1263日目・・・おそろしきもの・・・

 ・・・おそろしきモノ・・・烈火・列火・連火・・・劣化・・・豹・兵・・・侮(あなどる)海(あま)悔(くやむ)娒(うば・あによめ)・・・「灬」・・・
ーーーーー
 武烈王(ぶれつおう)
 (602年?〜661年)
 新羅
 第二十九代の王
 (在位・654年〜661年)
 姓は金
 諱は春秋
 父は
 第二十五代
 真智王の子の
 伊飡(二等官)の
 金龍春(龍樹)
 後に
 文興葛文王と追封
 母は
 第二十六代
 真平王の長女
ーー↓
 武烈天皇
 仁賢天皇二年
 〜
 武烈天皇
 八年十二月八日
 第二十五代天皇
 仁賢天皇七年一月三日に
 立太子
 仁賢天皇十一年八月八日に
 仁賢天皇崩御
 即位
 在位
 仁賢天皇十一年十二月
 〜
 武烈天皇八年十二月八日
 名は
 小泊瀬稚鷦鷯尊
 (おはつせのわかさざきのみこと)
 小泊瀬稚鷦鷯天皇・・・
 (おはつのすめらみこと・日本書紀
  ↓
  瀬=川などで歩いて渡れる所
    江戸時代の鉱山用語
    坑道内の採掘の足場
  おはつせ
  御初施・渡捌背(北月)
  頌伯・・・頌讃・・・頌=公+頁
  尚伯=「中島尚伯」・・・?
     幕末、金沢城下町の石浦町に居住
     藩医
     藩医を辞し、安政五年(1858)頃、
     宮腰町に転居し下寺町で遊楽地を設立
     湯宿の経済状態が悪化し、明治初期に破産
     諱は僊、後に尚と改め
     号は石浦
     石川郡宮腰に在し医を業とし、
     藩儒村
     瀬克忠に学んで経書に通じた
     寛政四年(1792)藩学(明倫堂)の助教
     ・・・?
     ・・・「尚・伯」ならば「尚、人は白」
        「尚歯苦」・・・「尚歯会」・・・
  将伯=「知伯將伐仇由」・・・貪欲で身を滅ぼす
      将にイ(人)は白          
     「赤章曼枝」→「赤=一+亦」
            「章=立+日+十」
            「曼=日+罒+又」→万・延・伸
            「枝=木+十+又」→技・伎
  ↓
  鷦鷯=みそさざい・ささぎ
     視祖作座位・作詐欺(詐偽)
     ショウリョウ・セウレウ
     渉 猟    施憂・是愁
  ↓
 「男女無くして継嗣絶ゆべし・日本書記」
 小長谷若雀命(古事記
 「日続知らすべき王無かりき・古事記
ーー↓
 皇太子の時、
 物部麁鹿火の娘
 影媛(かげひめ)に懸想
 影媛は
 真鳥大臣の子
 平群鮪(へぐりのしび)と既に関係
 海柘榴市(つばいち)の歌垣で
 鮪との歌合戦で負け
 太子は
 大伴金村をして
 鮪を
 乃楽山(ならやま)で誅殺
 十一月に
 真鳥大臣をも討伐
 泊瀬列城を都にし
 大伴金村を大連とする
ーー↓
 日本書紀
 武烈天皇の異常行為の記録
 二年秋九月孕婦の腹を割きて其の胎を観す。
 三年冬十月人の爪を解きて、芋を掘らしめたまう。
 四年夏四月人の頭髪を抜きて、梢に登らしめ、
      樹の本を切り倒し、
      昇れる者を落死すことを快としたまふ。
 五年夏六月人を塘の樋に伏せ入らしめ、外に流出づるを、
      三刃の矛を持ちて、刺殺すことを快としたまふ。
 七年春二月人を樹に昇らしめ、弓を以ちて射墜として咲いたまふ。
 八年春三月女をひた
       はだかにして、
       平板の上に坐ゑ、
       馬を牽きて前に就して遊牝せしむ。
       女の不浄を観るときに、
       湿へる者は殺し、
       湿はざる者は没めて
       官やつことし、此を以ちて楽としたまふ。
ーーーーーーー↑
 ・・・以上は「医者の医療行為」を敢えて意図的に悪意をもって翻訳したモノだろう・・・?
