1717日目・・・「アッシリア」情勢はヤバい・・・「すると、主が、驢馬(ろば)の口を開かれたので、驢馬(ろば)はバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです(22:28)」」・・・「驢馬」=「馬+盧(ロ・ル)→盧(虍田皿)」→「毘盧遮那(サンスクリット語、Vairocana(ヴァイローチャナ)」の音訳で「光明遍照( こうみょうへんじょう)」、「毘盧舎那仏」とも表記され、「盧遮那仏・遮那仏」とも記録・・・

 「摩訶毘盧遮那仏」、「大毘盧遮那仏(Mahāvairocana=マハー・ヴァイローチャナ)」、聖武天皇の発願の天平十七年(745年)に制作開始、天平勝宝四年(752年)に「開眼供養会」・・・奈良の東大寺の「毘盧舎那仏」で、「大日如来」である・・・「盧」の類字は「蘆=芦・葦・あし」と「鸕(う・ロ)=鵜(う)」である・・・
 「大日如来」の原型とは古代エジプトの「アトン神」であろう・・・
 「鸕(う・ロ)=鵜(う)」とは
 「鸕野讃良(うのさらさ)
  菟野沙羅羅
  鸕野讃良(うののさらら)
  和風諡号
  高天原広野姫
  大倭根子天之廣野日女尊
 (おほやまとねこあめのひろのひめのみこと)=持統天皇
 であった・・・「ねこ(ネコ・根子)」である・・・
 持統天皇
 大化元年(645年)〜大宝二年十二月二十二日(703年1月13日)
 「大海人皇子」が「壬申の乱」勝利後、
 「天武二年正月」に
 「鸕野讃良皇女」が皇后になった。
 子は
 「草壁皇子」、
 孫が
 「文武天皇(珂瑠王子・軽皇子
  倭根子(ねこ)豊祖父」、
 曾孫が
 「聖武天皇首皇子)」、
 玄孫が
 「宝字称徳孝謙皇帝
    称徳孝謙天皇
  阿倍内親王
  高野天皇(高野姫天皇
  倭根子(ねこ)天皇」・・・「ねこ」である。
 ↓↑
  親
  子
  孫
 曾孫(ひまご・ソウソン)=孫の子(三代後)
 玄孫(やしゃご・ゲンソン)=曾孫の子(四代後)
 来孫(ライソン)=玄孫の子(五代後)
 昆孫(コンソン)=晜孫=来孫の子(六代後)
 仍孫(ジョウソン)=昆(晜)孫の子(七代後)
 雲孫(ウンソン)=仍孫の子(八代後)
  ↓
 「子子子子子子子子子子子子」は、
 「ねこのここねこ、ししのここじ し
 (猫の子子猫、獅子の子子獅子)」
 問題を提出
 「嵯峨天皇」・・・諱は「神野(賀美能・かみの)」
          死刑を廃止
          桜見の公式行事
          元号は「大同・弘仁
          父は「桓武天皇
          母は「藤原乙牟漏
            (ふじわら の おとむろ」
 回答者
 「小野篁」・・・小野岑守陸奥守)の長男・副遣唐大使
         唐へ渡航に失敗・三度目の航海を拒否
 むかし、どこかの大学試験の設問にも出された・・・愚問?・・・「十二の子」の漢字羅列・・・
 この時代の日本史は「改竄」された・・・?・・・記録自体が暴露されることを示唆している・・・「乙牟漏」である・・・
