1769日目・・・本日、薄っすら雲のお天気。朝、登校中の小学生五、六人に「おはようございます」と声をかけられた・・・家の道添のマーガレットは例年の如くビッシリ咲き誇って、庭は紅色の薔薇(バラ)と赤と白の牡丹(ぼたん)が咲きだした・・・カボチャの黄色とナスビの紫色の花も・・・トマトも緑色の実を付け出しているが、胡瓜(キュウリ)は芽を出したばかりで、今年食べることが出来るのか、ドウなのか・・・

 「国際条約」では戦争の「賠償金」って「敗戦国」が負うモノらしい・・・「サンフランシスコ講和条約((Treaty of Peace with Japan))」・・・どうやら、亜米利加も日本もこの条約(第五条・第六条→国際連合憲章第二条に掲げる義務を特別なモノとして受諾する)には「違反」してきたらしい・・・国際連合から外れて「有志連合(イラン戦争)」は何時でも形成されるし、現場での戦争(戦闘)開始は「国家の命令」をも無視する・・・それでも、当時の「亜米利加の指導者」には、返金と云う「遵法精神」があったらしい・・・
 戦後の「サンフランシスコ平和条約」での日本側支払いの「賠償金」が「無賠償」となったのには「理由」があった・・・
 理由は簡単である。原則的にはアメリカが日本に戦前に「金融投資した金」の償還である・・・「資本主義の国」だから当然である。日本に投資した「アメリカの金融金額の数字」は、最早、敗戦、戦後の日本ではその数字に裏打ちの無い単なる「紙に印刷された無価値な数字」でしかない・・・だがアメリカの投資家はその持っている「紙」を紙クズにはしたくなかった・・・
 「戦争はカネの計算をしてから始めるのがヨーロッパでは常識だった」らしい・・・それを「高杉晋作」が知らないワケがない?・・・「彦島」は貸しません、敗戦責任の賠償金は300万ドルの支払いは「国家運営者」の「幕府におねがいしま〜す」であった・・・「日清戦争」では勝ってシコタマ賠償金、「日露戦争」でなんとか「樺太半分」で「賠償金は無し(戦費17億円は国家予算6年分。外債8億、9億内債・増税)」・・・「促成明治民族(賠償金50億円、遼東半島の権利、旅順-ハルピン間の鉄道権利譲渡、樺太全土譲渡を期待していた)」は怒って「日比谷焼打事件」・・・「近世、近代の国家間戦争は支配階級の経済の損得稼業(古代〜ヅぅッと)」だったのだ。勝っても負けても「損得勘定」の上である・・・彼らにとって「兵士・一兵卒」の命は「博打のサイコロ」でしかない・・・だが、天皇万歳に組織化された「兵士・一兵卒」も戦死自体が「美化(日本武士の生きざま)」されていたからドウしょうもない・・・
 「与謝野晶子」だけがその本質を訴えた・・・
 ・・・「子供の犯罪の賠償」は「親」にしてもらいます・・・責任は「連帯責任者にもオネガイしま〜す」・・・「国家の責任」は「国民にアリマぁ〜ス」・・・「国家組織は法人」であるから国家倒産、破産には「法人格」として「責任をトリマァ〜ス」だが、ダレも個々人としては責任をとらないのである・・・結局、ツケを「債権者=納税者=投資者」にまわして、オワリである・・・それでも熱湯を水で薄めればなんとかなるイイ湯加減カモ・・・
 「日本国憲法」・・・それでも、「プチブル意識国家」・・・
ーーーーー
 高杉晋作(コウサンシンサク)の祖先は
 備後国(びんごのくに・ビゴコク)
 三谿郡(みたにごおり・サンケイグン)
 高杉邑(たかすぎむら・コウサンユウ)
 であるらしい・・・
ーーーーー
 元治元年(1864年
 7月27日、28日
 キューパー中将(英)
 総司令官とする
 四国連合艦隊
 横浜を出港
 艦隊は
 十七隻
 英吉利軍艦九隻
 仏蘭西軍艦三隻
 阿蘭陀軍艦四隻
 亜米利加仮装軍艦一隻
 総員約五千の兵力
 横浜に
 英吉利軍艦一隻
 亜米利加軍艦一隻
 香港から移駐してきた
 陸軍分遣隊
 壱千参百五拾人待機
 ↓
 八月八日
 長州藩は講和使節
 高杉晋作を任命
 家老
 宍戸備前
 の
 養子(とりこ・ヨウシ)
 宍戸刑部(ししどおさかべ・ジクドギョウウブ)
 を名乗り、
 四国連合艦隊旗艦の
 ユーライアラス号
 に乗り込んで
 キューパー司令官
 との談判に臨んだ
 イギリス側通訳は
 アーネスト・サトウ
 18日
 下関海峡の外国船の
 通航の自由、
 石炭・食物・水など
 外国船の必要品の
 売り渡し、
 悪天候時の船員の
 下関上陸の許可、
 下関砲台の撤去、
 賠償金
 300万ドルの支払い
 5条件を受け入れて
 講和が成立
 賠償金については
 長州藩ではなく
 幕府に請求する
  ↓↑
 外国船への攻撃は
 幕府が朝廷に約束し
 諸藩に通達した命令に
 従ったまでとの理由
 高杉が
 「彦島(ひこじま・ゲントウ)」
 の
 租借
 だけは断固として拒否
  ↓↑
 十二月
 俗論党政権に対して
 高杉晋作
 奇兵隊を率いて挙兵(功山寺挙兵)
 翌
 慶応元年(1865年)
 高杉らは
 長州藩内戦に勝利
 倒幕派
 長州藩の主導権を握る
 ↓↑
 四カ国連合艦隊
 下関賠償金
 300万ドルの賠償金を
 幕府に請求
 幕府に
 安政五カ国条約の勅許
 と
 賠償金の減額と引換に
 兵庫の早期開港を迫った(兵庫開港要求事件)
 幕府は
 300万ドルの賠償金を受け入れ
 幕府は150万ドルを支払い、
 明治維新後は
 新政府が
 残額を
 明治七年(1874年)までに
 分割で支払った
 明治十六年(1883年)二月二十三日
 チェスター・アーサー米国大統領は
 不当に受領した
 下関賠償金(78万5000ドル87セント)の
 日本への返還を決裁
 300万ドルの賠償金の分配は
 アメリカ、フランス、オランダの
 3ヶ国の
 船艦が
 42万ドルを分け、
 残額258万ドルは
 連合艦隊
 4ヶ国に分けたため、
 米国は合計で
 78万5000ドルを得ていた
 実際の米国の損失は、
 米国船
 ペングローブ号の
 日時を要した
 費用5日分
 1500ドル
 長崎に寄港出来なかった為の
 損害
 6500ドル
 水夫への危険手当
 2000ドル
 だった
 ワイオミング号の損害は
 日本への威圧の為に起った事で
 日本ではそれ以上の損害が発生しており、
 連合艦隊への参加は
 商船
 タキアン号1艘のみの
 参加で
 64万5千ドルを得た事になっていた。
 結果、
 米国の損害は
 合計
 1万ドルに過ぎなかった。
 この
 賠償金は
 米国政府の
 公認を得たものでなく、
 弱小
 日本に対する
 威圧によって得た不当なもの
 アメリカ合衆国国務省
 日本から
 分割金を受領するたびに
 国庫に納めず
 国債として保管していた。
 その実情を
 明治五年(1872年)、
 フィッシュ国務長官が・・・ fish(魚・まな)
 「森有礼」公使・・・サカナを釣ったのは森有礼
 に伝えた事から、
 日本側では機会をとらえては
 返還の要請をしていた
 明治二十二年(1889年)、
 返還金の
 元利金約140万円を
 横浜港の
 築港整備費用(総額234万円)に
 充当する事を決定し
 明治二十九年(1896年)五月に完成
 ↓↑
ーーーーー
 旧約聖書
 サムエル記
 撒母耳 記(下)