 「日本書紀」の「頻りに諸悪を造し、一善も修めたまはず」との「記録」は悪意そのものである・・・「厳格な裁判」の「天皇」は「北朝鮮の独裁者」と重なるが・・・「独裁権力者」の「生殺与奪」は例え「法文」があったとしても、「法=独裁者」である・・・
 だが、である・・・敢えて「一系血族の天皇の事跡の記録」とも云われ、「王朝交代」がなかったと明治幕末の支配者層の巷でも言われる「日本書記」にナゼも「天皇の悪事が記録」されているのか・・・「不利な記録」は「隠蔽」されるのは「萬世一系」の現今の「常識」でもあるのに・・・「特定秘密保全法」案の提出の目論見は「階級国家国家」が「戦争」を前提とする限り「必要」なのはアタリまえであるのに・・・「隠蔽工作」・・・それ以前に「儲けるタメ」には「秘密」、秘密でなくても「特許権著作権」である・・・国家も企業も銀行も「隠蔽工作」に汲汲である・・・バレても「土下座」、バレなくて「安堵」・・・脱線、事故、事件も起きるけれど・・・「秘密社会」にすれば「何にもナイコト」になる・・・アリガタイ、アリガタシ・・・
 ・・・「薔薇の名前」の「秘密」は「オワライのネタ本」であった・・・
 ボクの小説「菊の名前」の「秘密」は・・・「ナク」である・・・タイトル、「キク芋モドキ」にでも変えようカナ・・・
 「万世一系」は岩倉具視の「王制復古議・慶応三年十月)が初出でアルらしいが・・・昭和四十一年(1966年)、「二月十一日」を「紀元節」=「建国記念の日」にしちゃって真面目に頑張っているヒトがいる・・・ソラおそろしきヒトビト・・・でも、ほとんどのミンナは「アソビの休日」だから、コレもソラおそろしい・・・イミジクも有り難い「記念日」だが、「ひみつ」がワラアエル、アキレル、イカレル、ナキアエル・・・なっちまう・・・
 「古事記」には、「武列天皇」の悪行生地はなく、武列天皇の死後は「袁本杼命(おおどのみこと・継体天皇)」がノリクラリと皇位を乗っ取った・・・
 「古事記の歌垣」では
 袁祁王(をけのみこ・顕宗天皇)が
 菟田首(うだのおびと)の娘の
 大魚(おうお)をめぐって、
 志毘臣(しびのおみ)と「恋の鞘あて」と記録・・・?
ーー↓
 奈良県香芝市今泉にある
 傍丘磐坏丘北陵が
 (かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ・延喜式
 顕宗天皇の傍丘磐坏丘南陵に対応する陵号とされ
 「片岡之石坏岡(古事記)」、
 「傍丘磐坏丘陵(日本書記)」とある
 この二陵と
 孝霊天皇
 片丘馬坂陵とを合わせて
 片岡三陵と呼ばれ・・・
 武列天皇
 継体天皇二年十月に奉葬・・・
 明治二十二年(1889年)現陵が治定
 ↓
 武列天皇古事記
 天皇既に崩りまして、
 日続(ひつぎ)知らすべき王(みこ)無かりき。
 故、
 品太(ほむだ)天皇の・・・・・・誉む本は他
 五世の孫、
 袁本杼命
(おほどのみこと)を・・・袁本杼命
             ホト(女陰)の
               杼「ひ・団栗」
             艶(豊色)本の記の序
             どんぐり→
             クヌギ・カシ・ナラ・カシワ等の
             果実の総称
             ドングリは全てブナ科の果実
             ↓ ↓
             貪 庫裏=庫裡・具理・愚理・繰
               寺院の台所・食事を調える建物
               庫院(くいん)
               坊主やその家族の住む場所
             ↓
            ドン・・・爆発音・黍を圧縮破裂させた菓子
             ↓
            a boss (figure)a powerful leader
            a political boss
            ロシアの河川の名前・・・静かなるドン・・・
            流域は遊牧民族スキタイ人の発祥の地
            南西のアゾフ海へと注ぐ
            運河で
            ヴォルガ河と連結
            丼= a bowl
            スペイン語=君・殿・様
            (Don Juan・Don Quixote)
            don't=do not
            ドナー (donor)
            提供者
            ラテン語=donator・dono・donare
            贈り物をする・贈呈者
            医療で臓器提供者
            ドナタですか?            
