1412日目・・・・アマネシア(amnesia)・・・「蒼頡=艸(廾)+倉+吉(十一口)+頁」=「倉頡=倉+十+一+口+一+ノ+目+八」・・・倉=蔵・・・「蒼=くすんだ青色」・・・ウイッキペデアによれば、「瀝青質貞岩」、または「オイルシェール、タールサンド」の採取、「瀝青質の貞岩及び砂」からの原油生産・・・「粘土板を用いた文書作成はメソポタミアの楔形文字発生とともに始まった」・・・シュメールの伝説では英雄「エンメルカル」が使者を派遣する際に使者が口上を覚えられないために「粘土板」に記した・・・また、発掘

ーー
 文字は「象形文字」を発展させた「楔形文字」を創始し、後世の西アジア諸国のさまざまな言語を表すのに利用され、記録媒体は「粘土板」が用いられた。楔形文字によって書かれたものとしてはハンムラビ法典がよく知られている。ミタンニのアッカド語は外交用語として用いられ、エジプト第18王朝の外交文書(アマルナ文書)に、その言葉で書き記されたものが残っている。
 アマルナ文書(Amarna letters)は、エジプト中部のナイル川東岸アマルナで発見された楔形文字の書かれた粘土板文書。
 アマルナ文書の多くは、エジプト第18王朝のファラオであったアメンヘテプ4世時代(在位:紀元前1353年?頃〜紀元前1336年?頃)の外交政策と国際関係を示した史料。
 1885年
 地元女性によって発見(アマルナ文書)
 ・・・この年に何があったのか、誕生と事件は?
 4月4日は
 「本居長世」童謡作曲家の誕生日、
 「四月一日」ではなかった・・・?
 この「西暦の1885の数字」は、何を言いたいのか?「古事記」、「日本書記」・・・「年表」研究者はワラちゃうだろう・・・?
ーー↓
 1885年・干支年乙酉
 明治十八年
 皇紀2545年
 清国
 光緒十年十一月十六日
   〜
 光緒十一年十一月二十六日
 李氏朝鮮
 高宗二十二年
 開国494年
 ↓
 1月4日世界初の虫垂切除術実施(米国アイオワ州)
 1月8日大日本除虫菊操業開始
 1月9日日本(井上馨)と
    朝鮮(金弘集)の間で漢城条約締結
 1月15日文武講習館(成城学校・成城中・高等学校)創設
 1月27日ハワイ王国への官約移民第一号となる
     944名が渡航(以後9年間で約29,000人移民)
 2月9日日本人移民がハワイ王国へ到着
 2月18日マーク・トウェイン
    「ハックルベリー・フィンの冒険」出版
 2月25日ワシントン記念塔除幕式
 3月4日グロバー・クリーブランド
    第22代米国大統領に就任(1期目)
 3月14日ギルバート&サリヴァン喜歌劇
     「ミカド」初演(ロンドン)
 3月30日清仏戦争
     仏フェリー政府瓦解
 4月4日清仏戦争: 予備平和条約調印
 4月15日英海軍が朝鮮巨文島を占領(巨文島事件)
 4月18日日本(伊藤博文)と
    清国(李鴻章)間で天津条約締結
 4月18日専売特許条例発布(施行7月1日)
 4月30日ボストン・ポップス・オーケストラ創立
     波士頓・波士敦・波士顿・波府
 5月9日日本銀行券発行開始(拾圓券)
 6月2日琵琶湖疏水起工
 6月9日清仏戦争・天津条約調印
         あまつ
 6月17日自由の女神像がニューヨーク港に到着
 6月17日大阪府洪水
 6月23日英国でソールズベリー内閣成立(1期目)
 6月24日サミュエル・ファーガソン
    (Samuel David Ferguson)
    黒人として初米国聖公会主教となる
 7月1日専売特許条例施行
 7月6日ルイ・パスツール開発の
    狂犬病ワクチンが初めて人体に接種
     いぬ
 8月12日教育令改正
 8月29日ゴットリープ・ダイムラー
     オートバイの特許を取得
     二輪車
 9月8日日本銀行壹圓券
    百圓券発行
    もも・まどか
 9月10日「英吉利法律学校(中央大学)開校
 9月15日「P・T・バーナム」の興行列車事故
     象のジャンボが死亡
     小象はダンボ
 9月29日「日本郵船創立」
     東京法学校東京大学へ併合
 10月1日東京瓦斯創立(東京府瓦斯局の払い下げ)
     米国で速達郵便開始
 10月9日東京感化院設立
 10月14日浅草水族館開館
 10月24日ヨハン・シュトラウス2世喜歌劇
    「ジプシー男爵」
     初演(アン・デア・ウィーン劇場)
 11月13日華族女学校(後の学習院女子高等科)開校
 11月23日大阪事件・・・?
