1831日目・・・「任侠道の親分達」が不穏な動きですか・・・「義理と人情」の世界・・・「国定忠治」も「清水の次郎長」も「東映映画の中」でじゃぁ、エラかったなぁ〜ッ・・・「八木節」と、「唄はちゃっきり節。男は次郎長、花はたちばな〜 夏はたちばな〜 茶のかおり〜、ちゃっきり、ちゃっきり、ちゃっきり、よきゃあるが鳴くんで、雨ずらよ〜(1927年・昭和二年・作詞、北原白秋、作曲、町田嘉章)」・・・「真名(漢字)を施せ」・「魚の名を施せ」である・・・「あまぎゃある(アマガエル・雨蛙)」・・・

http://www.uta-net.com/movie/104281/
https://www.youtube.com/watch?v=YgwBBTNFWGo
https://www.youtube.com/watch?v=wgT5U1B5zqY
 「ちゃっきり」は「茶ッ切り」か・・?・・・「ちゃ=咤(したうち・舌打ち・叱咤激励)・詫(わびる・いぶかる・訝る)・侘(侂・わびる・侘傺=志を失ふ貌)・楪(ゆづ・ユズリハ・楪子、楪津宇=チャツウはお菓子の名)」・・・癒痛・・・喩通、諭通・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 列王記 下
第20章
20:1
そのころ、
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)・・・比出記也

病気(ビョウキ)に・・・描記
なって
死(シ)に・・・・詞・詩・示・史・氏・子・誌
掛(かか)って・・・「懸・架・係・罹・繋・斯」かって
いた。
アモツ・・・蛙摸通
の子
預言者
イザヤ・・・意挿(指・覚)哉

彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
のところにきて言った、
「主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
 は
 こう仰(おう・ギョウ)せられます、
 『家の人に
  遺言(イゴン)を
  なさい。
  あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名他・吾拿他・阿名太
  は
  死(シ)に・・・・詞・詩・示・史・氏・子・誌
  ます。
  生(い・う・セイ・ショウ)き
  ながらえる・・・名臥等重留
  ことは
  できません』」。
20:2
そこで
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

顔を壁に向けて
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
に祈って言った、
20:3
「ああ
 主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
 よ、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 真実(シンジツ)を
 真心(まごころ・シンシン)をもって
 あなた・・・貴方・貴女・彼方
       蛙名他・吾拿他・阿名太
 の
 前に歩み、
 あなた・・・貴方・貴女・彼方
       蛙名他・吾拿他・阿名太
 の
 目にかなうことを
 おこなったのを
 どうぞ
 思い起してください」。
そして
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

