1750日目・・・「憲法学者」が国会で「自民党の集団自衛権」は「憲法違反でアル」と云っているが、これに危機感を覚えたのか「自民幹事長」は街頭に繰り出して「裁判所」は「憲法合憲」であるとし、その「合憲性」を演説していた。・・・砂川事件の「裁判」自体が、「日本国憲法」を基軸にして判断したら、司法官としての「裁き」は「論理の筋」として間違っているのダレが考えても「屁理屈」だったろう。当時の「裁判屋」も苦渋の「屁理屈」だったのカモ・・・昔にも「勘文(かんもん)」と云うモノがあったらしい・・・「勘解由使」っての存
↓
「勘解由使」=令外官(律令制の令に規定されていない官)
役人交代の際,
前任者から後任者への
引継ぎ書類を
審査した役職
事務引継ぎに
欠陥がないと認めたとき
新任者が前任者に与える書類を
「解由状」といった
「受領名(家臣に対して授けた非公式な仮の官名)」
として江戸時代
「勘解由」の名を有する
「新井白石=幼名は伝蔵、君美
別名は与五郎
号は白石、紫陽、天爵堂、
忽斎、在中、済美
渾名は火の子、鬼」
は「源氏(白・シロ)」である・・・「源氏」は「新羅」である・・・「平家(赤・セキ)」は「百済」であるカナ・・・
「日本列島への渡来人」は・・・壬那(みまな→視眞名?←弁韓)経由の南からの「古来(ふるき)」と「今来(いまき)」の海の人々で、樺太経由の北からの「粛慎(シュクシン、みしはせ、あしはせ)」、「蝦夷」も海の人々である・・・海を渡って来たのである・・・
それ以前は大陸続きの時か、氷河期の海氷を渡ってきた「縄文人」である・・・「花かづら(蔓・曼・蔓)」・・・稲、稲茎が無い以前は、「植物の蔓(つる)」は「撚った縄(なわ)」の実(本)用、代用でもあった・・・
大伴家持の
「漢人(からひと)も
筏(いかだ)浮かべて
遊ぶといふ
今日
そ我が
背子
花かづらせよ(萬(万)葉集・四一五三)」
の
「からびと」から「毛唐」→「懸問う」
「らしゃめん(羅紗緬・羅紗綿)」
「洋妾」→「覶写面」、そして
「背子、花蔓(曼・つる・つら・かづら)せよ」を調べていたら「新井白石」に飛んでしまった・・・「新井白石」は「シドッチ」を尋問し、そして「新約、旧約の聖書」を読んでいた?・・・兎に角、「アブラハム(Abraham)の息子(イサク)を神に捧げる燔祭(はんさい・holocaust)」には「折りたく柴」が必要だった・・・
↓
「折たく柴の記」
第六代将軍
徳川家宣
の
側近
新井白石
の
随筆
享保元年(1716年)頃の著作
生家である新井家のことや、
白石の政治的体験談などの
自伝的随筆
「藩翰譜」作成のいきさつも記載
書名は、
「後鳥羽天皇の哀傷歌」
「思ひ
出づる・・・・いヅル
折りたく柴の
夕煙むせぶも
うれし忘れ形見に
(新古今和歌集巻第八・哀傷歌)
に由来しているらしい・・・
「後鳥羽天皇」ですか・・・「語賭場」なら「鉄火場」だろう・・・「娯賭場」なら「ラスベガス」か・・・「菊の紋章」を「創始者」が「後鳥羽天皇」・・・「菊の紋章」は「シュメール、アッシリア、エジプトの王家の紋章」に確かに似ているが・・・「ジンギスカン(成吉思汗)の秘密(高木彬光の小説)」だったカナ・・・
ーーーーー
↓
・・・砂川事件の「裁判」自体が、「日本国憲法」を基軸にして判断したら、その「裁き」に間違っているのダレが考えても「屁理屈」だった・・・
↓
「勘文(かんもん)」
↓
朝廷から諮問を依頼された学者などが
由来・先例等の必要な情報を
調査して
審査報告(勘申)を
行った文章
主に
外記や
神祇官・検非違使などの
官人、大学寮や
陰陽寮に属する
諸道の学者などが行った
↓
国家の重大事などに際して
専門家である官僚や学者に
勘申を行わせて、
太政官の陣定
や
院評定などの参考とした
先例・故実・吉凶などに関する
勘申(報告書)が多く、
特に先例を
勘申したものを
「勘例(かんれい)」と称した
天平九年(737年)
天然痘の大流行の際に
