1222日目・・・1951年7月5日・・・あべじゅんこ・・・岩手県一関市・・・旭川・・・ナゼ?・・・ザンネンです・・・

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年干支・・・辛 卯(甲・ ・乙)
年天干変通 正財・・↓地支蔵干変通  12運
年蔵干・・・・・卯(偏印・ ・印綬)・沐浴
ーー
年月支関係・・・破
ーー
月干支・・・甲 午(丙・ ・丁)
月天干変通 偏印・・↓地支蔵干変通  12運
月蔵干・・・・・午(比肩・ ・劫財)・帝旺
      格式変通・・・羊刃帝旺格
ーー
月日支関係・・・刑
ーー 
日干支・・・丙 午(丙・ ・丁)寅卯←空亡
日天干変通 比肩・・↓地支蔵干変通  12運
日蔵干・・・・・午(比肩・ ・劫財)・帝旺
ーー
        午月日生
        害
70迄   辛 丑(癸・辛・己)
      正財
      干合
      丙日生
ーー
        卯生
      癸 巳(戊・庚・丙)年
      正官年
        午生
      庚 申(己・壬・庚)月
      偏財月
        午生
      庚 申(己・壬・庚)日
      偏財日
        午生沖
        丙子(壬・ ・癸)時
      比肩時
        壬午(丙・ ・丁)時
      偏官時(刑)
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 枕草子
 (一一六段)・・・百十六・壱佰壱拾六・壱壱六・陌足陸
          1+1+6=8=八=捌
          1×1×6=6=六=陸

 卯月の・・・有詐欺(詐偽)解通之
 晦日に、・・・みそかに→みそ(きっと視てくれ)比の爾
 長谷寺に・・・長と谷の字(時・事・辞・治・児)爾
        はせでら→葉施出等
 まうづ・・・・真得事
 とて、・・・・徒手・賭手
 淀の渡・・・・予土の話他理→伊予・土佐
        淀(よどむ・テン・デン)=氵+定
 といふ・・・・渡委付
ーーー↓
  とい・土肥・問
  いふ・委付・移付・異附・畏怖・異父
ーーー
 ものを
 せし
 かば、
 船に・・・付音爾
 車・・・・くるま・句留真・シャ・写・者・捨
 を・・・・緒・於・嗚
 かき・・・化記・掛記
 居ゑて・・言えて・意得出
 ゆくに、・・行く爾(字・自)
 菖蒲・・・・尚武・勝負
 菰・・・・・こも・古摸・故模
 などの・・・等・名度
 末・・・・・据え・まつ・俟つ(期待)・待つ・真通
 みじ・・・・視字
 かく・・・・可句・化句・掛句・書く
 見えし・・・視重詞
 を、・・・・於
 取らせ・・・渡等施
 たれ・・・・他例
 ば、・・・・葉・場
 いと・・・・意図
 長・・・・・ながい・名臥意・チョウ・調・おさ・訳語
 かり・・・・仮
 ける。・・・懸留
 菰・・・・・古摸・故摸・拠模・胡摸
 つみ・・・・通視
 たる・・・・他留・多留・汰流
 船の
 あり
 きし・・・・記詞
 こそ、
 いみじう・・意味字得
 を・・・・・於・措
 かりし・・・仮詞・借詞・化理詞
 かりか。・・借り化
 高瀬の・・・焚かせ之・炊かせ埜・・・高瀬舟
 淀に
 は、
 これを
 よみ
 ける
 な
 めりと
 見え
 し。
 三日・・・みっか・視通化・サンニチ・纂爾知
      サンジツ・纂実(實=宀+貫→毌+目+ハ)
      纂 字通 
 とい
 ふ
 に
 歸る・・・かえる・・・帰=出戻り女
ーー↓ーーー↓
      変える・代える・換える・替える
      蛙=フロッグ・anuran・frog・padda
      かえる=蛙
      a frog=雨蛙
      a tree frog=ひき蛙
      a toad=殿様蛙
      a leopard frog=食用蛙
      an edible frog=牛蛙
      a bullfrog=蛙が鳴いている
            A frog is croaking.
