1298日目・・・アレ、ッ?・・・東京都知事・・・

枕草子
 (二二三段)・・・「二百二十三・弐佰弐拾参・貮貳参・貮陌仁足参・弐百弐拾参・弐百念参」段
           2+2+3=7=七=漆
           2×2×3=12=十二=壱拾弐=壱足仁
 むまや(駅)は・・・「むやま」は
           「馬屋・厩」であろう
           「駅」=馬(バ)+尺(シャク)
               馬借(バシャク)
               馬で荷物を運搬する輸送業者
               11世紀、
               平安時代から戦国時代の職種
               近江の大津・坂本、山城の木津などが有名
               土一揆の主体
               「馬借一揆」の略
               福岡県北九州市
               小倉北区馬借の地名
           「駅」は音訓読は
           「うまや・エキ・ヤク」である
            宇摩家 易  訳
           「馬」の発音が訛って「ムマ」なった・・・?
           「馬郎婦観音 (めろうふかんのん)」
           「馬婦(みょうぶ)」
           「命婦(みょうぶ)」
           「乳母(うば、めのと)」
            ↓
           「馬王堆・長沙夫人」
            中国 湖南省
            長沙市の東
           「馬王堆(マオウタイ)」遺跡
            1号墓
            被葬者は
            利蒼の妻、辛追
            遺体は二枚の肌着を含む
            十八枚の絹や麻の経帷子を着、
            九本の帯で縛リ
            二枚の真綿の衾被がかけられ、
            合計
            二十枚の衣類に包まれていた
            顔には濃い小豆色の錦のハンカチがかけられ、
            両腕と両足は絹の帯で縛られ、
            青絹の靴を履いていた
            棺は四重
            梓の板
            棺槨と同様に
            掛け継ぎ、
            ほぞとほぞ穴、ほぞ釘などの接合方法
            四棺とも内壁は朱漆が塗られ
            外棺は黒漆塗りで、無地だった
            第二棺は黒漆塗の上に
            雲気紋と
            怪神・禽獣の彩色画が描かれている
            第三棺は朱漆塗の上に
            龍・虎・朱雀・仙人などを彩色、配した
            瑞祥図が描かれていた
ーー↓ーーーーー↓
           帛書
    十三号墓から発見された
    戦国時代から前漢初期までの
    政治・軍事・思想・文化・科学など、
    また多くの
    佚書・未知の系統のモノが発見された
    字体は篆書と隷書
    篆書の写本は
    前196年(高祖十一年)頃、
    隷書の写本は
    前180年(文帝初年)頃
    内容は
    十二万字余にのぼる
    おおよそ二十八篇が含まれている
    分類
    六芸・・・「周易・喪服図・春秋事語・戦国縦横家書」
    諸子・・・「老子(甲本)・九主図・黄帝書・老子(乙本)」
    兵書・・・「刑徳(甲本)・刑徳(乙本)・刑徳(丙本)」
    数術・・・「五星占・天文気象雑占・式法・隷書陰陽五行
          木人占・符籙・神図・築城図・園寝図・相馬経」
    方術・・・「五十二病方・胎産図・養生図・雑療方・導引図」
    地図・・・「長沙国南部図・駐軍図」
ーー↓
 梨原。
 ひくれの驛。
 望月の驛。
 野口の驛。
 やまの驛、
 あは
 れ
 なる
 事を
 聞き
 置き
 たり
 し
 に、
 又
 あはれなる事の
 あり
 しかば、
 なほ
 取り
 あつめて
 あはれなり。
ーーーーー
(二二四段)・・・「二百二十四・弐佰弐拾四・貮貳四・貮陌仁足肆・弐百弐拾肆・弐百念肆」段
           2+2+4=8=八=捌
           2×2×4=16=十六=壱拾六=壱足陸
 岡は
 船岡。
 片岡。
 靹岡
 は
 笹の
 生ひ
 たる
 が
 をか・・・・岡・丘・陸
       尾化・緒掛・於加・嗚蚊
       ↓ 
       尾張・伊都(九州)・岡山(吉備)・常陸
 しき・・・・詞記
       史記・史紀・始期・死期
       若き・如き・識
 なり。
 かたらひの岡。・・・片    等比 之於掛
           化・盥(たらひ)之汚化
               ↓
           たらい(桶・Washbasin・Washtub)
           平たい桶
           洗濯や行水などに用いる洗面器より大きいもの
           和名抄→澡手、多良比、手洗の二字
           洗顔、手水(ちようず)、洗濯などに用いる容器
           水や湯を入れる容器
           古くは鉄漿(かね)つけにも用いた
           「たらい」=「手洗い」が訛った言葉
           洗濯や水浴用の大型の桶
           「盥漱(カンソウ)」
           手を洗い、口をすすぐこと
           身を清めること
           「盥沐(カンモク)」
           手や髪を洗い清めること
           風呂にはいること
           湯あみ→ 「入浴・沐浴」
           「盥回したらいまわし)」→足の曲芸
           「盥船(たらいぶね)」→一寸法師の櫂の舟
                       御椀の舟
                       海幸彦の舟
           沐浴=「氵+木」+「氵+谷」
              「尨(むくいぬ)」ではないだろう・・・
               山水(散水=雨露)が「木、枝葉」を
               洗うのサッ「木=髪」ではなく、
              「木」は「神木」の「カミのキ」・・・
               コレをニホンジンは
               纂隋の「木(紀)=十+八→壱拾八」と
               考えた・・・?