典薬寮から出された
勘文が対処案として
「類聚符宣抄」
に採録
天文密奏の際に行われた
「天文勘文」や
刑事事件などの際に行われた
明法家による
「明法勘文」などがある
↓
外記で天文密奏の資格も有した
中原氏には諸道勘文を採録した
「諸道勘文・200巻」
と
「続諸道勘文(巻数不明)」が
伝えられていたと言われているが、
現在は、
「群書類従」
に採録された「諸道勘文」のうち
二巻分が遺されているだけ・・・
↓
中世において
自分が考えたことを
文書にまとめたもの
一般を
「勘状(かんじょう)」と称していた
「勘文」
もまた学者・官人が
自己の知識や考えを
記した文書であったため、
「勘状」が
「勘文」の別名として
用いられることもあった・・・
↓
「色葉字類抄(いろはじるいしょう)=古辞書」
平安時代末期に成立した
この「勘文・勘状」に「菊紋印」・・・
↓
「色葉字類抄=古辞書」は
和語・漢語を第一音節によって
イロハ47部に分け、
更に
天象・地儀など
21門の意義分類を施した
発音引き辞書
イロハ引きの
日本語辞書として最古
「オ(低音・平声)」
と
「ヲ(高音・上声)」
の区別は
アクセントの高低によって区別
日常語が多く収録され、
特に漢語が豊富に収録
また
社寺・姓名など固有名詞も収録
漢字表記の後に
片仮名で訓みが注され、
簡単な漢文で意味・用法が記録・・・
↓
「橘忠兼」編
三巻本の
他か
二巻本
十巻本の
「伊呂波字類抄」がある
↓
天養年間〜長寛年間
(1144年〜1165年)
二巻本の
「色葉字類抄」が成立
その後増補が行われ
治承年間(1177年〜1181年)までに
三巻本
「色葉字類抄」が成立
その後
大幅な増補が行われ
十巻本
「伊呂波字類抄」も鎌倉初期までに成立した
「世俗字類抄」
「節用文字」も祖本の同じ異本・・・
そのほか
前田
尊経閣蔵六巻本は
室町時代の語彙を増補・改編
花山院本(三冊本)は
二巻本と十巻本の取り合わせ本
「字鏡集・平他字類抄・節用集・塵袋」
などがある・・・
後鳥羽天皇
第八十二代天皇
(在位寿永二年八月二十日・1183年9月8日)
〜
建久九年一月十一日(1198年2月18日)
諱は尊成(たかひら・たかなり)
↓
鍛刀を好み、
備前一文字派の
則宗など諸国から鍛冶を集め
自らも焼刃を入れ
十六弁の
菊紋を毛彫りした
「御所焼・菊御作」などと呼び
天皇家の
「菊紋」のはじまりになった
↓
観賞用の菊(キク)は
奈良時代に中国大陸より伝えられた
「菊、梅、竹、蘭」は
「四君子」とされた
「万葉集」には詠まれていない
「古今和歌集・源氏物語」などから登場
平安時代には、
陰暦九月を菊月と呼び、
九月九日は
「重陽の節句・菊の節句」とし、
「菊花酒」を飲む
「菊花の宴」、
「菊花の杯」で
邪気を払い、長命を祈った
↓
後鳥羽上皇が
菊花を好み、
自らの印として愛用
その後、
後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇
が自らの印として継承
慣例的に菊花紋の
「十六八重表菊」が皇室の紋となった
「十六弁菊」は南朝の紋
「三十二弁菊(十六弁八重菊)」は北朝の紋
↓
江戸時代
徳川幕府は
「葵紋=葵三つ葉」は自由使用禁止
「菊花紋」は自由
↓
1867年(慶応三年)3月28日
太政官布告第195号で
提灯・陶器・貢物などに
「菊紋」を描くことを禁止
1869年(明治二年)8月25日
太政官布告第802号で
「十六八重表菊」
が公式に皇室の紋とされ
王家の菊花紋として
「十六葉」の使用を禁止
1871年(明治四年)6月17日
太政官布告第285号で
皇族以外の「菊花紋」の使用が禁止
皇族家紋の雛形として
「十四一重裏菊」が定められた
↓
1879年(明治十二年)5月22日
太政官達第23号で
一般の社寺でも神殿・仏堂の装飾として
使用することが許された
ーーーーー
旧約聖書
