1288日目・・・11月11日・月曜日・・・「十一・壱拾壱・ⅩⅠ」・・・拾って重ねるモノ・・・「壱の疲労の遺児=壱與」、「市を拾う位置=十市」、「位地を重ねる位置=官位・地図」、「異字の卑陋(鄙陋)の意字=易学」、「医知の披露の維持=蘭学者=医者=白衣」・・・大雪で真っ白・・・真冬です・・・雪之行き道(路・未知・途・満・充)・・・「雪之丞(状)変化」です・・・

ーーーーー
 枕草子
 (二〇三段)・・・二百三段・弐佰参段・貳零参段・仁陌零参段
          2+0+3=5=五=伍
          2×0×3=0=零
 見るものは
 (みるモノ)
ー↓
 行幸。・・・ギョウコウ・みゆき
      御幸(ゴコウ・みゆき) 
    ・・・・・・・みゆき・ゆき・ゆく
           深雪(シンセツ)
    行幸天皇陛下単独の外出
    行幸啓=天皇皇后両陛下が共に外出
 (ギョウコウ)
  僥倖・暁光
  行考
  ゆきゆき
  ↓
  之雪・雪之
  之湯木・之倖
  之往き
  之倖
   倖=偶然の幸福
     偶々の幸福
     当たった宝くじ(籤)
          クジフル→句字振る?
           ↓
      「高千穂の槵触 之峯」
          「槵日 高千穂之峯」
   日本書記本文  ↓
       「日向の襲の高千穂の峰」
   天降於日向   襲 之高千穗峯矣。
           ↓
      既而皇孫 遊行 之狀也者、
        則自 槵日 二上天浮橋、
   立於浮渚在平處 ↓
           ↓
  到筑紫日向高千穗 槵觸 之峯
   一書      ↓
    「日向高千穂 櫛触 峰」         
      則當到筑紫↓
     日向高千穗 槵觸 之峯
           ↓
   一書   日向 槵日 高千穗之峯
   一書 「高千穂の添(そぼり)の山の峰」
           ↓
        日向 襲 之高千穗
           添山 峯矣
           添山、
        此云 曾褒里 能 耶麻
           ↓
        soul=ソウル=漢城( ハンソン)
       蘇得留・素有留・甦胡留・祖烏留=烏丸?
           ↓   漢陽(ハンヨウ)
           ↓   京城・京都
           ↓   首爾
   一書  「日向 襲 之高千穗
           槵日 二上峯天浮橋」
           ↓
    古事記    ↓
    「筑紫の   ↓
    日向の    ↓
     高千穂之  久士 布流 多気
           ↓
ー↓ーーーーーーーーー僥倖・・・倖=イ+一+辛
           ↓      意 哉 加羅
           ↓      人+一+立+十
     こぼれざいわい=恩赦・棚から牡丹餅
    「こぼれ・毀れ・零れ・溢れ・漲れ・翻れ」
    「remains・overflow 」
      +   コボロ?
      ↓   ↓
      +  「COBOL
      +    =Common Business
      +     Oriented Language?
      +    (共通事務処理用言語)
      +    COBOLの誕生日=名称決定日
      +    1959年9月18日」
      + Oriented=オリエンテド=志向←思考
      ↓   東洋=Orient←Occident=西洋
      +   当用     オクシデント
    「ざい・罪・座位・財・斉・西・材・在・剤」
      +
    「わい・話意・倭意・和異・歪・賄・Y(ア)」
      ↓
     「僥倖を願う・僥倖を当てにする」
    「射倖(シャコウ)」
     偶然の利益や成功を期待すること
    「射倖心」=偶然の成功、利益の期待
ー↓
 祭のかへさ。・・・祭=タ+ヽ+又+示(二亅ハ)
 (マツリのカヘサ)
  纏りの替差・・・・纏向=まきむく(巻向)
              奈良県桜井市
              御諸山(三室山・三輪山
              北西麓一帯
  真通理の代重差
  松理
  末理・沫理(里)→阿波の里
  真通理・摩都里→邪馬台
  ↓
  かへさ
  斎王(巫女)が上社から
  紫野の斎院に帰ること
  その帰途の行列
ー↓
 御賀茂詣。
