1590日目・・・深夜映画で菅原文太の映画をやっていた・・・「夜桜銀次?」・・・チラッと見たが、出入り前、仏壇に線香をあげた後、タンスにシマっていた着物を取り出して広げ、パラパラと「ナフタリン」を払い、着込んで帯を締め、「白鞘の刀」を持って出かけていく場面があった・・・ボクにとっての妄想は「ナフタリン」は「ナフたりん=名符足りん」で、「白鞘の刀」は「さや」である・・・

 白象・・・「白書う・貼くしょう・伯昌・白勝」、「ショウ」と「ヒョウ」の発音がアイマイなボクには「薄氷・白豹」、「白票(無効票)」とも聴こえる・・・「しらぎ・シンラ」・・・「神羅・森羅・新羅」・・・「新覶・新覶」の「親等」・・・
 「新羅(しらぎ)の官職名・十七階官位中の十四位・新羅吉士の金」、「吉志、難波忌寸同祖、大彦命之後也」・・・「武蔵国派遣の壬生吉士」、「調吉士伊企儺」、「吉士 キシ 吉志、吉師、貴志、岸」・・・「北山抄・大嘗会事条に、新羅の服属儀礼を芸能化した吉士舞あり、これに安倍氏、難波吉士等が供奉す。多くは摂津国難波に居住して難波吉士と称し、安倍氏の配下となり、安倍氏後裔を称す」・・・「吉師舞、吉士舞」の面倒みたのはアベ・・・?
 ・・・「新羅の服属儀礼」の根拠はナニか?・・・亡国「百済(百濟)」が「倭国政権」に巣食っていたならば、「新羅の服属儀礼」と記録するだろうが、戦勝国新羅」が「倭国政権」に巣食っていたならば、「新羅の戦勝儀礼の吉士舞」だろう・・・
 「大羅(ラ)で大ノ国(百済)を称す。単に浦は古訓でカラ(韓)の意味もある。三国史記韓半島南部の国名に浦上八国を記す。上は城(さし)で国の意味」・・・
 ならば「大羅(タイラ)」は「平(たいら)」。「源氏は新羅太郎」で、「源義家」は、「伊予守の源頼義」の長男で、別称、「八幡太郎義家」、兄弟に「高麗次郎義網」、「三男に新羅太郎義光(近江の新羅明神元服)」である・・・
 天喜五年(1057年)十一月
 前九年の役
 「鎮守府将軍陸奥守に任ぜられた父の源頼義安倍氏と戦って大敗(黄海の戦い)」
 「奥州(東北地方)を支配し、朝廷に反逆していた安倍一族等を、清原と組んで、亡ぼした(陸奥国守となった時、清原氏(藤原3代に繋がる家系)の内紛に介入して
 永保三年(1083年)
 後三年の役
 陸奥守となり、清原氏の内紛に介入
 寛治元年(1087年)七月九日
 「奥州合戦停止」
 寛治元年十一月
 義家は
 出羽
 金沢柵にて
 清原武衡清原家衡を破った
 だが
 朝廷はこれを認めず、「私戦」とした
 寛治二年(1088年)正月
 陸奥守を罷免
 承徳二年(1098年)四月
 小除目で正四位下に昇進
 十月に院昇殿の許可
 ・・・「源頼朝」は義家の孫にあたる源義朝の子で曾孫
で、鎌倉幕府を開く・・・「曾孫」・・・
 室町幕府を開いた
 足利尊氏(源尊氏)は、
 源義家
 三男の
 源義国
 次男の
 足利義康源義康)の子孫。
 南朝方の
 新田義貞(源義貞)は、
 源義国
 長男の
 新田義重源義重)の子孫。
 ・・・徳川家康は、征夷大将軍職を得るために新田氏の分家である「得川」氏の後裔を自称・・・「得川」である・・・
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 「鞘(さや・ショウ・セウ・ショウ・ソウ )」
 刃物の身の部分を包む覆いで、刃が周りを傷つけないように隔離し、保管や携行中の安全を確保するモノ。
 「刀剣類」の刀身の部分を納めておく筒・刀室(とうしつ)
 「筆や鉛筆」などの先端を保護するためにかぶせる筒
  キャップ
 「堂・蔵・牢(ろう)」などの外囲い・・・