舊約(旧約)
サムエル記=撒母耳記
第7章
7:1
キリアテ・・・・・・
・
ヤリム・・・・・・・
の人々は、
きて、
主(あるじ・ぬし・シュ)の
箱を携え上り、
丘の上の
アビナダブ・・・・・
の家に持ってきて、
その子
エレアザル・・・・・
を聖別して、
主(あるじ・ぬし・シュ)の
箱を守らせた。
7:2
その箱は久しく
キリアテ・・・・・
・
ヤリム・・・・・
にとどまって、
二十年・・・・・
を経た。
イスラエルの全家は
主(あるじ・ぬし・シュ)を
慕って嘆いた。
7:3
その時
サムエル・・・・・
は
イスラエルの全家に告げていった、
「もし、
あなたがたが
一心に
主(あるじ・ぬし・シュ)に
立ち返るのであれば、
他(ほか・タ)の神々と
アシタロテ・・・
を、
あなたがたのうちから捨て去り、
心を
主(あるじ・ぬし・シュ)に向け、
主(あるじ・ぬし・シュ)にのみ
仕えなければならない。
そうすれば、
主(あるじ・ぬし・シュ)は
あなたがたを
ペリシテびとの手から
救い出されるであろう」。
7:4
そこで
イスラエルの人々は
バアル・・・・・・
と
アシタロテ・・・・
を捨て去り、
ただ
主(あるじ・ぬし・シュ)に
のみ仕えた。
7:5
サムエルはまた言った、
「イスラエルびとを、
ことごとく
ミヅパ・・・・
に集めなさい。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
あなたがたのために
主(あるじ・ぬし・シュ)に
祈りましょう」。
7:6
人々は
ミヅパ・・・・
に集まり、
水をくんで
それを
主(あるじ・ぬし・シュ)の
前に注ぎ、
その日、
断食してその所で言った、
「我々(われわれ・ガガ)は
主(あるじ・ぬし・シュ)に
対して罪を犯した」。
サムエル・・・
は
ミヅパ・・・・
で
イスラエルの人々をさばいた。
7:7
イスラエルの人々の
ミヅパ・・・・
に集まったことが
ペリシテびとに聞えたので、
ペリシテびとの君たちは、
イスラエルに攻め上ってきた。
イスラエルの人々は
それを聞いて、
ペリシテびとを恐れた。
7:8
そして
イスラエルの人々は
サムエルに言った、
「我々(われわれ・ガガ)のため、
我々(われわれ・ガガ)の神、
主(あるじ・ぬし・シュ)に
叫ぶことを、
やめないでください。
そうすれば
主(あるじ・ぬし・シュ)が
ペリシテびとの手から
我々(われわれ・ガガ)を
救い出されるでしょう」。
7:9
そこで
サムエルは
乳を飲む
小羊一頭をとり、
これを
全き燔祭として
主(あるじ・ぬし・シュ)にささげた。
そして
サムエルは
イスラエルのために
主(あるじ・ぬし・シュ)に叫んだので、
主(あるじ・ぬし・シュ)は
これに答えられた。
7:10
サムエルが燔祭をささげていた時、
ペリシテびとは
イスラエルと戦おうとして近づいてきた。
しかし
主(あるじ・ぬし・シュ)は
その日、
大いなる
雷・・・・・
を
ペリシテびとの上に
とどろかせて、
彼らを乱されたので、
彼らは
イスラエルびとの前に
敗れて逃げた。
7:11
イスラエルの人々は
ミヅパを出て
ペリシテびとを追い、
これを撃って、
ベテカル・・・・
の下まで行った。
7:12
その時
サムエルは
一つの石をとって
ミヅパ・・・・・
と
エシャナ・・・・
の間にすえ、
「主(あるじ・ぬし・シュ)は
今に至るまで
我々(われわれ・ガガ)を
助けられた」
と言って、
その名を
エベネゼル・・・・
と名づけた。
7:13
こうして
ペリシテびとは征服され、
ふたたび
イスラエルの領地に、
はいらなかった。
サムエルの一生の間、
主(あるじ・ぬし・シュ)の手が、
ペリシテびとを防いだ。
7:14
ペリシテびとが
イスラエルから取った町々は、
エクロン・・・・
から
ガテ・・・・・・
まで、
イスラエルにかえり、
イスラエルは
その周囲の地をも
ペリシテびとの手から