 (オンカモ もうで)
  音 化摸 網 出
  恩 家母 望 出
ー↓
 臨時の祭、
 (リンジのマツリ)
  綸旨の政り・・・蔵人が天皇の意を受けて
          発給する命令文書
 「麟・燐・鱗・林・輪・琳・嗇」
  +
  字+之
  +
  真通理・纏里・末利・松里
  松浦(まつうら)
  長崎県北部、北松浦半島に位置
  律令制下では肥前国松浦郡の区域
  延久元年(1069年)
  嵯峨源氏の支流、
 「源久」が松浦郡宇野御厨の検校
  となり、梶谷に住み「松浦久」と名乗り、
  太夫判官と称して
  松浦郡彼杵郡の一部及び壱岐郡を治め
  松浦党と呼ばれる武士団が結成
  松浦党は水軍
  元寇で活躍
  明治に
  北松浦半島一帯(離島部を含む)で
  石炭の存在が発見され、
  北松炭田で栄えた
  ↓↑
  松浦武四郎蝦夷(北海道)探検家
  文化十五年二月六日
 (1818年3月12日)
   〜
  明治二十一年(1888年)二月十日
ー↓
 空くもりて寒げなるに、
 (ソラくもりてサムげなるに)
 「加羅・韓・漢・唐」句摸理出
     ↓ something
     サムソン=三番目(三順・三葈・三星
          参星→オリオン座
     韓国語の
     サムシン=三番目に生まれた男子(息子)
     サムソン=三番目に生まれた女子(娘)
     ↓
     旧約聖書士師記16章
 サムソン(Samson)=目を抉られる
               イスラエルを20年間統治
     デリラ(Delilah)=ペリシテ人の女性で
               サムソンの妻
               銀1100枚で
               サムソンの髪の毛の
               秘密を売った
               16章1-22節
     デリラ=出理等・・・?
ーーーーー↓
     親→子→孫
     ↓
     彦火瓊々杵尊・邇々芸
     彦火火出見尊
     彦波瀲武盧茲草葺不合尊
     ↓
     彦火火出見尊(山幸彦)と、
     海神の娘である
     豊玉姫の子
     ↓
     三番目の
     「天津日高日子波限建鵜草葺不合命(古事記)」
     「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(日本書記)」
     その   瀲(レン)練= 絹糸をねる・ねりぎぬ
     ↓
    「第四子也」は
    「彦火火出見」・・・?
ーーーーーー
 神武天皇の移動
 ↓
 十有一月丙戌朔甲午、
     天皇
     至
   1)筑紫國
     岡水門。
 ↓
 十有二月丙辰朔壬午、
     至
   2)安藝國、居于埃宮。
 ↓
 乙卯年
 春
 三月
 甲寅
 朔己未、
     徙
     入
   3)吉備國。
     起
     行邢宮
 以居之。
 是曰
     高嶋宮。
 積三年間、
 脩舟檝、蓄兵食、
 將欲以
 一舉
 而
 平天下也。
 ↓
 戊午年
 春
 二月丁酉朔丁未、
 皇師遂東。
 舳艫相接。
      方到
    4)難波之碕、
 會有奔潮太急。
 因以、
 名爲
 浪速國。
 亦曰
 浪花。
 今謂
 難波
 訛也。
 訛、
 此云與許
 奈磨盧。
 ↓
 三月丁卯朔丙子、
 遡流而上、
 徑至
    5)河內國
      草香邑
      青雲
      白肩之津。
ーーーーー
 神武天皇の出生
  ↓
  始起烟
  末
  生出之兒、
1)號
  火闌降命。
  是隼人等始祖也。
  火闌降、
  此云
  褒能須素里。
  次避熱而居、
  生出之兒、
2)號
  彦火火出見尊
  次生出之兒、
3)號
  火明命。
  是尾張連等始祖也。
  凡三子矣。
  久之
  天津彦彦火瓊瓊杵尊崩。
ーー
  燄初起時
  共生兒、
1)號
  火酢芹命。
  次火盛時生兒、
2)號
  火明命。
  次生兒、
3)號
  彦火火出見尊
  亦號
  火折尊。
ーー
  其火初明時、
  躡誥出兒自言、
  吾是天藭之子。
1)名
  火明命。
  吾父何處坐耶。
  次火盛時、
  躡誥出兒亦言、
  吾是天藭之子。
2)名
  火進命。
  吾父及兄何處在耶。
  次火炎衰時、
  躡誥出兒亦言、
  吾是天藭之子。
3)名
  火折尊。
  吾父及兄等何處在耶。
  次避火熱時、躡誥出兒亦言、
