1527日目・・・「ブルー」、「めぐみ」さん、「曽我さん」の「お母さん」・・・北朝鮮、「労働者天国(?)」は「地獄」・・・拉致、誘拐された「安寿と厨子王(森鴎外)」は「シオクミ(潮汲み・汐汲み)の奴隷」・・・「9月13日の金曜日」・・・大陸中国政府、韓国政府は「イチャモン国家」・・・報道ステーションの「古館」が「慰安婦」問題をズラして「正論-(プチブル)国家主義者の橋本市長」の「言辞」と「同類の立場」に逃げ込みたいらしい・・・「帝国日本軍隊だけじゃない、アンフェアだ」と・・・「軍隊、軍人だけの問題じゃな

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 ウィキペデアから以下抜粋・・・原文は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AF%BF%E3%81%A8%E5%8E%A8%E5%AD%90%E7%8E%8B%E4%B8%B8
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 前(さき)の奥羽五十六郡の太守、岩城判官正氏の一族は、讒言(ざんげん。虚偽の悪行をでっち上げて人を陥れる事)によって筑紫に流された。本国に残され落魄した正氏の妻と、その2人の子供――姉の安寿姫と弟の厨子王は、正氏を訪ね求めて越後の直江津にたどり着いたとき、人買いの山岡太夫の手にかかり、妻は佐渡二郎の手で佐渡に、姉弟は宮崎という人買いの手で丹後由良湊の長者である山椒太夫にそれぞれ売り渡された。山椒大夫のもとで姉弟は酷使された。弟は1日に3荷の柴を刈れ、姉は1日に3荷の潮汲みをしろ、間があれば藻塩を焼く手伝いをしろ、糸を紡げ、と追い使われ、弟は柴刈り払う鎌を怨み、姉は潮汲む桶に泣いた。
 ある日、安寿は厨子王に勧めて密かに逃れさせようとし、罰として額に焼け火箸を当てられた。しかし肌身離さぬ守りの地蔵尊のおかげで痕が付かなかった。
 そして姉弟はついに、再会を約して逃亡を図った。姉を残して都へと行くのをためらう厨子王に、安寿姫は強く勧めて、弟が去った後、自身は山椒館の近くの沼に身を投げて亡くなった。その亡骸は村人により丁重に葬られた。
 時に
 永保2年正月16日、
 安寿16歳、
 厨子王13歳
 であったという。
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 安寿恋しや、ほうやれほ。
 厨子王恋しや、ほうやれほ。
 鳥も生(しょう)あるものなれば、
 疾(と)う疾う逃げよ、逐(お)わずとも。

 正道はうっとりとなって、この詞に聞き惚(ほ)れた。そのうち臓腑(ぞうふ)が煮え返るようになって、獣(けもの)めいた叫びが口から出ようとするのを、歯を食いしばってこらえた。たちまち正道は縛られた縄が解けたように垣のうちへ駆け込んだ。そして足には粟の穂を踏み散らしつつ、女の前に俯伏(うつふ)した。右の手には守本尊を捧げ持って、俯伏したときに、それを額に押し当てていた。
 女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつもの詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤(うるお)いが出た。
 女は目があいた。
 「厨子王」という叫びが女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。