1272日目・・・ナガイナッ・・・ハジメの理句が二つのダン・・・

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 枕草子
 (一六六段)・・・百六十六段・壱佰六拾六段・壱六六段・陌陸足陸段
          1+6+6=13=十三=壱拾参=壱足参
          1×6×6=36=三十六=参拾六=参足陸

 宰相中將齊信、
 (最小得・最少・妻妾、
  中、
  将に再診・再審・細心・再伸
    細心・砕身
    最新・歳審・歳新
    差維新)
ーー↓
 宣方の中將と參り給へるに、
 (撰方・選方、之
  中、将にと、
  纂理・算理、
  他真得留)
ーー↓
 人々出でて物などいふに、
 (日と比と意出氐、異出弖、
  者、摸之、等、移付爾)
ーー↓
 ついでもなく、
 (対出摸名句)
ーー↓
 「明日はいかなる詩をか」
 (あす・亜素・蛙巣・亞主
  ミョウヒ・名比・妙斐・命日
  みょうにち・冥爾知
  葉
  如何なる史・詞・士・示
  於掛)
ーー↓
 といふに、
 (問い譜爾・渡移付似・土肥附似)
ーー↓
 いささか思ひめぐらし、
 (聊か・些か・異差作化・・・)
ーー↓
 とどこほりなく、
 (滞りなく・「椴・鯔・百々」拠補理名句)
ーー↓
 「人間の四月をこそは」
 (・・・「示月・死月・史解通」緒こそ葉)
ーー↓
 と答へ給へる、
 (・・・)
ーー↓
 いみじうをかしくこそ。
 (意味字得、お貸し句拠祖)
ーー↓
 過ぎたることなれど、
 (・・・)
ーー↓
 心えていふはをかしき中にも、
 (・・・  「犯し記・冒し紀・御貸基
       ・岡子規」似摸)
ーー↓
 女房などこそさやうの物わすれはせね、
 (音名附作・・・)
ーー↓
 男はさもあらず、
 (音拠葉、作摸、在らず)
ーー↓
 詠みたる歌をだになまおぼえなるを、
 (代視・世視・与実・黄泉・・・
         名真憶え成る緒)
ーー↓
 まことにをかし。
 (・・・)
ーー↓
 内なる人も、
 (得知名留ヒト摸)
ーー↓
 外なる人も、
 (祖賭名留ヒト摸)
ーー↓
 心えずとおもひたるぞ理なるや。
 (・・・      コトワリなるや)
ーー↓
 この三月三十日廊の一の口に、
 (「纂・算・産・山」解通、
     「ミソカ・参拾・纂拾」比
     「クルワ・繰る話」之
     「はじめ・イチ」之
     「くち・く・考・交・項・行」爾)
ーー↓
 殿上人あまた立てりしを、
 (伝条ヒト、天田・数多・海人多・海士多・・・)
ーー↓
 やうやうすべりうせなどして、
 (洋々、滑り・総り 失せ・・・)
ーー↓
 ただ頭中將、
 (多拿、かしら・唐・問・等、中、将に)
ーー↓
 源中將、
 (みなもと、中、将に)
ーー↓
 六位ひとりのこりて、
 (陸尉・録意、ヒトリ・・・)
ーー↓
 よろづのこといひ、
 (萬、之、糊塗・異・言、意比)
ーー↓
 經よみ、
 (へ・ケイ・キョウ)
ーー↓
 歌うたひなどするに、
 (・・・得他意等・・・)
ーー↓
 「明けはてぬなり、
 (・・・ハテ、ヌ、名理)
ーー↓
  歸りなん」
 (カエ理、名務)
ーー↓
 とて、
 (トテ)
ーー↓
 露は別の涙なるべしといふことを、
 (賂、葉、捌、之、名実拿・・・)
ーー↓
 頭中將うち出し給へれば、
 (・・・)
ーー↓
 源中將もろともに、
 (原注・元注、将に諸共に・・・)
ーー↓
 いとをかしう誦じたるに、
 (・・・)
ーー↓
 「いそぎたる七夕かな」
 (礒・磯・意素義・・・)
ーー↓
 といふを、
 (問い附・土肥附)
ーー↓
 いみじうねたがりて、
 (意味字得、強請がりて)