第3章
3:1
サウルの家

ダビデの家
との間の
戦争は
久しく続き、
ダビデ

ますます強くなり、
サウルの家は
ますます弱くなった。
3:2
ヘブロン

ダビデ

男の子が生れた。
彼の長子は
エズレル・・・・


アヒノアム・・・・

産んだ
アムノン、・・・・
3:3
その次は
カルメル・・・・
びと
ナバル・・・・
の妻であった
アビガイル・・・・
の産んだ
キレアブ、・・・・
第三は
ゲシュル・・・・
の王
タルマイ・・・・
の娘
マアカ・・・・
の子
アブサロム、・・・・
3:4
第四は
ハギテ・・・・


アドニヤ、・・・・
第五は
アビタル・・・・
の子
シパテヤ、・・・・
3:5
第六は
ダビデの妻
エグラ・・・・
の産んだ
イテレアム。・・・・
これらの子が
ヘブロン

ダビデ
に生れた。
3:6
サウルの家

ダビデの家とが戦いを
続けている間に、
アブネル・・・・

サウルの家で、
強くなってきた。
3:7
さて
サウルには、
ひとり

妾(そばめ・めかけ・ショウ)
があった。
その名を
リヅパ・・・・
といい、
アヤ・・・・
の娘であったが、
イシボセテ・・・・

アブネル・・・・
に言った、
「彼方(あなた・貴方)は
 なぜ
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 父の
 妾(そばめ・側女・めかけ・ショウ)
 のところに
 はいったのですか」。
3:8
アブネル・・・・

