1557日目・・・早朝未明から強風、昼前には雨霰(あめあられ)。窓の外をみると、雹(ひょう)にシタタカに打たれ、突風に茎葉をシナらせていた庭のピンク色の薔薇の蕾(つぼみ→華蕾・莟・四月朔日・窄み→搾取)、未だ開花せずの一輪・・・慌てて外に出て切り取って家の中に・・・家の母の写真の前で美事に咲いてくれることを願って・・・二時ころ、興味あるTV番組をやっていたけれど・・・番組表を調べたら

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 「ケンボー先生と山田先生〜辞書に人生を捧げた二人の男〜」・「誰もが一度は手にしたことがある国語辞書に、驚くべき人間ドラマが!辞書作りに人生を捧げた二人の編さん者の情熱と相克の物語を描き出す。ナビゲーターは薬師丸ひろ子
 とあった・・・ブログ記事の検索頭出しには、
 独特の語釈と用例で多くのファンを持つ「新明解国語辞典」。その誕生の裏に驚くべきドラマが!辞書界の革命児・
 山田忠雄が「新明解」を生み出す背景には一人の男との決別があった。その男こそ
 「三省堂国語辞典」を生んだ戦後辞書界の巨人・
 見坊豪紀。協力し理想の辞書作りを追求していた二人。しかし、ある日を境に全く異なる二つの辞書を生み出し、改訂作業を続けた。辞書に人生を捧げた二人の男の情熱と相克の物語
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・・・とあった・・・辞書に記された「日本語のコトバの用例」は語られていたが、イマイチ、「コトバ自体」の「本質論」がなかった・・・「コトバ」に対する「対概念」、そして「鏡(かがみ)論」・・・もう少し、「コトバ」に対する「認識論」を訊きたかったがね・・・健忘さんと、ヤマダの案山子(クエビコ・久延毘古)さん・・・ゴメンナサイ・・・ゴクロウなさったのにはケイイをショウしています・・・
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 「爾に多邇具久白言しけらく、「此は久延毘古ぞ必ず知りつらむ。」とまをしつれば、即ち久延毘古を召して問はす時に、「此は神産巣日神の御子、小名毘古那神ぞ。」と答へ白しき」・・・