1376日目・・・「不都合なヒトビト」・・・「都合のイイひと」・・・「遷都」ではなく、「奠都」でもなく、「都」を一つに「合(併)せる」、である・・・「中央集権の要」であるのだが・・・都は「一国家」の「首都(キャピタル)」であるから、都の合併、合わされるとは、他の「国家」は滅亡と言う事であるな・・・キャピタル(capital)・・・「頭文字・大文字・キャピタルレター・首都・資本・建築での柱頭(チュウトウ)」・・・「キャピタルクランチ(capital crunch)」は資本不足で金融閉塞、貸し渋り・・・「資

 身体が「資本」だからって・・・身体のエネルギーが転換され、身体を維持する衣食住(家族も含めた)の必要以外に費やされ、「余ったモノ」に「転嫁されたエネルギー」だ・・・ 雪投げでの「ボクのエネルギー」は転嫁されるべき対象がない。よって「資本」にもならない・・・「資本の蓄積」にもならない・・・
ーー
 「ソーシャル・キャピタル‎キャッシュ」
 上下関係の垂直的人間関係でなく、
 平等主義的な、水平的人間関係を意味する・・・?
 「ソーシャル・ キャピタル」
 ヒューマン・キャピタル(人的資本)と対応する概念
 「ヒューマン・キャピタル(Human Capital)」
 人間が持つ能力(知識や技能)を資本として捉えた
 経済学(教育経済学?)の概念・・・?
 「人的資本」と表現されることもある・・・?
 具体的には、資格や学歴として測定される・・・?
 ・・・過去の学習や労働で得、蓄積された「過去の労働」・・・
 「ベンチャーキャピタル(venture capital)」
 ハイリターンを狙った
 アグレッシブな投資を行う、
 投資会社(投資ファンド)のこと
 高い成長率を有する
 未上場企業に対して投資を行う
 「ソーシャルキャピタル
 社会・地域における
 人々の信頼関係や結びつきを表す概念・・・?
 この資本で「相互の信頼や協力」が得られる・・・?
 「キャピタルゲイン(capital gain)」
 株を売却した際に出た利益
 株だけでなく、有価証券や不動産などを
 売った利益のことも、
 キャピタルゲインという呼ぶ
 買値より売値が高く発生するときの利益・・・
 ・・・「利益」って、「等価」じゃないんだ・・・
ーー
 Capital
 都(みやこ、ト)
 都(みやこ)
 「宮処(みやどころ、みやこ)」から転じた言語
 天皇の宮殿が所在するところを指す言葉
 みやこ
 人びとのあつまる大きな町
 国の中心ときめた大きな町
 みやこをきめて国の中心の町とする
 読み方
 ト・ツ・みやこ・いち・くに・さと・ひろ
 熟語
 旧都・古都・首都・新都・帝都
 遷都・・・・・・・政治機能のスベテを移転実行
 奠都(テント)・・・新たに都を定める事(プロセス)をいう
       ・・・未だ「遷都」ではないらしい・・・?
 奠=テン・デン・
   神仏に物を供えて祭る
   「奠茶」
   供え物
   「香奠(コウデン)・祭奠・釈奠(セキテン)
    奉奠
    乞巧奠(キッコウデン)・・・七夕様へのお願い
   位置を定める
   「くましね(奠稲)」に同じ・・・日本書紀(持統訓)?
    くましね?・・・「大隈死ね」・・・?
 「釈(釋)」の
 「釈奠」も供え物を安置・並べるという意味
 「釈(釋)」は釈菜(セキサイ・釋菜)を、
 「奠」を奠幣の意味に特定
  前者は「疏菜」を供えるもので、
  奠幣・奠饌・酒が供えられない略式儀式・・・?仮の儀式
 「釈奠(セキテン)」は、
 孔子とその門人を祀る祭儀
 「釈」は「置く」、
 「奠」は「据える」という意味
 「釈奠」とは
 孔子やその門人の霊前にお供え物を置き据えるお祭り・・・
ーー↓
 ・・・「生贄(いけにえ)」・・・インカや、マヤでは「人間の生贄」ってあったらしいけれど・・・「生意気な口を利(き)くな」の意味はナンなんだろう・・・「実力に伴わないことを言うこと・大口を叩く・利いた風な口を叩く・偉そうなことを言う・大袈裟なことを言う」・・・「生意気」とは、「自分の年齢や能力を考えず、出すぎた言動をすること。また、そのさま」らしい・・・生半可(者)の意気、未熟(者)の意気・・・「意気」は「意気込み・気負い・やる気・気概」だが、「息(いき)=自+心」だろう・・・「人生意気に感ず、功名誰か論ぜん」は「唐の太宗に仕えた魏徴が、その苦労の結果を感想として歌ったもの」らしいが・・・自惚れるのもいい加減にせい・・・と、ダレかが論じたのではないだろうか・・・?
