1377日目・・・「蓋国(ガイコク)」・・・「蓋国(ケイコク)」・・・以下、すべて、「ブログ記事」や、「ウイキペデア」の記載をベースに参考、参照として添付、少々改作・・・したモノです・・・警告・経国・渓谷・傾国・・・外国・害国・賀意国・我意国・・・?・・・「蓋(ふた・ガイ・ケイ)・亠」・・・天蓋・鍋蓋・釜蓋・椀(碗)蓋・樽蓋・箱蓋・・・容器のフタ・・・臭いモノにはフタ・・・古代中国の歴史的文献は膨大でとてもじゃないが、ギャァテイ、ギャァテイである・・・
罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢
想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜
多是大神咒是大明咒是無上咒是無等等
咒能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜
多咒即説咒曰
↓
掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦
菩提薩婆訶 般若心経
↓↑
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提娑婆訶 般若心経
・・・「掲諦」と「羯諦」の文字の異なりはナゼなんだか?・・・「羯(羯族)の諦(アキラメ)」・・・
石勒の出身で五胡の一
「羯(ケツ)族」は匈奴の一種族
「魏書・列伝第八十三」に
「その先は匈奴の別部で、分散して
上党武郷の
羯室に住んだので、
羯胡と号した」
羯族
「後趙(319年〜351年)」
五胡十六国時代の
「羯族の石勒」によって建てられた国
国号は「趙(チョウ)」・・・
ーーーーー
「山海経
第十二の
海内北経」の
「蓋国在鉅燕南倭北倭属燕」・・・を「漢文配置」と「漢字」から・・・探求(探る=さぐる・求=もとめる)してみる・・・と・・・
ーー
「海内経」
蓋国・・・蓋国(主語)は
在
鉅燕・・・鉅燕も
南倭・・・南倭も
北倭・・・北倭も
属燕・・・燕に属すところに在る
ー or
蓋国・・・蓋国(主語)は
在
鉅燕南・・鉅燕の南と
倭北・・・倭の北に蓋国があり
倭属燕・・倭(第二主語)は燕に属す
ー or
蓋国・・・蓋国(主語)は
在
ーー↓
鉅・・・・キョ・ク・かたい・おおきい
↓ はがね=鋼鉄・鋼鐵
↓ 規矩(キク)=鉤(かぎ・こま・はり
ク・コウ)
鈎(鍵・鑰=ヤク
ハリ=釣り針)
鉤=鈎 (かぎ・はり・ち・はぜ・コウ・コ)
鉤=こう・かぎ・まがり・はり
先が曲がった棒状のモノで、
金属製の器具
曲がった部分を何かに引っ掛けて使う
フック (hook)
小子部 鉏鉤(ちいさこべ の さひち)
鉏鉤=先が曲がった鉏(すき・ソ・ショ)
なぜ、「さひち」なのか・・・細緻・最知・才智・佐市
作日地・差比地・佐秘知
鉏=鍬=鋤=くわ・すき)
すき=耒(ライ・ルイ)
耕具(コウグ・キョウグ)
鉤=鈎=コマかぎ
先の曲がった金属製の器具
物をひっかけるのに使う
長い柄の先にL(J)字形の爪が付いたもの
物にひっかけて引き寄せたり、
武器にしたりする
「鉤括弧(かぎかっこ)」
かぎ・物を引っかけたり留めたりする、
先の曲がった金属製の道具
かける・ひっかける
鉤=かぎ
手術用器具
臓器を引っかけて牽引する道具「J」
漁具・魚類や貝類などを捕獲する「J」
武器・長柄の先がJ形に曲がって、
敵に引っ掛ける
鉤縄=先に鉤を結わった縄
鉤針=先が曲がった編み物用の針
鉤爪=細長く湾曲した、
肉食獣などのJ形の爪
釣針=はり・古語では「ち」
↓
L=エル=漢字「乙」の略字
J=ジェィ=曲がり針の字形
「J」→平仮名「し」の逆字