 「鼠(ねずみ)」の天敵は「猫(ねこ)」である。穀物ならず、記録された「パピルスの紙」も、木造建築も齧(かじ)り、伝染病、疫病の病原菌を媒介運搬するのが「鼠」である・・・「改竄」の「竄」は「宀」+「鼠」である・・・
 「ねこ(猫)」は古代エジプト王の名前(ネコ・ネカウ)」でもあり、古代エジプトの「猫神=バステト(Bastet)は猫の女神・ハトホル女神の化身=ラー(太陽神)の瞳(夜光性の目)=聖地は下エジプト第18ノモス=ヘビの首をはねる雌ネコ神」でもあった・・・
  ↓
 アッシリアと結んでいた
 「ネコ(ネカウ)1世」は、
 第25王朝(前664〜656年)頃の
 最後のファラオであった
 タヌトアメンを支持して侵入してきた
 クシュ(ヌビア)=エチオピア
 の軍勢によって殺害
  ↓
 このヌビア(クシュ・クシ)勢の
 ナイル川デルタ地方への侵攻は、
 アッシリアの反攻に遭い、
 アッシリア勢は
 上エジプトへと
 南進してテーベを陥れた。
  ↓
 エジプトを再統一し、
 ファラオとして
 第26王朝(サイス朝)を開いたのは、
 「ネコ(ネカウ)1世」の
 息子である
 プサメティコス1世(プサムテク1世)
 その後を継いだのが
 孫の
 「ネコ(ネカウ)2世」
  ↓
 第22王朝
(ブバスティス)
リビア朝・前773〜767年頃)の
 八代目(or 七代目)の王は
 「パミ」
 または
 「ペマウ」という名前
 ネコをあらわす古代エジプト語「マウ(Mau)」の派生・・・?
 「マウ」は「ミャァ」、「ニャァ」に訛ると思うが・・・「マウ」なら、もろ「マウス(ねずみ)」の「チュウ、チュウ」と・・・互換された?・・・「ネコ」と・・・紀元前701年、第25王朝(ヌビア王朝)の「シャバタカ」の治世第2年に「野ネズミの大軍がアッシリア軍の軍営を襲い、弓と盾の取ってを齧(かじ)って敗走させた」・・・?
  ↓↑
 第22王朝の首都「ブバスティス(猫神の都)」とは
 古代名で「バスト」・・・「バ」は共通項だが・・・
 ペルシャ軍は「猫」でエジプトに勝利した・・・「バステト神」と結びついて崇められるようになる第22王朝時代・・・「紀元前525年、ペルシアのカンビセスはエジプトの前哨地ペレシウムに侵攻。彼は、盾に「猫」を貼り付け、「猫神」崇拝のエジプト兵は、戦闘放棄して敗走・・・
 バステト(猫)神崇拝は紀元390年、禁令・・・
 ・・・とにかく、飼い猫の「原産地」はエジプト・・・
ーーーーー


 なぜ、
 「ラモーゼ」
 を
 「モーゼ」と重ねて考えないのだろう?
 ボクの知りうる情報は限られているが・・・
 以下はブログ記事からの「コピペ」・・・
  ↓
 「ラモーゼ」
 アメンホテプ三世
 アメンホテプ四世
 の時代のエジプト宰相
 父は
 ネビィ
 母は
 アプヤ
 父はデルタ地帯の
 アメン神殿の穀物の管理者
 妻は
 メリエトプタハ
 二人に子供はいなかった・・・
 「ラモーゼ」が
 アメンホテプ三世に仕えた頃、
 彼の墓の製作にかかった・・・
 後
 アメンホテプ四世(アクエンアテン)が
 アマルナに遷都、
 ラモーゼも
 アマルナに転居
 墓は
 未完のまま放棄・・・・・未完で使用されなかった?