      日本語の「かえるの合唱」では
      「かえるのうたがきこえてくるよ」  
      「クワ、クワ、クワ、クワ」→「クワ」が四回
      「ケケケケ、ケケケケ」→「ケ」が八回
      「クワ、クワ、クワ」→「クワ」が三回
      「クワ」=句和・句話・句把・句倭・桑・鍬・九話
      「ケ」=化・懸・卦・仮・気
      他には
      「ゲロゲロ」、「ケロケロ」
       解賂解呂   化賂・懸賂・仮路
      「グワッ」、「クワッ」
       愚話通   苦話通
        ↓
     「三竦み=さんすくみ」の関係(強弱→キョウジャク)
      カエル(変える)はヘビ(経備)に弱く、
      蛙        蛇  よわく=与和句・与枠
                  ジャク=邪句    
      ヘビ(経備)はナメクジ(名目句字)に弱い
      蛇      蛞蝓   よわい=預話意
                  ジャク=若→わかイ・和歌意
      ナメクジ(名目句字)はカエル(替える)に弱し
      蛞蝓       蛙  よわし=代和史
                  ジャク=惹→ひく・比句
       ↓
      古事記
      邇邇芸命
      ニニギのミコト→爾邇義(戯・偽・疑・技)之視拠渡
      ニニゲイのメイ→似爾解意之名
      ニニゲイのイノチ→似爾解意之異之地(知)
      ニニゲイノイノチ→似字解意之意、埜知
      が降り立った所
      竺紫日向之高千穂之(つくしのひむかのたかちほの)
      久士布流多気(くじふるたけ)→句字振る他懸
      日本書記
        日向襲之(ひむかのその)→比武掛、之、推そう、廼
          襲(おそう・かさねる・シュウ)之(シ)→修史
        日向(ジッキョウ・実況・実教
           ジッコウ・実行・実効
           ニッコウ・日光・日航・日工
           高千穂峯(たかちほのたけ)
                「多寡・他掛」知補の他懸
      槵触之峯(くじふるのたけ)→句字振埜他懸
           カンショクノホウ→漢蜀之邦
      公事(久慈・九児・九字・九次・久地・籤)
      槵=木+患(むく・わずらう・カン)
      槵日(くしひ)→駆使・九史・矩示
           高千穂之峯(たかちほのたけ)
           コウチホシホウ→後置補史補得
           高知・拘置・公知・巧緻・河内・耕地
      −−↓
      カエル
      蛙(虫+圭)→中+一+圭
      蛤(虫+合)→中+一+合
      蝦(虫+叚)→中+一+叚(反・假=仮)
      蛙(かえる・かわず・ア・ワ)
      蛤(はまぐり・コウ)
      蝦(えび・カ・ゲ)
      かえる(蛙)
      かわず(蛙)
      かはづ(蛙)
      かいる(蛙)
      蛙(あまがへる)
      蟆(ひきがえる)
      蟇・蟾蜍(ひきがへる)
      蟾(ひき)
      蝦蟇(がま)
      蛤蟆(虾蟆)→虫下+蟆
      癞蛤蟆(がまがえる・ライコウマ・ライコウバ)
      河鹿(かじか)
      カエル・frog (かわず)
      河鹿蛙(かじかカエル)
      カジカガエル・・・掛字化替える→佳字化←地名
     (河鹿蛙、金襖子、Buergeria buergeri)
      「河鹿蛙」の当て字は
      鳴声が美声で河辺に棲む雄鹿に似ていることから
      Amphibians, such as frogs and salamanders,
       are capable of living on land and in water.
      蛙や山椒魚のような両生動物は
      陸でも水中でも生息する能力を持っている
      「金襖子」がナゼ「カジカガエル
       ↓
      「襖子(からかみ)」→襖(ふすま→衾→同衾)      
      「襖子=あおし」は「襖(あお)」に同じ
      「襖」の字音「あう」の音変化
      両方の脇(わき)をあけたままで、
      縫い合わせず、襴(らん)のない古代の上着
      位階相当の色によるものを位襖(いあお)
      武官の礼服や朝服に用いた
      わきあけの衣(ころも)
      闕腋(けってき)の袍(ほう)
      狩襖(かりあお)」の略で「狩衣(かりぎぬ)」
      袷(あわせ)の衣・綿を入れたもの
      襖子(あおし)
      「金襖子(きんおうじ)」は、中国の故事
      「胡服」の皮が上等品の錦の上着(錦襖)のようだ
      としたことから・・・?