取りかえした。
また
イスラエルと
アモリ・・・・・阿摸裏・亜漏
びと
との間には
平和があった。
7:15
サムエルは
一生の間イスラエルをさばいた。
7:16
年ごとに
サムエルは
ベテル・・・・・
と
ギルガル、・・・
および
ミヅパ・・・・・
を巡って、
その所々で
イスラエルを裁き(さばき)、
7:17
ラマ・・・・・・
に帰った。
そこに
彼の家があったからである。
その所でも
彼はイスラエルを裁き(さばき)、
またそこで
主(あるじ・ぬし・シュ)に
祭壇を築いた。
↓
第8章
8:1
サムエルは年老いて、
その子らを
イスラエルの
裁き司(さばきづかさ)
とした。
8:2
長子の名は
ヨエル・・・・
といい、
次の子の名は
アビヤ・・・・
と言った。
彼らは
ベエルシバ・・・
で
裁き司(さばきづかさ)であった。
8:3
しかし
その子らは
父の道を歩まないで、
利にむかい、
まいない
を取って、
裁き(さばき)を
曲(ま)げた。・・・曲(よこしま・くせ・キョク)
ーーーーー
↓
憲法学者が「自民党の集団自衛権」は「憲法違反」と云っているが「自民幹事長」は「裁判所」は「憲法合憲」であると街頭に繰り出して演説していた・・・砂川事件の「裁判官」自体が、「日本国憲法」を基軸にして判断したら、その「裁き」に間違っているのダレが考えても「屁理屈」だった・・・
↓
勘文(かんもん)
朝廷から諮問を依頼された学者などが
由来・先例等の必要な情報を調査して
報告(勘申)を行った文章
主に
外記や
神祇官・検非違使などの
官人、大学寮や
陰陽寮に属する
諸道の学者などが行った
↓
国家の重大事などに際して
専門家である官僚や学者に
勘申を行わせて、
太政官の陣定
や
院評定などの参考とした
先例・故実・吉凶などに関する勘申が多く、
特に先例を勘申したものを
「勘例(かんれい)」と称した
天平九年(737年)
天然痘の大流行の際に
典薬寮から出された
勘文が対処案として
「類聚符宣抄」
に採録
天文密奏の際に行われた
「天文勘文」や
刑事事件などの際に行われた
明法家による
「明法勘文」などがある
↓
外記で天文密奏の資格も有した
中原氏には諸道勘文を採録した
「諸道勘文・200巻」
と
「続諸道勘文(巻数不明)」が
伝えられていたと言われているが、
現在は、
「群書類従」
に採録された「諸道勘文」のうち
二巻分が遺されているだけ・・・
↓
中世において
自分が考えたことを
文書にまとめたもの
一般を
「勘状(かんじょう)」と称していた
「勘文」
もまた学者・官人が
自己の知識や考えを
記した文書であったため、
「勘状」が
「勘文」の別名として
用いられることもあった・・・
ーーーーー
↓
8:4
この時、
イスラエルの長老たちは
みな集まって
ラマ
におる
サムエル
のもとにきて、
8:5
言った、
「あなたは年老い、
あなたの子たちは
あなたの道を歩まない。
今
他(ほか・タ)の国々のように、
我々(われわれ・ガガ)を
裁(さば)く王を、
我々(われわれ・ガガ)のために
立ててください」。
8:6
しかし
彼らが、
「我々(われわれ・ガガ)を
さばく王を、
我々(われわれ・ガガ)に与えよ」
と言うのを聞いて、
サムエルは
喜ばなかった。
そして
サムエルが
主(あるじ・ぬし・シュ)に
祈ると、
8:7
主(あるじ・ぬし・シュ)は
サムエルに言われた、
「民が、
すべて
あなたに言う所の声に
聞き従いなさい。
彼らが捨てるのは
あなたではなく、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
捨てて、
彼らの上に
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
王であることを
認めないのである。
8:8
彼らは、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