 「値段や利率の差・開き・売り値と買い値との差や、
  ある銘柄の相場間の値段の開きなど」
 ・・・「利鞘(りざや)」・・・「鞘を取る」・・・「売買の仲介をして、価格の差の一部を利益として取る・鞘を稼ぐ・鞘を抜く」・・・類字は「悄・逍・銷・鞘・蛸・鮹・梢・稍」・・・なるほど
 「坪内逍遥(つぼうちしょうよう・1859年・安政六年)〜1935年(昭和十年)・評論家 翻訳家 劇作家 作家」
 明治十八年(1885年)に『小説神髄』、そして『当世書生気質』を発表」・・・「尾張藩領だった美濃国加茂郡太田宿(岐阜県美濃加茂市)の生まれ。父は尾張藩士で太田代官所の手代をつとめていたが、明治維新とともに一家で実家のある名古屋の笹島村へ戻った。父から漢学書類を読まされた他に、母の影響を受け、名古屋での11歳頃から貸本屋に通い読本・草双紙などの江戸戯作や俳諧、和歌に親しみ、ことに滝沢馬琴に心酔した・・・早稲田大学の前身である東京専門学校の講師となり、のちに早大教授・・・「妻・センは根津遊廓の大八幡楼の娼妓・花紫で、1886年(明治十九年)に結婚したが二人には子がなく、逍遙は兄・義衛の三男・士行を7歳のときに養子に迎えたが、後年士行の女性問題が原因で養子縁組を解消・・・写真家・能笛家の鹿嶋清兵衛とその後妻・ゑつの間にできた長女・くにを6歳のときに養女に迎えている」・・・
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 「鞘堂」は「覆堂(ふくどう、おおいどう、さやどう)」とも・・・「鞘堂(さやどう)」、「覆屋(おおいや)」・・・「平泉中尊寺. 金色堂旧覆堂」・・・覆堂、鞘堂で、「伊達藩」である・・・
 以上も、以下も、ウイッキペデアなどが参考、参照の原文・・・
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 「白鞘(休め鞘)=しらさや」
 刀の保存用の鞘
 材料は自然乾燥させた「朴(ほお)」の木
 白鞘は「拵(こしらえ)の鞘」に比べて太く作られる
 「拵の鞘」も白鞘に塗りを施したもの
 保存に
 竹光を
 「拵の鞘」に入れ飾り、
 本身の刀は「白鞘」はしまっておく
 「入れ子鞘(いれこざや)」と言う、
 「拵の塗りの鞘」が
 二重になっている物もある
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 「ナフタレン
 (ナフタリン=那夫塔林・naphthalene)」
 2個のベンゼン環が1辺を共有した構造を持つ
 「多環芳香族炭化水素
 無色で昇華性を持つ白色結晶
 アセン類として最も単純な化合物
 構造異性体として、
 7員環と
 5員環からなる
 アズレンがある
 1820年代初頭
 コールタールの蒸留によって得られる
 刺激臭のある白色固体について
 2つの別々の報告がなされた。
 1821年
 ジョン・キッドはこれら2報の発表を引用し、この物質の性質の多くとその生産方法について記述した。キッドは、この物質が
 「ナフサ」の一種から得られていたため、
 「naphtaline」という名称を提案した
 1826年に
 「ナフタレンの化学式」は
 マイケル・ファラデーによって決定
 2つのベンゼン環が縮環した構造は
 1866年に
 エミール・エルレンマイヤーによって提唱
 1869年に
 カール・グレーベによって確認
 ナフタレン分子は1組のベンゼン環が縮環したもの
 ナフタレンは
 ベンゼノイド多環芳香族炭化水素 (PAH) に分類
 ナフタレンには2組の等価な水素原子がある