Journal・Judge・Justice
アルファベットの10番目
半母音(硬口蓋接近音)
Japan(日本)の略
エネルギーの単位、ジュール
トランプなどでジャック (11)
消毒剤としての
ポビドンヨードや、
↓ ヨウ素を慣例的にJと略す
↓
鉤(こ)=簾を巻き上げ、
掛けて置くための道具
鉤(はぜ)=板金を接続するときに
折り曲げる部分
「はぜ」=馳とも書く
同音「はぜ」の漢字は
櫨=黄櫨・漆科落葉高木
↓ 鯊=沙魚・蝦虎魚
↓ スズキ目の魚
鑰=鍵=錠の穴に差し込み、
開閉するための金属製の道具・キーKEY
錠前そのもの・錠
物事を理解したり、
解決したりするのに最も大切な事柄
印鑰
印判・印(いん)
印判と鍵(かぎ)
長官の印と諸司・城門・蔵などの鍵
天台座主(ざす)の
職印と延暦寺宝蔵の鍵
僧綱(そうごう)の職印と僧綱所の鍵
秘蔵宝鑰
平安前期の仏教書、三巻。空海著
天長七年(830年)ごろ成立
「十住心論・十巻」を要略した書
ーー↓
鉅=鉤・鈎・鑰
「鉤距」=さぐる
深い所にあるものを、
ひっかけるようにしてとりだす
物事の道理をさぐる
はり(針)・つりばり(釣り針)
钜(鉅)=鉄・鉤・巨
鉅室=大きな家、部屋・勢力のある家
鉅儒=すぐれた儒者・大学者
大儒・碩儒(セキジュ)
「鉅」の類字
矩・巨・粔・詎・歫・苣・・・
拒・・・拒否
秬(キョ・くろきび)=禾+巨
「秬鬯(キョチョウ)」の
「鬯」の字は酒の一種
「明鬯(メイチョウ)」
言葉・音声・論旨などが
はっきりしている・・・?
酒を呑んでは酩酊だろうが、
「匕鬯(ヒチョウ)」は
神祇に捧げる
「匙(さじ)」と「お神酒」
↓
「震百里を驚かすとも匕鬯を喪わず」・・・?
↓
「鬱は鬯と合す」とは「鬱=鬯」と云う事?
「古代祭祀時所用的香酒
由鬱金香釀秬黍而成」
說文解字に
「鬯、以秬釀鬱艸、芬芳攸服、以降神也」
↓
「震丹、百済の里を驚かすとも牝の鬱を喪わず」
↓
秬谷川(きびたにがわ)
大阪府貝塚市南部を流れる、
↓ 近木川の支流
↓
距・・・距離
炬・・・炬燵=こたつ=火燵
螶・・・蜉蝣の別名
「螶也。
一曰蜉蝣(かげろう・フヨウ)、
朝生莫死者(說文解字)」
柜・・・戸棚・箪笥・本箱
柜房=商店の帳場
経理室
柜台=カウンター
ーー↓
鉅=「探る、物事の道理をさぐる」
燕・・・燕国を鉅(さぐる)に
南
倭・・・倭を南にし
北
倭・・・倭を北にする
属燕・・燕に蓋国(主語)が属す
ーー↓
蓋国
秦は書物「孟子・公孫丑章句」の記述の中で、
「蓋」の大夫「王驩」が孟子の副使として、
戦国時代の
斉より滕という国へ行った
「蓋」の注記に
「蓋は斉の支配下の地域」とある・・・
ーー
燕(エン)
紀元前1100年頃〜紀元前222年)
周代、春秋時代、戦国時代に存在した国
春秋十二列国の一
戦国七雄の一
河北省北部を支配
首都は薊(ケイ・ケ・あざみ)で、現在の北京
燕都は薊(あざみ→字視?)城の遺蹟は
北京市西城区に所在
国姓は
「姞(キツ)」姓
爵位は伯爵
分封者は「武王」
始祖は「召公」
紀元前222年に秦により滅亡
史書の記載
「史記・巻三十四・燕世家)
「春秋左氏伝・襄公二十八年初見」
河南省の
「南燕」国に対して
「北燕」国という
当時は
「燕」ではなく
「匽(エン・ふせる→伏せる・臥せる?)」と記録
匽=匚+日+女
匽=かくす・ふす
なびく(靡く)・はこ(箱・函)・どぶ(溝)
邪靡堆(隋書俀国伝)→ 秦王国&「邪靡堆」
・・・意図的な記載であろう・・・
「長孫無忌(チョウソンムキ?〜659年)の・・・
召公
一族は山東半島の
「奄」(魯国の近隣)に封じられ、
成王の「禄父の乱」後?に
北京近辺に移住
国名を燕(エン)とした
エン=奄→匽→燕・・・奄美?
