1750日目・・・「憲法学者」が国会で「自民党の集団自衛権」は「憲法違反でアル」と云っているが、これに危機感を覚えたのか「自民幹事長」は街頭に繰り出して「裁判所」は「憲法合憲」であるとし、その「合憲性」を演説していた。・・・砂川事件の「裁判」自体が、「日本国憲法」を基軸にして判断したら、司法官としての「裁き」は「論理の筋」として間違っているのダレが考えても「屁理屈」だったろう。当時の「裁判屋」も苦渋の「屁理屈」だったのカモ・・・昔にも「勘文(かんもん)」と云うモノがあったらしい・・・「勘解由使」っての存

  ↓
 「勘解由使」=令外官律令制の令に規定されていない官)
       役人交代の際,
       前任者から後任者への
       引継ぎ書類を
       審査した役職
       事務引継ぎに
       欠陥がないと認めたとき
       新任者が前任者に与える書類を
      「解由状」といった
 「受領名(家臣に対して授けた非公式な仮の官名)」
 として江戸時代
 「勘解由」の名を有する
 「新井白石=幼名は伝蔵、君美
       別名は与五郎
       号は白石、紫陽、天爵堂、
         忽斎、在中、済美
       渾名は火の子、鬼」
 は「源氏(白・シロ)」である・・・「源氏」は「新羅」である・・・「平家(赤・セキ)」は「百済」であるカナ・・・
 「日本列島への渡来人」は・・・壬那(みまな→視眞名?←弁韓)経由の南からの「古来(ふるき)」と「今来(いまき)」の海の人々で、樺太経由の北からの「粛慎(シュクシン、みしはせ、あしはせ)」、「蝦夷」も海の人々である・・・海を渡って来たのである・・・
 それ以前は大陸続きの時か、氷河期の海氷を渡ってきた「縄文人」である・・・「花かづら(蔓・曼・蔓)」・・・稲、稲茎が無い以前は、「植物の蔓(つる)」は「撚った縄(なわ)」の実(本)用、代用でもあった・・・
 大伴家持
 「漢人(からひと)も
  筏(いかだ)浮かべて
  遊ぶといふ
  今日
  そ我が
  背子
  花かづらせよ(萬(万)葉集・四一五三)」
 の
 「からびと」から「毛唐」→「懸問う」
 「らしゃめん(羅紗緬・羅紗綿)」
 「洋妾」→「覶写面」、そして
 「背子、花蔓(曼・つる・つら・かづら)せよ」を調べていたら「新井白石」に飛んでしまった・・・「新井白石」は「シドッチ」を尋問し、そして「新約、旧約の聖書」を読んでいた?・・・兎に角、「アブラハム(Abraham)の息子(イサク)を神に捧げる燔祭(はんさい・holocaust)」には「折りたく柴」が必要だった・・・
  ↓
 「折たく柴の記
 第六代将軍
 徳川家宣
 の
 側近
 新井白石
 の
 随筆
 享保元年(1716年)頃の著作
 生家である新井家のことや、
 白石の政治的体験談などの
 自伝的随筆
 「藩翰譜」作成のいきさつも記載
 書名は、
 「後鳥羽天皇の哀傷歌」
 「思ひ
  出づる・・・・いヅル
  折りたく柴の
  夕煙むせぶも
  うれし忘れ形見に
  (新古今和歌集巻第八・哀傷歌)
 に由来しているらしい・・・
 「後鳥羽天皇」ですか・・・「語賭場」なら「鉄火場」だろう・・・「娯賭場」なら「ラスベガス」か・・・「菊の紋章」を「創始者」が「後鳥羽天皇」・・・「菊の紋章」は「シュメール、アッシリア、エジプトの王家の紋章」に確かに似ているが・・・「ジンギスカン(成吉思汗)の秘密(高木彬光の小説)」だったカナ・・・
ーーーーー
  ↓
 ・・・砂川事件の「裁判」自体が、「日本国憲法」を基軸にして判断したら、その「裁き」に間違っているのダレが考えても「屁理屈」だった・・・
  ↓
 「勘文(かんもん)」
  ↓
 朝廷から諮問を依頼された学者などが
 由来・先例等の必要な情報を
 調査して
 審査報告(勘申)を
 行った文章
 主に
 外記や
 神祇官検非違使などの
 官人、大学寮や
 陰陽寮に属する
 諸道の学者などが行った
  ↓
 国家の重大事などに際して
 専門家である官僚や学者に
 勘申を行わせて、
 太政官の陣定
 や
 院評定などの参考とした
 先例・故実・吉凶などに関する
 勘申(報告書)が多く、
 特に先例を
 勘申したものを
 「勘例(かんれい)」と称した
 天平九年(737年)
 天然痘の大流行の際に
 典薬寮から出された
 勘文が対処案として
 「類聚符宣抄」
 に採録
 天文密奏の際に行われた
 「天文勘文」や
 刑事事件などの際に行われた
 明法家による
 「明法勘文」などがある
  ↓
 外記で天文密奏の資格も有した
 中原氏には諸道勘文を採録した
 「諸道勘文・200巻」
 と
 「続諸道勘文(巻数不明)」が
 伝えられていたと言われているが、
 現在は、
 「群書類従
 に採録された「諸道勘文」のうち
 二巻分が遺されているだけ・・・
  ↓
 中世において
 自分が考えたことを
 文書にまとめたもの
 一般を
 「勘状(かんじょう)」と称していた
 「勘文」
 もまた学者・官人が
 自己の知識や考えを
 記した文書であったため、
 「勘状」が
 「勘文」の別名として
 用いられることもあった・・・
  ↓
 「色葉字類抄(いろはじるいしょう)=古辞書」
 平安時代末期に成立した
 この「勘文・勘状」に「菊紋印」・・・
  ↓
 「色葉字類抄=古辞書」は
 和語・漢語を第一音節によって
 イロハ47部に分け、
 更に
 天象・地儀など
 21門の意義分類を施した
 発音引き辞書
 イロハ引きの
 日本語辞書として最古
 「オ(低音・平声)」
 と
 「ヲ(高音・上声)」
 の区別は
 アクセントの高低によって区別
 日常語が多く収録され、
 特に漢語が豊富に収録
 また
 社寺・姓名など固有名詞も収録
 漢字表記の後に
 片仮名で訓みが注され、
 簡単な漢文で意味・用法が記録・・・
  ↓
 「橘忠兼」編
 三巻本の
 他か
 二巻本
 十巻本の
 「伊呂波字類抄」がある
  ↓
 天養年間〜長寛年間
 (1144年〜1165年)
 二巻本の
 「色葉字類抄」が成立
 その後増補が行われ
 治承年間(1177年〜1181年)までに
 三巻本
 「色葉字類抄」が成立
 その後
 大幅な増補が行われ
 十巻本
 「伊呂波字類抄」も鎌倉初期までに成立した
 「世俗字類抄」
 「節用文字」も祖本の同じ異本・・・
 そのほか
 前田
 尊経閣蔵六巻本は
 室町時代の語彙を増補・改編
 花山院本(三冊本)は
 二巻本と十巻本の取り合わせ本
 「字鏡集・平他字類抄・節用集・塵袋」
 などがある・・・