激しく泣いた。
20:4
イザヤ・・・意挿(指・覚)哉

まだ
中庭を
出ないうちに
主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種

言葉が
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比

臨んだ、
20:5
「引き返して、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 民の
 君(クン・きみ)・・・訓・釧・組む・汲む
 ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)
 に言いなさい、
 『あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名他・吾拿他・阿名太
  の父
  ダビデの神、
  主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
  はこう仰せられる、
  私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
  あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名他・吾拿他・阿名太
  の祈を聞き、
  あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名他・吾拿他・阿名太
  の涙を見た。
  見よ、
  私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
  あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名他・吾拿他・阿名太
  を
  いやす。
  三日目
  には
  あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名他・吾拿他・阿名太
  は
  主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
  の
  宮に上るであろう。
20:6
 かつ、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 あなた・・・貴方・貴女・彼方
       蛙名他・吾拿他・阿名太・亜名多
 の
 齢(よわい・レイ)を・・・年齢・・・齢=歯+令
 ↓↑           ↓↑
 ↓↑           豫話意・与和意・余倭意
              ヨワイ
              夜窪異・・・窪(くぼ)
               ↓
              落窪物語
              十世紀末頃成立?
              母を失った
              落窪の姫君が
              継母に虐められながら
              侍女・阿漕(あこぎ)、
              阿漕の夫の
              帯刀(たてわき・タイトウ)
              ・
              惟成(これなり・シセイ)
                 惟神(かんながら)
              に
              助けられ
              貴公子=少将道頼
              とめぐりあう
              物語
              全4巻・作者不明
              漢籍引用が多々
             「枕草子」にも物語が
              記述・・・
              藤原道頼=山井大納言
             (やまのいのだいなごん)
              サンセイダイナゴン
              作務所為替名言
              サンイダイナゴン
              纂意(異)之廼名(拿・納)言
                ↓↑
              がモデル(model・摸出留)?
                の
             「交野の少将」、・・・交埜
              落窪の姫の
             「落窪の少将=道頼」
                ↓↑
             「交野の少将もどきたる
              落窪の少将などはをかし。
              昨夜、一昨日の夜も
              ありしかば(雨降り)こそ、
              それも
              をかしけれ。・・・冒しけれ
              足洗ひたるぞ・・・足=十
             (蛙詞新井多留添)
              にくき。・・・憎き
             (似句記)
              きたなかりけん」
             (記他名歌理懸)
                ↓↑
              作者不詳だが
             「皆本・皆元・みなもと」の
              源順(したがう)や、
↓↑            源相方(ソウホウ
↓↑                あいかた)
↓↑            ・・・とかの説も?
↓↑   源委・源泉・源流・語源・根源・同源
↓↑   淵源・起源・語源・光源・根源・財源
↓↑   資源・字源・震源・電源
↓↑−−ー男の子が継母に虐められるのは
↓↑   刀工鍛冶の「五郎正宗」のハナシ
↓↑      ↓↑      ↓↑
↓↑   正宗(まさむね、生没年不詳)
     鎌倉時代末期から南北朝時代初期に
     相模国鎌倉で活動した刀工
     相模鍛冶系図
     貞國─國弘─助真─國光─國重・國廣・行光・正宗
     正宗の生涯や人物像については
     後世の
     講談、芝居などで
     さまざまに
     脚色され、
     半ば伝説化・・・
     八木節の
    『五郎正宗孝子伝』
     には、
     父(てて)無し子の正宗が
     生き別れた父(ちち・フ)
     行光と涙の再会を果たし、
     プロセスで
     意地悪な継母に孝行する物語
     後世の仮託・・・?
      ↓
     織田信長豊臣秀吉
     に仕えた
     安土桃山時代
     茶人
     津田宗及の
    『宗及他会記』の
     天正八年(1580年)三月二十二日
     の記録に正宗の名が登場
     信長の前で
     脇指(わきざし)十四腰、
     御腰物(こしもの)八腰が
     振る舞われた
     茶事に信長を客として招き、
     当時の「名刀」を並べた
     短刀では
     薬研透(やげんすかし)吉光、
     無銘藤四郎、
     アラミ藤四郎
     などの
     名のある吉光にまじって、
     上龍下龍正宗、
     大トヲシ正宗の名があり、
     腰物分として
     正宗(ウチイ五郎入道)が記されている
     ウチイは
    「氏家」のコトといい、
     五郎入道は正宗の俗名
     この刀は
    「油屋に質に入っている」・・・?