イシボセテ・・・・
の言葉を聞き、
非常に怒って言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 ユダ・・・・
 の
 犬(いぬ・ケン)
 の
 頭(かしら・トウ)ですか。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 今日(きょう・コンニチ・本日)、
 彼方(あなた・貴方)の
 父サウルの家と、
 その兄弟と、
 その友人とに
 忠誠をあらわして、
 彼方(あなた・貴方)を
 ダビデの手に
 渡すことを
 しなかったのに、
 彼方(あなた・貴方)は
 今日(きょう・コンニチ・本日)、
 女(おんな・め・ジョ)の事
 の
 過(あやま・カ)ち
 を
 挙(あげ・キョ)げて
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 責(せ・セキ)められる。
3:9
 主がダビデに誓われたことを、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 彼のために
 なし遂げないならば、
 神が
 アブネル・・・・
 を
 幾重(いくえ・キジュウ)にも
 罰(ばつ・バチ)しられるように。
3:10
 すなわち・・・・則・即・廼・輙・輒
         諏名和知・砂和地
 王国を
 サウルの家から移し、
 ダビデの位を
 ダン・・・・
 から
 ベエルシバ・・・・
 に至るまで、
 イスラエル・・・・
 と
 ユダ・・・・
 の上に
 立たせられるであろう」。
3:11
イシボセテ・・・・

アブネル・・・・
を恐れたので、
一(ひと・イチ)言も
彼に
答えることができなかった。
3:12
アブネル・・・・

ヘブロン・・・・
にいる
ダビデのもとに使者をつかわして言った、
「国は
 誰(だれ・スイ)の
 ものですか。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)と
 契約を結びなさい。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 彼方(あなた・貴方)に
 力添えして、
 イスラエル
 ことごとく
 彼方(あなた・貴方)のものにしましょう」。
3:13
ダビデは言った、
「よろしい。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は、
 彼方(あなた・貴方)と
 契約を結びましょう。
 ただし
 一つの事を
 彼方(あなた・貴方)に求めます。
 彼方(あなた・貴方)がきて
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 顔を見るとき、
まず
 サウルの娘
 ミカル
 を連れて来るのでなければ、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 顔を見ることはできません」。
3:14
それから
ダビデは使者を
サウルの子
イシボセテ
につかわして言った、
「ペリシテびとの
 陽(ひ・ヨウ・ペニス)の皮・・・・包茎の皮
 一百を
 もって
 娶(めと)った
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 妻
 ミカル・・・・
 を引き渡しなさい」。
3:15
そこで
イシボセテ・・・・

人をやって
彼女を
その夫、
ライシ・・・・
の子
パルテエル・・・・
から取ったので、
3:16
その
夫は
彼女と共に行き、
泣きながら
彼女のあとについて、
バホリム・・・・
まで行ったが、
アブネル・・・・
が彼に
「帰って行け」
と言ったので
彼は帰った。
3:17
アブネル・・・・

イスラエルの長老たちと
協議して言った、
「彼方(あなた・貴方)がたは
 以前からダビデ
 彼方(あなた・貴方)がたの
 王とすることを
 求めていましたが、
3:18
 今
 それをしなさい。
 主がダビデについて、
 『私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
  僕(しもべ・従僕・ボク)
  ダビデの手によって、
  私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
  民イスラエルをペリシテびとの手、
  および
  もろもろの
  敵の手から
  救い出すであろう』
 と言われたからです」。
3:19
アブネル・・・・

また
ベニヤミン・・・・
にも語った。
そして
アブネルは、
イスラエル

ベニヤミン

全家が良いと思うことをみな、
ヘブロン
ダビデに告げようとして出発した。
3:20
アブネルが
二十人
を従えて
ヘブロンにいる
ダビデのもとに行った時、
ダビデ
アブネルと彼に従っている
従者たちのために
酒宴を設けた。
3:21
アブネルはダビデに言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 立(た)って
 行(い)き、
 イスラエル
 悉(ことごとく・尽く)、
 我(わが・ガ)主、
 王のもとに集めて、
 彼方(あなた・貴方)と
 契約を結ばせ、
 彼方(あなた・貴方)の
 望むものを
 悉(ことごとく・尽く)
 治められるようにいたしましょう」。
こうして
ダビデ
アブネル
を送り帰らせたので
彼は
安全に去って行った。
3:22
丁度(ちょうど)・・・調度・兆度
その時、
ダビデの家来たちは
ヨアブと共に
多くの
分捕(ぶんどり・ブンホ・掠奪)物