エジプトから連れ上った日から、
きょうまで、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)を
捨てて
他(ほか・タ)の神々に仕え、
さまざまの事を
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
したように、
あなたにもしているのである。
8:9
今その声に聞き従いなさい。
ただし、
深く彼らを戒めて、
彼らを
治める王の
慣(ならわし・慣習)を
彼らに示さなければならない」。
8:10
サムエルは
王を立てることを
求める民に
主(あるじ・ぬし・シュ)の言葉を
ことごとく告げて、
8:11
言った、
「あなたがたを治める
王の
ならわしは
次のとおりである。
彼は
あなたがたの
むすこを
取って、
戦車隊に入れ、
騎兵とし、
自分の戦車の前に
走らせるであろう。
8:12
彼は
また
それを
千人の長、
五十人の長に任じ、
また
その地を耕させ、
その作物を刈らせ、
また
その
武器
と
戦車
の
装備を造らせるであろう。
8:13
また、
あなたがたの娘を
取って、
香をつくる者とし、
料理をする者とし、
パン(麵麭)を焼く者とするであろう。
8:14
また、
あなたがたの畑と
ぶどう畑と
オリブ畑の
最も良い物を取って、
その家来に与え、
8:15
あなたがたの
穀物(こくもつ・コクブツ)と、
葡萄(ぶどう)畑の、
十分の一を
取って、
その
役人
と
家来に与え、
8:16
また、
あなたがたの
男女の
奴隷
および、
あなたがたの
最も良い
牛
と
驢馬(ろば)を
取って、
自分のために働かせ、
8:17
また、
あなたがたの
羊の
十分の一を取り、
あなたがたは、
その
奴隷となるであろう。
8:18
そして
その日
あなたがたは
自分のために選んだ王のゆえに
呼ばわるであろう。
しかし
主(あるじ・ぬし・シュ)は
その日に
あなたがたに
答えられないであろう」。
8:19
ところが民は
サムエルの声に
聞き従うことを
拒んで言った、
「いいえ、
我々(われわれ・ガガ)を
治める王が
なければならない。
8:20
我々(われわれ・ガガ)も
他の国々のようになり、
王が
我々(われわれ・ガガ)を裁(さば)き、
我々(われわれ・ガガ)を率(ひき)いて、
我々(われわれ・ガガ)の戦(たたか)いに
たたかうのである」。
8:21
サムエルは民の言葉を
ことごとく聞いて、
それを
主(あるじ・ぬし・シュ)の
耳(みみ・ジ)に告げた。
8:22
主(あるじ・ぬし・シュ)は
サムエルに言われた、
「彼らの声に聞き従い、
彼らのために王を立てよ」。
サムエルは
イスラエルの人々に言った、
「あなたがたは、
めいめい
その町に帰りなさい」。
↓
第9章
9:1
さて、
ベニヤミン・・・部似埜視務
紅屋視務
の人で、
キシ・・・・・・岸・紀氏・貴志
記詞・記史
という名の
裕福な人があった。
キシ・・・
は
アビエル・・・阿鼻重留
阿備(尾)重留
の子、
アビエルは
ゼロル・・・・是賂留・零留
の子、
ゼロルは
ベコラテ・・・部子等出
ベコ=子牛・・・講師
高氏
高句麗
高氏=吉良
の子、
ベコラテは
アピヤ・・・・阿尾哉・・・阿蘇山麗
の子、
アピヤは
ベニヤミン・・・部爾哉民(視務)
部似埜視務
紅屋視務
ベニヤ=板の合板
大分(おおいた)民
びとである。
9:2
キシ・・・・・金・金武・筋・軽
には
サウル
という名の子があった。
若くて麗しく、
イスラエルの人々のうちに
彼よりも麗しい人はなく、
民の
だれよりも
肩から上、
背が高かった。
9:3
サウルの父
キシ・・・・・
の数頭の
驢馬(ろば)・・・賂葉
がいなくなった。
そこで
キシ・・・・・・・
は、
その子
サウル
に言った、
「しもべを
ひとり連れて、
立って行き、
驢馬(ろば)・・・賂葉
