1359日目・・・「国を売るような首相」→「神戸大震災で国民を殺したのは」→「村山元首相」だろう。「自民党」と結託し、「日本国首相」になり、「自衛隊」を謁見したのは「村山」だろう・・・パチンコ屋のカネを貢がれて「日本国衆議院議長」にフンずりカエッていたのは「土井」だろう・・・彼等は「国際主義者」でもなく、「国家主義者」でもない。ましてや「日本国憲法主義者」でもない。「本人(村山&土井)の気持ちを守るために日本国憲法を歪曲した」のはオマエらだろう。いや、「気持ち」なんかでは無い。「政治屋の自己保身を守るた

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 1972年、ボクがドイツ・ケルンに下宿留学していた友人を訪問した時、友人の隣室には何かに怯え、ノイローゼに罹ってしまっている「韓国人留学生」がいた・・・
 1970年代、西ドイツに留学していた「韓国人留学生」を秘密裏に韓国へ拉致していたのは「韓国大統領の朴正煕(パク・チョンヒ=高木正雄)のKCIA」であった。南北、北緯38度線分断の朝鮮半島「韓国・国家主義者」の「国家維持政策」は当然の仕業である。そして、「韓国自立を目指した(明治)維新の追行」だったのだ。
 つまるところ、「大陸共産中国」、「北朝鮮」、「大韓民国」の「階級指導者」も、「国家主義者」として「日本帝国国家の明治維新」を目指したのである・・・その「意識」とは、「プチブル国家枠主義」である・・・目指すところは「帝国主義」列強諸国に対する「独立国家」としての「対等意識」である・・・だが、「プライドを歪曲」し、「事実を歪曲」し、結果はカネの有る、無しで自国民を煽り立て、右往左往しながら「自国民の命を売る」のだ・・・国家権力を握ったモノには「私的なカネ」はいらない。「私的なカネ」は「権力の自由な枠内」にあるからだ・・・一族郎党に使おうが、人民に使おうが、権力者の「カネの使い道」は「自由」である・・・
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 朴正煕(高木正雄)は
 「国家主義者」として「カネ」を使った
 1961年5月16日
 軍事クーデターで、
 国家再建最高会議議長に就任
 1962年3月24日
  大統領権限代行
 1963年10月15日
 韓国大統領に就任
 1965年6月22日
 日本と国交条約締結(日韓基本条約
 1968年1月21日
 北朝鮮のゲリラ部隊による
 大統領官邸襲撃
 青瓦台襲撃未遂事件
 1970年8月15日
 南北平和共存を提案
 1972年7月4日
 南北共同声明を発表
 10月17日
 非常戒厳令を宣布(十月維新)
 大統領の任期を
 6年延長の憲法改正
 第四共和国に移行
 1974年8月15日
 文世光(在日韓国人)の
 大統領
 暗殺未遂で
 陸英修(朴の夫人)が被弾で死去
 ・・・「文世光」は「安重根」なのか?
 ・・・「陸英修」とは象徴的な名前の漢字である・・・
 1975年11月22日
 「学園浸透スパイ団事件」
 朝日、読売新聞の韓国への輸入禁止
 1979年10月26日
 側近の「KCIA」部長
 金載圭に射殺
 ・・・「金載圭」は「安重根」なのか?
 朴正煕大統領暗殺・享年61
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 朴正煕=高木正雄
 清廉、質素の元「共産主義者(?)」
 1946年10月
 大邱共産党が指導した
 10・1暴動事件
 兄の朴相煕が共産党幹部として警察に殺害
 南朝鮮労働党共産党)に入党
 軍内党細胞の指導者であったことが
 粛軍運動で発覚、逮捕され、死刑宣告
 しかし、南朝鮮労働党の内部情報を提供し、
 北朝鮮に通じていることが
 アメリカ軍当局に評価されて釈放・・・
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 独裁者ではあるが
 カネは「国家主義」的に使われ、
 私腹はなかった
 セイジは「国家枠内」の
 産業資本育成を目指した
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 「独立国家領域」を維持するためには
 「韓国維新思想」を基盤に、
 「現実」的な
 「文明・文化」、「近代化」として
 「カネ」を使った・・・?