      この「皮・革」は「鹿皮」だった?→「河鹿蛙」
      錦(にしき)の「襖(ふすま)」・・・
      「河鹿蛙」
      かわじカエる→川路聖謨(かわじとしあきら)
      蟇(ひきがえる・バ・マ)→謨(はかる・ボ・モ)
        蟇=莫+虫(中ム)
      謨=言+莫(ない・なかれ・バク・マク)
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      川路聖謨(カワジセイバク・カワジショウバク)
      享和元年四月二十五日(1801年6月6日)
          〜
      慶応四年三月十五日(1868年4月7日)
      改名 弥吉、萬福、聖謨
      戒名 誠格院殿嘉訓明弼大居士
      墓所 東京都台東区大正寺
      官位 従五位下左衛門少尉、贈従四位
      江戸幕府
      勘定組頭格
      寺社奉行
      吟味
      物調役
      勘定吟味役
        ↓
      佐渡奉行→小普請奉行
      普請奉行→奈良奉行→大坂東町奉行
      勘定奉行→西丸留守居外国奉行
      主君 徳川家斉→家慶→家定→家茂
      氏族 内藤氏→川路氏
      父は
      豊後国日田(大分県日田市)
      日田代官所属吏
      内藤吉兵衛歳由の長男
      母は
      高橋誠種の娘
      養父は
      川路光房
      兄弟は
      川路聖謨
      井上清
      内藤由章
      妻 正室=桑原政盈の娘「エツ」
        継室=市川常春の娘「やす」
       継々室=高橋兵左衛門の娘「かね」
      継々々室=大越喬久の娘「さと子」
      子は
      彰常・原田種倫・新吉郎・原田又吉郎
     「くに(高山貞通室)」、「のぶ(貴志忠孝室)」
      江川英龍渡辺崋山らと共に
      尚歯会に参加したが
      天保十年(1839年)の
     「蛮社の獄」の連座を免れた
      奈良奉行時代に神武天皇陵の捜索
     「神武御陵考」を著し朝廷に報告
      嘉永六年(1853年)
      阿部正弘により
      海岸防禦御用掛に就任
      長崎に来航した
      ロシア使節
      エフィム・プチャーチンとの交渉を
      幕閣と共に担当し、
      安政元年(1854年)
      下田で
      日露和親条約に調印
      安政五年(1858年)
      堀田正睦に同行して上洛するが
      日米修好通商条約の承認は失敗し
      条約は
      弟の
      井上清直と
      岩瀬忠震
      朝廷の無承認のまま
      タウンゼント・ハリスと調印
      川路聖謨
      西丸
      留守居役に左遷
      安政六年八月二十七日
      その役も罷免、隠居差控
      文久三年(1863年)
      勘定奉行外国奉行に復帰するが
      四ヶ月で役を辞任引退
      中風による半身不随や
      弟の
      井上清直の死などで
      ーー↓
       井上清直(いのうえ きよなお)
       文化六年(1809年)
         〜
       慶応三年十二月二十五日(1868年1月19日)
       内藤歳由の三男
       安政二年(1855年)
       老中
       阿部正弘の信任を得て下田奉行に就任
       後、外国奉行を兼任
       てロシア・フランス・イギリスとも通商条約を締結
       安政六年(1859年)
       井伊直弼によって小普請奉行に左遷
       その後
       軍艦奉行
       文久二年(1862年)
       南町奉行に就任
       元治元年(1864年)
       三度目の外国奉行を経て
       勘定奉行公事方に転任
       慶応二年(1866年)
       関東郡代
       北町奉行に転任
        ↓
       幕府御家人
       井上新右衛門の養子
       川路聖謨実弟
      ーー↓
      川路聖謨
      慶応四年(1868年)三月十五日
      割腹の上ピストルで
      喉を撃ち抜いて自殺
      享年68
      慶応四年三月十五日は
      新政府軍の江戸総攻撃の予定日
      江戸城開城が決定したことを知らず、
      自決した
      辞世の句は
     「天津神に背くもよかりつみ飢えにし人の昔思へは」
          「蕨=わらび→和羅備」つみ(罪)
     「徳川家譜代之陪臣頑民斎川路聖謨」と自書
     「頑民」=道理を弁えず、人の言葉を不聞、無視する民
ーーーーー
   ・・・頑固な陪臣(家来)と言うコトだが、「斎(齋)は、
  「斎(いつき)・物忌(ものいみ→摸之意味)で
  「潔斎(ケッサイ)」し、神に仕えるコトことで・・・
  「斎(とき)」は仏教寺院の食事、仏事の料理、斎食、精進料理
  「斎王」、「斎皇女(いつきのみこ)」は、
   伊勢神宮賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の皇女、王女である
ーー↓井上清直・・・?