を捜してきなさい」。
9:4
そこで
ふたりは
エフライム
の山地を通りすぎ、
シャリシャ・・・斜里(舎利=米・射利)
写理
の地を
通り過ぎたけれども
見当らず、
シャリム・・・・写理務
の地を
通り過ぎたけれどもおらず、
ベニヤミン・・・紅屋視務
の地を
通り過ぎたけれども
見当らなかった。
9:5
彼らが
ツフ
の地にきた時、
サウル
は連れてきた
しもべに言った、
「さあ、
帰ろう。
父は、
ろばのことよりも、
我々(われわれ・ガガ)のことを
心配するだろう」。
9:6
ところが、
しもべは言った、
「この町には
神の人がおられます。
尊い人で、
その言われることは
みなそのとおりになります。
その所へ行きましょう。
我々(われわれ・ガガ)の
出てきた旅のことについて
何か示されるでしょう」。
9:7
サウルは
しもべに言った、
「しかし行くのであれば、
その人に何を贈ろうか。
袋のパンはもはや、なくなり、
神の人に持っていく
贈り物がない。
何かありますか」。
9:8
しもべは、またサウルに答えた、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
手に
四分の一シケル・・・・詞懸留
の銀(しろがね)・・・新羅
があります。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
これを、
神の人に与えて、
我々(われわれ・ガガ)の道を
示してもらいましょう」。
9:9
―
昔イスラエルでは、
神に問うために行く時には、
こう言った、
「さあ、
我々(われわれ・ガガ)は
先見者のところへ行こう」。
今の
預言者は、
昔は
先見者(センケンシャ・さきみもの)
といわれていたのである。
―
9:10
サウルはそのしもべに言った、
「それは良い。
さあ、
行こう」。
こうして
彼らは、
神の人のいるその町へ行った。
9:11
彼らは
町へ行く
坂(さか・ハン)を上っている時、
水(みず・スイ)を
汲(くむ)ために出てくる
乙女(おとめ・音目・イツジョ)たちに
出会ったので、
彼らに言った、
「先見者はここにおられますか」。
9:12
乙女(おとめ・音目・イツジョ)たちは
答えた、
「おられます。
ごらんなさい、
この先です。
急いで行きなさい。
民がきょう
高き所で犠牲をささげるので、
たった今、
町にこられたところです。
9:13
あなたがたは、
町にはいるとすぐ、
あのかたが
高き所に上って
食事される前に会えるでしょう。
民は
そのかたがこられるまでは
食事をしません。
あのかたが
犠牲を祝福されてから、
招かれた人々が
食事をするのです。
さあ、
上っていきなさい。
すぐに会えるでしょう」。
9:14
こうして
彼らは町に上っていった。
そして町の中に、
はいろうとした時、
サムエルは
高き所に上るため
彼らのほうに向かって出てきた。
9:15
さて
サウルが来る一日前に、
主(あるじ・ぬし・シュ)は
サムエルの
耳(みみ・ジ)に告げて言われた、
9:16
「あすの今ごろ、
あなたの所に、
ベニヤミンの地から、
ひとりの人を
つかわすであろう。
あなたは
その人に油を注いで、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の民
イスラエルの君としなさい。
彼は
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
民を
ペリシテびとの手から
救い出すであろう。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
民の叫びが
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
届き、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