 近つ淡海国より
 上りまさしめて、
 手白髪命に合わせて、
 天の下を授け奉りき。
ーー↓「日本書記・原文」・・・添付・・・
 日本書紀・巻第十六
 小泊瀬稚鷦鷯天皇
 武烈天皇
 小泊瀬稚鷦鷯天皇
 億計天皇(の)太子也。
 母、曰(いわく・いはく)
 春日大娘皇后。
 億計天皇
 七年、
 立爲皇太子。
 長好刑理。・・・長じて経理が好き
 法令分明。・・・法律も弁えている
 日晏坐朝、
 幽枉必達。・・・ボンヤリ曲げるが得意
         結う紀の横(よこしま)、比通達
 斷獄得情。・・・ゴクを断ってジョウを得る
         誤句を断って定を得
         談語句胡帖
 又
 頻造諸惡。・・・頻繁に諸々悪行を造り
         品蔵書握
 不修一善。・・・一つも善き事を修めず
         腐臭已然
 凡諸酷刑、・・・蕃所國形
 無不親覽。・・・武付審蘭
 國內居人、
 咸
 皆震怖。
 十一年
 八月、
 億計天皇崩。
 大臣
 平群眞鳥臣、
 專擅國政、
 欲
 王日本。
 陽
 爲
 太子營宮。
 了卽自居。
 觸事驕慢、
 都
 無臣節。
 於是、
 太子思欲聘
 物部麁鹿火大連(の)女
 影媛、
 遺媒人、向
 影媛宅期會。
 影媛
 會
 姧
 眞鳥大臣(の)男
 鮪。
 鮪、此云茲寐。・・・鮪(しび)とは、(水銀)マグロ?
     此を「茲寐」と云う?     赤丹
           ↓
           茲=ここに・しげる・ます・ジ
             此処に・是に・爰に・茲に
             ある時点・場所をさす
             この時にあたり・この所で
             兹の異字体
             ↓
             蕬(サ糸糸)→サ=艸(くさ・ソウ)
             玆(サ幺幺)→廾=こまねく・キョウ・ク
             茊(サ丘)→サ→「++」
             ↓
             旧約バベルの塔
             十一章二
             茲に人衆東に移りて
             シナルの地に平野を得て
             其處に居住り
             ↓
        ここもと=茲許
ーーーーーーーーーーーーー↓
           亀井茲監
           石見
           津和野藩の
           第十一代
           文政八年(1825年)十月五日
           筑後久留米藩
           第九代藩主
           有馬頼徳の六男
           天保十年(1839年)に
           津和野藩の
           第十代藩主
           亀井茲方の養子
           天保十一年(1840年)二月
           従五位下隠岐守に叙位・任官
           ↓
           亀茲(きじ・くし・きゅうし)
           中国(東トルキスタン)の
           オアシス都市国家→オ・アシ・ス
           ウイグル自治区
           アクス地区クチャ県(庫車県)付近
           タリム盆地の北側(天山南路)に位置
           丘茲・屈茲とも記録
           ↓
           細川斉茲(ほそかわなりしげ)
                再選 歳時(祭事・細字)
           肥後国
           熊本藩
           第八代藩主
           熊本藩
           細川家九代
           元は
           宇土藩細川家の
           第六代藩主
           細川立禮(たつひろ)を名乗っていた
           ↓
           亀井茲建(かめい これたて)
           旧津和野藩主亀井家第十五代当主・伯爵
           ↓
           衛茲(えい じ)・・・・英字・永字
           ?〜初平元年(190年)
           後漢時代末期の武将・政治家
           字は
           子許・・・・←ここもと=茲許→児許
           豫州
           陳留郡・・・←陳列=肆=四
           襄邑県の人・←襄の邑→新島襄×八重
           子は衛瑧
           張邈の配下
           同郡の孝廉に推挙
           ↓
           亀井茲明(かめい これあき・ジメイ)
           文久元年六月十五日(1861年7月22日)
            〜
           明治二十九年(1896年)7月18日)
           官僚、写真家
           石見国津和野藩主の
           亀井伯爵家
           第十三代当主
           父は孝明天皇の側近の