 「井上内親王」・・・第四十九代「光仁天皇」の皇后、元「斎王」で、聖武天皇の第一皇女で、母は夫人県犬養広刀自。 「伊勢斎王」・・・
 ・・・別名、井上廃后、吉野皇后、井上大皇后・・・
 「安倍内親王(称徳女帝)」の異母姉の「井上内親王」であった・・・コレは「井上清直」の事情(治定・字乗)の説明カモ・・・
ーー↓枕草子のツヅキ・・・清少納言・・・
 に、・・・・似
 雨の・・・「アメ・アマ・ウ」之(乃・廼・埜)
 いみじう・意味字得
 降り・・・振り・付利・不離
 しかば、・詞化葉
 菖蒲・・・ショウブ
       ↓
      尚武(勝負)・証部・章部・唱分
       ↓
      菖蒲
     (あやめ・多年草・六月ごろ紫色または白色の花を開く)
      はなあやめ
     「あやめ」を「菖蒲」の字に当てるのは漢名からの誤用
      和名は
     「文目(あやめ)」で、葉に文目模様があることから
      「ショウブ」と読めば別の植物をさす
       ↓
      サトイモ科の多年草
      葺草(ふきくさ)
      日本では古くから邪気を払うものとして、
      端午の節句に屋根に
      葺(ふ)いたり、
      鬘(かずら)に挿したりした。
     「花菖蒲」は花が咲く菖蒲
      菖(ショウ・シャウ)
      草の名
      菖蒲(ショウブ)
      石菖(セキショウ
      菖蒲(あやめ)とヨムのは誤用
      蒲(がま)→蝦蟇蛙(ガマかえる)
ーー↓
 かる・・・化留
 とて、・・渡手
 笠の・・・化作之・リュウの・隆之・・・リュウのスベテ
 いと・・・意図
 ちひさき・知比作記・知意差記
 を
 著て、
 脛・・・・すね・諏音
 いと・・・意図
 たかき・・他化記・・・高木・高来
            隆樹・孝樹
          西郷隆盛木戸孝允桂小五郎
 男・・・・音拠
 童・・・・わらべ・話等部・ドウ・同・如何
 などの・・等之
 ある
 も、
 屏風の・・描付得之
 繪に・・・重爾・得爾
 いと・・・意図
 よく
 似
 たり。・・足・他理・汰理・多理
ーー
 井上 馨(聞多)
 天保六年十一月二十八日(1836年1月16日)
  〜
 大正四年(1915年9月1日)
 幼名は勇吉
 通称を聞多(長州藩毛利敬親から拝受)
 諱は惟精(これきよ)
 長州藩士・政治家・実業家
 本姓は源氏
 清和源氏の一家系
 河内源氏の流れ
 安芸国
 毛利氏家臣
 井上氏
 桂太郎は娘婿
 第一次長州征伐では
 武備恭順を主張したために
 元治元年(1864年)九月二十五日に
 俗論党の
 椋梨藤太に襲われ
 (袖解橋の変
 瀕死の重傷を負った。
 芸妓の
 中西君尾から貰った
 鏡を懐にしまっていた為、
 急所を守ることが出来、
 美濃の浪人で医師の
 所郁太郎の手術を受けて一命を取り留めた。
 このときあまりの重傷に
 聞多は
 兄・五郎三郎に介錯を頼んだ。
 だが母親が血だらけの
 聞多をかき抱き兄に対して介錯を思いとどまらせた。
 この時のエピソードは
 後に
 第五期国定国語教科書に
 「母の力」と題して紹介された・・・ウイイキペデアより引用・・・
ーーーーー
 ・・・命、預けます・・・
 フジケイコ・・・不時馨拠・・・敬(啓)故・・・