1889日目・・・「いとう・イトウ」の混乱、混雑・・・伊藤博文は「語化意」されているかも・・・色々なブログ記事を調べていたら「ボクの祖父」がナゼ、「キリシタン」になったのか、おぼろげにその「糸の縺(もつ)れ」が視えてきたようなカンジである・・・「坂本龍馬の従弟」・・・「沢辺琢磨」ですか・・・「沢辺」姓を名乗る前は「山本琢磨」・・・「天保六年(1835年)、土佐国土佐郡潮江村(高知市)に土佐藩の郷士である山本代七の長男。幼名は数馬。代七の弟・八平は同じ土佐郷士の坂本家に婿養子として入り坂本直足と改名、次男
ーーーー↓↑
「山本琢磨」は
「金時計を拾って売り払い。発覚して逃亡」
その後、
東北各地を放浪、新潟で出会った
「前島密」に
箱館(函館)に行くことを
勧められ箱館に落ち着く
函館で剣術道場を開き、
当時28歳の彼は
箱館神明宮(山上大神宮)の
宮司の
沢辺悌之助に請われ
山本琢磨は
函館神明社の
神官の娘婿となって
「沢辺琢磨」となった
彼は元々が「攘夷論者」・・・
↓↑
それで、
ロシア正教会の宣教師の
「ニコライ」・・・木村謙斎
(秋田大館の医師・儒学者
木村謙斉は藩命により
秋田藩兵が北海道に渡り、
警備についた時に
軍医として蝦夷に渡島した
帰郷の後再び箱館に来て、
医業と私塾を設け、
北海道警備の武士たちに
漢籍を講じてい た)
のもとで
「古事記・日本書記
日本外史・大日本史」、
「仏典」等を学ぶ
の暗殺を企てたが
ニコライに、
「正教(ロシア=ギリシャ)
を学ばずして、邪教と断じていいのか」
と一喝され、聖書を読んで回心・・・
↓↑
医師の
「酒井篤礼(さかいとくれい=川股篤礼)」
1835年〜1882年
緒方洪庵の適塾で学んだ
宮城県栗原市出身の医師
日本ハリストス正教会の
パウェル大主教より
按手礼(神品機密)を受け、
洗礼名「イオアン(ヨハネ)」
輔祭、後には司祭に叙聖された
郷里の
金成(宮城県栗原郡にあった町)で
布教をし捕縛され
2年間、獄舎で送る
↓↑
医師の
「浦野太蔵」
天保十二年(1841)
能登の狼煙村
医師・浦野柳齊の次男として誕生
20歳前後に開港場の函館へ移住
洗礼名「イアコフ(ヤコブ)」
宮古に潜入した後、活動を離れ、
医院を開き、医療活動に専念
後
曹洞宗に改宗
大正五年3月18日病没
地元の
江山寺に葬られる
戒名は「珠洲院英徳居士」
故郷が
石川県能登半島の「珠洲」
「珠洲(すず)=鈴」の
万葉仮名が
「すず=須須・須受」で、佳名が「珠洲」
元々戸籍上の名前が
「立三」で
後、
「大蔵」を名乗った・・・
↓↑
等と共に
沢辺琢磨は信者となり
「パウロ(サウロ)」の
洗礼名を受けた
↓↑
沢辺琢磨は
「新島七五三太(しめた)
→敬幹→襄と改名)」が
米国へ密航するときの手助けもした・・・
「新島襄=新島七五三太」のメリケン密航は
「ニコライ」だけの援助ではなかった・・・
「ニコライ」は
新島から
日本語と
日本の書物(古事記)
などの手ほどきを受け、・・・木村謙斎からも学んだ
聖書に興味を持つ彼に弟子になるよう勧めたが
新島のアメリカ行きの決意は変わらず
ニコライは
「沢辺琢磨」や
「福士卯之吉」・・・「卯之吉」って、祖父の名前と同名
↓↑ 「卯之松」
「福士 成豊(ふくし なりとよ)=福士卯之吉」
天保九年(1838年)〜大正11年(1922年8月26日)
箱館の船大工の
「続豊治」の・・・続く豊(豊後・文語)の治(事・字)?