           藤原北家
           藤原堤哲長
           兄は甘露寺家の養子の
           松崎万長
           兄弟に堤雅長、津守国敏
           妻は
           日向国
           飫肥藩の・・・・飫=あきる・オ・ヨ
                     厭きる・飽きる
                     安芸留・亜紀留
           第十三代藩主
           伊東祐相の娘
           子に
           亀井茲常
           ・・・「茲」であるかな・・・「寐」・・・
          「寐」=ねる・ねむる・ビ
              寤寐(ゴビ)・夢寐(ムビ)・・・
           寝台、寝室の「寝(ねる・シン)」に類字するけれど
           同音異字の熟語なら
          「新題・神代・身代・清代・信大」、
          「診室・心室・審疾・新漆・新執」だろう・・・
ーーーーーーーーーーー↓
          「寝台車」は
    1838年、アメリカのペンシルベニア州周辺の
          複数の鉄道会社が寝台車の運行
    1858年、ウッドラフ商会が寝台車運行を専門
    1859年、英国のプルマン社は1865年にパイオニア号を制作
          1874年、英国で寝台車の営業運行
          1899年に競合会社、ワグナーパレスカー社を買収
                アメリカで独占的企業となった
    1872年、大陸ヨーロッパの寝台車運行は、ベルギー人の実業家の
          国際寝台車会社(ワゴン・リー社)、
          ジョルジュ・ナゲルマケールスが設立運行
    1883年、「オリエント急行」の運行開始
          「アガサ・クリスティ」の「ポワロ」です
     ↓
    日本初の丘蒸気(汽車)の寝台車
    1900年(明治三十三年)4月
    山陽鉄道の一等寝台車
    1903年(明治三十六年)10月
    官設鉄道の一等寝台車は
    全区分室の寝台車
    1908年(明治四十一年)
    南満州鉄道最初の寝台車である
   「イネー1」は
    開放式寝台車であった・・・
ーー↓
 恐違
 太子所期、報曰、
 妾望、
 奉待
 海柘榴市巷。・・・「つばきち」、「つばいち」と読む
           奈良県桜井市
           三輪山の南西に所在
           してた古代の市
          「海石榴市の八十衢(やそのちまた)・万葉集
           推古十六年(608)条
           難波より大和川を遡上してきた
           隋使
          「裴世清」一行を
           海石榴市の街(ちまた)で迎えた・・・
            ↓
          「海柘榴」がナゼ「つばき」と訓じるのか?
           柘榴(ザクロ)=石榴・若榴
           学名は「Punica granatum」
           ザクロ科ザクロ属の落葉小高木、その果実
           ザクロはパックリと実が割れる・・・だろう・・・
           ざくろ→坐(座)句賂、さぐろ、探ろうだろう・・・
           頓挫、捻挫の意味である・・・
ーー↓
 由是、
 太子
 欲
 往期處。
 遣近侍
 舍人、
 就
 平群大臣宅、
 奉太子命、
 求索・・・・・・・求める検索の
 官馬。・・・・・・カンバ・・・巻(奸)の葉(場)
 大臣
 戲言
 陽
 進曰、
 官馬
 爲
 誰
 飼養、
 隨命而已、
 久之
 不進。
 太子懷恨、
 忍不・・・・・・妊婦
 發顏。・・・・・発癌・発汗
 果之
 所期、
 立歌
 場衆、
 歌場、
 此云宇多我岐。・・・コレをウタガキと云う
 執
 影媛
 袖、
 躑躅・・・・・ツツジ躑躅)→羊躑躅(ヨウテキチョク)
        毒性のあるツツジを羊が食べ、
        足踏(ぶみ)みし、モガキ、蹲(うずくま)ってしまった
        この状態が「躑躅(テキチョク)」
       「つつじ」とナゼ、訓じるんだか?
          ↓
       「ツツジ色」の
        ピンクの鮮やかさを「アザレア」色→薄めの血の色
          ↓
        元禄五年(1692年)
        伊藤伊兵衛により刊行された
       「錦繍枕」は世界最古のツツジ、サツキ専門書
          ↓
       「躑躅(つつじ)」の
       「地歌箏曲)」は
        元禄七年(1694年)に死んだ
        佐山検校の作曲
        伊藤伊兵衛と同時代の音楽家
        歌詞中に「ツツジ」が
        二十二品種詠み込まれている・・・
        通辻、通津路
        筒字、銃字・・・鉄砲の炸裂・・・?