 後鳥羽天皇
 第八十二代天皇
 (在位寿永二年八月二十日・1183年9月8日)
     〜
    建久九年一月十一日(1198年2月18日)
 諱は尊成(たかひら・たかなり)
  ↓
 鍛刀を好み、
 備前一文字派
 則宗など諸国から鍛冶を集め
 自らも焼刃を入れ
 十六弁の
 菊紋を毛彫りした
 「御所焼・菊御作」などと呼び
 天皇家
 「菊紋」のはじまりになった
  ↓
 観賞用の菊(キク)は
 奈良時代に中国大陸より伝えられた
 「菊、梅、竹、蘭」は
 「四君子」とされた
 「万葉集」には詠まれていない
 「古今和歌集源氏物語」などから登場
 平安時代には、
 陰暦九月を菊月と呼び、
 九月九日は
 「重陽節句・菊の節句」とし、
 「菊花酒」を飲む
 「菊花の宴」、
 「菊花の杯」で
 邪気を払い、長命を祈った
  ↓
 後鳥羽上皇
 菊花を好み、
 自らの印として愛用
 その後、
 後深草天皇亀山天皇後宇多天皇
 が自らの印として継承
 慣例的に菊花紋の
 「十六八重表菊」が皇室の紋となった
 「十六弁菊」は南朝の紋
 「三十二弁菊(十六弁八重菊)」は北朝の紋
  ↓
 江戸時代
 徳川幕府
 「葵紋=葵三つ葉」は自由使用禁止
 「菊花紋」は自由
  ↓
 1867年(慶応三年)3月28日
 太政官布告第195号で
 提灯・陶器・貢物などに
 「菊紋」を描くことを禁止
 1869年(明治二年)8月25日
 太政官布告第802号で
 「十六八重表菊」
 が公式に皇室の紋とされ
 王家の菊花紋として
 「十六葉」の使用を禁止
 1871年(明治四年)6月17日
 太政官布告第285号で
 皇族以外の「菊花紋」の使用が禁止
 皇族家紋の雛形として
 「十四一重裏菊」が定められた
  ↓
 1879年(明治十二年)5月22日
 太政官達第23号で
 一般の社寺でも神殿・仏堂の装飾として
 使用することが許された
ーーーーー
 旧約聖書
 舊約(旧約)
 サムエル記=撒母耳記
第7章
7:1
キリアテ・・・・・・