 11月27日初めて流星写真が撮影
 12月22日太政官制度廃止・内閣制度創設
     伊藤博文
     初代内閣総理大臣に就任
    (第一次伊藤内閣)
 誕生
 1月16日「周作人」、随筆家・翻訳家
 1月17日「大杉栄」、思想家・アナキスト
 1月17日「野辺地天馬」、児童文学作家・伝道師
 1月21日「板垣征四郎」、陸軍軍人・政治家
 1月24日「トーマス・栗原」、映画監督
 1月25日「北原白秋、詩人
 2月3日「田辺元、哲学者」
 3月1日「秋野やす」、長寿世界一記録保持者
 4月4日「中里介山」、小説家・「机龍之介
 4月4日「本居長世」、童謡作曲家→本居宣長の子孫
 4月11日「正力松太郎」、読売新聞社社主
 5月12日「武者小路実篤」、小説家
 8月1日「木下杢太郎」、医学者・詩人・劇作家
 8月22日「出光佐三」、実業家、出光興産創業者
 8月24日「若山牧水」、歌人
 9月11日「D・H・ローレンス」、小説家
 11月8日「山下奉文」、日本陸軍の大将
     マレーの虎 
 11月15日「野尻抱影」、随筆家・天文研究家
 11月17日「萬鉄五郎」、洋画家
 12月15日「山中峯太郎」、陸軍軍人・小説家
 死去
 2月7日「岩崎弥太郎」、実業家、三菱財閥創業者
ーー↓
 アマルナ文書は
  1891年
 エジプト考古学者のフリンダーズ・ピートリーによって
 アテン大神殿の南、ファラオ通信文書館跡から出土したと確認
 出土総数は382枚
 紀元前14世紀の前半から中盤にかけて
 オリエント列強や
 エジプト支配国の高官たちがファラオに宛てた外交書簡
 国際公用語である
 アッカド語で記されている
ーー
 楔形文字の記録された粘土板
 1)国政のための様々なデータの保管
   土地の大きさから税金を決める等
 2)商取引のための契約書
   国内での売買契約、貸借契約の証
 3)外交で条約などを締結するときの公文書
   例えばバビロニアとエジプトの
   交わした合意文書などが残っており、
   それらはみな焼かれたものである
 4)図書館などに置く学術書、詩、等
   知識の蓄積の目的で図書館が建てられ、
   その蔵書は粘土板で作られた
 5)粘土板に文字を書く勉強のための練習用ノート
   文字を書く技術を習得するための
   学校のような施設があり、
   生徒は粘土板に書き取りをしていた
  (日本語でいう五十音の表や
   それの書きかけのものも見つかっている)
 6)(貴族などの)持ち物の覚え書き
   粘土板から貴族や富豪の夫人が服を蒐集し、
   リストを作っていたことが分かった
 7)バビロニアの世界地図
   バビロンを中心とした
   古代メソポタミアの地図
   紀元前6世紀頃に造られた・・・
ーー↓ーー
 「蒼頡(ソウケツ)=倉頡」
 漢字を発明
 「説文解字」には、
 「蒼頡が初めに作った文字」は
 みな
 「象形文字」であり、これを「文」
 後に
 「形声文字」が作られ、これを「字」
 とした・・・
ーー
 「蒼頡」は
 「黄帝=姫=足跡」に仕える史官
 インカ帝国
 キープのような
 縄の結び目を記録に用いていた
 が、
 蒼頡
 「鳥」や「獣」の足跡の形によって
 元の動物を推測できることから、
 文字によって概念を
 表現できる・・・と気付いた・・・?
