別は外見からではほぼ不可能で、
肝ではなく生殖腺の色で見分ける41
生殖腺が
緑のものがメス
白っぽいものがオス」
・・・天然真珠の「鮑玉」・・・「眼病」の漢方薬・・・ぴったり咬み合う二枚貝ではなく、「磯の鮑の片思い」ですか・・・「オイスター(oyster)」は「かき=牡蛎、牡蠣」で、「ノロヴィルス」の蓄積されやすい食物連鎖の最終生物らしい(ためしてガッテン)が、元凶は人間の下水に流した感染汚物が汚染処理所では浄水死滅せず、その流された水が港湾で棲息している「牡蛎」に「ノロヴィルス」が蓄積され、サイクルがあるらしい。
で、「ノロヴィルス」の予防には「柿の果汁」がイイらしい・・・
「アワヤ」がトンでしまった・・・
「淡谷のり子」さん・・・青森の豪商「大五阿波屋」の長女として生まれる。1910年の青森市大火 によって生家が没落。10代の頃に実家が破産し、1923年、青森県立青森高等女学校を 中退し母と妹と共に上京。東洋音楽学校(後の東洋音楽大学、現在の東京音楽大学)ピアノ科に入学し、元々はソプラノ歌手、プロになってシャンソン歌手、ブルースの女王だった・・・「別れのブルース」・・・
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「堀文子」氏
ヒューマンドキュメンタリー
「画家・堀文子 93歳の決意」
(2011年9月19日、NHK総合テレビジョン、戸井十月との鼎談)
堀 文子(ほり ふみこ・1918年7月2日〜)
東京都麹町区平河町(千代田区麹町)生まれ
東京府立第五高等女学校(都立富士高等学校)
女子美術専門学校師範科日本画部
(女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻)卒業
1940年に女子美術専門学校を卒業
『キンダーブック』(フレーベル館)、
『ふたば』
などで挿画や装幀
1974年
多摩美術大学日本画科教授に就任
多摩美術大学客員教授
1999年に多摩美術大学客員教授退任
2011年に女子美術大学より名誉博士
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・・・「多摩美術大学」には今現在、川口市で喫茶店を営業している従妹が入学勉強していた・・・ボクはその従妹に連れられ一緒に「多摩美大の学園祭」を訪ねたコトがある。その学園祭での「演劇」は
「ギリシャ神話のオイディプース
(Οἰδίπους,Oidipūs,
ラテン語Oedipus・オイディプス・エディプス)」
だったかな・・・記憶がハッキリしないが・・・その演劇を演じている従妹の男性先輩が、あるTV放送局に就職が決まっているんだと聞かされたコトは覚えている・・・当時のボクは「ドコかの会社に就職出来る」なんてことは毛頭、脳ミソの片隅にも無かった・・・多分、一生が「アルバイト」で終わると思っていた・・・1971年ころだったか、ドイツのケルンに留学していた友人を訪ねて、そに下宿(?)していたドイツ人の学生が頻繁に「アルバイト、アルバイト」と連発していたが・・・それは、「勉強」の意味だった・・・
「アルバイト」は「仕事・研究・業績」などを意味するドイツ語「Arbeit」が語源・・・「造語ロボットが作られた語源、robota(強制労働)」と同源であるらしい・・・日本語の家庭教師、アルバイトの「内職・副業」の意味ではなかった・・・
その下宿には「韓国人留学生」も下宿していたが、ボクの友人は「ノイローゼで、おかしくなったヒト」だと云っていたが、ボクが後から解ったコトだが、当時は「朴政権のKCI」がドイツに留学していた「韓国人学生」を秘密裏に片っ端から拉致し、本国に強制送還をしていた時代だった・・・
・・・ボクは「堀文子」氏さんの「反戦・日本国憲法必守擁護」、「自由は、命懸けのこと」には同感である。だが、「群れない、慣れない、頼らない」とはコトバの信条もその通り同感だが、現実は「群れる、慣れる、頼る」ばかりの人生だったし、今現在もソウである・・・この社会を「才能」で強く信念でイキ貫いてきた彼女を羨ましくもアル・・・カナ・・・