次男として・・・事難・時何(難)・字何務?
山之上町・・・・纂(惨・算・讃・戔・産)之上調?
で誕生
幕末、明治の
船大工
通訳、測量技師、気象観測者
日本人初の気象観測者
幼名「卯之吉・ 宇之吉」
通称「五郎」・・・語漏?
ポーター商会時代には
「富士屋卯之吉」・・・附字哉得之記知(地・質・値)?
と共に
「新島襄」の
密航に協力した・・・
↓↑
そして、
「沢辺琢磨」は
「仙台」の同士たち(?)を
函館(箱館)に呼び寄せて信者にした・・・らしい
はこだて→葉虚伊達・頗虚建弖・嵌拠拿手(氐)
↓↑
「受洗後も神明社宮司の座に留まり、
祭祀の時には祝詞を
漢語訳聖書・・・この明治訳は、漢字交じりの文体
本文の正文は仮名
漢字表示は漢訳聖書から当てた字
が多く、漢語調の文体が標準
1878年(明治十一年)以来
米国聖書会社は各種
訓点聖書を発行
1880年(明治十三年)
大英国と北英国聖書会社は
訓点聖書を発行
日本人は当初
英語をオランダ語と漢文から理解した
知識層は漢文として読むことができた
ブリッジマン・カルバートソン版の
漢訳聖書に訓点を施した聖書
の
聖句に
置き換えて
カムフラージュ(camouflage)・・・偽装・迷彩・変装
ごまかし・見せかけ
をしていた」
参照は以下の検索ページ
↓↑
http://www.search.ask.com/web?q=%E6%BC%A2%E8%AA%9E%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8&psv=&apn_dbr=cr_37.0.2062.94&apn_dtid=%5EOSJ000%5EYY%5EJP&itbv=12.15.5.30&crxv=111.12&p2=%5EBBK%5EOSJ000%5EYY%5EJP&apn_ptnrs=BBK&o=APN11412&gct=hp&tbv=12.35.0.285&pf=V7&tpid=ORJ-SPE&trgb=CR&pt=tb&apn_uid=6E5B6E1E-3BAC-497C-9673-5697F9D111B9&doi=2014-08-29&tpr=2&ts=1446178717455
↓↑
が、
ハリストス正教への改宗を公言し神明社を去った
未だ禁教下で神道の祭司職の改宗は、
琢磨一家に対する迫害が厳しく、
精神的に参ってしまった妻が自宅に放火・・・
琢磨は妻子を残して箱館を一時脱出し
東北地方を南下する途中で
捕縛・投獄され、
後に釈放されて箱館に戻った
以後の伝道中、
「仙台」にて再び捕縛され
明治政府によって禁教が解かれ後、釈放・・・
・・・ボクの祖父「卯之吉(卯之松)」は「仙台」から北海道に渡ってき、祖母は福島出身だが、その経緯は不詳だった・・・ボクはテッキリ、「卯之吉(卯之松)」さんが、仙台、伊達藩の昔(支倉常長=葉施句等通音名臥)の頃からの御禁制の「隠れキリシタンの家系」で、そして「家庭の事情」と思い込んでいたが・・・少しは、幕末明治の「沢辺琢磨」の影響を受けていたのかも・・・
ーーーーー
旧約聖書
約伯 記
ヨブ・・・・・与分記
余部 記・・・呼ぶ記(紀)
第10章
10:1
わたしは
自分(ジブン)の
命(いのち・みこと・メイ)を
いとう。
(厭う)→意問・意当・意等
異唐→意漢
意加羅
李等→意韓
伊藤(博文)
伊藤(聞多)≠伊東(聞多)
伊東(聞多)≠井上聞多
(もんた、ぶんた)
井上馨≠井上聞多
(かおる)≠(ぶんた)
伊東(巳代治)
(いとう みよじ)→視与字(時・事・地)
安政四年五月七日
(1857年5月29日)
〜
昭和九年二月十九日
(1934年)
↓↑
1885年(明治18年)
太政官制廃止
内閣制度が創設
伊藤博文、初代内閣総理大臣
↓↑
井上 毅→(果毅・楽毅・毅力・毅然・毅勇・剛毅)
(いのうえ こわし・キ)
天保十四年十二月十八日
(1844年2月6日)
〜
明治二十八年
(1895年3月15日)
政府の法律顧問
ドイツ人
ロエスレル(ロェスラー)
(Karl Friedrich Hermann Roesler)
や
アルバート・モッセ
(Albert Mosse)
などの助言を得て
明治憲法起草作業
1887年(明治二十年)五月
憲法草案を書き上げ
草案を元に、
夏島
(神奈川県
横須賀市)の
伊藤博文の
別荘で、・・・捌叢?