 戦国時代
 蒼頡の伝説は既に一般化
 「淮南子」には
 「蒼頡が文字を作ったとき、
  天は
  粟を降らせ、・・・「粟(あわ・ショク・ゾク)」
        類字は「栗(くり・リウ・リチ)」
           「票(ふだ・ヒョウ)」
           「瞟(みる・ヒョウ)」
           「嫖(かるい・ヒョウ)」
  鬼は・・・・類字は「蒐(あつめる・あかね・シュウ)」
  夜に泣いた」・・・ナゼ、泣いたのか?
           「粟=西+米」、「栗=西+木」
 と記されている・・・・・・西欧米、    西紀
            あわ=安和・安房・阿波・繰り記
 「説文解字」は、
 「文(あや)=象形文字」→彪→虎の彡(サン・セン)
 「字(あざ)=形声文字」→痣→疒(ダク)の志
 「蒼頡」は
 「目が四つ」ある人物・・・?与詰・肆目・四目並
 中国でほかに
 「帝舜」と「項羽」も・・・綴瞬(まばたき)
 「四つの目」の人物・・・・綴俊・降雨・考迂・行有
ーー
 蒼頡
 陝西省
 白水県・・・・?白い水の懸→白村江
 史官郷にあり、
 彼の墓の横には大きな
 柏が植えられている・・・柏(かしわ)=木+白
 伝説によると、
 その木は
 十七mの高さ
 約4700年前
 蒼頡によって植えられたもの・・・
ーー
 「蒼頡篇」
 秦代に成立し、
 漢代に再編纂された
 「小学書(識字教科書)」
 始皇帝
 文字の統一
 「小篆」を正式書体として採用
 「李斯」の
 「蒼頡篇」
 「趙高」の
 「爰歴」・・・爰の歴・応爰(援・媛・猨=猿)
        爰=どこそこ・ここに・here
 「胡毋敬」の
 「博学篇」
 漢代
 「閭里書師」が以上の
 三篇を併せて
 五十五章に分け
 「蒼頡篇」と総称
 その後、亡失・・・・?
 二十世紀
 敦煌
 漢簡『蒼頡篇』や
 居延
 漢簡『蒼頡篇』が出土
 1977年
 漢代再編前と思われる
 阜陽
 漢簡『蒼頡篇』も出土した
 推定される
 全文字数の
 六分の一ほどしか知られず全容は不明
 2003年
 北京大学竹簡に存する
 北大
 漢簡『蒼頡篇』
 2008年に出土した
 水泉子
 漢簡『蒼頡篇』
 での研究進展が期待
 ・・・現在的に・・・昔の漢文を「読解」できるのは
 「日本」と「台湾」の「漢文学者」だけだろう・・・?