        躑=足+奠+邑
        躅=足+蜀(いもむし・ショク・ゾク)
            蜀=罒(網)+勹+虫(中ム)
ーー↓
 從容。
 俄而
 鮪
 臣來、
 排
 太子
 與
 影媛
 間立。
 由是、
 太子
 放
 影媛
 袖、
 移向前、
 立直
 當
 鮪。
 歌曰、
 之裒世能、儺鳴理鳴彌黎麼、
 阿蘇寐倶屢、思寐我簸多泥儞、
 都摩陀氐理彌喩。
 一本、
 以之裒世易彌儺斗。
 鮪答歌曰、
 飫瀰能古能、耶陛耶�剏羅�剏枳、
 瑜屢世登耶瀰古。
 太子歌曰、
 飫裒陀㨖鳴、
 多黎播枳多㨖氐、
 農�剏儒登慕、須衞婆陀志氐謀、
 阿波夢登茹於謀賦。
 鮪臣
 答歌
 曰、
 飫裒枳瀰能、耶陛能矩瀰�剏枳、
 �剏々梅騰謀、儺嗚阿摩之耳彌、
 �剏々農倶彌柯枳。
 太子歌曰、
 於彌能姑能、耶賦能之魔柯枳、
 始陀騰余瀰、那爲我與釐據魔、
 耶黎夢之魔柯枳。
 一本、
 以耶賦能之魔柯枳易耶陛�剏羅�剏枳。
 太子
 贈
 影媛
 歌曰、
 舉騰我瀰儞、枳謂屢箇皚比謎、
 拕摩儺羅磨、婀我裒屢柁摩能、
 婀波寐之羅陀魔。
 鮪臣
 爲
 影媛
 答歌曰、
 於裒枳瀰能、瀰於寐能之都波拕、
 夢須寐陀黎、陀黎耶始比登謀、
 阿避於謀婆儺倶儞。
 太子
 甫知
 鮪
 曾
 得
 影媛。
 悉覺父子無敬之狀、
 赫然大怒。
 此夜、速向
 大伴金村連宅、會兵計策。
 大伴連、將數千兵、傲之於路、
 戮
 鮪臣
 於
 乃樂山。
 一本云、
 鮪
 宿
 影媛舍、卽夜被戮。
 是時、
 影媛
 逐行
 戮處、
 見是戮已。
 驚惶失所、
 悲淚盈目。
 遂
 作歌曰、
 伊須能箇瀰、
 賦屢嗚須擬底、
 舉慕
 摩矩羅、・・・・・まくら・枕・真句等?
 柁箇播志須擬、
 慕能娑幡儞、
 於裒
 野該須擬、
 播屢比、
 箇須我嗚須擬、
 逗摩御暮屢、
 嗚佐裒嗚須擬、
 拕摩該儞播、
 伊比佐倍母理、
 拕摩暮比儞、
 瀰逗佐倍母理、
 儺岐曾裒遲喩倶謀、
 柯㝵比謎阿婆例。
 於是、
 影媛
 收埋既畢、
 臨欲還家、悲鯁而言、
 苦哉、今日、
 失
 我
 愛夫。
 卽便灑涕愴矣、
 纏心
 歌曰、
 婀嗚儞與志、
 乃樂能婆娑摩儞、
 斯々貳暮能、
 瀰逗矩陛御暮梨、
 瀰儺曾々矩、
 思寐能和倶吾嗚、
 阿娑理逗那偉能古。
 冬十一月
 戊寅朔戊子、
 大伴金村
 謂
 太子曰、眞鳥賊、可擊。請討之。
 太子曰、天下將亂。非希世之雄、不能濟也。
 能安之者、其在連乎。
 卽與定謀。
 於是、大伴大連、率兵自將、圍大臣宅。
 縱火燔之。
 所�堊雲靡。
 眞鳥大臣、恨事不濟、知身難兔。
 計窮望絶。廣指鹽詛。遂被殺戮。
 及其子弟。
 詛時
 唯忘
 角鹿海鹽、不以爲詛。
 由是、
 角鹿之鹽、爲天皇所食、
 餘海之鹽、爲天皇所忌。
 十二月、大伴金村連、平定賊訖、反政太子。
 請上
 尊號曰、
 今
 億計天皇子、
 唯有陛下。
 億兆欣歸、曾無與二。
 又頼皇天翼戴、淨除凶黨。
 英略
 雄斷、
 以
 盛天威天祿。
 日本必有主。
 主日本者、非陛下而誰。
 伏願、陛下仰答靈祗、弘宣景命、光宅日本。
 誕受銀郷。
 於是、
 太子命有司、
 設
 壇場
 於
 泊瀬列城、陟天皇位。
 遂
 定都焉。
 是日、
 以
 大伴金村
 爲
 大連。
 元年春三月丁丑朔戊寅、
 立
 春日娘子
 爲
 皇后。
 未詳
 娘子父。
 是年也、
 太歲己卯。
 二年秋九月、
 刳
 孕婦
 之
 腹、・・・・・・帝王切開
 而
 觀
 其胎。
 三年冬十月、
 解
 人指甲、・・・・骨折切除
 使掘暑預。
 十一月、詔
 大伴室屋大連、
 發言
 濃國男丁、作城像於水派邑。仍曰城上也。
 是月、
 百濟
 意多郎
 卒。
 葬於高田丘上。
 四年
 夏四月、
 拔
 人頭髮、