携(たずさ・ケイ)えて
略奪から
帰ってきた。
しかし
アブネル

ヘブロン
ダビデのもとにはいなかった。
ダビデ

彼を帰らせて
彼が安全に去ったからである。
3:23
ヨアブ・・・・
および
彼と共にいた
軍勢がみな帰ってきたとき、
人々は
ヨアブに言った、
「ネルの子
 アブネル
 が
 王のもとにきたが、
 王が
 彼を帰らせたので
 彼は安全に去った」。
3:24
そこで
ヨアブは
王のもとに行って言った、
「彼方(あなた・貴方)は
 何をなさったのですか。
 アブネルが
 彼方(あなた・貴方)の所にきたのに、
 彼方(あなた・貴方)は
 どうして、
 彼を返し去らせられたのですか。
3:25
 ネル
 の子
 アブネルが
 彼方(あなた・貴方)を
 欺くためにきたこと、
 そして
 彼方(あなた・貴方)の
 出入りを知り、
 また
 彼方(あなた・貴方)の
 なさっていることを、
 ことごとく知るためにきたことを
 彼方(あなた・貴方)は
 御存知(ごぞんじ)です」。
3:26
ヨアブはダビデの所から出てきて、
使者をつかわし、
アブネルを追わせたので、
彼らは
シラ・・・・

井戸から
彼を連れて帰った。
しかし
ダビデ
その事を知らなかった。
3:27
アブネル

ヘブロンに帰ってきたとき、
ヨアブ

密(ひそ)かに語ろうといって
彼を門のうちに連れて行き、
その所で
彼の


刺して死なせ、
自分の兄弟
アサヘル

血を報いた。
3:28
その後
ダビデはこの事を聞いて言った、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)と
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 王国とは、
 ネルの子
 アブネルの血に関して、
 主の前に
 永久に罪はない。
3:29
 どうぞ、
 その罪が
 ヨアブの頭と、
 その
 父の全家に帰するように。
 また
 ヨアブの家には
 流出を
 病む者、
 らい病人、
 杖(つえ・ジョウ)にたよる者、
 剣(つるぎ・ケン)に倒れる者、
 または
 食物の乏しい者が
 絶えないように」。
3:30
こうして
ヨアブ

その弟
アビシャイ
とは
アブネル
を殺したが、
それは
彼が
ギベオンの戦いで
彼らの
兄弟
アサヘル
を殺したためであった。
3:31
ダビデ
ヨアブ
および
自分と共にいるすべての民に言った、
「彼方(あなた・貴方)がたは
 着物(きもの・チャクブツ)を
 裂(さ・レツ)き、
 荒布(あらぬの・コウフ)を
 まとい、
 アブネル
 の前(まえ・ゼン)に
 嘆(なげ・タン)きながら
 行(い・ギョウ・コウ・アン)きなさい」。
そして
ダビデ王は
その
棺(ひつぎ・柩・カン)の
あとに従った。
3:32
人々は
アブネルをヘブロンに葬った。
王は
アブネルの墓で
声を
あげて泣き、
民もみな泣いた。
3:33
王は
アブネルのために
悲しみの歌を作って言った、
「愚かな人の
 死ぬように、
 アブネルが
 どうして死んだのか。
3:34
 彼方(あなた・貴方)の手は
 縛られず、
 足には
 足かせもかけられないのに、
 悪人の前に倒れる人のように、
 彼方(あなた・貴方)は
 倒れた」。
そして
民は皆、
再(ふたた)び
彼のために泣いた。
3:35
民はみなきて、
日のあるうちに、
ダビデ
麵麭(パン)を
食べさせようとしたが、
ダビデは誓って言った、
「もし
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 日の入る前に、
 パンでも、
 ほかのものでも
 味わうならば、
 神が
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 幾重(いくえ・キジュウ)にも
 罰(ばつ・バチ)しられるように」。
3:36
民はみな
それを
見て
満足した。
すべて
王のすることは
民を満足させた。
3:37
その日
すべての民
および
イスラエルは皆、
ネルの子
アブネルを殺したのは、
王の
意思によるものでないことを知った。
3:38
王はその家来たちに言った、
「この日
 イスラエルで、
 ひとりの
 偉大なる将軍が
 倒れたのを
 彼方(あなた・貴方)がたは
 知らないのか。
3:39
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 油を注がれた王であるけれども、
 今日
 なお弱い。
 ゼルヤの子である
 これらの人々は
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 手におえない。
 どうぞ
 主が悪を行う者に、
 その悪にしたがって
 報いられるように」。
ーーーーー
 ・・・