ヤリム・・・・・・・
の人々は、
きて、
主(あるじ・ぬし・シュ)の
箱を携え上り、
丘の上の
アビナダブ・・・・・
の家に持ってきて、
その子
エレアザル・・・・・
を聖別して、
主(あるじ・ぬし・シュ)の
箱を守らせた。
7:2
その箱は久しく
キリアテ・・・・・

ヤリム・・・・・
にとどまって、
二十年・・・・・
を経た。
イスラエルの全家は
主(あるじ・ぬし・シュ)を
慕って嘆いた。
7:3
その時
サムエル・・・・・

イスラエルの全家に告げていった、
「もし、
 あなたがたが
 一心に
 主(あるじ・ぬし・シュ)に
 立ち返るのであれば、
 他(ほか・タ)の神々と
 アシタロテ・・・
 を、
 あなたがたのうちから捨て去り、
 心を
 主(あるじ・ぬし・シュ)に向け、
 主(あるじ・ぬし・シュ)にのみ
 仕えなければならない。
 そうすれば、
 主(あるじ・ぬし・シュ)は
 あなたがたを
 ペリシテびとの手から
 救い出されるであろう」。
7:4
そこで
イスラエルの人々は
バアル・・・・・・

アシタロテ・・・・
を捨て去り、
ただ
主(あるじ・ぬし・シュ)に
のみ仕えた。
7:5
サムエルはまた言った、
イスラエルびとを、
 ことごとく
 ミヅパ・・・・
 に集めなさい。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 あなたがたのために
 主(あるじ・ぬし・シュ)に
 祈りましょう」。
7:6
人々は
ミヅパ・・・・
に集まり、
水をくんで
それを
主(あるじ・ぬし・シュ)の
前に注ぎ、
その日、
断食してその所で言った、
「我々(われわれ・ガガ)は
 主(あるじ・ぬし・シュ)に
 対して罪を犯した」。
サムエル・・・

ミヅパ・・・・

イスラエルの人々をさばいた。
7:7
イスラエルの人々の
ミヅパ・・・・
に集まったことが
ペリシテびとに聞えたので、
ペリシテびとの君たちは、
イスラエルに攻め上ってきた。
イスラエルの人々は
それを聞いて、
ペリシテびとを恐れた。
7:8
そして
イスラエルの人々は
サムエルに言った、
「我々(われわれ・ガガ)のため、
 我々(われわれ・ガガ)の神、
 主(あるじ・ぬし・シュ)に
 叫ぶことを、
 やめないでください。
 そうすれば
 主(あるじ・ぬし・シュ)が
 ペリシテびとの手から
 我々(われわれ・ガガ)を
 救い出されるでしょう」。
7:9
そこで
サムエルは
乳を飲む
小羊一頭をとり、
これを
全き燔祭として
主(あるじ・ぬし・シュ)にささげた。
そして
サムエルは
イスラエルのために
主(あるじ・ぬし・シュ)に叫んだので、
主(あるじ・ぬし・シュ)は
これに答えられた。
7:10
サムエルが燔祭をささげていた時、
ペリシテびとは
イスラエルと戦おうとして近づいてきた。
しかし
主(あるじ・ぬし・シュ)は
その日、
大いなる
雷・・・・・

