1774日目・・・「逃げる場所」、「逃げる余裕」・・・冷静な人々の「車内行動」だった・・・「林崎」?・・・「カムイ外伝」、「忍者武芸長」・・・「71歳、年金26万円」が不満だった?・・・「理屈っぽいヒトだった?」・・・「月額13万円」・・・「他人の命を奪うコト」が・・・「ケイコク」・・・?・・・「国立競技場・総工費2520億円」・・・「2520億円÷13万」・・・?・・・国会議員、道議会議員、公務員給与増額。7月1日、値上げ、物価上昇・・・「碁(ゴ)打ち」・・・もっと「理窟」を詰めたら・・・

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 林崎甚助
 天文十一年(1542年)?
   〜
 元和三年(1621年)
 武芸者
 居合(抜刀術)の始祖
 旧名、
 浅野民治丸
 名字は林崎
 通称は甚助
 本姓は源
 諱は重信
 生年は
 天文十七年(1548年)・・・
 林崎甚助の流派
 神夢想林崎流
 林崎流
 林崎夢想流・・・
 他に神夢想林崎流からの流派
 無双直伝英信流
 民弥流
 水鴎流
 関口流
 1542年
 出羽国
 楯山
 林崎(山形県村山市林崎)で生まれた
 父は
 浅野数馬
 幼名
 民治丸
 1547年
 父が
 坂一雲斎に恨まれ、
 夜更けに
 碁打ちの帰宅中を闇討ち
 仇討ちのため
 楯岡城の武芸師範
 東根刑部太夫
 について武術に精進
 1556年
 林崎明神(熊野明神)に
 参籠し祈念
 1561年
 19歳で仇討ちを果たした
 (1560年とも)
 その後、諸国を
 廻国修行
 途中で
 加藤清正に招かれ
 加藤家の家臣を指南
 林崎新夢想流の伝書
 林崎甚助
 塚原卜伝より
 鹿島新当流も学んだと伝え
 伝書にも卜伝流剣術の目録が存在している
 鞍馬流剣術の伝書においても
 林崎甚助
 第二代として系譜
 元和三年(1617年)
 70代にして諸国へ再度廻国修行
 林崎甚助の弟子
 田宮重正田宮流開祖)
 関口氏心関口流開祖)
 など・・・
 林崎甚助忍者武芸帳白土三平
 ・・・・居合いの達人・・・
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 旧約聖書
 サムエル記
 撒母耳 記(下)
第9章
9:1
時にダビデは言った、
「サウルの家の人で、
 なお残っている者があるか。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 ヨナタン
 のために、
 その人に
 恵みを施そう」。
9:2
さて、
サウルの家に
ヂバ・・・・字葉・事葉・時葉・地場・磁場
という


僕(しもべ・従僕・ボク)があったが、
人々が
彼を
ダビデのもとに呼び寄せたので、
王は彼に言った、
「彼方(あなた・貴方)が
 ヂバ・・・・字葉・事葉・時葉・地場・磁場か」。
彼は言った、
「僕(しもべ・従僕・ボク)が
 そうです」。
9:3
王は言った、
「サウルの家の人が
 まだ残っていませんか。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 その人に
 神の恵みを施そうと思う」。
ヂバ・・・・字葉・事葉・時葉・地場・磁場
は王に言った、
ヨナタンの子が
 まだおります。
 足萎(あしな)え・・・跛(びっこ)
            跛足(チンバ)
            膝行(シッコウ)
            足が不自由で立てない人
            躄(いざり)
            いざりうお
            躄魚⇒かえるあんこう
              (蛙  鮟 鱇)
            躄勝五郎⇒いざりかつごろう
                (浄瑠璃
            日本タケル=倭建
                  日本童男
                  倭男具那
            黒田官兵衛
            山本勘助
           「乞食・物乞い
            ほいと(陪堂・乞食・乞児)」
            の蔑称
 です」。