その悩みを
顧みるからである」。
9:17
サムエル
が
サウル
を見た時、
主(あるじ・ぬし・シュ)は言われた、
「見よ、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
言ったのは
この人である。
この人が
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
民を治めるであろう」。
9:18
そのとき
サウルは、
門の中で
サムエル
に近づいて言った、
「先見者の家はどこですか。
どうか教えてください」。
9:19
サムエル
は
サウル
に答えた、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)が
その先見者です。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
前に行って、
高き所に上りなさい。
あなたがたは、
きょう、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)と
一緒に食事しなさい。
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
あすの朝
あなたを帰らせ、
あなたの心にあることを
みな示しましょう。
9:20
三日前に、
いなくなった
あなたの
驢馬(ろば)は、
もはや見つかったので
心にかけなくてもよろしい。
しかし
イスラエルの
すべての望ましきものは
だれのものですか。
それは
あなたのもの、
あなたの
父の家の
すべての人のものではありませんか」。
9:21
サウルは答えた、
「私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)は
イスラエルのうちの
最も
小さい部族の
ベニヤミン
びとであって、
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)の
一族は
また
ベニヤミンの
どの一族よりも
卑(いやし・ヒ)しいものでは
ありませんか。
どうして
あなたは、
そのようなことを
私(わたし・わたくし・ヨコシマ・シ・ム)に
言われるのですか」。
9:22
サムエルは
サウルと
その
僕(しもべ)を導いて、
部屋(へや)にはいり、
招かれた
三十人・・・・・参拾・みそ
ほどのうちの
上座にすわらせた。
9:23
そして
サムエルは料理人に言った、
「あなたに渡して、
取りのけておくようにと
言っておいた
分を持ってきなさい」。
9:24
料理人は、
腿(もも・股・百・桃・足・脚)
と
その上の部分を取り上げて、
それを
サウルの前に置いた。
そして
サムエルは言った、
「ごらんなさい。
取っておいた物が、
あなたの前に置かれています。
召しあがってください。
あなたが
客人たちと
一緒に食事ができるように、
この時まで、
あなたのために
取っておいたものです」。
こうして
サウルは
その日
サムエルと一緒に食事をした。
9:25
そして
彼らが
高き所を下って町にはいった時、
サウルのために
屋上に
床が設けられ、
彼は
その上に
身を横たえて寝た。
9:26
そして
夜明けになって、
サムエルは
屋上の
サウル
に呼ばわって言った、
「起きなさい。
あなたをお送りします」。
サウルは起き上がった。
そして
サウル
と
サムエル
の
ふたりは、
共に外に出た。
9:27
彼らが
町はずれに下った時、
サムエルはサウルに言った、
「あなたの
しもべに
先に行くように言いなさい。
しもべが
先に行ったら、
あなたは、
しばらくここに
立ちとどまってください。
神の言葉を知らせましょう」。
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