ペリシテびとの上に
とどろかせて、
彼らを乱されたので、
彼らは
イスラエルびとの前に
敗れて逃げた。
7:11
イスラエルの人々は
ミヅパを出て
ペリシテびとを追い、
これを撃って、
ベテカル・・・・
の下まで行った。
7:12
その時
サムエルは
一つの石をとって
ミヅパ・・・・・

エシャナ・・・・
の間にすえ、
「主(あるじ・ぬし・シュ)は
 今に至るまで
 我々(われわれ・ガガ)を
 助けられた」
と言って、
その名を
エベネゼル・・・・
と名づけた。
7:13
こうして
ペリシテびとは征服され、
ふたたび
イスラエルの領地に、
はいらなかった。
サムエルの一生の間、
主(あるじ・ぬし・シュ)の手が、
ペリシテびとを防いだ。
7:14
ペリシテびとが
イスラエルから取った町々は、
エクロン・・・・
から
ガテ・・・・・・
まで、
イスラエルにかえり、
イスラエル
その周囲の地をも
ペリシテびとの手から
取りかえした。
また
イスラエル
アモリ・・・・・阿摸裏・亜漏
びと
との間には
平和があった。
7:15
サムエルは
一生の間イスラエルをさばいた。
7:16
年ごとに
サムエルは
ベテル・・・・・

ギルガル、・・・
および
ミヅパ・・・・・
を巡って、
その所々で
イスラエルを裁き(さばき)、
7:17
ラマ・・・・・・
に帰った。
そこに
彼の家があったからである。
その所でも
彼はイスラエルを裁き(さばき)、
またそこで
主(あるじ・ぬし・シュ)に
祭壇を築いた。
 ↓
第8章
8:1
サムエルは年老いて、
その子らを
イスラエル
裁き司(さばきづかさ)
とした。
8:2
長子の名は
ヨエル・・・・
といい、
次の子の名は
アビヤ・・・・
と言った。
彼らは
ベエルシバ・・・

