1220日目・・・大津事件勃発・・・対ロシアとの「外交」はどうなるのか・・・ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領は、「同性愛のプロパガンダ禁止する法案」成立・・・「同性愛」で「難民」・・・?・・・ウラジーミル(裏字意見る)・プーチン(附得枕)・・・

ーー↓以下はブログ記事からの引用、ちょっと改作して添付
 青木研蔵
 1815〜1870(文化十二年〜明治三年)九月八日
 享年56歳
 青木周弼の実弟で、後に周弼の養子
 天保八年
 兄と共に
 能美洞庵に師事
 長崎に共に遊学し
 蘭医シーボルトに学んだ
 日田の
 広瀬淡窓に儒学、江戸で
 宇田川榛斎、
 伊東玄朴に医学を学ぶ
 周防国大島郡
 和田村で
 父・地下医の
 青木玄棟と
 母の「モン」の次男
 長州藩に種痘の技術を持ち込んだ。敬親の側医を務めたのち、明治二年(1869)には明治天皇の大典医になった。
 長男の兄
 青木周弼
ーー↓
 青木周弼
 享和三年一月三日(1803年1月25日)
   〜
 文久三年十二月十六日(1864年1月24日)
 周防国
 大島郡
 和田村の
 村医
 青木玄棟の長子
 名は邦彦
 号は月橋
 字は周弼
 長州藩医の能美洞庵に医学と儒学を師事
 十八歳で大坂、
 三十歳で江戸に行き、
 深川の
 坪井信道にオランダ語、臨床医を学ぶ
 後、
 宇田川榛斎に師事
 同門に
 緒方洪庵
 1839年
 長州藩
 1842年
 周防医学所の教授蘭学
 医学校の好生館設立に尽力
 1855年
 御側医に昇進
 弟の研藏とともに藩内に
 種痘をし、
 コレラ治療に貢献
 村田清風とも交流
 晩年は江戸で
 西洋医学所頭取就任の
 要請を固辞
 著書に
 「袖珍内外方叢」
 「察病論」など
 高杉晋作
 十歳の時に天然痘を発症し、
 青木周弼の種痘医療により死は免れた
 藩主
 毛利敬親の侍医や医学館の館長
ーーー↓
 青木周弼(兄)→青木研蔵(弟・養子)→青木周蔵(養子・三浦團七)
ーー↓青木研蔵の養子、「青木周蔵」 
 青木周蔵
 天保十五年一月十五日(1844年三月三日)
   〜
 大正三年(1914年)二月十六日
 厚狭郡
 埴生村(山陽町)の医者の子に生まれる
 明倫館に学び、青木研蔵の養子となった。
 ドイツ留学を機に外交官に転じ、
 山県有朋松方正義内閣の
 外務大臣
 1882年(明治十五年)
 伊藤博文のヨーロッパでの憲法調査を助ける
ーーー↓
 青木周蔵(三浦團七)の家庭問題
 養子の周蔵は長年にわたって家を留守にし
 養母(青木周弼夫人)が、
 周蔵の後見人の
 木戸孝允桂小五郎)・・・かつら→鬘、葛
              こごろう→凝ろう
              木戸の曙立王
              ↓
              爾、其の曙立王に名を賜ひて、
              倭者
              師
              木
              登
              美
              豊
              朝倉
              曙立王と
              謂はしめたまひき
ーー↓木戸孝允ーーーーーーー↓古事記
          甜白檮之前葉廣熊白檮
          令
          宇氣比枯
          亦令
          宇氣比生
          爾名賜
          曙立王
          謂
          倭者
          師
          木
          登
          美
          豐朝倉
          曙立王(登美二字以音)
          即
          曙立王
          菟上王
          二王
          副
          其御子
          遣時
          自
          那良戸
          遇
          跛盲
          自
          大坂戸
          亦遇
          跛盲
          唯