 α位は1、4、5、8位であり、
 β位は2、3、6、7位である
 ベンゼンとは異なり、
 ナフタレン中の炭素-炭素結合は全て同じ結合長ではない、
 C1-C2、C3-C4、C5-C6、C7-C8
 間の結合は約1.36 Å(136 pm)であるのに対して、
 その他の炭素-炭素結合の長さは約1.42 Å (142 pm)
 この差異は
 3つの
 共鳴構造を含むナフタレン中の結合の
 原子価結合モデルと一致
 C1-C2、C3-C4、C5-C6、C7-C8
 間の結合は3つの共鳴構造のうち2つで
 二重結合であるが、
 その他の結合は1つのみで二重結合となる
 ベンゼンのように、
 ナフタレンは芳香族求電子置換反応を受ける
 多くの芳香族求電子置換反応において、
 ナフタレンはベンゼンよりも穏和な条件で反応
 ナフタレンおよび塩素は
 触媒がなくとも反応して
 1-クロロナフタレンを形成
 ベンゼンおよびナフタレンはともに
 フリーデル=クラフツ反応によって
 アルキル化されるが、
 ナフタレンは
 硫酸あるいはリン酸を
 触媒とした
 アルケンあるいは
 アルコールとの反応によって
 アルキル化する・・・?
 ナフタレンは
 パラジクロロベンゼンと同様に、
 防虫剤として利用
 また現像済みの
 写真フィルムは
 化学反応を起こして
 退色・変色を起こすことがあるので、
 ナフタレンを成分とする
 防虫剤から離して保管する必要がある・・・
 殺虫剤として
 1954年1月25日、
 忌避剤として
 1954年8月2日に
 農薬登録を受けたが、
 殺虫剤としては
 1957年1月25日、
 忌避剤としては
 1971年11月18日に
 登録失効
 ナフチル基
 ナフタレンから
 水素をひとつ取り去った1価の置換基は
 ナフチル基 (naphthyl group) と呼ばれる
 取り去られた
 水素の位置により
 1-ナフチル基と
 2-ナフチル基がある
  ↓
 ナフタレンにさらされると、
 赤血球が破壊される
 子供が誤ってナフタレンを含んだ
 防虫剤や防臭剤を口に入れた場合
 極端な疲労感、食欲不振、不眠、チアノーゼ
 といった症状が現れる
 大量のナフタレンに暴露されると、
 吐き気、嘔吐、下痢、血尿、黄疸を引き起こす
 万一、誤食があった場合は、病院に行くこと
 有毒物質を飲んだとき
 牛乳を飲ませる応急処置をするが、
 ナフタレンの場合は牛乳を飲ませてはいけない
 ナフタレンは
 脂溶性のため体内に吸収され易く
 危険である・・・
 アメリカ合衆国
 アメリ国立衛生研究所(NTPの上部組織)は
 2005年の
 11回発癌性物質報告書
 (11th Report on Carcinogens)から
 ナフタリンを
 「人間に対する発癌性物質と正当に予測される
  (Reasonably anticipated to be a human carcinogen)」
 物質としてリスト
 国際癌研究機構 (IARC) は
 2002年にナフタレンを
 ヒトに対する発癌性
 疑いがある物質(Group2B)として位置づけ
 同機構ではナフタレンに対する
 急性暴露は、
 ヒト、ラット、ウサギ、マウスにおいて
 白内障の原因となること、
 成体以外では
 経口暴露、吸入暴露、胎児期の間接暴露により、
 溶血性貧血が起こることを指摘
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 ・・・箪笥に大切に収納されている「おふくろのカタミの着物」・・・「ナフタリン臭い」・・・