               モチロン、
              「谷=たに・や・やつ・がや・がい・コク」で
              「谷=八+人+口」である。
              「小谷」は
              「こたに」、「おわせ」とも訓んでいる・・・
              「湯浴み」、
              「湯沐(トウモク)」
         日本
         湯沐
         古代、皇太子、中宮に対する養育、資養のために
         諸国におかれた
         壬申の乱
         大海人皇子
         六月二十二日に使者を出し、
         安八磨郡(安八郡)の
         湯沐令(ゆのうながし)の
         多品治に兵を挙げて
         不破道を塞ぐよう命じた・・・
         臣下に対する封戸(ふこ・土地)、食封
         ↓
         中国
         諸侯の湯沐のための邑(くに・ユウ)
        「礼記・王制篇」
         湯沐邑は周の制度として始まった
         文献初見は
        「春秋
         公羊伝・
         隠公・
         三年三月条」
        「邴(ヘイ)」は
         ↓
         春秋時、晉大夫「邴豫」、食邑於「邴」、因以為氏
         ↓
        「鄭(テイ)」の「湯沐邑」
         ↓
         鄭(紀元前806年〜紀元前375年)
         中国の西周時代から春秋戦国時代まで存在した国
         姓は
         姫、
         爵位
         伯爵
         河南省に位置
         周の
         宣王の同母弟、
         姫友(桓公)が
         鄭(陝西省華県東部)に封じられ
         幽王の時、
         桓公西周滅亡の混乱を避け、
         国民とともに
         東虢(トウカク)と
         鄶(カイ)の間に遷(うつ)った
         ↓
         湯沐邑
         天子が
         泰山を祭るとき、諸侯も泰山の下に従うとき
         諸侯はみな「湯沐」の「邑」を持つ
         湯沐の邑・斎戒沐浴を名目とし、
         諸侯と従者、使者の滞在に必要なものを、
         現地で満たすために与えた土地
         湯沐邑を与えられたのは、
         皇太子、皇后、皇太后
         廃王、廃王女、公主、王女、皇后の生母で
         湯沐邑の主は
         統治権を持たず、
         税収のみ手に入れた
ーー↓               
 人見の岡。・・・ヒト、ミ、之、オカ
         ヒトを見れ
         ヒトを見る
         ヒトミのオカ・・・眼科医?