裁き司(さばきづかさ)であった。
8:3
しかし
その子らは
父の道を歩まないで、
利にむかい、
まいない
を取って、
裁き(さばき)を
曲(ま)げた。・・・曲(よこしま・くせ・キョク)
ーーーーー
  ↓
 憲法学者が「自民党の集団自衛権」は「憲法違反」と云っているが「自民幹事長」は「裁判所」は「憲法合憲」であると街頭に繰り出して演説していた・・・砂川事件の「裁判官」自体が、「日本国憲法」を基軸にして判断したら、その「裁き」に間違っているのダレが考えても「屁理屈」だった・・・
  ↓
  勘文(かんもん)
 朝廷から諮問を依頼された学者などが
 由来・先例等の必要な情報を調査して
 報告(勘申)を行った文章
 主に
 外記や
 神祇官検非違使などの
 官人、大学寮や
 陰陽寮に属する
 諸道の学者などが行った
  ↓
 国家の重大事などに際して
 専門家である官僚や学者に
 勘申を行わせて、
 太政官の陣定
 や
 院評定などの参考とした
 先例・故実・吉凶などに関する勘申が多く、
 特に先例を勘申したものを
 「勘例(かんれい)」と称した
 天平九年(737年)
 天然痘の大流行の際に
 典薬寮から出された
 勘文が対処案として
 「類聚符宣抄」
 に採録
 天文密奏の際に行われた
 「天文勘文」や
 刑事事件などの際に行われた
 明法家による
 「明法勘文」などがある
  ↓
 外記で天文密奏の資格も有した
 中原氏には諸道勘文を採録した
 「諸道勘文・200巻」
 と
 「続諸道勘文(巻数不明)」が
 伝えられていたと言われているが、
 現在は、
 「群書類従
 に採録された「諸道勘文」のうち
 二巻分が遺されているだけ・・・
  ↓
 中世において
 自分が考えたことを
 文書にまとめたもの
 一般を
 「勘状(かんじょう)」と称していた
 「勘文」
 もまた学者・官人が
 自己の知識や考えを
 記した文書であったため、
 「勘状」が
 「勘文」の別名として
 用いられることもあった・・・
ーーーーー
 ↓
8:4
この時、
イスラエルの長老たちは
みな集まって
ラマ
におる
サムエル
のもとにきて、
8:5
言った、
「あなたは年老い、
 あなたの子たちは
 あなたの道を歩まない。
 今
 他(ほか・タ)の国々のように、
 我々(われわれ・ガガ)を
 裁(さば)く王を、
 我々(われわれ・ガガ)のために
 立ててください」。
8:6
しかし
彼らが、
「我々(われわれ・ガガ)を
 さばく王を、
 我々(われわれ・ガガ)に与えよ」
と言うのを聞いて、
サムエルは
喜ばなかった。
そして
サムエルが
主(あるじ・ぬし・シュ)に
祈ると、
8:7
主(あるじ・ぬし・シュ)は
サムエルに言われた、
「民が、
 すべて
 あなたに言う所の声に
 聞き従いなさい。
 彼らが捨てるのは
 あなたではなく、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 捨てて、
 彼らの上に
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 王であることを
 認めないのである。
8:8
 彼らは、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 エジプトから連れ上った日から、
 きょうまで、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
 捨てて
 他(ほか・タ)の神々に仕え、
 さまざまの事を
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
 したように、
 あなたにもしているのである。
8:9
 今その声に聞き従いなさい。
 ただし、
 深く彼らを戒めて、
 彼らを
 治める王の
 慣(ならわし・慣習)を
 彼らに示さなければならない」。
8:10
サムエルは
王を立てることを
求める民に
主(あるじ・ぬし・シュ)の言葉を
ことごとく告げて、
8:11
言った、
「あなたがたを治める
 王の
 ならわしは
 次のとおりである。
 彼は
 あなたがたの
 むすこを
 取って、
 戦車隊に入れ、
 騎兵とし、
 自分の戦車の前に
 走らせるであろう。
8:12
 彼は
 また
 それを
 千人の長、
 五十人の長に任じ、
 また
 その地を耕させ、
 その作物を刈らせ、
 また
 その
 武器
 と
 戦車
 の
 装備を造らせるであろう。
8:13
 また、
 あなたがたの娘を
 取って、
 香をつくる者とし、
 料理をする者とし、
 パン(麵麭)を焼く者とするであろう。
8:14
 また、
 あなたがたの畑と
 ぶどう畑と
 オリブ畑の
 最も良い物を取って、
 その家来に与え、
8:15
 あなたがたの
 穀物(こくもつ・コクブツ)と、
 葡萄(ぶどう)畑の、
 十分の一を
 取って、
 その
 役人
 と
 家来に与え、
8:16
 また、
 あなたがたの
 男女の
 奴隷
 および、
 あなたがたの
 最も良い
 牛
 と
 驢馬(ろば)を
 取って、
 自分のために働かせ、
8:17
 また、
 あなたがたの
 羊の
 十分の一を取り、
 あなたがたは、
 その
 奴隷となるであろう。
8:18
 そして
 その日
 あなたがたは
 自分のために選んだ王のゆえに
 呼ばわるであろう。
 しかし
 主(あるじ・ぬし・シュ)は
 その日に
 あなたがたに
 答えられないであろう」。
8:19
ところが民は
サムエルの声に
聞き従うことを
拒んで言った、
「いいえ、
 我々(われわれ・ガガ)を
 治める王が
 なければならない。
8:20
 我々(われわれ・ガガ)も
 他の国々のようになり、
 王が
 我々(われわれ・ガガ)を裁(さば)き、
 我々(われわれ・ガガ)を率(ひき)いて、
 我々(われわれ・ガガ)の戦(たたか)いに
 たたかうのである」。
8:21
サムエルは民の言葉を
ことごとく聞いて、
それを
主(あるじ・ぬし・シュ)の
耳(みみ・ジ)に告げた。
8:22
主(あるじ・ぬし・シュ)は
サムエルに言われた、
「彼らの声に聞き従い、
 彼らのために王を立てよ」。
サムエルは
イスラエルの人々に言った、
「あなたがたは、
 めいめい
 その町に帰りなさい」。
 ↓
第9章
9:1
さて、
ベニヤミン・・・部似埜視務
        紅屋視務
の人で、
キシ・・・・・・岸・紀氏・貴志
        記詞・記史
という名の
裕福な人があった。
キシ・・・