          木戸
          是
          腋
ーーー↓木戸孝允
   ・・・この古事記の漢字配列をどんな
    形の組み合わせで読んでもイイけれどね・・・
   「べんけいがなぎなたをもってさしころしたとサッ」
   「べんけいがなぁ〜
    ぎなたをもってさぁ〜
    しころとサァッ」
   ・・・(登美二字以音)を「文字通り漢字音」なんかで
   ヨメって、態々(ワザワザ)注釈しているトコロが
   オカシイって考えるヒトはボクと同類なんだろけれど
   「漢字音」の音なら日本語の「トミ・トビ」で、
   「富・鳶・飛び・跳び」あるが、
   「ト・ミ・ビ」に当てられる各漢字文字は多数ある
   「万葉仮名=漢字」は主として上代に日本語を表記する
   ために漢字の音を借用して用いられた文字だが
ーーーー
   と=刀土斗度戸利速・止等登澄得騰十鳥常跡
   み=民彌美三水見視御・未味尾微身実箕
   び=婢鼻弥・備肥飛乾眉媚
ーーーー
  「とみ」という漢字表意の文字は
  「十・富・富・臣・徳・聡・多・吉・寛・美・登・智・幸」
   などで、コレは日本語の「トミの意味」である。
  「とび」は名詞で「富・鳶」、動詞で「飛び・跳び」
ーーーー↓
   「登美」は意味も採るのサッ・・・
   「のぼる→山に登る=climb [go up] a mountain」
   「木・綱などを登る=climb (up)・shin (up a tree)」
    「這い登る=shinny up」
   「うつくしい→beautiful・beautify・pretty・lovely」
   「charming・comely・handsome・mellow・aerial」
    コレラを踏まえて「トミ・トビ」の意味も採るのなら
   「登る美」とは「モノ」か「ヒト」の状態か、
    状況=移り変わる物事の、その時々のありさ
    情況=内面の心情的な、その時々のありさ
    であるが、漢字の意味からは
    存在状況と心情情況は異なる概念である
   「状況=外面の見たありさま(存在、外面事実)」
                 ↓↑
   「情況=内面の動きゆく様子(認識、内面観察)」
    例えれば
    植物の存在生長プロセスと、
    それを観察している認識者の
   「主観的」なココロの動きである・・・
ーーーー↓ジョウキョウ
    上京=都に上るコト
    上卿=朝廷において恒例・臨時の儀式や政務を
       主宰する上首の公卿
       前年度末に行われる公卿分配(行事の役割分担)で
       だれがどの行事の上卿になるかが定まる
       しょうけい(上卿)とも読む
       朝廷の諸行事・会議などの執行の責任者として
       指名された公卿
       列席した公卿中の首席の者が選ばれた
       記録所の長官
       公卿(くぎょう)の異称
    貞享=元号の一・天和の後、元禄の前
       1684年〜1987年までの期間
       天皇霊元天皇東山天皇
       将軍は徳川綱吉(犬公方)
       貞享暦(じょうきょうれき)
       日本で使われていた太陰太陽暦暦法
       渋川春海の手によって編纂された和暦
       和暦の日付は、旧暦表示
       西暦の日付は、グレゴリオ暦表示
       貞享騒動
       1686年(貞享三年)に
       信濃国松本藩で発生した百姓一揆
       中心となった
       多田加助の人物名から、
       加助騒動とも呼ばれる
ーーーーー↓登
    「登美」は「古事記」では「長髄彦(毘古)」であり
    「渡辺崋山(華山)」の通称は「登」であった
     一部の絵には「のぼる」と揮毫)
     諱は定静(さだやす)
     字は伯登・子安
     号ははじめ華山で、35歳ころに崋山と改めた
     号は他に全楽堂・寓画堂
     父は三河国田原藩
     渡辺市郎兵衛定通
     と
     母は
     栄の長男
     江戸
     麹町田原藩上屋敷で生まれた