ーー↓
 曉の別のすぢの、
 (あかつき、之、捌、之、筋、之)
ーー↓
 ふと覺えつるままにいひて、
 (・・・)
ーー↓
 わびしうもあるわざかな」と、
 (話備集、摸、・・・)
ーー↓
 「すべてこのわたりにては、
 (・・・渡り・亘理・渉り・亘・亙り・・・)
ーー↓
  かかる事思ひまはさずいふは、
 (カカル言・・・)
ーー↓
  口惜しきぞかし」
 (・・・)
ーー↓
 などいひて、
 (等・・・)
ーー↓
 あまりあかくなりにしかば、
 (余り、「閼伽・赤・垢・銅」句
       ・・・死か場)
ーー↓
 「葛城の神、
 (かずらぎ・蔓木・鬘着・数等疑、之、咬み)
ーー↓
  今ぞすぢなき」
 (・・・)
ーー↓
 とて、
 (・・・)
ーー↓
 わけておはしにしを、
 (訳・和気・別懸・湧け・話化)
ーー↓
 七夕のをり、
 (史知有、之、織)
ーー↓
 この事を言ひ出でばやと思ひしかど、
 (・・・)
ーー↓
 宰相になり給ひにしかば、
 (・・・)
ーー↓
 必しもいかでかは、
 (・・・)
ーー↓
 その程に見つけなどもせん、
 (・・・)
ーー↓
 文かきて、
 (・・・)
ーー↓
 主殿司してやらんなど思ひし程に、
 (主伝詞・・・)
ーー↓
 七日に參り給へりしかば、
 (名之化爾、纂理・・・)
ーー↓
 うれしくて、
 (・・・)
ーー↓
 その夜の事などいひ出でば、
 (・・・)
ーー↓
 心もぞえたまふ。
 (・・・)
ーー↓
 すずろにふといひたらば、
 (・・・)
ーー↓
 怪しなどやうちかたぶき給はん。
 (・・・)
ーー↓
 さらばそれには、
 (・・・)
ーー↓
 ありし事いはんとてあるに、
 (・・・)
ーー↓
 つゆおぼめかで答へ給へりしかば、
 (・・・)
ーー↓
 實にいみじうをかしかりき。
 (・・・)
ーー↓
 月ごろいつしかと思ひ侍りしだに、
 (・・・)
ーー↓
 わが心ながらすきずきしと覺えしに、
 (・・・)
ーー↓
 いかでさはた思ひまうけたるやうにの給ひけん。
 (・・・)
ーー↓
 もろともにねたがり言ひし中將は、
 (・・・)
ーー↓
 思ひもよらで居たるに、
 (・・・)
ーー↓
 「ありし曉の詞いましめらるるは、
 (・・・「あかつき
      さとる
      さとす・ギョウ」の史・・・
           ↓
       仰・凝・尭・形・暁・曉・業・行・驍)
     「・・・した暁には・・・報酬、褒美」
      成果、結果の見返りには、
     「ボーナス」である・・・
ーー↓
  知らぬか」
 (・・・)
ーー↓
 との給ふにぞ、
 (・・・)
ーー↓
 「實にさしつ」
 (・・・)
ーー↓
 などいひ、
 (・・・)
ーー↓
 「男は張騫」
 (音拠はチョウケン→朝憲・・・)
    張騫(?〜紀元前114年)
    字は子文
    漢中郡(顔師古の注は成固)の出身
    武帝の命により匈奴に対する
    同盟を説くために
    大月氏へと赴き、
    漢に西域の情報をもたらす
    建元年間(紀元前140年〜紀元前135年)
   「郎」となる
    大月氏に対して、
    対匈奴の同盟を説く使者に
    自薦し選任される
    月氏匈奴と争って
    冒頓単于に大敗、冒頓の子の
    老上単于の軍に敗れて王が殺され、
    老上はその王の頭蓋骨をくりぬいて杯にした
    後、月氏は北へと逃れ、
    大月氏とよばれた
    漢は大月氏と同盟し
    匈奴に対して
    挟撃作戦を狙って
    張騫を使節団として大月氏に送ったが
    隴西(甘粛省)から出た直後に