ーーーーー
(二二五段)・・・「二百二十五・弐佰弐拾五・貮貳五・貮陌仁足伍・弐百弐拾伍・弐百念伍」段
           2+2+5=9=九=玖
           2×2×5=20=二十=弐拾=念
 社(やしろ)は・・やしろ・八代・矢代・屋代・八城・家城
          八白
          社→杜撰
 布留の社。・・・・フルのヤシロ
 活田の社。・・・・イキタのヤシロ
 龍田の社。・・・・龍田神社・・・日本書記←持統天皇
 はなふちの社。・・葉名譜知のシャ(写)
 美久理の社。・・・備句理・尾句理
 杉の御社、・・・・「すぎ・サン」の「オンシャ(音写)」
 しるし・・・・・・記
 あ・・・・・・・・亜・阿・蛙・唖・雅
 らんと・・・・・・蘭徒・乱賭
 をかし。
 任事の・・・・「認字・仁字・仁治」之
 明神
 いと
 たのもし。
 さ
 のみ
 聞き
 けん
 とや
 いはれ
 給はんと
 思ふ
 ぞ
 いと
 をか
 しき。

 蟻通の明神、・・・・義通の名訊
 貫之が・・・・・・・・「紀貫之」臥・・・・・「日本書記」を貫く、之
 馬の・・・・・・・・・・「司馬遷
 わづらひけるに、 ・・・和面比化留似
              話通等比懸留爾
 この明神の
 やませ・・・・・・・・三陸沿岸に吹き寄せる低温の風
            「止ませ」
 給ふ
 とて、
 歌よみて
 奉り
 けんに、
 やめ・・・・・・・・止め・八女・埜目
 給ひ
 けん、
 いと
 をかし。
 この
 蟻通と・・・「魏の李通」賭・・・魏の武将で義侠の男。
        官渡の戦い袁紹は李通に寝返るようにと使者を送った。
        袁紹優勢の中
        臣下や妻子達は李通に降伏を説得したが、
        李通は「殿に対する義は死んでも裏切らん」と、
        使者を斬り殺し、己の信念を貫き通した・・・?義
        「魏」は「委ねる鬼」であるのだが・・・
 つけたる意は、
 まことにやあらん、
ーー↓ーーーーーーーーーーーーー↓
 昔おはしましける帝の、
 唯
 若き人をのみ思しめして、
 四十に
 なり
 ぬる
 をば、
 失はせ
 給ひければ、
  ↓
 他の國の
 遠きに往き
 かくれなどして、
  ↓
 更に都のうちに
 さる者
 なかりけるに、
  ↓
 中將なりける人の、
 いみじき時の人にて、
 心なども賢かりけるが、
  ↓
 七十ちかき
 親ふたりを
 もたりけるが、
  ↓
 かう
 四十を
 だに
 制あるに、
  ↓
 まして
 いと
 おそろしと
 懼ぢ騒ぐを、
  ↓
 いみじう
 孝
 ある人にて
  ↓
 遠き所には更に住ませじ、
 一日に一度
 見では
 え
 あるまじとて、
 密に
 よるよる家の内の土を掘りて、
 その内に屋を建てて、
 それに籠めすゑて、
 往きつつ見る。
 おほやけにも人にも、
 うせ隱れたる
 よしを
 知らせてあり。
 などてか、
 家に
 いり居たらん人
 をば、
 知らでも
 おはせかし、
ーー↓ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓

 昔、帝がいた
 帝は、若者を好み老人を嫌い
 四十を過ぎ人を(失す)追い出し
 遠い国で隠れ過ごしていた
 都には出て行く老人はいなくなった
 中将の位にある、評判の賢い人がいたが
 七十に近い両親をがいた
 このように四十歳制度で
 両親は懼れ、騒いでいた
 大変に親孝行であったので
 遠きところには、住まわせるなどとはしない
 一日に一度は必ず遭わずにはおられない、と
 密かに
 夜々、家の敷地の土を掘って
 その中に住居を造り
 其の中に住まわせて、遭っていた
 公にも、世間の人にも、両親を都から移住させたと、
 そのコト知らせていた
 家に入り来る人も隠し通してい
  ↓
 うたて・・古語
       がっかりする・いやだ
       情けない・気にくわない
       なげかわしい
       ますます・はなはだし
       いっそうひどく
       異様だ・あやしい・・・
  ?・・・真面目に古語文として読んで観ても・・・ボクとしては、主観的に「うたて」が次の「親」に続かないのだが・・・「怪しい親」としておこう・・・
ーー↓ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓
  昔、帝がいた
  帝は、若者を好み老人を嫌い
  四十を過ぎ人を(失す)追い出し
  遠い国で隠れ過ごしていた
  都には出て行く老人はいなくなった
  中将の位にある、評判の賢い人がいたが
  七十に近い両親をがいた
  このように四十歳制度で
  両親は懼れ、騒いでいた
  大変に親孝行であったので
  遠きところには、住まわせるなどとはしない
  一日に一度は必ず遭わずにはおられない、と