 墓は
 1879年
 ビリー・スチュワートにより発見
 スチュワートは
 1882年
 墓を再調査
 後
 ガストン・マスペロ
 が研究
 1924年
 ニューヨークメトロポリタン美術館
 ロバート・モンドによって
 現在の状態に復元
  ↓
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 旧約聖書
 民数記
第21章
21:1
時に
ネゲブ
に住んでいた
カナンびと
アラデの王は、
イスラエル
アタリム
の道をとおって来ると聞いて、
イスラエルを攻撃し、
そのうちの数人を捕虜にした。
21:2
そこで
イスラエルは主に誓いを立てて言った、
「もし、
 あなたがこの民を
 わたしの手にわたしてくださるならば、
 わたしは
 その町々を
 ことごとく滅ぼしましょう」。
21:3
主はイスラエルの言葉を聞きいれ、
カナンびとをわたされたので、
イスラエル
そのカナンびとと、
その町々とをことごとく滅ぼした。
それでその所の名は
ホルマ
と呼ばれた。
21:4
民は
ホル山
から進み、
紅海の道をとおって、
エドムの地を回ろうとしたが、
民はその道に堪えがたくなった。
21:5
民は神とモーセとにむかい、
つぶやいて言った、
「あなたがたはなぜわたしたちを
 エジプトから導き上って、
 荒野で死なせようとするのですか。
 ここには食物もなく、
 水もありません。
 わたしたちは
 この粗悪な食物は
 いやになりました」。
21:6
そこで主は、
火のへびを民のうちに送られた。
へびは民をかんだので、
イスラエルの民のうち、
多くのものが死んだ。
21:7
民はモーセのもとに行って言った、
「わたしたちは主にむかい、
 また
 あなたにむかい、
 つぶやいて罪を犯しました。
 どうぞ
 蛇(へび)
 を
 わたしたちから取り去られるように
 主に祈ってください」。
モーセは民のために祈った。
21:8
そこで
主はモーセに言われた、
「火のへびを造って、
 それを
 さおの上に掛けなさい。
 すべての
 かまれた者が仰いで、
 それを見るならば
 生きるであろう」。
21:9
モーセ
青銅で一つのへびを造り、
それをさおの上に掛けて置いた。
すべてへびにかまれた者は
その青銅のへびを仰いで見て生きた。
21:10
イスラエルの人々は道を進んで
オボテ
に宿営した。
21:11
また
オボテから進んで東の方、
モアブ
の前にある荒野において、
イエアバリム
に宿営した。
21:12
また
そこから進んで
ゼレデ
の谷に宿営し、
21:13
さらにそこから進んで
アルノン川
のかなたに宿営した。
アルノン川は
アモリびとの境から
延び広がる
荒野を流れるもので、
モアブ

アモリびととの間にあって、
モアブ
の境をなしていた。
21:14
それゆえに、
「主の戦いの書」
にこう言われている。
「スパ
 の
 ワヘブ、
 アルノン
 の谷々、
21:15
 谷々の斜面、
 アル
 の町まで傾き、
 モアブ
 の境に寄りかかる」。
21:16
彼らはそこから
ベエル
へ進んで行った。
これは主がモーセにむかって、
「民を集めよ。
 わたしは
 かれらに
 水を与えるであろう」
 と言われた
 井戸である。
21:17
その時イスラエルはこの歌をうたった。
「井戸の水よ、
 わきあがれ、
 人々よ、
 この井戸のために歌え、
21:18
 笏(しゃく・コツ・コチ)
 と
 杖(つえ)とをもって
 司(つかさ)たちが
 この
 井戸を掘り、
 民の長(おさ)たちがこれを掘った」。
そして
彼らは荒野から
マッタナ
に進み、
21:19
マッタナ
から
ナハリエル
に、
ナハリエルから
バモ
に、
21:20
バモ
から
モアブ
の野にある谷に行き、
荒野を見おろす
ピスガ
の頂に着いた。
21:21
ここで
イスラエル
アモリびとの王
シホン・・・・・

使者をつかわして言わせた、