    匈奴に捕らえられてしまった
    匈奴の軍臣単于は張騫の目的が
    大月氏への使者であると知り
    張騫を
    十余年間に渡って拘留
    匈奴は張騫に妻を与え、子供も得たが、
    張騫は漢の使者の
    証である
    符節を手放さなかった
    後、匈奴の地から脱出し
    西へ向かい
    大宛(フェルガナ)に至った
    この地の王は張騫を歓待し
    大月氏までの道を教えた
    大月氏匈奴に追われて北に逃げ、
    更に、
    烏孫に追われ、西へと逃げていた
    張騫は
    康居へ立ち寄った後に
    大月氏の町へとたどり着く。
    月氏の王に漢との同盟を説くが、
    月氏王はこれを受け入れなかった。
    月氏
    大夏グレコバクトリア王国orトハラ国)を
    服属させ、政治的には安定し
    匈奴への復讐心は無くなっていた
    大月氏との同盟に失敗した
    張騫は帰路に
    崑崙山脈を伝って行き、
    チベット西蔵)系民族である
    羌族の支配地を通っている途中、
    再度、匈奴に囚われるが
    一年余りして
    軍臣単于が死去し
    匈奴に内部対立が発生し
    その隙に脱出し
    紀元前126年に漢へ帰還した
    出発時の従者100人余りは
    帰還時には2人になっていた
    張騫の西域情報報告で
    この功績により
    太中大夫とされた
    紀元前123年
    武帝は大将軍
    衛青
    率いる匈奴への遠征軍を発進
    張騫は衛尉・博望侯となるが
    紀元前121年の遠征の際に
    期日に遅れた罪で死罪となるが
   「金銭」で贖って・・・・・・・・・?
    庶民に落とされた。
    紀元前119年に
    烏孫への使者として赴任
    紀元前114年に死去
    張騫の孫の
    張猛は
    匈奴
    呼韓邪単于と・・・・「アカンジャ、タンウ」
    盟を結び、
    一時期
    元帝に信任された
ーー↓
 などいふことを、
 (・・・)
ーー↓
 人には知らせず、
 (・・・)
ーー↓
 この君と心えていふを、
 (・・・訓と)
ーー↓
 「何事ぞ何事ぞ」
 (何言、ソ、何糊塗ソ)
ーー↓
 と源中將はそひつきて問へど、
 (皆本、中、将に副い付き出、問え度)
ーー↓
 いはねば、
 (「岩・磐・石・巌・違和」音、葉)
ーー↓
 かの君に
 (・・訓爾→訓示・訓辞・訓字)
ーー↓
 「猶これの給へ」
 (なお、・・・)
ーー↓
 と怨みられて、
 (と、裏視、等、例・出)
ーー↓
 よき中なれば聞せてけり。
 (・・・)
ーー↓
 いとあへなく言ふ程もなく、
 (意図、和え名句・合重名句・・・)
ーー↓
 近うなりぬるをば、
 (・・・)
ーー↓
 「押小路のほどぞ」
 (おしこうじ→推し後事、の、歩度・補努、ソ)
  オウショウジ=王将時→奥羽生死・応召時
ーー↓
 などいふに、
 (・・・)
ーー↓
 我も知りにけると、
 (臥・・・)
ーー↓
 いつしか知られんとて、
 (何時史か・・・)
ーー↓
 わざと呼び出て、
 (態と・・・)
ーー↓
 「碁盤侍りや、
 (語判・・・)
ーー↓
  まろもうたんと思ふはいかが、
 (マロモウタン・・・麻呂、妄譚
            異化臥)
ーー↓
  手はゆるし給はんや。
 (主・・・)
ーー↓
  頭中將とひとし碁なり。
 (頭、中、将に問い年
        賭比年、後・・・)
ーー↓
  なおぼしわきそ」
 (名、思し、和基礎)
ーー↓
 といふに、