  密かに
  夜々、家の敷地の土を掘って
  その中に住居を造り
  其の中に住まわせて、遭っていた
  公にも、世間の人にも、両親を都から移住させたと、
  そのコト知らせていた
  家に入り来る人も隠し通していた
ーー↓うたてーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓
 親は
 上達部など
 にや
 ありけん、
 中將など
 子にて
 もたりけんは。
ーー↓ーーー↓
  ・・・「にや、ありけん」・・・推量、推定で「賢い中将」はナゼ「上達部(カンダチメ)の子供」なんだろう・・・?「上達の部」
  ↓
 いと心かしこく、
 萬の事・・・・・・・太安万侶
 知りたりければ、
 この
 中・・・・・ナカ
 將・・・・・まさに・・・
 若けれど、・・・ワカけれど
 才あり、・・・サイあり
 いたり
 賢くして・・・カシコクして
 時の人に思すなりけり。
ーー↓
 唐土の帝、・・・・・・唐王朝の「李治=高宗」は第三代皇帝・太宗の第九子・母は長孫皇后
             「天皇大聖大弘孝皇帝」
             「則天武后」の夫
             隋王朝の「楊広=煬帝」は第二代皇帝で次子
 この國の帝を、
 いかで謀りて、
 この國
 うち取らむとて、
 常にこころみ、
 爭事を
 して
 おくり給ひけるに、
 つやつやと、
 まろに、
 美しげに削りたる
 木の
 二尺
 ばかりあるを、
 「これが
  本末いづかたぞ」・・・・・本末転倒
 と問ひ奉りたるに、
 すべて知るべきやう
 なければ、
 帝
 思しめし煩ひたるに、
 いと
 ほしくて、
 (中将が)親の許に行きて、・・・・
 かうかうの事
 なんあるといへば、
 「只
  はやからん
  川に立ちながら、
  横ざまに ・・・・・・・・・・ヨコシマざまに
  投げ入れ
  見んに、
  かへりて
  流れん方を、
  末と
  記して
  つかはせ」
 と教ふ。
ーー↓
 參りて
 我
 しり顏にして、
 「こころみ侍らん」とて、
 人々具して投げ入れたるに、
 さきにして
 行くかたに
 印をつけて遣したれば、
 實に
 さ
 なり
 けり。
ーー↓
 又
 二尺ばかりなる
 蛇の同じやうなるを、
 「これはいづれか雄雌」・・・雌雄(シユウ)→牝牡→女男(おんな・おとこ)
 とて奉れり。又更に人え知らず。
 例の中將(が親の所へ)行きて
 問へば、
 「二つをならべて、
  尾のかたに・・・・尾張名古屋→本居宣長古事記
  細き・・・・・・・・・補素記
  すばえを・・・・・・素葉重緒
  さしよせんに、 ・差史代選爾
  尾はたらかさんを ・・・・尾張名古屋「大須本・古事記
  雌と知れ」・・・・・・メス=女=おんな
 といひければ、
 やがてそれを
 内裏の・・・・・・・・・名意理之
 うちにて
 さ
 爲ければ、
 實に一つは動さず、
 一つは動しけるに、
 又しるしつけて遣しけり。
ーー↓
 ほど久しうて、
 七曲にわだかまりたる玉の中通りて、左右に口あきたるが小さきを奉りて、
 「これに
  緒通してたまはらん、この國に皆し侍ることなり」とて奉りたるに、
 いみじからん物の上手不用ならん。そこらの上達部より始めて、
 ありとある人知らずといふに、又(親の所ヘ)いきて、かくなんといへば、
 「大きなる蟻を
  二つ捕へて、
  腰に細き糸をつけ、・・・・腰=月+要
  又それに
  今少し
  ふときをつけて、 ・・・・・太き=太安万侶
  あなたの口に
  蜜を塗りて見よ」といひければ、さ申して、
 蟻を入れたりけるに、蜜の香を嗅ぎて、
 實にいと疾う穴のあなた口に出でにけり。
ーー↓
 さてその糸の貫かれたるを遣したりける後になん、
 なほ
 日本は
 かしこ
 かり
 けりとて、
 後々はさる事もせざりけり。
 この中將を
 いみじき人に思しめして、
 「何事をし、いかなる位をか賜はるべき」と仰せられければ、
 「更に官位をも賜はらじ、
  唯
  老いたる
  父母の隱れうせて侍るを・・・・フボ=付簿
  尋ねて、
  都に・・・・「糊塗・言・異・事」爾
  すまする
  ことを
  許させ給へ」
 と申しければ、
 「いみじうやすき事」とて許されにければ、
 よろづの人の親これを聞きて、・・・・・・よろず=萬・万
 よろこぶ事いみじかりけり。
 中將は
 大臣までになさせ給ひて
 なん
 あり
 ける。
ーー↓
 さて
 その人の
 神に
 なり
 たる
 にやあらん、
 この明神の許へ詣でたりける人に、
 夜現れてのたまひける。
   七曲に
   まがれる
   玉の
   緒を
   ぬきて
   あり
   とほし
   とも
   知らずや
   ある
   らん
 と
 のたまひ
 けると、
 人の
 かたりし。
ーーーーー
 ・・・蟻・在り・有り・・・アレ、ッ・・・