奄=おおう(蔽・覆・被・蓋)・・・蓋→天蓋?
たちまち(忽ち)・・・田地町?
石川県白山市「田地町」
山東半島の
韓侯国が入れ替わりに
陝西省に移封
燕(奄)に残った
韓の旧住民は多く「韓氏」を名乗った
西周時代
「燕」の東方(遼寧省朝陽市喀刺沁左翼自治旗)に
「箕侯」という都市国家があり、
燕国の属国であったが、
北方遊牧民に滅ぼされ、
燕国に亡命した住民が多かった・・・
春秋時代以降
燕の士大夫層に
「韓」や「箕」を氏とする者が記録されている・・・
ーー
秦が
紀元前228年に
趙を滅ぼし、
燕は秦の力を懼れ
太子
丹は、
秦の王
政に対して
荊軻を刺客としたが失敗
荊軻に同行した
秦舞陽は
秦開の孫
秦王政に燕は攻められ、
燕の首都が陥落した(紀元前226年)
太子丹は殺され、
燕王
「喜」は遼東に逃れ、
紀元前222年に
秦の
王賁将軍に
喜は捕虜となり、燕は滅亡
督亢の地(燕の本土)は
秦の広陽郡となり、
昭王が置いた五郡と合わせて
秦の統治下では六郡となった
朝鮮半島の
燕の諸要塞は
「上鄣」と「下鄣」の二ヶ所となり
遼東郡に属し、
秦の官吏が派遣され治められた
ーー
紀元前209年
趙の武臣
将軍
韓広が
燕王となった
紀元前206年
項羽の封建により
臧荼が
燕王に立てられ、
韓広は
遼東王に遷された
臧荼は韓広を攻め遼東を併合し
燕全体の王となった
朝鮮半島は放置された
燕王
臧荼は
紀元前204年に
韓信に帰順、
紀元前202年
劉邦に皇帝の尊号を奉ったが
劉邦に
臧荼は叛乱し処刑、
盧綰が
燕王に封建
紀元前195年
盧綰は匈奴に亡命し、
燕国は廃され
郡県となった
「山海経」
ーーー
位置
1)玄菟郡の「蓋馬」(西蓋馬県、蓋馬大山)
2)遼東半島の「蓋平」(遼寧省営口市)
3)鉅燕を『史記』の「全燕」と同じとし、
山東半島の「蓋(山東省淄博市沂源県)」
4)朝鮮半島江原道の「穢(かい)」
5)馬韓の「乾馬(全羅南道益山)」
などの諸説があるらしい・・・
ーーーーー
中国の文献に記載されている
倭の位置が、
北方にあったり南方にあったり東方にあったりするのは、
流動的な
初期の
日本「認識」の
形成軌道を物語っている・・・?
・・・「場所の問題」ではなく、「認識の問題」とするなら、「倭国の素性」をハッキリさせたいのか、させたくないのか、の「問題」でもあるカナ・・・では、ダレが?・・・
ーー
倭
「倭国」と「倭人」
記録は、
中国の地名、
「燕」と「越」の二系列
倭は燕の南方
「蓋国=韓国」は
燕の南、
倭の北にあり、
倭は燕に属している・・・
東沃沮の位置
「高句麗の蓋馬大山の東にあり」
「蓋国=蓋馬」の
朝鮮半島の北部
燕と倭
班固の撰した「漢書」
「楽浪の海中に倭人があり、分かれて百余国を為す。
歳時をもって来たり、献見するという」
「漢書・巻二十八下、地理志」の
「燕地の条」
に記載から、燕地=ゆかりの倭
「倭は燕に属する」
北方の燕地を起点
范曄の
「後漢書・卷九十・鮮卑伝」
後漢の光和元年(一七八)
鮮卑族の
君長
檀石槐は
「烏侯秦水」を眺め
「東して倭人の国を撃ち、千余家を得た。
徙して秦水の上に置き、
魚を捕らさせて、もって糧食の助けとする」
「烏侯秦水」
遼河の支流をなす
老哈河・・・
遼寧省の
赤峰市あたりをながれる川・・・
・・・日本列島をさすのではなく、
朝鮮半島の南海岸に住んでいた倭人・・・
ーー
南方にあった倭
朝鮮半島の南海岸一帯
倭人と韓人とが雑居
「北史・巻九四」