伊藤博文(ひろぶみ・ハクブン)
井上毅(こわし・つよし・たけし
キ・ギ)
伊東巳代治(みよじ・ミダイジ)
金子堅太郎(かたしたいろう
ケンタロウ)
らが検討
「夏島草案」をまとめた
相州金沢の
東屋旅館に移り作業を継続
メンバーが
横浜へ外出している合間に
書類を入れたカバンが盗まれ
そのため
再度
夏島に移っての作業
後、
夏島草案に修正が加えられ、
1888年(明治二十一年)四月
成案をまとめた
伊藤博文は
天皇の諮問機関として
枢密院を設置
自ら議長となって
この憲法草案の審議
枢密院での審議は
1889年(明治二十二年)一月
に結了
1889年(明治22年)2月11日
↓↑「大日本憲法発布の詔勅」
クリスチャン
森有礼(文部大臣)は
1889年2月11日の憲法発布の当日、
伊勢神宮神官・西野文太郎に暗殺
↓
坂本龍馬の従弟
当時28歳の
沢辺琢磨(さわべ・たくま)は
函館神明社の神官で、攘夷論者
ニコライを暗殺を企てたが
ニコライに、
「正教(ロシア=ギリシャ)
を学ばず、邪教と断じていいのか」
と一喝され、聖書を読んで回心・・・
沢辺は
仙台の同士たちを・・・日下卯之吉?
函館に呼び寄せて熱心な信者にした
ニコライは、ペテルブルクに一時帰国し、
日本伝道会を設立し、
会長となって伝道資金補給の途を開いた
函館ハリストス正教会
「ハリスト」とは、
ロシア語で
「キリスト」の意味→磔(磔刑)の主の(蘇)訳
・・・「貼・張・鍼・針・播・葉理・頗理」の
「素訳・州都・主徒・須賭・諏塗」ですか・・・?
↓↓
1891年
クリスチャン(清教徒)
内村鑑三
第一高等学校教授時代に
教育勅語への礼拝を行わず、
物議を醸した
キリスト教への非難勃発
内村鑑三
植村正久
柏井園(かしわい・えん)
が声明を出す
↓↑
「キリスト教は
忠君愛国と矛盾せず、
反ってこれを完成・成就するものだ。
表面は恭しく拝礼しながら
教育勅語の誠心に
違反する不忠・不道徳な輩とは異なり、
キリスト者は勅語に対する
拝礼はせずとも
勅語の精神を深い敬意をもって
受け入れ日常生活の中に
立派に実践して行く真の愛国者である」
↓↑ ↓↑
明治二十七(1894)年
日清戦争時、キリスト教界は
日清戦争を支持
戦争協力の理由には
聖書の
「王に従え・ペテロ、2:13-17、ローマ13:1-7」
↓↑ ↓↑
隠れキリシタン
「崩れ(くずれ)=処刑」
↓↑ ↓↑
一番崩れは寛政二(1790)年
二番崩れは天保十三(1842)年
三番崩れは安政三(1856)年
四番崩れ
↓↑
いとう・・・厭う・・・
↓↑
伊東(聞多)
1867(慶応三)年
六月四日
浦上四番崩れ
↓↑
隠れキリシタンが
聖徳寺(長崎市銭座町)の
檀家から離脱
「クララてる」など
10数人のキリスト教の信仰告白
寺請制度を否定
長崎奉行は
捕方170名が
浦上村を急襲し、
68名を逮捕収監
外国領事団がこれに強硬抗議
幕府は、全員を釈放し
未解決処分のまま
明治政府に引き継がれた
1868(慶応四)年二月
九州鎮撫総督に着任した
沢宣嘉
と
参謀
「伊東聞多」・・・
らによって、
浦上一村
3000余人の
総流罪の処分案が上奏され