 (問い附爾)
ーー↓
 「さのみあらば定めなくや」
 (差・叉・作、のみ・・・)
ーー↓
 と答へしを、
 (・・・)
ーー↓
 かの君に語り聞えければ、
 (・・・訓・・・)
ーー↓
 「嬉しく言ひたる」
 (うれしく=得例史句・・・)
ーー↓
 とよろこび給ひし。
 (と、代賂拠備・・・)
ーー↓
 なほ過ぎたること忘れぬ人はいとをかし。
 (・・・)
ーー↓
 宰相になり給ひしを、
 (・・・)
ーー↓
 うへの御前にて、
 (・・・)
ーー↓
 「詩をいとをかしう誦じ侍りしものを、
 (史・・・)
ーー↓
  蕭會稽の古廟をも過ぎにしなども、
  ↓
 (蕭曄=蕭曅・ショウヨウ467年〜494年)
  南朝斉の皇族
  武陵昭王
  ↓
  蕭会稽
  →会稽郡の丞となった蕭允→「陳書・蕭允伝」
  481年(建元三年)武陵王「蕭曄」が会稽郡太守
  持節
  都督会稽東陽新安永嘉臨海五郡軍事
  会稽郡太守として出向
  高帝蕭道成の五男
  字は宣照、あるいは宣昭
  小字は三昧
  弓射、篆書や囲碁を得意とした
  丹陽尹
  行事を置かず、自ら政事
  侍中・護軍将軍
  493年(永明十一年)
  蕭昭業が即位
  武帝の遺詔により
  衛将軍・開府儀同三司の位
  494年(隆昌元年)四月、死去
  享年は二十八・司空位を追贈
  資料
  「南斉書・巻三十五・列伝第十六」
  「南史・巻四十三・列伝第三十三」
    ↓
  しょうかいけい→将、商、会計(海景)
  証、 会 稽=魏志倭人伝・・・
ーー↓
  誰か言ひはべらんとする。
 (・・・)
ーー↓
  暫しならでもさぶらへかし。
 (暫=ザン=しばらく・・・
  歌舞伎十八番の一つ・
  「しばらく」
  と言って悪人をやつける段の場・・・)
  ↓
  悪党の清原武衡が、加茂次郎義綱ら
  多人数の善良な男女を捕らえ、
  清原武衡が成田五郎ら家来に命じ、
  加茂次郎義綱らを打ち首にしようとするとき、
  鎌倉権五郎景政が
 「暫く〜」の一声で、さっそうと現われて助ける・・・
  Just A Moment!!→チョット、マテぇ〜ッ
 「暫」を立女形が演じる「女暫(おんなしばらく)」
 「女暫」は
 「巴御前」と
 「板額御前(はんがく ごぜん」
  大太刀をさげて花道を早足で
 「しばらくぅ〜」と登場
ーー↓
  口惜しきに」
 (・・・)
ーー↓
 など申ししかば、
 (・・・)
ーー↓
 いみじう笑はせ給ひて、
 (・・・)
ーー↓
 「さなんいふとて、
 (作難・・・)
ーー↓
  なさじかし」
 (名作字貸)
ーー↓
 など仰せられしもをかし。
 (・・・)
ーー↓
 されどなり給ひにしかば、
 (・・・    死か場)
ーー↓
 誠にさうざうしかりしに、
 (・・・「想像・創造」史、仮示)
ーー↓
 源中將おとらずと思ひて、
 (・・・)
ーー↓
 ゆゑだちありくに、
 (故・結え→由来・・・立、有り句爾)
ーー↓
 宰相中將の御うへをいひ出でて、
 (・・・)
ーー↓
 「いまだ三十の期に逮ばずといふ詩を、
 (・・・ミソの語・・・)
ーー↓
  こと人には似ず、
 (言ヒト爾葉似ず)
ーー↓
  をかしう誦じ給ふ」
 (・・・)
ーー↓
 などいへば、
 (等・・・)
ーー↓
 「などかそれに劣らん、
 (等・・・)
ーー↓
  まさりてこそせめ」
 (・・・)
ーー↓
 とて詠むに、
 (・・・ヨム爾)
ーー↓
 「更にわろくもあらず」
 (・・・「倭・和・話」録摸・・・)
ーー↓
 といへば、
 (問い重葉)
ーー↓
 「わびしの事や、
 (詫び史・和備史・侘び史、之、
      コト・糊塗・言・異、
       ヤ・也・埜・耶)