  吾是天藭之子。
4)名
  彦火火出見尊
ーー
  而生兒
1)天火明命
次生
2)天津彦根
  火瓊瓊杵根尊。
  其
  天火明命
  兒、
  天香山、
  是
  尾張連等遠祖也。
  及至奉
  降
  皇孫
2)火瓊瓊杵(根)尊、
  於葦原中國也
ーー
  遂生
1)火酢芹命。
  次生
2)火折尊。
  亦
  號
2)彦火火出見尊
一云、高皇産靈尊
   兒
   萬幡姬
   兒
   玉依姬命。
   此藭
   爲
   天忍骨命
   妃、
   生兒
1)天之杵火火置瀬尊
一云、勝速日命
   兒
   天大耳尊。
   此藭
   娶
   丹舄姬、
   生兒
2)火瓊瓊杵尊
一云、藭高皇産靈尊
   之女
   幡千幡姬、
   生兒
3)火瓊瓊杵尊
一云、
  天杵瀬命、
  娶
  吾田津姬、
  生兒
4)火明命。
  次
5)火夜織命。
  次
6)彦火火出見尊
ーー
 正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊、
 娶
 高皇産靈尊
 之女
 天萬幡千幡姬、
 爲
 妃
 而生兒。
1)號
  天照國
  照彦火明命。
  是
  尾張連等遠祖也。
  次
  天饒石國
  饒石
  天津
  彦火瓊瓊杵尊
  此藭
  娶
  大山祇藭
  女子
  木花開耶姬命、
  爲
  妃
  而生兒。
2)號
  火酢芹命。
  次
3)彦火火出見尊
ーー
 兄
 火闌降命、・・・闌=たける・たけなわ・ラン
 自有
 海幸。・・・・邂逅・開港・開講・改稿
 幸、
 此云
 左知。
 弟
 彦火火出見尊
 自有
 山幸。・・・・参考・三光・三港・三校・鑽孔
ー↓ーーー
 枕草子
 (二〇三段)のツヅキ
ー↓
 雪少しうち散りて、
 (ユキスコしうチりて)
ー↓
 插頭の花、
 插頭(かざし)・・・插頭山=香川県綾歌郡綾川町畑田
 (サシアタマのハナ・ソウトウのカ)
ー↓
 青摺などにかかりたる、
 (アオズリなどにカカリたる)
 青摺衣(あおずりのころも)
 宮中神事の際、舞人が着用する
 「斎服=小忌=小忌衣(おみごろも)」
 新嘗祭天皇の代始めの大嘗祭と、
 六月十二月の神今食(天皇が自ら行う親祭)に
 供奉する貴族以下の官人が使用
ー↓
 えもいはずをかし。
 (エモいはずをかし)
ー↓
 太刀の鞘の、
 (タチのサヤの・タイトウのサヤの)
ー↓
 きはやかに黒うまだらにて、
 (キハヤカにクロうマダラにて)
ー↓
 白く廣う見えたるに、
 (シロくヒロうミえたるに)
ー↓
 半臂の緒のやうしたるやうにかかりたる。
 (はんぴ・・・下留・・・・懸か理他留)
        ↓
    「半臂(はんぴ)」
  古代、袍(ほう)や位襖(いあお)の下に着用した
  朝服の内衣で、
  袖幅が狭く、丈の短い、裾に襴(らん)をつけたもの
  平安時代以降、朝服が和様化した束帯では、
  袍と下襲(したがさね)との間につける
  袖のない形に変った。
  身頃が布二幅分ぐらいの袖の無い、
  着物のような打ち合わせ(垂領)のある絹の胴着で、
  裾に欄(らん)と呼ばれる布がぐるりと縫い付けられていて、
  動きやすいように横と背後に襞がたたんである。
  腰を紐で結んで着用するが、
  腰の紐を通して飾り紐をつける。
  この飾り紐は
 「忘れ緒」と呼ばれるもので、
  襴と同じ生地で長さ一丈二尺、
  幅三寸三分の帯形に作る。
  これを
  三重に折りたたんで左腰に通す。
  はんぴのお(半臂の緒)=忘れ緒(お)
  腰に結ぶ小紐(こひも)にかけて垂らす飾り紐
ー↓
 地摺袴の中より、
 (ジズリバカマのナカより)
 生地に文様を摺り出した布帛
 金泥や銀泥で模様を摺り出した布帛
ー↓
 氷かと驚くばかりなる打目など、
 (コホリ・・・・・・ウチメなど)
 打ち目・打目・擣目
 絹を砧(きぬた)で打ったときに生じる光沢の模様
 砧の跡。
 砧=石+占
ー↓
 すべていとめでたし。
 (スベテ・全て・総て・凡て・統べて
  ∀=Aの逆→イエ)
ー↓
 今少し多く渡らせまほしきに、
 (イマ・・・)
ー↓
 使は必にくげなるもあるたびは、
 (ツカイ・・・)
ー↓
 目もとまらぬ。
 (メもトマラヌ)
  メモ、トマ、ラヌ
ー↓
 されど藤の花に隱されたる程はをかしう、
 (サ、レ、ド、フジ・ハナ・カクされたる・・・)
  作 例 努 トウ、葉名・書く・・・
ー↓
 猶過ぎぬかたを見送らるるに、
 (ナホ・・・)
ー↓
 陪從のしなおくれたる、
 (バイジュウ之シナ・・・)
ー↓