 魏徴(ギチョウ・580年〜643年)
 字は玄成
 魏州
 鉅鹿曲城(山東省)の人
 秘書監、侍中等の職を転任
 諫議大夫、左光禄大夫、檢校侍中、
 鄭國公に封ぜらる
 直言を以て皇帝を補佐して
 「貞觀の治」を為した・・・
 太宗の命で編纂した
 「隋書」の「序論」
 「梁書・陳書・齊書」の「総論」などの著作がある。
 その言論は唐代に
 「呉兢」編纂した「貞観政要」に多く収められている。
 「人生意気に感ず」の句は「述懐」という詩で詠んだ
ーー↓
 秦以来、天子に忠告し、
 政治の得失について意見を述べる
 諫官(カンカン)という職務があった
 唐代の諫官には
 毎月200枚の用紙が支給され、
 それを用いて諫言した
 歴代の王朝に諫官が置かれたが、
 太宗のようにその忠告を聞き入れた
 皇帝は極めて稀で、
 天子の怒りに触れて
 左遷されたり、殺されるということも多かった・・・
 ・・・「アベちゃん」には「諫官」ではなく、「寧言・佞言」の官吏、側近が多いのでは・・・今更の「小泉+細川」の「諫言」では無理・・・かも・・・それにしても「都政」のトップがアレじゃぁ・・・
ーー↓
 都の漢字の意味
 「説文解字」には
 先君の
 舊宗廟有るを都と曰ふ、
 邑に従ひ、者を聲とす、
 周禮にいふ、
 距国(キョコク)
 五百里を都と為す、と。
ーー
 舊=艸(サ)・・・舊=ふるい=旧・古(十+口)
   +
   隹(とり・スイ)
   +
   臼(うす・キュウ・グ)
   +
   一(ひとつ・イチ)
     臼・・・E+ヨ+一
         ∈+∋
           ヨ=彐(ケイ)
           與輿興
           鼠臾兒
 古=ふるい・ふるす・いにしえ・コ
   ふるびている・いにしえ・むかし
   ひからびているさま・こちこちのさま
   ふるびたさま・ふるめかしいさま
   たか・ひさ・ふる・・・「古」が「たか」って?

 都=者+阝・・・者+邑(むら・ユウ・オウ)
         者=十+一+ノ+日(曰)
           邑=口+巴(ともえ・ハ・ヘ)
     阝(こざとへん・阝=阜=おか・フ・ブ)
     阝・・・β→|+3←B
         ∩+∩+一←阜・・・追蛗
         ω(Ω)
   都の類字は「覩(みる・ト・ツ)」・・・観
ーー
 者=もの・は・シャ
ー↓↑
 者は
 祝祷の器である
 曰(いわく・エツ)を
 土中に埋める形、
 その呪辞が諸、その土垣が堵、
 その堵に埋められた呪符が書、
 その堵をめぐらした集落が都。
 ・・・?
ーー
 都(みやこ)
 国家の中心となる町
 多くの人々が集まる所
 都(すべ)て・みんな
 声符は者(シャ)
 者は祝祷の器を埋めて
 呪禁を施すことで、その土垣が堵
 堵をめぐらした城邑を都という
 (字通)
 邑(まち・ユウ)+音符は「者(シャ)」
 焜炉(コンロ)の上で
 柴をもやすさまで、
 火力を集中すること・・・?