ーー↓
  いかで、
 (・・・)
ーー↓
  あれがやうに誦ぜで」
 (・・・)
ーー↓
 などの給ふ。
 (・・・)
ーー↓
 「三十の期といふ所なん、
 (三重→参拾→纂拾、之、記・紀・・・日本書記)
ーー↓
  すべていみじう、
 (・・・)
ーー↓
  愛敬づきたりし」
 (愛郷→合い郷→会津・・・)
ーー↓
 などいへば、
 (・・・)
ーー↓
 ねたがりて笑ひありくに、
 (強請がりて・・・)
ーー↓
 陣につき給へりけるをりに、
 (・・・)
ーー↓
 わきて呼び出でて、
 (わき・脇・腋・傍・側・湧・沸・和気
     訳・分・別・・・)
ーー↓
 「かうなんいふ。
 (考・交・項・乞う・公・口・請)
ーー↓
  猶そこ教へ給へ」
 (なお・・・)
ーー↓
 といひければ、
 (・・・)
ーー↓
 笑ひて教へけるも知らぬに、
 (・・・)
ーー↓
 局のもとにて、
 (・・・)
ーー↓
 いみじくよく似せて詠むに、
 (・・・)
ーー↓
 あやしくて、
 (・・・)
ーー↓
 「こは誰そ」と問へば、
 (・・・)
ーー↓
 ゑみごゑになりて、
 (笑み声→重視、越、肥・・・)
ーー↓
 「いみじき事聞えん。
 (・・・)
ーー↓
  かうかう昨日陣につきたりしに、
 (・・・)
ーー↓
  問ひ來てたちにたるなめり。
 (・・・)
ーー↓
  誰ぞと、
 (・・・)
ーー↓
  にくからぬ氣色にて問ひ給へれば」
 (・・・)
ーー↓
 といふも、
 (・・・)
ーー↓
 わざとさ習ひ給ひけんをかしければ、
 (技・伎・業・芸、土佐・・・)
ーー↓
 これだに聞けば、
 (・・・)
ーー↓
 出でて物などいふを、
 (・・・)
ーー↓
 「宰相の中將の徳見る事、
 (・・・)
ーー↓
  そなたに向ひて拜むべし」
 (・・・)
ーー↓
 などいふ。
 (・・・)
ーー↓
 下にありながら、
 (解・・・)
ーー↓
 「うへに」
 (得重似)
ーー↓
 などいはするに、
 (・・・)
ーー↓
 これをうち出づれば、
 (・・・)
ーー↓
 「誠はあり」
 (誠=新撰組赤穂浪士
  允=木戸孝允
  真人=天武天皇大海人皇子
ーー↓
 などいふ。
 (・・・)
ーー↓
 御前にかくなど申せば、
 (・・・)
ーー↓
 笑はせ給ふ。
 (・・・)
ーー↓
 内裏の御物忌なる日、
 (内の裏の音、物、意味なる比)
ーー↓
 右近のさうくわんみつなにとかやいふものして、
 (・・・そう、食わん、蜜、・・・)
ーー↓
 疊紙に書きておこせたるを見れば、
 (常史・・・)
ーー↓
 「參ぜんとするを、
 (纂全・・・)
ーー↓
  今日は御物忌にてなん。
 (・・・)
ーー↓
  三十の期におよばずは、
 (・・・)
ーー↓
  いかが」
 (・・・)
ーー↓
 といひたれば、
 (・・・)
ーー↓
 返事に、
 (・・・)
ーー↓
 「その期は過ぎぬらん、
 (その語、記、企・・・)
ーー↓
  朱買臣が妻を教へけん年にはしも」
 (・・・)
ーー↓
 と書きてやりたりしを、
 (・・・)
ーー↓
 又ねたがりて、
 (・・・)
ーー↓
 うへの御前にも奏しければ、
 (・・・)
ーー↓
 宮の御かたにわたらせ給ひて、
 (・・・)
ーー↓
 「いかでかかる事は知りしぞ。
 (・・・)
ーー↓
  四十九になりける年こそ、
 (・・・)
ーー↓
  さは誡めけれとて、
 (・・・イマシメ化例・・・)
ーー↓
  宣方はわびしういはれにたりといふめるは」
 (・・・)
ーー↓
 と笑はせ給ひしこそ、
 (・・・)
ーー↓
 物ぐるほしかりける君かなとおぼえしか。
 (・・・     訓、仮名・・・)
ーーーーー
 ・・・