     妻は
    「たか」
    「慎機論」の著者
     絵画師
     谷文晁の門人
     白川芝山
     金子金陵らに学び
    「画家・文人としての崋山」
    の「登」の「美」である。
ーーーーー↓登の家族名
   登・弟妹→茂登(もと)・まき・熊次郎
   |   喜平次・助右ヱ門・つぎ・五郎
   |
   |           子供
   |―――――|−可津(かつ)
   たか(妻)  |−立(たつ)
          |−諧(かのう)
          |−須磨(すま・椿々山の養女)
ーー↓木戸孝允
 を訪ね
 苦情、愚痴を云い
 離縁すると脅した
 木戸の生家(和田氏)と
 青木家が隣同士で
 夫人は木戸と懇意で
 この状況を
 木戸は青木周蔵に知らせた
 青木周蔵が東京を動こうとはしない理由は
 駐ドイツ公使就任の話があり、
 萩にもどると好機を失うことを恐れた
 青木の親戚も木戸に周蔵の愚痴をこぼし、
 周蔵の妻の
 「テル」が一時行方不明になった
 青木家と親戚・知人一同の会議の結果、
 周蔵の退身(離縁)ということに決まり
 木戸はその
 手切れ金のことまで考えてやったが、
 この結論が
 9月にはひっくり返る。
 「周蔵を青木家相続といたすことに決まりました」ということで、
 木戸はその報告や
 助言と教訓を垂れた手紙を
 青木周蔵本人に書き送った。
 周蔵のドイツ公使就任の決定が、
 青木家にとっても名誉なことだと考え、
 彼らは離縁の決定を翻したらしい・・・
 ・・・月形半平太木戸孝允)も大変だった・・・
ーー↓
 「青木研蔵の養子」であった
 「青木周蔵(幼名は三浦團七)」はドイツに赴任、1875年にはオーストリア・ハンガリー帝国公使を兼任した。1877年(明治十年)にドイツ貴族の令嬢「エリザベート」と結婚し、一人娘「ハナ」は、青木に溺愛されて育った・・・「テル」はドウナッタのか?・・・「天照大神」は・・・怒った・・・
 1904年(明治三十七年)十二月十九日
 枢密顧問官
 青木子爵の娘
 ハナと
 ドイツ公使館員
 ドイツ貴族
 アレキサンドル・フォン
 ・ハッツフェルト・トラッヘンベルヒ伯爵
 との結婚式が
 午前
 十一時に築地のローマカトリック大聖堂で行われた・・・
ーー↓青木周蔵
 1891年(明治二十四年)五月十一日
 大津事件勃発
 日本を訪問中の
 ロシア帝国皇太子
 ニコライ(ニコライ2世)が、
 滋賀県滋賀郡大津町大津市)で
 警察官
 津田三蔵に突然斬りつけられた暗殺未遂事件
 行政の干渉を受けながらも
 司法の独立を維持
 三権分立の思想を広めた・・・?
 裁判で津田は死刑を免れ無期徒刑
 外務大臣青木周蔵
 内務大臣・西郷従道
 が辞職し、
 六月には
 司法大臣・山田顕義
 が辞任・・・
ーーーーー
 枕草子
 (一一四段)・・・百十四段・壱百壱拾四段・壱壱四段
          陌肆段・佰肆段
ーーーーーーーーーー↓
          陌(ハク・まち・みち)
          中国の晋から南北朝時代
         (魏晋南北朝時代)に
          かけて使われた通貨単位
          銭貨100枚を1陌
          日本銀行の「赤札」の印刷は
          百円券(板垣退助の肖像)
          昭和二十八(1953)年発行 
         「陌円=百円」券
ーー↓
 關は・・・・・・セキは本籍の籍・書籍・戸籍
 逢阪の關。
 須磨の關。
 鈴鹿の關。
 くきだの關。・・・・句記拿之籍
 白川の關。
 衣の關。
 ただこえの關は、
 はばかりの關と、
 たとしへ・・・・・・比べよう・例えよう
           他賭詞経
 なく
 こそ
 覺ゆれ。
 よこばしりの關。
 清見が關。
 みるめの關。
 よしな
 よしなの關
 こそ、
 いかに
 思ひ返し
 たる
 な
 らんと、
 いと
 知らま
 ほしけれ。
 それを
 勿來の關とは・・・なこそ(勿来)
          石城国時代に、多賀郡と菊多郡の境に
         「菊多関」が建てられ、この菊多関は
          やがて「 勿来関」に改名された
         「勿来」とは「な来(こ)そ」、すなわち