21:22
「わたしにあなたの国を通らせてください。
 わたしたちは
 畑にも
 葡萄(ぶどう)畑にも、はいりません。
 また
 井戸の水も飲みません。
 わたしたちは
 あなたの領地を通り過ぎるまで、
 ただ
 王の大路を通ります」。
21:23
しかし、
シホン
イスラエル
自分の領地を通ることを許さなかった。
そして
シホンは民をことごとく集め、
荒野に出て、
イスラエルを攻めようとし、
ヤハズ
にきて
イスラエルと戦った。
21:24
イスラエルは、
刃(やいば)で
彼を撃ちやぶり、
アルノン
から
ヤボク
まで彼の地を占領し、
アンモンびとの境に及んだ。
ヤゼル

アンモンびとの境だからである。
21:25
こうして
イスラエルはこれらの町々をことごとく取った。
そして
イスラエルはアモリびとのすべての町々に住み、
ヘシボン
とそれに附属するすべての村々にいた。
21:26
ヘシボン
はアモリびとの王
シホンの都であって、
シホンは
モアブの以前の王と戦って、
彼の地を
アルノン
まで、ことごとくその手から奪い取ったのである。
21:27
それゆえに歌にうたわれている。
「人々よ、
 ヘシボンにきたれ、
 シホンの町を築き建てよ。
21:28
 ヘシボンから火が燃え出し、
 シホンの都から炎が出て、
 モアブの
 アルを焼き尽し、
 アルノン
 の
 高地の君たち
 を滅ぼしたからだ。
21:29
 モアブよ、
 お前はわざわいなるかな、
 ケモシ
 の民よ、
 お前は滅ぼされるであろう。
 彼は、
 むすこらを逃げ去らせ、
 娘らを
 アモリびとの王
 シホンの捕虜とならせた。
21:30
 彼らの子らは滅び去った、
 ヘシボン
 から
 デボン
 まで。
 われわれは荒した、
 火はついて
 メデバ
 に及んだ」。
21:31
こうして
イスラエル
アモリびとの地に住んだが、
21:32
モーセはまた人をつかわして
ヤゼル
を探らせ、
ついにその村々を取って、
そこにいた
アモリびとを追い出し、
21:33
転じて
バシャン
の道に上って行ったが、
バシャンの王
オグ
は、その民をことごとく率い、
エデレイ
で戦おうとして出迎えた。
21:34
主はモーセに言われた、
「彼を恐れてはならない。
 わたしは彼とその民とその地とを、
 ことごとく
 あなたの手にわたす。
 あなたは
 ヘシボンに住んでいた
 アモリびとの王
 シホンにしたように
 彼にもするであろう」。
21:35
そこで彼とその子とすべての民とを、
ひとり残らず撃ち殺して、
その地を占領した。
 ↓
第22章
22:1
さて、
イスラエルの人々はまた道を進んで、
エリコ
に近い
ヨルダンのかなたの
モアブ
の平野に宿営した。
22:2
チッポル
の子
ラク

イスラエル
アモリびとにしたすべての事を見たので、
22:3
モアブ
は大いにイスラエルの民を恐れた。
その数が多かったためである。
モアブ

イスラエルの人々をひじょうに恐れたので、
22:4
ミデアン
の長老たちに言った、
「この群衆は
 牛が野の草を
 舐(なめ)つくすように、
 われわれの周囲の物をみな、
 舐(なめ)つくそうとしている」。
チッポルの子
ラク
はこの時
モアブの王であった。
22:5
彼は
アンモンびとの国の
ユフラテ川のほとりにある
ペトル
に使者をつかわし、
ベオル
の子
バラム
を招こうとして言わせた、
「エジプトから出てきた民があり、
 地のおもてを
 おおってわたしの前にいます。
22:6
 どうぞ
 今きてわたしのために
 この民を
 呪(のろ)ってください。
 彼らはわたしよりも強いのです。
 そうしてくだされば、
 われわれは彼らを撃って、
 この国から
 追い払うことができるかもしれません。
 あなたが祝福する者は祝福され、
 あなたが呪(のろ)う者は
 呪(のろ)われることを
 わたしは知っています」。
22:7
モアブ
の長老たちと