 だが、学問上でも「本場?の権威」には弱い・・・
 古い文字の「形」と「音の意味」は
 周辺国(地域)に「波及」し残存する
 旧漢字→新漢字→新々漢字・・・「大陸中国人」は
 原本での「字読、音読での理解」は、もはや「無理」カモ・・・
 イチャモンはナイものから始まる・・・リケンも・・・
ーー
 『説文解字
 序
 「秦始皇帝初兼天下、
  丞相
  李斯乃奏同之、
  罷其不與秦文合者。
  斯作
  倉頡篇。
  中車府令
  趙高
  作爰歷篇。
  大史令
  胡毋敬
  作博學篇。
  皆取史籀大篆、
  或頗省改、
  所謂
  小篆也」。
 「小篆」=印章、印鑑、判個の字体・・・インカン
      漢字の古書体の一
      秦の李斯が
      大篆(ダイテン)を簡単にした文字
      隷書(レイショ)が作られた後は
      碑銘・印章などに用いられた
      篆文(テンブン)・秦篆(シンテン)
ーー
 『漢書
 芸文志
 「蒼頡一篇。上七章、
  秦丞相
  李斯作。
  爰歷六章、
  車府令
  趙高作。
  博學七章、
  太史令
  胡母敬作。」

 漢書
 芸文志
 「漢興、閭裡書師合蒼頡、爰歷、博學三篇、
  斷
  六十字
  以為
  一章、
  凡
  五十五章、
  並為
  蒼頡篇。」
ーーーーー
 ・・・
 メソポタミアの神々
 アンシャル - 天国の父
 アヌ - 最も高い天国の神
 アプスー - 神々と地下世界の海の支配者
 アシュル - アッシリアの国神
 ダムキナ - 地球の母なる女神
 エア - 知恵の神
 エンリル - 天候と嵐の神
 エヌルタ - 戦争の神
 ハダド - 天候の神
 イシュタル - 愛の女神
 キングー - ティアマトの夫
 キシャル - 地を司る女神
      (アンシャルの妻にして妹)
 マルドゥク - バビロニア人の国神
 ムンム - 霧の神
 ナブー - 書記の守護神
 ニンツ - 全ての神々の母
 シャマシュ - 太陽と正義の神
 スィン - 月の神
 ティアマト - 原初の女神
 ラフム アプスーとティアマトの子。
     ラハムの夫。
     アンシャルとキシャルの父。
 ラハム アプスーとティアマトの娘。
     ラフムの妻。
     アンシャルとキシャルの母。
ーーーーー
 ・・・「ナブー(名部有)」が「書記の守護神」で、「ニンツ(妊通)」が「全ての神々の母」、「シャマシュ(娑魔主)」が「太陽と正義の神」、「スィン(素因)」が「月の神」・・・?・・・
ーーー
 インカ帝国スペイン語=Imperio Inca)
 正式名称=タワンティン・スウユ
     (Tawantin Suyu, Tahuantinsuyo)
 国の標語=Ama llulla. Ama suwa. Ama qella.(ケチュア語
      嘘を付くな 盗むな  怠けるな
     「Ama」は禁じる意味・・・?
 「タワンティン」は
 「4」を意味し、
 「スウユ」は
 「州、地方、国」を表す
 「四つの邦」
 「四つの邦(スウユ)」
 クスコの北方の
 旧チムー王国
 エクアドルを含む北海岸地方の
 チンチャイ・スウユ
 (ケチュア語: Chinchay Suyo=北州)
 クスコの南側から
 チチカカ湖周辺、
 ボリビア、チリ、アルゼンチンの一部を含む
 コジャ・スウユ
 (ケチュア語: Colla Suyo=南州)、
 クスコの東側のアマゾン川へ向かって降る
 アンデス山脈東側斜面の
 アンティ・スウユ
 (ケチュア語: Anti Suyo=東州=アマゾンのジャングル)、
 クスコの西側へ広がる太平洋岸までの地域の
 クンティ・スウユ
 (ケチュア語: Conti Suyo=西州)の
 4つ
 「インカ」とはケチュア語
 「王(皇帝)」を意味する言葉
 スペイン人はこの言葉を初めは
 ケチュア族をさす言葉として使い、
 次第に国をさす言葉として使うようになった・・・
 
 「インティ(Inti)」
 インカ帝国の伝説上の太陽神
 太陽と虹の神とも・・・インカ帝国の国旗は?