         「来るな」を意味
          蝦夷の南下を防ぐ意味の説
          勿来(なこそ)は、
          福島県いわき市の南部に位置
          茨城県との境界地域
          常陸国茨城県)と陸奥国福島県浜通)
          の境となった「勿来関」を「勿来」と呼ぶ
 いふ
 にや
 あらん。
 逢阪などを
 まで
 思ひ返したらば、
 佗し
 からん
 かし。
 足柄の關。
ーーーーー↓陌(ハク・まち・みち)
     あぜ道
       阡・陌・・・陌路
       路上で出会う人・見知らぬ人
       陌路人陌生
       よく知らない・なじみがない
       陌生的街道・・・不案内な大通り
       陌生人・・・・・見知らぬ人
ーー
 陌(奈良県生駒郡斑鳩町
   奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺南1丁目12−12)
ーー
 「陌間」は「はざま」
 「陌上の桑は秦氏の女子より出ず」
 「陌上の桑」は西晋の楽府(楽曲の本)にある
 「陌上桑(ハクジョウソウ)」という題名の歌詞
 「陌上桑と言う歌詞は、秦氏の女子(娘)から出ている」
 「陌上桑」歌詞の原文と概要
   ↓
  日出東南隅
  照我秦氏樓。
  秦氏有好女
  自名為羅敷。
  羅敷喜蠶桑
  採桑城南隅。
  青絲為籠係
  桂枝為籠鉤。
  頭上倭墮髻
  耳中明月珠。
   ↓
  秦氏の娘が桑を摘んでいるところに通りかかった
  太守が余りの美しさに一目惚れして言い寄ったが、
  娘は「貴方には妻がある。私には夫がいる」と
  権力に屈することなく素気無く振った、というもの
 「陌上」は「路上」、「道端」の意
ーー
 ・・・「陌上桑(ハクジョウソウ)」は「薄情想・白状装」・・・この部分は「古事記」の「雄略天皇」が「若日下王」に言い寄った場面に重なっている・・・そして、幕末明治の事件・・・
ーー↓
 若日下王
 草香幡梭姫皇女
 (くさかのはたびひめのひめみこ)
 雄略天皇の皇后
 古事記には
 若日下(部)王
 (わかくさかべのみこと)
 或は
 波多毘能若郎女
 (はたびのわきいらつめ)
   ↓
  はた=波多→秦(はた・シン)→葉多・葉他・傍
   ↓
 ハタハタ(Arctoscopus japonicus)
 鰰・鱩・雷魚・燭魚
 Sailfin sandfish(サイルフィン・サンダフィッシュ?)
 スズキ目
 ワニギス亜目
 ハタハタ科に属する魚
 別名
 カミナリウオ
 シロハタ
 水深0〜約550mまでの
 泥や砂の海底に生息する
 深海魚
ーー
  雄略天皇(大泊瀬幼武尊)
  第二十一代天皇
  允恭天皇七年十二月〜雄略天皇二十三年八月七日
  在位
  安康天皇三年十一月十三日〜雄略天皇二十三年八月七日
  大泊瀬幼武尊
 (おおはつせわかたけるのみこと)
 (タイハクセヨウブソン)→他意葉句施与得部存?
  大長谷若建命・・・・・・隊長谷和解懸命→谷干城
                ↓
              谷干城(たにたてき・かんじょう)
              天保八年(1837年)二月十二日
              (新暦3月18日)
                〜
              明治四十四年(1911年)五月十三日
              土佐藩
              通称は申太郎・守部
              号は隈山
              第二代学習院院長
              谷潜蔵は高杉晋作の変名
              高杉晋作の妻の
              雅(まさ)は
              井上平右衛門の
              次女
              青木周蔵の女性関係者はダレだったか?
  大長谷王(古事記)・・・代調他似負?・代葉施緒得?
  大悪天皇
  有徳天皇
  父親
  允恭天皇・・・・・・・・木戸孝允・和田小五郎
              大組士の桂小五郎
  母親
  忍坂大中姫
  皇后
  草香幡梭姫皇女・・・・・子は無・石女?
