1601日目・・・「憲法9条を保持する日本国民」・・・「日本国民ではない。『9条を保持する日本国民』」・・・懐疑的でも「アベ」ちゃんに「日本国民の代表者の首相」として「ノーベル賞を授与」させ、賞金は国家予算の「平和活動基金」としたって問題はないだろう・・・「日本国憲法の枠内」で「アベ」ちゃんも「日本人として政治活動」しているのだから・・・「ノーベル平和賞・金メダル・賞金」は「サトウエイサク」も貰ったけでど・・・「平和活動」に使用したハナシはキイタコトがないけれど・・・ナンにツカッタんだか・・・
「ボビー・フィッシャー」の遺産、財産って・・・遺産(遺品)相続が日本人女性・・・?
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・・・以下は「The Yomiuri Shimbun」の記事の「部分抜粋」・・・
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一方、
ノルウェー・ノーベル賞委員会の
ゲイル・ルンデスタッド事務局長も本紙の取材に応じ、
「日本国民」の推薦を受理したことを認めた。
その上で、
国民全体に授与した前例がないことを指摘し、
「だれが(授与式で)賞を
受け取るのかとの問題が生じる。
『日本国民』を推薦した人たちが
安倍首相に懐疑的なのに、
首相が賞を受け取るのか」などと話した。
9条の解釈などを巡り、
「日本国民」を推す日本の市民団体側と
政府が一体性に欠ける現状では、
国民全体への
授与は困難との認識を強く示唆した。
2014年12月16日 16時17分
Copyright © The Yomiuri Shimbun
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NHK・・・17:00
天才 ボビー・フィッシャーの闘い
国家に翻弄された伝説のチェスプレーヤー
史上最強のチェスチャンピオン、ボビー・フィッシャー。
冷戦とその後の激動の時代を通じ
国家と闘い続けた希代の天才の人生を、
貴重な資料と証言を元にたどっていく。
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・・・面白かったデス・・・冷戦時代、亜米利加国家に利用され、チャンピオンになっても「亜米利加国家」の「栄誉」は与えられず、アメリカ国家政府の関与も「秘密」にされ、後に「9・11」事件に対する言動が元で「売国奴」とも罵られた・・・
「ウィキリークス (WikiLeaks)」 は、匿名により政府、企業、宗教などに関する機密情報を公開するウェブサイトの一つ」
創始者は
「ジュリアン・アサンジ」・・・「約25万点の外交公電が公表、そのうち5,697点は東京発の公電で3番目に多かった。このうち1,660点が機密文書にあたる」・・・事情は異なるが似ている・・・「国家の秘密」はダレのモノか・・・
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ウイッキペデア(原文)
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ボビー・フィッシャー(Bobby Fischer)
1943年3月9日 - 2008年1月17日
アメリカ合衆国
イリノイ州
シカゴ生まれ
チェスプレーヤー
チェスの世界チャンピオン(1972年 - 1975年)
本名
ロバート・ジェームス・フィッシャー
(Robert James Fischer)
チェス
「960」も考案した。
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母親
レジーナ・ウェンダー・フィッシャー
は当初ハーマン・J・マラーに秘書として雇われたが、マラーに才能を見いだされ、医学を学ぶように進められた。
父親
ハンス・ゲルハルト・フィッシャー
モスクワの大学へ行った生物物理学者
ソ連での反ユダヤ主義で
パリへ移住
後にレジーナは離婚し、
国籍を持っていたアメリカへ
子供を連れて移住
シカゴの病院でロバートを出産した
父親の記入欄にはハンスと記載
が、ハンスは
生涯アメリカに入国したことはない
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1957年
インターナショナルマスター
1958年
15歳で
グランドマスター
1962年国際舞台から引退
1966年復帰
1968年再度引退
1970年
ソ連対世界戦で
チェス界に復帰
1971年
挑戦者決定戦で
ソビエト連邦の
マルク・タイマノフに
6対0で完勝
デンマークの
ベント・ラーセンにも
6対0で完勝
前世界チャンピオンの
チグラン・ペトロシアンに
5勝1敗3引き分けで勝ち、
世界チャンピオンボリス・スパスキー
への挑戦者となった
1972年
レイキャヴィークの世界選手権で、
ボリス・スパスキー
を破り世界チャンピオンとなった
その後、反ユダヤ的な発言
が目立つようになった
1975年
防衛戦で
国際チェス連盟
挑戦者
アナトリー・カルポフ
とのマッチを戦わず王座を返上
1970年代は、
フィッシャーが信仰し支援していた
アメリカの
福音系新興宗教団体
Worldwide Church of God
の施設で暮らしていた
1992年
ユーゴスラビアで
スパスキーと再現試合
試合前に、米国当局から
「試合に参加するな」との手紙
米国政府はボスニア問題に絡んで
ユーゴスラビアに対して経済措置
フィッシャーはこの試合に勝利し、
300万ドル以上の賞金を得たる
米国は
「ユーゴスラビアに対する経済制裁措置に対する違反だ」
として起訴し、
フィッシャーの
アメリカ国籍を剥奪
フィッシャーは後に
「この起訴は
反ユダヤ的発言と
反米発言に対する
政治的迫害である」
と語った後、消息不明
フィッシャーは10年以上にわたりハンガリー、スイス、香港、マカオ、韓国など、世界の様々な場所を転々としていて、
2000年ごろまでには
フィリピンと日本が主たるホームベースになっていた
2000年から
日本では
元日本女子チェスチャンピオンの
渡井美代子と
フィリピンでは
元フィリピンチェス協会会長らの支援で
マリリン・ヤングと暮らしていた
2004年7月14日
成田空港からフィリピンへ出国しようとしたところを
入国管理法違反の疑いで
東京入国管理局成田空港支局に収容
同年8月
日本チェス協会事務局長の
渡井美代子と結婚を宣言
(2000年来 彼女の家で同居。入籍はしなかった)
アメリカ政府は身柄引き渡しを要求
2004年12月
アイスランド政府が
フィッシャーに対して市民権を与える措置
2005年3月24日
日本政府は
フィッシャーの
アイスランドへの出国を認め釈放
肝臓病により
2008年1月17日に64歳で死去 ↓
アイスランドの裁判所は
渡井美代子に
フィッシャーの
遺産(遺品)相続を認めた
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ボビー フィッシャーの名言
「私は
人間の
エゴ(うぬぼれ)を
粉々に砕く
瞬間が好きだ」
・・・「エゴ」は「うぬぼれ」ではなく、「セルフッシュ(自己本位・利己主義)」・・・だろう・・・
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ゲーム・・・戦い・・・競技・・・
「脳みそ機能」の記憶と判断の世界なのに・・・「国家ego」が絡んでくると・・・
「肉体機能」の技も「国家ego」が絡んでくると・・・?
・・・「日本将棋の世界」では、どうなんだろう・・・?
「科学知識」の利用、使用も・・・