 人々の集中する大きいまち
 (漢字源)
ーー
 邑・・・災・甾・灬(烈火→熊=能+灬)
       甾=かめ・シ・サイ
         酒を入れる容器
         災い
         東方に棲むキジ(雉)・鶅
         山東省を源とする川の名前
     災=巛(かわ・セン)+火
     ・・・ならば「巛」は「湯気」か「煙」だろう
     「邑の漢字」からは上の意味は「?」である
     「邑」は口と巴(トグロ巻く糞便)である・・・
     ・・・ならば
     「人口」とは「人間の数」であり、
     「生口」と「奴隷」の意味で考えているらしい
      あるいは
     「生口」は技能工とも
ーー
 107年(後漢の永初元年)
 倭国
 王帥升
 後漢の安帝へ
 「生口160人」を献じた
 239年(魏の景初二年)
 卑弥呼
 魏の明帝へ
 男「生口4人」、女「生口6人」を献じた
 243年(魏の正始四年)
 魏の少帝へ生口を献じ、
 248年
 壱與(臺與・壹與)が
 生口30人を魏へ献じた
 (魏志倭人伝
ーー
 生口
 捕虜を意味する語
 捕虜の奴隷
 技能者の説・・・
 留学生との説・・・
 「生口」は、
 高句麗の広開土王碑
 396年
 百済高句麗へ「生口(?)」を献じた記録
 高麗史
 1274年(忠烈王元年)
 高麗史十六・世家巻第二十八
 文永の役(1274年)で
 高麗に帰還した
 金方慶らが、
 日本人の子女を「捕虜」とし、
 高麗王と妃に献上した「記録」・・・
 「侍中
  金方慶
  等還師、
  忽敦以所
  俘童
  男女
  二百人
  献
  王及公主」
 には
 「生口」の「漢字文字」はない、
 「俘童」である・・・ 
ーーーーーー↓↑
 魏志倭人伝記載には「生口」
 漢字音では「生口(ショウク)」だが、
 日本語の「生口(いけぐち・いきぐち)」
 ならば
 「巫者」が生霊をよび出す「口寄せ」である
 「生口」の説明に「証人」とも・・・?
 「巴」とは巳(へび・み・シ・ジ)である
 「巴(ともえ・ハ)」は
 中国四川省東部の異称・「巴蜀(ハショク)」
 「ともえ(どもえ)」は日本語で
 「水が渦巻いた様子、その模様」である  
ーー
 生口島(いのくちシマ)
 芸予諸島に属する瀬戸内海の有人島
 広島県
 因島市
 豊田郡瀬戸田町
 一市一町
 別名
 瀬戸田島(セトダジマ)
 耕三寺(こうさんじ)と
 ↓
 広島県尾道市に所在
 浄土真宗本願寺派の仏教寺院
 山号
 潮声山
 1936年(昭和十一年)から伽藍の建立が始められた
 新しい寺院
 「西の日光(東照宮)」とも呼ばれる
 ↓
 向上寺がある
 ↓
 向上寺(コウジョウジ)
 曹洞宗の寺院
 山号は潮音山
 本尊は釈迦如来
 中国三十三観音
 霊場第十一番
 1403年(応永十年)
 生口守平の開基、
 ↓
 愚中周及の開山により臨済宗の寺院として創建
 向上庵と号
 江戸時代の
 1609年(慶長十四年)
 関的が入寺して再興し、曹洞宗に改められた
 ↓↑
 聖観世音菩薩
愚中周及(大通禅師)
 応永七年(1400年)
 御詠歌
 せとうちの しおのながれに
 たどりつき おじひをといて
 みなをすくわん
 室町時代初期に建立された曹洞宗の禅刹
 生口島
 尾道寄りに因島愛媛県よりの大三島
 挟まれた「芸予諸島」の一
 応永7年(1400年)
 地頭の
 生口守平公が
 瀬戸田
 潮音山の
 観音の霊場に一寺を建立
 臨済宗
 佛通寺派
 開山勅特賜
 仏徳
 大通禅師
 愚中周及大和尚(1323〜1409年)を
 迎えて開山
 聖観世音菩薩(秘仏)を本尊
 古来、災害鎮圧と興隆繁栄の祈願寺
 「三重塔」
 永亨四年(1432年)の建立
 国宝の三重塔の中では最も新しい
 鐘楼は戦時中の没収から免れ
 鐘楼の音色は、除夜の鐘として全国に放送
ーー↓
 向上寺三重塔
 曹洞宗向上寺
 臨済宗大本山仏通寺開山、
 仏徳大通禅師の開基
 応永十年(1403年)に
 生口島地頭、
 惟平の頃に「向上庵」が建てられ
 応永二十一年(1414年)ごろに
 仏通寺の末寺として独立
 三重塔
 藤原朝臣の作
 大檀越、生口守平、檀那信元、信昌として
 永享四年(1432年)
 正月から六月にかけて完成、十月に供養