            左右対称の2匹の蛇
 ケチュア語を用い、
 「アイユ」と呼ばれる一種の・・・アイヌ
 血縁・地縁的集団を基盤とした。
 クスコを首都とする
 インカ帝国
 (1250年ころ〜1533年)を建設
 ↓
 アマゾンは
 ギリシャ神話の
 女性ばかりからなる部族
 勇猛で、弓を引くのに
 右の乳房がじゃまになるとして
 切り取ったという。
 女傑・女丈夫の意に用いる
 アマ−ゾネス
 ↓
 ギリシャ北方の未開の地
 カウカソス、スキュティア、
 トラーキア北方などの
 黒海沿岸に住んでいた
 黒海はかつてアマゾン海と呼ばれていた
 アマゾーン族は黒海沿岸の他、
 アナトリア小アジア)や
 北アフリカに住んでいた・・・
 ↓↑
 アジア大陸
 北方の
 「女系、母系部族」ならば、
 古代ギリシャからも、古代中国からも
 北方種族で、基本的には「遊牧騎馬種族」、
 「スキタイ」→←「好太王(広開土王)」
  ↓↑
 メディア人によって
 アジアから駆逐された
  ↓↑
 北の草原地帯から
 キンメリア人(キンメリオイ)を
 追ってコーカサス山脈の東側から
 中央(中東)アジアに侵入
  ↓↑
 アッシリア帝国からの独立で、
 メディア軍が
 アッシリア軍を攻撃最中で
 スキタイ軍はそのすきを狙って
 メディア軍を破り、
 エジプトへと南下を目指し
 パレスチナ・シリアに到達時、
 エジプト王
 プサメティコス1世(プサムテク1世)が懐柔し
 スキタイのエジプト進軍を回避させ
 その後
 メディア王
 キュアクサレス2世が
 宴席に招いた
 スキタイを殺害、大部分を駆逐
  ↓↑
 メディアの王
 キュアクサレス2世(在位=前625年〜前585年)時代
 怨恨から
 キュアクサレスの子供を調理して
 キュアクサレスに食べさせ、
  ↓↑
 リュディア王
 アリュアッテス(在位=前605年〜前561年)
 のもとへ亡命
  ↓↑
 「リュディア」vs「メディア」間の戦争
  ↓↑
 メディア王の
 キュアクサレス2世が
 アッシリア軍と戦い、
 ニノスの町を攻囲中
  ↓↑
 スキタイ王の
 マデュエス
 メディア軍を攻撃
 破って全アジアを席捲
  ↓↑ 
 その後
 28年ぶりに草原へ帰郷
 だが
 28年間の留守中に
 スキタイ戦士の妻たちが
 奴隷と関係し子供をつくってしまい、
 成長したその子供たちは
 帰郷したスキタイ戦士たちと
 交戦
 帰郷スキタイ戦士が
 「我々の武器を
  鞭(ムチ)にして戦うならば、
  奴隷であることを自覚し、
  抵抗しなくなるだろう」
 とムチで戦ったところ、
 奴隷の息子たちは抵抗をやめて、
 スキタイ戦士たちは
 28年後の帰郷の平和・・・
  ↓↑ 
 その文字の象徴が
 中国北方種族であった「女系家族」の
 「女真」、「女直」→「遼・燕・渤海・金」ではないのか・・・
 「あま(海女)」の「尊(ソン)」の「子(ね)」の「州(す)」・・・?
ーーーーー
 アメ・アマ・アマルナ・アマゾン・インカ・・・これで、インかネ・・・アメーバー・・・アマネシア・・・忘却・・・アマネシア(amnesia)・・・記憶喪失・語源・・・ギリシャ語・・・忘却・・・忘却の国・・・亡国・・・
 もちろん、これらを結ぶ知識は「幕末・明治」の「文明開化の日本+α」の知識人であった・・・?