 柳の下襲(したがさね)に、
 (ヤナギのゲソに)
ー↓
 かざしの山吹おもなく見ゆれども、
 (カザシのヤマブキ、オモなく・・・)
  翳し  散水・山水
ー↓
 扇、いと高くうちならして、
 (オウギ・・・)
  奥儀・奥義
ー↓
 「賀茂の社のゆふだすき」と歌ひたるは、
 (カモのモリのユフダスキ・・・)
 「木綿ゆふ・モメン)」で作った、襷(たすき)
  白くて清浄で神事に
  肩から掛けて袖(そで)をたくし上げるのに用いた
ー↓
 いとをかし。 
 (イトをカシ)
  意図可笑し・意図を可視(化詞)
ー↓
 行幸になずらふるものは何かあらん。
 (ミユキ・・・)
ー↓
 御輿に奉りたるを見參らせたるは、
 (ミコシ・・・)
ー↓
 明暮御前に侍ひ、
 (アケクレ、ゴゼンにハベラひ)
  名簿   音然  葉部等比
ー↓
 仕う奉る事もおぼえず、
 (ツコうマツるコトもオボエズ)
ー↓
 かうがうしういつくしう、
 (コウゴウしうイツクしう)
ー↓
 常は何ともなきつかさ、
 (イツモはナンともナキ、ツカサ)
ー↓
 ひめまうちぎみさへぞ、
 (ヒメまウチギみサヘぞ)
ー↓
 やんごとなう珍しう覺ゆる。
 (ヤンゴト・・・)
  ↓
  揚事
  ヤンシュウ
   ↓
   北海道で
 「鯡・鰊・ニシン」漁などに雇われ働く男たち
  やんしゅ→揚衆・・・水揚げ人
  船の荷物を陸に揚げること
  漁業での漁獲量
  水揚げ=芸妓遊女が初めて客と接すること
  揚州・・・ヤンヨーステン=耶楊子
  境港(やんしゅう)=鳥取県境港市
ー↓
 御綱助、
 (みつなのすけ)
  オンコウウジョ→音公序
  怨孝女和宮→皇女和宮仁孝天皇と橋本経子の娘
  御輿の綱を引く役人を指揮した役
ー↓
 中少將などいとをかし。
 (チュウショウショウ・・・)
  注少々(沖小商)
ー↓
 祭のかへさいみじうをかし。
 (マツリ・・・)
ー↓
 きのふは萬の事うるはしうて、
 (キノフはマン・・・)
  記の付葉、萬→太安万侶
ー↓
 一條の大路の廣う清らなるに、
 (イチジョウのオホジのヒロうキヨらナルに)
ー↓
 日の影もあつく、
 (ヒのカゲもアツク)
ー↓
 車にさし入りたるもまばゆければ、
 (クルマ・・・)
ー↓
 扇にて隱し、
 (オウギにてカクし)
ー↓
 居なほりなどして、
 (居直り・・・)
ー↓
 久しう待ちつるも見苦しう、
 (ヒサしう・・・)
ー↓
 汗などもあえしを、
 (アセ・・・・・アエしを)
  奸・漢・巻  和えし尾
ー↓
 今日はいと疾く出でて、
 (キョウはイト、トくイでて)
ー↓
 雲林院
 (ウンリンイン・ウリイン)
 雲林院(うんりんいん・うりんいん・うじい)
 京都市北区紫野にある臨済宗の寺院
 臨済宗大徳寺派大本山大徳寺塔頭
 天台宗の大寺院
 雲林院 松軒(うじい しょうけん、生没年不詳)
 日本の戦国時代の武将、剣豪、兵法家
 通称は弥四郎、出羽守
 諱は光秀(みつひで)
 号は松軒
 北伊勢雲林院城主
 新当流開祖
 塚原卜伝の高弟
ー↓
 知足院などのもとに立てる車ども、
 (チソクイン・・・)
 東大寺知足院
 法相宗の研究道場
 本尊は木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代・非公開)
 本尊は「文使い地蔵」とも
ー↓
 葵かつらもうちなえて見ゆ。
 (アオイ、カツラも・・・)
ー↓
 日は出でたれど、
 (ヒはイでタレど)
ー↓
 空は猶うち曇りたるに、
 (ソラはナホうちクモりたるに)
ー↓
 いかで聞かんと、
 (イカデ・・・)
ー↓
 目をさまし、
 (メをサマシ)
ー↓
 起き居て待たるる杜鵑の、
 (オキイてハベたるるホトトギスの)
  ホトトギス・・カッコウ目・カッコウ
         郭公  杢・各行  化
         ↓
         郭務悰→遊廓に努める
         悰=ソウ・ズ・たのしむ
         悰子内親王
         康和元年・1099〜1162年
         堀河天皇の第一皇女
         母は仁子(にんし)女王
         保安四年
         賀茂の斎院
         大宮斎院と称された
         応保二年十一月三日死去
         六十四歳
         ↓
         ホトトギス目・ホトトギス
         ウグイス(鶯)などに托卵する
         杜鵑・時鳥・不如帰(ほととぎす)
ー↓
 數多さへあるにやと聞ゆるまで、
 