 使
 昇樹巓。
 斮倒樹本、
 落死昇者爲快。
 是歲、
 百濟
 末多王
 無道、暴虐百姓。
 國人
 遂
 除、
 而立
 嶋王。
 是爲
 武寧王
 百濟
 新撰云、
 末多王
 無道、
 暴虐百姓。
 國人共除。
 武寧王立。
 諱
 斯麻王。
 是
 混支王子
 之
 子。
 則
 末多王
 異母兄也。
 混支
 向倭。
 時至
 筑紫嶋、
 生
 斯麻王。
 自
 嶋還送、
 不至於京、
 産
 於
 嶋。
 故
 因名焉。
 今
 各羅
 海中
 有
 主嶋。
 王
 所産
 嶋。
 故
 百濟人
 號爲
 主嶋。
 今案、
 嶋王
 是
 蓋鹵王
 之
 子也。
 末多王、
 是
 混支王
 之
 子也。
 此曰
 異母兄、未詳也。
 五年夏六月、
 使人
 伏入塘楲。
 流出
 於外、
 持
 三刃
 矛、
 刺殺
 爲快。
 六年秋九月乙巳朔、
 詔曰、
 傳國之機、立子爲貴。朕無繼嗣。何以傳名。
 且依
 天皇舊例、
 置
 小泊瀬舍人、使爲代號、
 萬歲難忘者也。
 冬十月、
 百濟國
 遣
 麻那君
 進調。
 天皇以爲、百濟歷年不脩貢職。留而不放。
 七年春二月、
 使人昇樹、
 以
 弓射墜而咲。・・・・神代で
 ↓         天孫降臨に先だち、高天原から
           葦原の中つ国の平定に遣わされた神
          「天若比古」の音沙汰もなく
           出雲に降ったままなので、
           二番手の派遣として
           天津国玉神の子の
           天若日子を派遣したが、これも
           復命せず、           
           天若日子を訊問するタメ
           雉鳴女(きぎしのなきめ)を派遣するが
           天探女(あめのさぐめ)に唆され
           これを
           天若日子射殺してしまったが
           天まで射抜いた矢で
           高御産巣日神がこの矢を
          「返し矢」として
           天若日子を殺してしまう・・・
ー↓ーーーーーーーーー↓古事記原文
  爾思金藭及八百萬藭、議白之、
  天菩比藭、是可遣。
  故、遣天菩比藭者、乃媚附大國主藭、
  至于三年、不復奏。
  是以高御產巢日藭、天照大御藭、
  亦問諸藭等、所遣葦原中國
  之
  天菩比藭、久不復奏。
  亦使何藭之吉。爾思金藭答白、
  可遣天津國玉藭之子、
  天若日子
  故爾以天之麻迦古弓、
  自麻下三字以音。
  天之波波此二字以音。
  矢、賜天若日子而遣。
  於是
  天若日子、降到其國、
  卽娶大國主藭之女、
  下照比賣、
  亦慮獲其國、
  至于八年、不復奏。
  故爾
  天照大御藭、高御產巢日藭、亦問諸藭等、
  天若日子、久不復奏。
  又遣曷藭以問天若日子之淹留所由。
  於是諸藭及思金藭、
  答白可遣
  雉名
  鳴女時、詔之、
  汝
  行問
  天若日子狀者、
  汝所
  以使
  葦原中國者、
  言
  趣和
  其國之荒振藭等之者也。
  何至于八年、不復奏。
  故爾
  鳴女、
  自天降到、
  居
  天若日子之門
  湯津
  楓上而、
  言
  委曲
  如
  天藭之詔命。
  爾
  天佐具賣、此三字以音。
  聞此鳥言而、
  語天若日子言、
  此鳥者、
  其
  鳴音甚惡。
  故、
  可射殺云進、
  卽
  天若日子
  持
  天藭所賜
  天之
  波士弓、・・・葉詞句
  天之
  加久矢、・・・掛句也
  射殺
  其
  雉。・・・・・記事
  爾其矢、
  自
  雉胸通而、
  逆射上、
  逮坐天安河之河原、