ミデアン
の長老たちは
占いの礼物を手にして出発し、
バラムのもとへ行って、
ラクの言葉を告げた。
22:8
バラムは彼らに言った、
「今夜ここに泊まりなさい。
 主がわたしに告げられるとおりに、
 あなたがたに返答しましょう」。
それで
モアブの司(つかさ)たちは
バラム
のもとにとどまった。
22:9
ときに神は
バラムに臨んで言われた、
「あなたのところにいる
 この人々はだれですか」。
22:10
バラムは神に言った、
「モアブの王
 チッポルの子
 バラクが、
 わたしに人をよこして言いました。
22:11
 『エジプトから出てきた民があり、
  地のおもてをおおっています。
  どうぞ
  今きてわたしのために
  彼らを
  呪(のろ)ってください。
  そうすればわたしは戦って、
  彼らを追い払うことが
  できるかもしれません』」。
22:12
神はバラムに言われた、
「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。
 また
 その民を呪(のろ)ってはならない。
 彼らは祝福された者だからである」。
22:13
明くる朝起きて、
バラム

ラクの司(つかさ)たちに言った、
「あなたがたは国にお帰りなさい。
 主は
 わたしがあなたがたと一緒に行くことを、
 お許しになりません」。
22:14
モアブの司(つかさ)たちは立って
ラクのもとに行って言った、
「バラムはわたしたちと
 一緒に来ることを承知しません」。
22:15
ラク
はまた前の者よりも
身分の高い司(つかさ)たちを
前よりも多くつかわした。
22:16
彼らはバラムのところへ行って言った、
「チッポルの子
 バラクはこう申します、
 『どんな妨げをも顧みず、
  どうぞわたしのところへおいでください。
22:17
  わたしはあなたを大いに優遇します。
  そして
  あなたがわたしに言われる事はなんでもいたします。
  どうぞきてわたしのために
  この民を呪(のろ)ってください』」。
22:18
しかし、
バラムは
ラクの家来たちに答えた、
「たとい
 バラクがその家に満ちるほどの金銀を
 わたしに与えようとも、
 事の大小を問わず、
 わたしの神、
 主の言葉を越えては
 何もすることができません。
22:19
 それで、どうぞ、
 あなたがたも今夜ここにとどまって、
 主がこの上、
 わたしになんと仰せられるかを
 確かめさせてください」。
22:20
夜になり、
神はバラムに臨んで言われた、
「この人々は
 あなたを招きにきたのだから、
 立ってこの人々と一緒に行きなさい。
 ただし
 わたしが告げることだけを
 行わなければならない」。
22:21
明くる朝起きて
バラムは、
驢馬(ろば)に
鞍(くら)をおき、
モアブ

司(つかさ)たちと一緒に行った。
22:22
しかるに
神は彼が行ったために怒りを発せられ、
主の使は彼を妨げようとして、
道に立ちふさがっていた。
バラムは、
驢馬(ろば)に乗り、
そのしもべふたりも彼と共にいたが、
22:23
驢馬(ろば)は主の使が、
手に
抜き身の
剣(つるぎ)
をもって、
道に立ちふさがっているのを見、
道をそれて
畑にはいったので、
バラムは、
驢馬(ろば)を打って道に返そうとした。
22:24
しかるに
主の使はまた
葡萄(ぶどう)畑の間の狭い道に立ちふさがっていた。
道の両側には
石がき
があった。
22:25
驢馬(ろば)は主の使を見て、
石がきにすり寄り、
バラムの足を
石がきに押しつけたので、
バラムは、また、
驢馬(ろば)を打った。
22:26
主の使はまた先に進んで、
狭い所に立ちふさがっていた。
そこは
右にも左にも、
曲る道がなかったので、
22:27
驢馬(ろば)は
主の使を見て
バラムの下に伏した。
そこで
バラムは怒りを発し、
杖(つえ)で
驢馬(ろば)を打った。
22:28
すると、主が、