 昭和三十八年
 解体修理
 大正二年
 国宝指定
 昭和二十六年法律改正により、
 重文指定になり、
 昭和三十三年二月八日付で、
 再度国宝に指定
ーー↓
 向上寺
 創建
 応永七(1400)年
 小早川生口氏を祖とする
 地頭
 生□守平公が、
ーー↓
 生口氏(いくちし・いくちうじ)
 鎌倉幕府の功臣
 土肥実平・・・寿永四年(1185年)三月
 ↓      壇ノ浦の戦いの後に
        長門国周防国
        惣追捕使として長府に居城を構える
        文治五年(1189年)
        奥州合戦に参加
        建久二年(1191年)七月十八日
        厩の上棟奉行(吾妻鏡
        以後を最後に、実平は史料には無い
        所領であった安芸国沼田荘では、
        承久元年(1219年)
        遠平の妻である
        天窓妙仏尼(源頼朝の娘)を弔うために
        棲真寺(広島県三原市大和町平坂)を創建
 ↓        
 の後裔
 小早川氏の庶流一族
 桓武平氏
 平良文の流れを汲む
 相模国
 土肥郷を発祥とする
 土肥氏の一族
 土肥実平の子
 遠平が
 安芸国
 沼田荘(広島県三原市
 地頭職に補任
 養子
 景平がこれを継ぎ
 小早川氏を称した
 その後裔、
 沼田小早川氏
 小早川宣平の子
 惟平が瀬戸内海
 生口島を本拠地とし、
 生口氏を称したことに始まる
 景平の実父は
 平賀義信
 これ以降は源氏の一族・・・
 暦応四年(1341年)
 沼田小早川氏の
 本拠地・沼田荘内に造成した新田を
 小早川宣平の子
 道祖鶴丸が分知され小早川氏の
 庶子家として始まる
 道祖鶴丸が後の
 生口氏の初代当主
 生口惟平
 康永元年・興国三年(1342年)
 北朝勢として
 南朝方の
 伊予国世田山城攻略戦に参戦
 小泉氏など他の小早川氏庶子家と共に、
 瀬戸内海の
 弓削島、
 因島
 生口島などに進出
 本拠地を
 生口島に移し、
 地名をとって
 生口氏を称した
 二代当主
 生口公実の頃には、
 瀬戸内海の交通の要衝で
 水運の拠点でもあったこの地の商人と結びつき
 水運に深く関わった
 生口守平の代となって、
 永享五年(1433年)
 室町幕府より正式に
 生口島地頭職を得た
 15世紀末期
 惣領家・沼田小早川氏より
 小早川煕平の子
 元清を当主として迎えた・・・
 戦国時代には
 毛利・小早川水軍の一翼
 第一次
 木津川口の戦いなど
 各地を転戦した
 生口景守の名が史料に記録
 ↓
 向上寺
 潮音山の観音の霊場に建立
 臨済宗仏通寺派開山勅特賜
 仏徳
 大通禅師(愚中周及)を迎えて開く
 現在の三重塔
 永享四(1432)年
 信元、信昌の発願で造建
 伽藍は
 明治六年に焼失
 ↓↑
 福山尾道〜愛媛今治の中継
 連絡橋の児島・坂出ルートにあたる
 位置・形状
 三原市の南17km
 古生層と
 花崗(カコウ岩)からなる
 卵形の島
 「いくちじま」とも呼ばれる
ーー
 ・・・「生口」を「巫女・口寄せ・水が渦巻いた様子」、そして「潮声(聲)山・潮音(韻・亠)山」から類推すれば「歌手」である・・・そして、「意」とは「音の心」、すなわち、「暗誦・暗唱」の「唄の歌い手・謡曲の芸妓」だろう・・・「稗田阿礼」・・・
ーーーーー
 都合
 物事をする時に他の物事に影響を及ぼす事情
 具合が良いか悪いかということ
 差し障り
 やりくりすること
 工面すること
 合計
 都合の「都」の字には「すべて」といった意味
 「すべてを合わせる」
 「合計する」
 物事をする時に他の物事に影響を及ぼす事情
 具合が良いか悪いかということ
 場都合
 「跋」と同語源という
 その場のぐあい・調子
 つじつま
 ばつを合わせる
 ばつが悪い
 きまりが悪い
 日本人の名字
 都合=とごう
 一身上の都合
 退職理由や履歴書などにおいて用いられる定型句
 労働者の個人的な理由で職を辞する場合
 病気療養、結婚により家事に専念、
 老親の面倒を見るため
 会社都合退職
 労働契約解除の主たる原因が
 会社(使用者)による非自発的な退職
 御方便なものだ
 「詭弁」とほぼ同じ意味で用いられることもある
ーーーーー