御前会議で
四月二十五日
に処分決定裁可
処分2回
慶応四年六月
中心人物
114名が
萩、津和野、福山に流刑、
明治二年十二月
他の信者が
高知などへ流刑
4年間
土地開拓や炭坑などで
強制重労働
約5分の1は流刑地で死亡
明治六年三月
外国からの抗議に
明治政府は処分撤回
1873年2月24日
太政官布告
キリシタン禁教令廃止
↓↓
「イトウ」の混雑、混乱
井藤
以東=関東・東北
夷問=攘夷(上意・譲位)
夷等=蝦夷
亥等=京都の北西、丹後(福井金沢)
↓↓ ↓↓ 東京の北西、越後(新潟)
出羽(山形)
朝鮮半島(平城)・中国大陸(北京)
満州(ハルピン・哈爾浜=白鳥)
↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓
1909年10月26日
ハルビン駅頭で
伊藤博文が
安重根に暗殺
1933年7月1日
満洲事変勃発
満洲国が建国で
↓↓ ↓↓ ハルビン特別市が成立
医等・胃等・痛問
↓↓ ↓↓
揖(い・イウ・ユウ)等(問・答)
拝揖(ハイユウ)=朝廷や神道における
敬礼動作・辞儀、会釈の作法
類字は
楫(シュウ・ショウ
かじ・梶・あつめる)で問う
↓↓
楫取素彦(かとり もとひこ)
文政十二年三月十五日
(1829年4月18日)
〜
大正元年(1912年)八月十四日)
小田村伊之助
(おだむらいのすけ)
後に
文助・素太郎
吉田松陰の妹
久坂文(みわ)・杉文(あや)
と、再婚・・・差イコン(遺恨)
差異今(混・根)
葺(ふき・付記)=不帰遇えず
↓↓ 鵜葺不合=有雅埜不付記
↓↓
威等・威問=威伏
衣等=衣服(威服・畏服→大隈重信)
維当=繊維(遷移・撰意)
易等・易問=占卜・仙北(仙台の北)
↓↓ ↓↓
↓↓ ・・・「イトウ」がマタ、トンだ・・・
↓↓
わたしは
自分の
嘆(なげ・タン)きを
包(つつ・ホウ)まず
言(い・ゲン・ゴン)い
あらわし、
わが
魂(たましい・たま・コン)の
苦(くる・にがい・ク)しみによって
語(かた・ゴ)ろう。
10:2
わたしは
神に申そう、
わたしを
罪ある者と
されないように。
なぜ
わたしと
争われるかを
知らせてほしい。
10:3
あなたは
しえたげをなし、
み手のわざを捨て、
悪人の計画を
照すことを
良しとされるのか。
10:4
あなたの
持っておられるのは
肉(にく・ジク)の目か、
あなたは
人が見るように
見られるのか。
10:5
あなたの日は
人の日のごとく、
あなたの年は
人の年のようで
あるのか。
10:6
あなたは
なにゆえ
わたしの
とが(咎)・・・訳雅(臥・画・賀
我・娥・蛾)
を尋ね、
わたしの罪を
調べられるのか。
10:7
あなたは
わたしの
罪のないことを
知っておられる。
また
あなたの手から
救い出しうる者はない。
10:8
あなたの手は
わたしをかたどり、
わたしを作った。
ところが
今
あなたはかえって、
わたしを
滅(ほろ・メツ)ぼされる。
10:9
どうぞ
覚(おぼ・カク・ザ)えて
ください、
あなたは
土(つち・ド)くれを
もって
わたしを作られた事を。
ところが、
わたしを
ちり(塵)・・・・地理