驢馬(ろば)の口を開かれたので、
驢馬(ろば)はバラムにむかって言った、
「わたしがあなたに何をしたというのですか。
 あなたは
 三度もわたしを打ったのです」。
22:29
バラムは、
驢馬(ろば)に言った、
「お前が
 わたしを
 侮ったからだ。
 わたしの手に
 剣(つるぎ)があれば、
 いま、お前を殺してしまうのだが」。
22:30
驢馬(ろば)はまたバラムに言った、
「わたしはあなたが、
 きょうまで
 長いあいだ乗られた
 驢馬(ろば)ではありませんか。
 わたしはいつでも、
 あなたにこのようにしたでしょうか」。
バラムは言った、
「いや、しなかった」。
22:31
このとき
主が
バラムの目を開かれたので、
彼は主の使が
手に抜き身の
剣(つるぎ)をもって、
道に立ちふさがっているのを見て、
頭を垂れて
平伏(ひれふ)した。
22:32
主の使は彼に言った、
「なぜあなたは
 三度も驢馬(ろば)を打ったのか。
 あなたが
 誤って道を行くので、
 わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。
22:33
 驢馬(ろば)は
 わたしを見て
 三度も身を巡らしてわたしを避けた。
 もし、
 驢馬(ろば)が身を巡らして
 わたしを避けなかったなら、
 わたしはきっと今あなたを殺して、
 驢馬(ろば)を生かしておいたであろう」。
22:34
バラムは主の使に言った、
「わたしは罪を犯しました。
 あなたがわたしをとどめようとして、
 道に立ちふさがっておられるのを、
 わたしは知りませんでした。
 それで今、もし、
 お気に召さないのであれば、
 わたしは帰りましょう」。
22:35
主の使はバラムに言った、
「この人々と一緒に行きなさい。
 ただし、
 わたしが告げることのみを
 述べなければならない」。
こうして
バラムは
ラクの司(つかさ)たちと一緒に行った。
22:36
さて、
ラクはバラムがきたと聞いて、
国境の
アルノン川
のほとり、
国境の一端にある
モアブの町まで出て行って迎えた。
22:37
そして
ラク
バラムに言った、
「わたしは人をつかわして
 あなたを招いたではありませんか。
 あなたは
 なぜわたしのところへきませんでしたか。
 わたしは実際あなたを
 優遇することができないでしょうか」。
22:38
バラムはバラクに言った、
「ごらんなさい。
 わたしはあなたのところにきています。
 しかし、今、
 何事かを
 みずから言うことができましょうか。
 わたしはただ神が
 わたしの口に授けられることを
 述べなければなりません」。
22:39
こうして
バラムは
ラクと一緒に行き、
キリアテ・ホゾテ
にきたとき、
22:40
ラク
牛と
羊とを
ほふって、
バラム
および
彼と共にいた
バラムを連れてきた
司(つかさ)たちに贈った。
22:41
明くる朝
ラクはバラムを伴って
バモテバアル
にのぼり、
そこから
イスラエルの民の宿営の
一端をながめさせた。
ーーーーー
 片仮名・・・「コンガラガッ」てしまう・・・
 「笏」・・・象牙製の牙笏(げしゃく)と木製の木笏(もくしゃく)があるらしい・・・王笏(おうしゃく、sceptre、scepter)は、君主が持つ象徴的かつ装飾的な杖であり、「レガリア」の一種?・・・
 「レガリア(ラテン語regalia)・リゲイリア(英語regalia)は、王権などを象徴し、それを 持つことによって正統な王、君主であると認めさせる象徴となる物品である。 天叢雲剣 などの刀剣、伝国璽などの印璽が用いられる例があるほか、西欧諸国においては王冠・ 王王笏・宝珠の3種」・・・「三種の神器」らしい・・・
 「笏」=「竹+勿(なかれ・モチ・ブツ)」とは元来は裏にメモの紙片を貼り備忘に役立てたもの・・・
 なるほど、「勿論(モチロン)」か・・・これは「民数記」に記録されている「12の杖」である・・・