「隋書・巻八一・百済伝」
「(百済に)その人は雑じって
新羅・高麗・倭、中国の人もある」
「山海経」
「倭」は
「燕に属する」特定の種族および地域
「漢書」
「倭人」は
「歳時をもって来たり献見する」
「百余国の支配政権」
「後漢書」
「魚捕りの倭人・倭人国」
海外に散らばった倭人の小集団を対象としていない
半島を起点としてみれば、
朝鮮半島の
南に位置する「倭」になる。
「後漢書・巻八五・韓伝」
三韓=馬韓、辰韓、弁韓
「馬韓は西にあり、五十四国ある。
その
北は楽浪と、
南は倭と接する・・・
弁韓は辰韓の南にあり、また十二国ある
その
南はまた
倭と接する」
紀元前108年
漢の武帝が
燕の亡命人らの
衛満朝鮮を滅ぼし
楽浪・真番・臨屯・玄菟の
四郡を設けた
ーー
東方の倭
秦の始皇帝
天下を
三十六郡にわけ
揚子江流域を中心とする
会稽郡(浙江省紹興)
会稽を起点とする
日本認識
「越国」系列の文献
王充の
「論衡・巻八・儒増篇第二十六」
「周の時、天下は太平である。
越裳は白雉を献じ、
倭人は鬯草を貢ずる」
同書の
「巻五の異虚篇・巻十三の超奇篇・巻十九の恢国篇」
に、類似の記事
「越裳」は
「越常国」、「越甞国」と称し、
「後漢書・南蛮西南夷伝」に、
「交阯(ベトナム)」の
南に
越裳国があるとして、
周代での白雉献上のことが述べられている
会稽を中心に方の地域に分布していた
越族の一派・・・
倭人の貢献した
「鬯草」は、
「欝金草(香)・欝鬯・暢草」とも称し、
中国南方の
欝林郡(前漢武帝の郡、広西省桂平県)産の香料の一種
祭酒の原料
恢国篇にしたがって
成王の時と限定すれば、
紀元前1020年ごろのこと
日本では縄文後期の末から晩期・・・
「論衡」の著者
王充は、
後漢の
光武帝の
建武三年(27年)に
会稽郡の
上虞県で生まれた
建武中元二年(57年)は、
倭の奴国の使者が漢都の洛陽に入貢
王充は
洛陽の太学に入り、
「班彪」に学んでいた・・・
中国に伝達された
倭人の情報を、
北方の燕国を中軸として伝えたのが
「山海経」、「漢書」
南方の会稽を視点に記録したのが
「論衡」
ーーー
「前漢書・地理史・燕地条・顔師古の注」
魏略云
倭在
帶方
東南大海中
依
山島
爲國
度
海千里
復
有國
皆倭種
ーー
「山海経・第十二・海内北経」
蓋国 在鉅燕南倭北 倭属燕
蓋国とは、
朝鮮半島最北部に
蓋馬(ケイマ)高台という高原地帯があり、
蓋馬市がある
ーー
鉅燕(きょエン)
戦国時代中国の大国・燕
秦の始皇帝に
B.C.E.222年に中国が統一され
独立を失った地域
鴨緑江以北の遼東から東北区
鉅燕(きょエン)の南に蓋国
蓋国が朝鮮半島の国だった
蓋国は「倭の北に在る」・・・
記事の指す時代は、
第九「海外東経」の末尾に、
「建平元年(B.C.E.6年)四月丙戌に書いた」の記録
卑弥呼時代
朝鮮半島
蓋馬高台や蓋馬市のあたりは
高句麗であり、
それ
以南には
濊(ワイ)と
韓がある。
「山海経」は
「濊(ワイ)・韓」の記録は無く、
そこは「倭」だと記録
続けて「倭は燕に属す」と記録
朝鮮王の
準が漢の初めに
燕人の
衛満に騙されて国を奪われた
朝鮮半島は燕人の支配下
前漢末の中国人は、
後の
濊(ワイ)と韓(馬韓・辰韓・弁韓)を
全て
倭だと認識していた・・・
当時の朝鮮半島は
北の高句麗から南端の狗邪韓まで
琉球・南九州人の国だった・・・
濊(ワイ)の発音、「倭(ワイ)」も
ウワイの「訛り」・・・
ーーーーー