アビエル・・・阿鼻重留
       阿備(尾)重留
の子、
アビエルは
ゼロル・・・・是賂留・零留
の子、
ゼロルは
ベコラテ・・・部子等出
       ベコ=子牛・・・講師
               高氏
               高句麗
               高氏=吉良
の子、
ベコラテは
アピヤ・・・・阿尾哉・・・阿蘇山
の子、
アピヤは
ベニヤミン・・・部爾哉民(視務)
        部似埜視務
        紅屋視務
        ベニヤ=板の合板
           大分(おおいた)民
びとである。
9:2
キシ・・・・・金・金武・筋・軽
には
サウル
という名の子があった。
若くて麗しく、
イスラエルの人々のうちに
彼よりも麗しい人はなく、
民の
だれよりも
肩から上、
背が高かった。
9:3
サウルの父
キシ・・・・・
の数頭の
驢馬(ろば)・・・賂葉
がいなくなった。
そこで
キシ・・・・・・・
は、
その子
サウル
に言った、
「しもべを
 ひとり連れて、
 立って行き、
 驢馬(ろば)・・・賂葉
 を捜してきなさい」。
9:4
そこで
ふたりは
エフライム
の山地を通りすぎ、
シャリシャ・・・斜里(舎利=米・射利)
        写理
の地を
通り過ぎたけれども
見当らず、
シャリム・・・・写理務
の地を
通り過ぎたけれどもおらず、
ベニヤミン・・・紅屋視務
の地を
通り過ぎたけれども
見当らなかった。
9:5
彼らが
ツフ
の地にきた時、
サウル
は連れてきた
しもべに言った、
「さあ、
 帰ろう。
 父は、
 ろばのことよりも、
 我々(われわれ・ガガ)のことを
 心配するだろう」。
9:6
ところが、
しもべは言った、
「この町には
 神の人がおられます。
 尊い人で、
 その言われることは
 みなそのとおりになります。
 その所へ行きましょう。
 我々(われわれ・ガガ)の
 出てきた旅のことについて
 何か示されるでしょう」。
9:7
サウルは
しもべに言った、
「しかし行くのであれば、
 その人に何を贈ろうか。
 袋のパンはもはや、なくなり、
 神の人に持っていく
 贈り物がない。
 何かありますか」。
9:8
しもべは、またサウルに答えた、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 手に
 四分の一シケル・・・・詞懸留
 の銀(しろがね)・・・新羅
 があります。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 これを、
 神の人に与えて、
 我々(われわれ・ガガ)の道を
 示してもらいましょう」。
9:9

イスラエルでは、
神に問うために行く時には、
こう言った、
「さあ、
 我々(われわれ・ガガ)は
 先見者のところへ行こう」。
今の
預言者は、
昔は
先見者(センケンシャ・さきみもの)
といわれていたのである。