9:4
王は彼に言った、
「その人は
 どこにいるのか」。
ヂバ・・・・字葉・事葉・時葉・地場・磁場
は王に言った、
「彼は
 ロ・・・・・賂
 ・
 デバル・・・出葉留・出張る・出場留
 の
 アンミエル・・・行視重留
         案見える
         案三重留
 の
 子(こ・ね・ス・シ)
 マキル・・・・・巻留
         撒記留
         薪留
 の
 家(いえ・カ)・・・意得・化・歌・蚊・仮
 に
 おります」。
9:5
ダビデ王は人をつかわして、
ロ・デバル

アンミエルの子
マキルの家から、
彼を連れてこさせた。
9:6
サウルの子
ヨナタン
の子である
メピボセテ・・・・・目備母施出

ダビデ

元(もと・はじめ・ゲン・本)
にきて、
平伏(ひれふ・ヘイフク・ヒョウフク)
して
拝(おがむ・ハイ)
した。
ダビデが、
「メピボセテよ」
と言ったので、
彼は、
「僕(しもべ・従僕・ボク)は、
 ここにおります」
 と答えた。
9:7
ダビデは彼に言った、
「恐れることはない。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 必(かなら・ヒツ)ず
 彼方(あなた・貴方)
 の
 父(ちち・フ)
 ヨナタン
 の
 ために
 彼方(あなた・貴方)に
 恵(めぐ・え・ケイ)みを
 施(ほどこ・セ)しましょう。
 彼方(あなた・貴方)の
 父
 サウルの
 地(チ・ジ)を
 みな
 彼方(あなた・貴方)に
 返(かえ・ヘン)します。
 また
 彼方(あなた・貴方)は
 常(つね・とこ・ジョウ)に
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 食卓(ショクタク)
 で
 食事(ショクジ)
 をしなさい」。
9:8
彼は拝して言った、
「彼方(あなた・貴方)は、
 僕(しもべ・従僕・ボク)を
 何と
 思し召(おぼしめ)シて、
 死(シ)んだ
 犬(イヌ・ケン)
 の
 ような
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)
 を
 顧(かえらみ・コ)られる・・・顧=雇+頁
 のですか」。
9:9
王は
サウルの
僕(しもべ・従僕・ボク)
ヂバ・・・・字葉・事葉・時葉・地場・磁場

呼(よ・コ)んで言った、
「すべて
 サウルと
 その
 家に属する物を
 皆、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 彼方(あなた・貴方)の
 主人
 の
 子に
 与えた。
9:10
 彼方(あなた・貴方)と、
 彼方(あなた・貴方)の子たちと、
 僕(しもべ・従僕・ボク)たちとは、
 彼のために
 地
 を
 耕(たがや・コウ)
 して、
 彼方(あなた・貴方)の
 主人の子が
 食べる食物を
 取り入れなければならない。
 しかし
 彼方(あなた・貴方)の
 主人の子
 メピボセテ
 は
 いつも
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 食卓
 で
 食事
 をするであろう」。
 ヂバ・・・・字葉・事葉・時葉・地場・磁場
 には
 十五人の
 男の子と
 二十人の
 僕(しもべ・従僕・ボク)があった。
9:11
ヂバ・・・・字葉・事葉・時葉・地場・磁場

王に言った、
「すべて
 王
 我(わが・ガ)主君が
 僕(しもべ・従僕・ボク)に
 命じられるとおりに、
 僕(しもべ・従僕・ボク)は
 いたしましょう」。
こうして
メピボセテ

王の子

ひとり
のように
ダビデの食卓で食事をした。
9:12
メピボセテには
小さい子があって、
名を
ミカ
といった。
そして
ヂバ・・・・字葉・事葉・時葉・地場・磁場

家に住んでいる者は
みな
メピボセテ

僕(しもべ・従僕・ボク)となった。
9:13
メピボセテ

エルサレム
に住んだ。
彼がいつも
王の食卓で食事をしたからである。
彼は
両足
ともに、
なえて
いた。
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