ー↓
 鳴きひびかせば、
 
ー↓
 いみじうめでたしと思ふ程に、
 
ー↓
 鶯の老いたる聲にて、
 
ー↓
 かれに似せんとおぼしく、
 
ー↓
 うち添へたるこそ、
 
ー↓
 憎けれど又をかしけれ。 
 
ー↓
 いつしかと待つに、
 
ー↓
 御社の方より、
 
ー↓
 赤き衣など著たる者どもなど連れ立ちてくるを、
 
ー↓
 「いかにぞ、事成りぬや」などいへば、
 
ー↓
 「まだ無期」など答へて、御輿、腰輿など持てかへる。
 
ー↓
 これに奉りておはしますらんもめでたく、
 
ー↓
 けぢかく如何でさる下司などの侍ふにかとおそろし。
 
ー↓
 はるかげにいふ程もなく歸らせ給ふ。
 
ー↓
 葵より始めて、
 
ー↓
 青朽葉どものいとをかしく見ゆるに、
 
ー↓
 所の衆の青色白襲を、
 
ー↓
 けしきばかり引きかけたるは、
 
ー↓
 卯の花垣根ちかうおぼえて、
 
ー↓
 杜鵑もかげに隱れぬべう覺ゆかし。
 
ー↓
 昨日は車ひとつに數多乘りて、
 
ー↓
 二藍の直衣、
 
ー↓
 あるは狩衣など亂れ著て、
 
ー↓
 簾取りおろし、
 
ー↓
 物ぐるほしきまで見えし公達の、
 
ー↓
 齋院の垣下にて、
 
ー↓
 ひの裝束うるはしくて、
 
ー↓
 今日は一人づつ、
 
ー↓
 をさをさしく乘りたる後に、
 
ー↓
 殿上童のせたるもをかし。
 
ー↓
 わたりはてぬる後には、
 
ー↓
 などかさしも惑ふらん。
 
ー↓
 我も我もと、
 
ー↓
 危くおそろしきまで、
 
ー↓
 前に立たんと急ぐを、
 
ー↓
 「かうな急ぎそ、
 
ー↓
 のどやかに遣れ」と扇をさし出でて制すれど、
 
ー↓
 聞きも入れねば、
 
ー↓
 わりなくて、
 
ー↓
 少し廣き所に強ひてとどめさせて立ちたるを、
 
ー↓
 心もとなくにくしとぞ思ひたる、
 
ー↓
 きほひかかる車どもを見やりてあるこそをかしけれ。
 
ー↓
 少しよろしき程にやり過して、
 
ー↓
 道の山里めきあはれなるに、
 
ー↓
 うつ木垣根といふ物の、
 
ー↓
 いと荒々しう、
 
ー↓
 おどろかしげにさし出でたる枝どもなど多かるに、
 
ー↓
 花はまだよくもひらけはてず、
 
ー↓
 つぼみがちに見ゆるを折らせて、
 
ー↓
 車のこなたかなたなどに插したるも、
 
ー↓
 桂などの萎みたるが口惜しきに、
 
ー↓
 をかしうおぼゆ。
 
ー↓
 遠きほどは、
 
ー↓
 えも通るまじう見ゆる行くさきを、
 
ー↓
 近う行きもてゆけば、
 
ー↓
 さしもあらざりつるこそをかしけれ。
 
ー↓
 男の車の誰とも知らぬが、
 
ー↓
 後に引きつづきてくるも、
 
ー↓
 ただなるよりはをかしと見る程に、
 
ー↓
 引き別るる所にて、
 
ー↓
 「峯にわかるる」といひたるもをかし。
 
ーーーーー
 ・・・