9:10
サウルはそのしもべに言った、
「それは良い。
 さあ、
 行こう」。
こうして
彼らは、
神の人のいるその町へ行った。
9:11
彼らは
町へ行く
坂(さか・ハン)を上っている時、
水(みず・スイ)を
汲(くむ)ために出てくる
乙女(おとめ・音目・イツジョ)たちに
出会ったので、
彼らに言った、
「先見者はここにおられますか」。
9:12
乙女(おとめ・音目・イツジョ)たちは
答えた、
「おられます。
 ごらんなさい、
 この先です。
 急いで行きなさい。
 民がきょう
 高き所で犠牲をささげるので、
 たった今、
 町にこられたところです。
9:13
 あなたがたは、
 町にはいるとすぐ、
 あのかたが
 高き所に上って
 食事される前に会えるでしょう。
 民は
 そのかたがこられるまでは
 食事をしません。
 あのかたが
 犠牲を祝福されてから、
 招かれた人々が
 食事をするのです。
 さあ、
 上っていきなさい。
 すぐに会えるでしょう」。
9:14
こうして
彼らは町に上っていった。
そして町の中に、
はいろうとした時、
サムエルは
高き所に上るため
彼らのほうに向かって出てきた。
9:15
さて
サウルが来る一日前に、
主(あるじ・ぬし・シュ)は
サムエルの
耳(みみ・ジ)に告げて言われた、
9:16
「あすの今ごろ、
 あなたの所に、
 ベニヤミンの地から、
 ひとりの人を
 つかわすであろう。
 あなたは
 その人に油を注いで、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の民
 イスラエルの君としなさい。
 彼は
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 民を
 ペリシテびとの手から
 救い出すであろう。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 民の叫びが
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
 届き、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 その悩みを
 顧みるからである」。
9:17
サムエル

サウル
を見た時、
主(あるじ・ぬし・シュ)は言われた、
「見よ、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 言ったのは
 この人である。
 この人が
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 民を治めるであろう」。
9:18
そのとき
サウルは、
門の中で
サムエル
に近づいて言った、
「先見者の家はどこですか。
 どうか教えてください」。
9:19
サムエル

サウル
に答えた、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
 その先見者です。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 前に行って、
 高き所に上りなさい。
 あなたがたは、
 きょう、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)と
 一緒に食事しなさい。
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 あすの朝
 あなたを帰らせ、
 あなたの心にあることを
 みな示しましょう。
9:20
 三日前に、
 いなくなった
 あなたの
 驢馬(ろば)は、
 もはや見つかったので
 心にかけなくてもよろしい。
 しかし
 イスラエル
 すべての望ましきものは
 だれのものですか。
 それは
 あなたのもの、
 あなたの
 父の家の
 すべての人のものではありませんか」。
9:21
サウルは答えた、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
 イスラエルのうちの
 最も
 小さい部族の
 ベニヤミン
 びとであって、
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
 一族は
 また
 ベニヤミンの
 どの一族よりも
 卑(いやし・ヒ)しいものでは
 ありませんか。
 どうして
 あなたは、
 そのようなことを
 私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
 言われるのですか」。
9:22
サムエルは
サウルと
その
僕(しもべ)を導いて、
部屋(へや)にはいり、
招かれた
三十人・・・・・参拾・みそ
ほどのうちの
上座にすわらせた。
9:23
そして
サムエルは料理人に言った、
「あなたに渡して、
 取りのけておくようにと
 言っておいた
 分を持ってきなさい」。
9:24
料理人は、
腿(もも・股・百・桃・足・脚)

その上の部分を取り上げて、
それを
サウルの前に置いた。
そして
サムエルは言った、
「ごらんなさい。
 取っておいた物が、
 あなたの前に置かれています。
 召しあがってください。
 あなたが
 客人たちと
 一緒に食事ができるように、
 この時まで、
 あなたのために
 取っておいたものです」。
こうして
サウルは
その日
サムエルと一緒に食事をした。
9:25
そして
彼らが
高き所を下って町にはいった時、
サウルのために
屋上に
床が設けられ、
彼は
その上に
身を横たえて寝た。
9:26
そして
夜明けになって、
サムエルは
屋上の
サウル
に呼ばわって言った、
「起きなさい。
 あなたをお送りします」。
サウルは起き上がった。
そして
サウル

サムエル

ふたりは、
共に外に出た。
9:27
彼らが
町はずれに下った時、
サムエルはサウルに言った、
「あなたの
 しもべに
 先に行くように言いなさい。
 しもべが
 先に行ったら、
 あなたは、
 しばらくここに
 立ちとどまってください。
 神の言葉を知らせましょう」。
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