  天照大御藭、
  高木藭之御所。・・海軍軍医
           高木兼寛
           明治五年(1872)4月
           海軍医務行政の中央機関の
           海軍軍医寮(海軍省医務局)の
           幹部
           石神良策の推挙で、
           一等軍医副(中尉相当官)になった
           として海軍に入った
           脚気がビタミンの欠乏症であることを
           研究した
           最終階級は海軍軍医総監(軍医中将相当)
  是
  高木藭者、・・・・公僕・坑木・香木
  高御產巢日藭・・・高句麗
           高麗の音(怨)を結審
           高音算素秘訊
  之
  別名。
  故、高木藭、
  取其矢見者、血著其矢羽。
  於是
  高木藭、告之此矢者、
  所賜
  天若日子之矢、
  卽示諸藭等詔者、
  或
  天若日子
  不誤命、
  爲射惡藭之矢之至者、
  不中(あたらず)天若日子
  或有邪心者、
  天若日子
  於
  此矢
  麻賀禮。・・・まがれ
  此三字以音。
  云而、取其矢、
  自其矢
  穴衝返下者、
  中(あたる)
  天若日子
  寢朝床
  之
  高胸坂・・・高教反・公共反・高(野)共犯?
       (高橋・高市)の坂(坂本)
        忠臣蔵の高氏の吉良上野介の重犯
  以死。
  此
  還矢之・・・監視・看視・環視・干支・巻史
        関氏・看視・冠詞・漢詩
        諫死・諌止
        鉗子(カンシ)
        外科手術用の組織や器物を把持する
        鋏形の金属器具の総称
        小さいものがセッシ、
        大きなものがカンシ
        刃のない鋏状のモノで
        ピンセットに似るが
        モノをハサミ取る先っぽが平たい
  本也。
  亦其
  雉不還。
  故
  於今
  諺曰
  雉・・・・・吉士(新羅の官位)・阿倍臣配下に帰属
        記事・生地・木地
  之
  頓使・・・・無駄、無益な使い走り
  是也。
ーー↓           
 夏四月、
 百濟王
 遣期我君進調。
 別表曰、
 前進調使
 麻那(マナ)者、
 非
 百濟國主之骨族也。
 故謹遣斯我、奉事於朝。
 遂有子、
 曰
 法師君。
 是
 倭君
 之
 先也。
 八年春三月、
 使
 女躶形、坐平板上、
 牽馬
 就前
 遊
 牝。
 觀
 女
 不淨、
 沾濕者殺。
 不濕者
 沒
 爲
 官婢。
 以此爲樂。及是時、穿池起苑、以盛禽獸。
 而好
 田獵、
 走狗試馬。
 出入
 不時。
 不避大風甚雨。
 衣温
 而忘百姓之寒、
 食美
 而忘天下之飢。
 大進侏儒倡優、
 爲
 爛漫之樂、
 設
 奇偉之戲、
 縱靡々之聲。
 日夜常與宮人沈湎于酒、以錦繡爲席。衣以綾紈者衆。
 冬十二月壬辰朔己亥、
 天皇崩于列城宮。 
ーーーーー↓
 枕草子
 (一五七段)

 名
 おそろしき
 もの
 青淵。
 谷の洞。
 鰭板。
 鐵。
 土塊。
 雷は
 名
 のみ
 ならず、
 いみじう
 おそろし。
 暴風。
 ふさう
 雲。
 ほこぼし。
 おほかみ。
 牛はさめ。
 らう。
 ろうの長。
 いにすし。
 それも
 名の
 みならず、
 みるも
 おそろし。

 繩筵。
 強盗、
 又
 よろづに
 おそろし。
 ひぢかさ
 雨。
 地楊梅。
 生靈。
 鬼
 ところ。
 鬼蕨。
 荊棘。
 枳殻。
 いりずみ。
 牡丹。
 うし
 おに。
ーーーーー
 ・・・うしおに・・・牛嗚爾・・・モウ〜・・・主は鬼・・・潮の丹・・・