に
返(かえ・ハン)そう・・・「還・変・換
代・替・孵
帰」そう
と
されるのか。
10:10
あなたは
わたしを
乳(ちち・ニュウ)のように
注(そそ・チュウ)ぎ、・・・・「瀉・楚々」儀
註義・忠儀・忠儀
乾酪(カンラク)・・・チーズ
のように
凝り固まらせた
ではないか。
10:11
あなたは
肉(にく・ジク)・・・似句・字句
と
皮(かわ・ヒ)・・・掛話・比
とを
わたしに
着(き・チャク)せ、
骨(ほね・コツ)
と
筋(すじ・キン)
とをもって
わたしを
編(あ・ヘン)み、
10:12
命(いのち・みこと・メイ)
と
いつく(慈・愛)しみ・・・地合・字蛙意
とを
わたしに授け、
わたしを顧(かえら・コ)みて
わが霊(たましい・レイ)を
守られた。
10:13
しかし
あなたは
これらの事を
み心に
秘(ヒ)めおかれた。・・・秘密・比視通
秘境・秘教
比況
卑怯・悲境
この事が
あなたの
心のうちにあった事を
わたしは知っている。
10:14
わたしが
もし
罪を犯せば、
あなたは
わたしに
目をつけて、
わたしを
罪から
解き放されない。
10:15
わたしが
もし
悪ければ
わたしは
わざわ(災・厄・禍)いだ。
たとい(譬・喩・仮令・例)・・・他問い
仮令・縦令
わたしが
正しくても、
わたしは
頭を上げることが
できない。
わたしは
恥(はじ・チ)に
満(み・マン)ち、
悩(なや・ノウ)みを
見ているからだ。
10:16
もし
頭をあげれば、
あなたは、
しし(獅子)・・・志士
宍・猪
詩誌・史誌・詞示
の
ように
わたしを追い、
わたしにむかって
再(ふたた・サイ)び
くすし(奇)き・・・くすし-き→楠・樟木・葛木
神秘な・不思議な
霊妙な
万葉集 三八八
「わたつみは-くすしき-ものか」
海の神は 霊妙であるかな
くす=くず
「屑・葛」キ
九図の記
くすし=くずし(崩し)
句素詞・句亠(音)詞
久須志=薬師
力(ちから・リョク・リキ)
を
あらわされる。
10:17
あなたは
証人を入れ替えて
わたしを攻め、
わたしにむかって
あなたの怒りを増し、
新たに
軍勢を出して
わたしを攻められる。
10:18
なにゆえ
あなたは
わたしを
胎(タイ・はらむ)から
出されたか、
わたしは
息絶(いきた・ソクゼツ)えて
目に見られることなく、
10:19
胎から
墓(はか・ボ)に
運(はこ・ウン)ばれて、
初めから
なかった者のようであったなら、
よかったのに。
10:20
わたしの命の日は
いくばく(幾許)も・・・異句葉(場)句
ないではないか。
どうぞ、
しばし(暫し)・・・・・斯波氏・司馬史・詞葉詞
わたしを離れて、
少しく
慰(なぐさ・イ)めを
得させられるように。
10:21
わたしが
行(い・ギョウ・コウ・アン)って、
帰ることのないその前に、
これを
得させられるように。
わたしは
暗き地、
暗黒(アンコク)の地へ
行く。
10:22
これは
暗き地で、
やみに
ひとしく、
暗黒
で
秩序(チツジョ)なく、
光(ひかり・コウ)
も
やみ(闇)・・・・「ヤミ」の同音異字漢字のスベテ
のようだ」。
ーーーーー
・・・「ヤミ」のようだ・・・