 いずれにしても
 「(維新)国家」には
 カネ(資本)が必要だった・・・
 カネの出所
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 アメリカの要請に応じて
 韓国軍将兵
 ベトナムへ派遣
 西ドイツへ
 炭鉱労働者と看護婦を派遣
 その給与を担保に借款
 日韓基本条約締結の資金でインフラ整備
 ベトナム参戦の韓国特需で経済育成
 高等学校の増設と進学を薦める教育政策
 独自の「自主国防計画」推進
 ・・・だが、今や、「帝国日本下級軍人」で、「昭和維新・1936年(昭和十一年)・2・26」の「磯部浅一・安藤輝三」の理想(幻想)を重ね、権力奪取に成功した「朴」が「目指した清廉で、軍事独裁時代」とは異なるのである。
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 1932年大邱師範学校入学
 1936年最初の結婚→昭和維新・昭和十一年・2月26日
 1937年3月大邱師範学校卒業
 1940年4月満州国軍軍官学校入学
 1942年満州国軍軍官予科、首席卒業
 1950年陸英修と再婚
     (ユク・ヨンス
      1925年11月29日〜1974年8月15日)
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 時代は「韓民族主義、国家主義」では毛頭なく、本質は格差の中で「プチブル意識」満杯の「人々の国」である。
 現実格差が拡大した「恨みの矛先」は「カネへのシステム」であるハズだが・・・もはや「赤い鰊」では「プチブル民主国家」は維持不可能である・・・「キムチ」ではどうにもならんだろう、「事大主義の姐さん」・・・早晩、大陸中国の属国・・・かも・・・
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 だが、
 国家主義的政策の終盤は
 戦争商売によって克服される・・・?
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 ニューディール政策(New Deal)
 アメリカ合衆国大統領
 フランクリン・ルーズベルト
 世界恐慌を克服するために行った
 「経済政策」だった・・・
 市場への政府の介入も
 経済政策も限定的にとどめる
 古典的な自由主義的経済政策から、
 政府が
 市場経済に積極的に関与する政策
 第二次世界大戦後の
 資本主義国の経済政策に大きな影響・・・
 ケインズの理論の導入
 原案は、
 日本の
 高橋是清が考えた政策と同じ・・・?
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 銀行券(裏面白紙の見せ金の札)を増刷し
 銀行のカウンターに陳列・・・カミの救済
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 交換価値物(信用紙幣)、
 貯蓄代替物(金兌換券)、
 投資の商品券(株券・証券)の
 価格下落からハジマル
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 「カミ」への信用不安の心理的動揺
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 世界恐慌
 銀行の取り付け騒ぎからハジマル
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 ルーズベルト
 1933年3月4日
 大統領にルーズベルト就任
 翌日に「対敵通商法」に基づき
 国内の全銀行を休業させ、
 ラジオ演説で一週間以内に
 全ての銀行の経営実態を調査し
 預金の安全を保障することを約束
 銀行の取り付け騒ぎは収束
 緊急銀行救済法
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 その他
 TVA(テネシー川流域開発公社)の公共事業
 CCC(民間資源保存局)による大規模雇用
 NIRA(全国産業復興法)による
 労働時間の短縮や超越論的賃金の確保
 AAA(農業調整法)による生産量の調整
 ワグナー法(全国労働関係法)による労働者の権利拡大
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 1935年
 第二次ニューディール
 失業者への手当給付・生活保護から
 失業者の雇用へという転換
 WPA(公共事業促進局)を設立
 失業者の
 大量雇用と
 公共施設建設や
 公共事業を全米に拡大
 対外的には
 保護主義貿易から
 自由主義貿易に転じ、
 大統領権限による
 関税率の変更や
 外国と互恵通商協定を結ぶ権限の承認
 公共事業促進局の実施する
 対数表プロジェクト (Mathematical Tables Project)
 対数表の精度向上は
 弾道計算や近似計算の精度向上に寄与
 第二次世界大戦時の
 米軍の着弾命中精度の向上や
 マンハッタン計画における
 爆縮レンズ(ZND理論)に影響を与えた・・・
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 不況の克服は戦争であった
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 第二次世界大戦に参戦
 アメリカ合衆国史上最大の
 軍需歳出の増大により、
 アメリカ合衆国の経済と雇用は
 恐慌から立ち直り拡大した・・・
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 諸国家間の「自由貿易(ドル決済)」で「不況=好況」が左右される・・・「自由貿易」とはダレのタメのモノか・・・
 国家間の戦争での「人殺し」と「破壊」、ヒトの命と軍事品の消耗・・・そして、「難民」が「不況を救う=労働市場(雇用)拡大=軍需産業←金融(金貸し)産業→復興事業・難民救済事業」・・・