            「油屋」とは「質屋」兼業?
    との記述
    ↓
    八木節
    ハァーまたも出ました三角野郎が
    四角四面の櫓の上で
    音頭取るとはお恐れながら
    国の訛りや言葉の違い
    お許しなさればオオイサネー
   「五郎正宗孝子伝」
    ハァーご来場なるみなさんへ
    平にご免を蒙りまして何か一席伺いまする
    かかる外題は何かと聞けば
    五郎正宗孝子の誉れ
    うまいわけにはまいらぬけれど
    さらばこれから伺いまするオオイサネー
    ↓
    ハァー国は相州鎌倉おもて
    雪の下にてすまいをなさる
    刀鍛冶屋の行光こそは
    玄関かまえの建物造り
    さても立派な鍛冶屋であれば
    弟子は日増し増え行くばかり
    今日はお盆の十六日で
    ↓
    ハァー盆の休みで弟子達どもは
    暇を貰って遊びに行けば
    後に残るは五郎が一人
    そこで行光五郎を呼んで
    是非に聞きたいそなたの身上
    言えば五郎は目に持つ涙
    聞いて下さい親方様よ
    ↓
    ハァー私ゃ京都の三条通
    宿屋稼業はしていたけれど
    つもる災難さて是非もない
    火事のためにと焼け出されて
    わしと母ちゃん乞食も同じ
    九尺二間の裏店(うらだな)住まい
    母は洗濯縫針仕事
    ↓
    ハァー私ゃ近所のお使い歩き
    細い煙で暮らしていたが
    お墓参りのその戻り道
    あまた子どもが私のことを
    五郎さんには父親がない
    父の亡い子は父(てて)なし子じゃと
    言われましたよノー母ちゃんへ
    ↓
    ハァー父がこの世におることなれば
    一目なりとも会わせておくれ
    泣いて頼めば母親言うに
    父は関東で刀剣鍛冶屋
    さほど会いたきゃ会わせてやろと
    家財道具を売りしろなして
    下り来たのが東海道
    ↓
    ハァー音に聞こえし箱根の山で
    持ったお金は賊に盗られ
    母は持病のさしこみがきて
    手に手つくしたその甲斐もなく
    ついにあの世へ旅立ちました
    死ぬる間際にこの短刀を
    父の形見と私にくれた
    ↓
    ハァーあとは言わずにそれなりけるが
    西も東も分からぬ土地で
    母に別れてどうしょうぞいと
    一人寂しく嘆いていたら
    通りかかった桶屋の爺が
    わしを助けて下さいました
    恩は必ず忘れはしない
    ↓
    ハァー父に会いたい桶屋をやめて
    刀鍛冶屋になりましたのじゃ
    聞いて行光不思議に思い
    五郎持ったる短刀とりて
    中身調べてびっくりいたす
    五郎引き寄せ顔うち眺め
    さては我が子であったか五郎
    ↓
    ハァー親はなくとも子は育つのよ
    そちの訪ねるその父親は
    わしじゃ「藤六行光」なるぞ
    思いがけない親子の名乗り
    様子立ち聞く「継母お秋」・・・安芸・亜紀・安岐
    障子開いて飛び込み来たる
    ヤイノヤイノと胸ぐらとりて
    ↓
    ハァーこれさ待ちゃんせ相手の女
    腹を痛めて産んだる子じゃと
    その日はそのまますんだるけれど
    思い出してはお秋のやつが
    邪魔になるのは五郎が一人
    今にどうする覚えておれと
    悔し悔しが病気となりて
    ↓
    ハァー日増し日増しに病気は重く
    軽くなるのが三度の食で
    そこで五郎は心配いたす
    産みの親より育ての親と
    子どもながらの利口なもので
    親の病気を治さんために
    夜の夜中に人目を忍ぶ
    ↓
    ハァーそっと抜け出で井戸へと行きて
    二十一日願掛けいたす
    ある夜お秋が厠に起きて
    手水使おと雨戸を開けりゃ
    いつの間にやら降り来る雪の
    風が持てくる水浴びる音
    何の音かとすかして見れば
    ↓
    ハァー水を浴びるは孝子の五郎
    寒さこらえてアノ雪の上
    上に座って両の手会わせ
    京都「伏見」のお稲荷さんよ
    母の病気を治しておくれ
    もしも病気が治らぬときは
    五郎命を差し上げますと
    ↓
    ハァー汲んだ釣瓶にしっかとすがり
    またも汲み上げざんぶと浴びる
    様子見ていた継母お秋
    胸に一もつその夜は眠る
    朝は早くに起きたる五郎
    母の居間へと見舞いに行けば
    母のお秋は布団にもたれ
    ↓
    ハァーいつに変わって猫なで声で
    そこじゃ寒いよこっちにおいで
    ハイと寄り来る五郎のたぶさ
    たぶさつかんで手元へ寄せて
    夕べお前は何していたの
    雪の降るのにアノ水浴びて
    神に祈ってこの継母を
    ↓
    ハァー祈り殺そとさて怖ろしや
    鬼か天魔か親不孝者め
    枕振り上げ打たんとすれば
    五郎その手にしっかとすがり
    それは母ちゃん心得違い
    どうぞお許し下されましと
    泣いて詫びする耳にも入れず
    ↓
    ハァーそばにあったる煎薬土瓶
    五郎めがけて投げつけまする
    投げた土瓶は五郎の額
    額破れて流るる血潮
    わっという声その声聞いて
    すぐに寄せ来る弟子達どもは
    五郎体をしっかと押さえ
    ↓
    ハァー別の一間へ連れ行く様子
    これを見ていた行光こそは
    おのれ憎いお秋のやつと
    思う心は山々なれど
    おれのおかげで日本一に
    出世したのもおのれのおかげ
    そこで五郎を一間に呼んで
    ↓
    ハァー切なかろうが許しておくれ
    家の跡取りゃお前であると
    父の優しい言葉を聴いて
    昼の邪険も忘れてしまい
    二十一日水浴び通す
    五郎一心点にと通じ
    お秋病気が全快いたす
    ↓
    ハァーお聞き下さる皆さん方へ
    もっとこの先読みたいけれど
    まずはここらで留め置きまして
    ご縁あるなら
    またこの次だがオオイサネー
 ↓↓ーーーーー
 十五
 年
 増す。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 あなた・・・貴方・貴女・彼方・蛙名他・吾拿他・阿名太と、
 この町とを
 アッスリヤ・・・アツ掏り屋・刷り屋
         「擦り・磨り・摩り・擂り」也
 の
 王の手から救い、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 名のため、
 また
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 しも
 べダビデ
 のために
 この町を守るであろう』」。
20:7
そして
イザヤ・・・意挿(指・覚)哉
は言った、
「干しいちじく・・・干し無花果
          補詞一字句
 の
 ひと
 かたまりを・・・塊(カイ)・固まり
 持ってきて、
 それを
 腫物(はれもの・シュブツ)・・・腫=月(肉)+重
                 腫瘍
 に
 つけさせなさい。
 そうすれば
 直るでしょう」。
20:8
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

イザヤ・・・意挿(指・覚)哉
に言った、
「主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
 が
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 癒(いや・ユ)される事と、
 三日目(みっかめ・サンニチメ・サンビメ)
 に
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
 の家に
 上ることについて、
 どんな
 しるしがありましょうか」。
20:9
イザヤ・・・意挿(指・覚)哉
は言った、
「主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
 が
 約束されたことを
 行われることについては、
 主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
 から
 このしるしを
 得られるでしょう。
 すなわち
 日影(ひかげ・ニチエイ)が
 十度(ジュウド)
 進(すす・シン)むか、
 あるいは
 十度(ジュウド)
 退(の・しりぞく・タイ)くかです」。
20:10
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

答えた、
「日影が
 十度
 進むことは
 容易(たやす・ヨウイ)い事です。
 むしろ
 日影を
 十度
 退かせてください」。
20:11
そこで
預言者
イザヤ・・・意挿(指・覚)哉

主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
に呼ばわると、
アハズ・・・蛙葉事
     「阿波・安房・安和」事

日時計(ヒドケイ)・・・比度懸意
の上に
進んだ日影を、
十度
退かせられた。
20:12
そのころ、
バラダン・・・葉等談
の子である
バビロン・・・Babylon
       巴比倫
       葉尾(備・美)論
の王
メロダクバラダン・・・目賂諾葉等談(拿務)
は、
手紙(てがみ・シュシ)と
贈り物を持たせて
使節(シセツ)を
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

つかわした。
これは
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

病んでいることを
聞いたからである。
20:13
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らを
喜び迎えて、
宝物の蔵、
金銀、
香料、
貴重な油
および
武器倉、
ならびに
その倉庫にある
すべての物を
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らに見せた。
家(いえ・カ)に・・・意重
ある物も、
国(くに・コク)に・・句爾・句似
ある物も、
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らに
見せない物は
一つもなかった。・・・ミンなバラした
20:14
その時、
預言者
イザヤ・・・意挿(指・覚)哉

ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)
王の
もとにきて言った、
「あの人々は
 何を言いましたか。
 どこからきたのですか」。
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)
は言った、
「彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
らは
遠い国から、
バビロン・・・Babylon
       巴比倫
       葉尾(備・美)論
         馬備論
         瑪拉基・馬太・馬可・羅馬
        尾張・吉備・美馬作・美濃・美唄
から
きたのです」。
20:15
イザヤ・・・意挿(指・覚)哉
は言った、
「彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
 らは
 あなた・・・貴方・貴女・彼方
       蛙名他・吾拿他・阿名太
 の家で
 何を見ましたか」。
 ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)
は答えて言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 家にある物を
 皆
 見ました。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 倉庫のうちには、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
 らに
 見せない物は
 一つもありません」。
20:16
そこで
イザヤ・・・意挿(指・覚)哉

ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)に言った、
「主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
 の
 言葉を聞きなさい、
20:17
 『主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
  は言われる、
  見よ、
  すべて
  あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名多・吾拿他・阿名太
  の家にある物、
  および、
  あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名多・吾拿他・阿名太
  の先祖たちが
  今日までに
  積みたくわえた物の、
  バビロン・・・Babylon
       巴比倫
       葉尾(備・美)論
  に
  運(はこ・ウン)び・・・・運=軍+辶
  去られる日が来る。
  何も
  残るものはないであろう。
20:18
  また、
  あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名多・吾拿他・阿名太の
  身から出る
  あなた・・・貴方・貴女・彼方
        蛙名多・吾拿他・阿名太
  の子たちも
  連れ去られ、
  バビロン
  の王の
  宮殿(キュウデン)で
  宦官(カンガン)・・・去勢された男の官吏
  となるであろう』」。
20:19
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

イザヤ・・・意挿(指・覚)哉に言った、
「あなた・・・貴方・貴女・彼方
       蛙名他・吾拿他・阿名太
 が
 言われた
 主(あるじ・ぬし・シュ)・・・有字・塗師・取・諏・首・種
 の言葉は
 結構(ケッコウ)です」。
 彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比
 は
 「せめて
  自分が世にあるあいだ、
  平和
  と
  安全
  があれば
  良いことでは
  なかろうか」
と思ったからである。
20:20
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

その他の事績

その武勇
および、
彼(かれ・ヒ)・・・仮例・比

貯水池(チョスイチ)・・・著出知

水道(スイドウ)を・・・推同・隋同
作って、
町(まち・チョウ)に
水を引いた事は、・・・・用水路→運河は隋の煬帝
            多摩川用水路はダレ・・・
            庄右衛門・清右衛門の兄弟
ユダ・・・委拿・諭拿・喩妥・由妥

王の
歴代志の書に
しるされている
ではないか。
20:21
ヒゼキヤ・・・比是記也(哉)

その先祖たちと共に
眠って、
その子
マナセ・・・真名施・魚名施

代って王となった。
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 ・・・「真名(漢字)を施せ」・「魚の名を施せ」である・・・