 (若日下王)・・・・・・・久坂(日下実甫)玄瑞の
              妻は吉田松陰の妹「文」
              青木周蔵の女性関係者が
              ダレだったか?忘れた・・・
  子女は
  白髪皇子(清寧天皇
  栲幡姫皇女
  磐城皇子
  星川稚宮皇子
  春日大娘皇
ーーー↓
  清寧天皇
 (せいねいてんのう)
 允恭天皇三十三年?〜清寧天皇五年一月十六日
 第二十二代天皇
 都は
 磐余甕栗宮
 (いわれのみかくりのみや)・・・栗→繰り・句理
 在位
 清寧天皇元年一月十五日〜同五年一月十六日
 御名は
 白髪皇子(しらかのみこ)
 和風諡号
 白髪武広国押稚日本根子天皇
 (しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと)
 白髪大倭根子命(古事記
 後継の皇子がいなかった
 清寧天皇二年
 市辺押磐皇子の子である
 億計王(後の仁賢天皇
 弘計王(後の顕宗天皇)の兄弟を
 播磨で発見
 明石に迎え
 翌年二王を
 宮中に迎え入れ、
 億計王を・・・→「億測」を計算(会稽・会計・塊茎・海景)
 東宮      イ(人)の意(立つ日の心)
          おっくう=億劫・億系・憶測・測量
         「億・憶・臆」、オクのスベテをはかる
 弘計王を・・・→「弘測」を計算(会稽・会計・塊茎・海景)
 皇子とした   弓のム(よこしま・私)
         「弘・交・公・考」、コウのスベテをはかる
          弘前
          弘通(ぐずう)・弘誓(ぐぜい)・弘法(ぐほう)
          拘束 後継・後景・後掲
          弘文・公文・行文・構文・高文・校分
         「弘(コウ・グ・ひろい・ひろめる」
          度量が大・「弘毅(コウキ)」
          ひろめる・「弘報」
          仏法をひろめる・「弘通(ぐずう)・弘誓(ぐぜい)」
          弘法大師
          弘文天皇追号)は七月二十三日
ーーー↓
 白髪(?)→白壁→白璧→和氏の璧卞氏の璧)
       姓と氏は区別されていた
       姓は同じ血縁関係の称号
       氏はそれから派生した称号
       卞和の
       卞(ベン)は姓で、
       和(カ)は氏
       和(カ)氏の璧と言う・・・
ーーー↓
 白壁王=光仁天皇
 生没年
 709(和銅二年)〜781(宝亀十二年)
 天智天皇の孫
 施基皇子の第六子
 母は
 紀朝臣橡姫
ーー
 高野新笠との間に
 山部親王桓武天皇
 早良親王
 能登内親王
ーー
 皇后
 井上内親王・・・第四十五代
         聖武天皇
         第一皇女
         母は夫人
         県
         犬養広刀自
          ↓
         天平十年(798年)に
         光明子の娘
         異母妹
         第二皇女の
         安倍内親王(あべのひめみこ)
         718〜770(生死没)
         が
         二十歳で
         皇太子に即位
         安倍内親王
         藤原不比等の孫
         母は「安宿姫(光明子)」
          ↓
         天平勝宝一年(749)
         聖武天皇
         安倍内親王に譲位
          ↓
         第四十六代
         孝謙天皇
         在位
         749〜758
          ↓
         第四十七代
         淳仁天皇大炊王)父=舎人親王・母=当麻山背
         733〜765(生死没)
         758〜764(在位)
          ↓
         第四十八代
         称徳天皇孝謙天皇重祚=安倍内親王
         在位
           764〜770
          ↓
         第四十九代
         光仁天皇(白壁王)父=施基親王・母=紀橡姫
         709〜781(生死没)
         770〜781(在位)
         皇后
         井上内親王との間に
         他戸親王・酒人内親王
         尾張女王との間に
         薭(艸+稗)田親王→薭=(艸・廾・サ)+(稗)
          ↓
         井上(いのうえ・いかみ)内親王
         伊勢斎王
         夫は
         光仁天皇(白壁王)
         宝亀一(770)年
         皇后
         別名
         井上廃后、吉野皇后、井上大皇后
         との間に・・・
         他戸親王・酒人内親王
         尾張女王との間に
         薭(艸+稗)田親王
         薭=(艸・廾・サ)+(稗)
          ↓
         第五十代
         桓武天皇(山部親王)父=光仁天皇・母=高野新笠
                  皇后=井上内親王
         737〜806(生死没)
         781〜806(在位)
          ↓
ーーーーー
 「井上内親王」と「安倍内親王」は異母姉妹、そして
 「吉備親王」と「安倍内親王」の関係は
 「元正天皇」である
  曾祖母の妹
 「吉備内親王
  天武天皇十五年(686年)頃?
    〜
  神亀六年二月十二日(729年3月16日)
  草壁皇子・・・日下部皇子
  と
  元明天皇
  次女
  元正天皇の妹
  文武天皇の姉または妹
  長屋王の妃
ーー↓
 草壁(日並)・・・比べて並べる
    元明の夫・岡宮御宇天皇岡宮天皇・長岡天皇
    淳仁天皇即位後の
    天平
    宝字
    二年(758年)に
    岡宮御宇天皇の称号が贈られた
    石川郎女に・・「遺志化把之漏如」爾
    贈った歌が
    一首
    大名児・・・・・代明治・替(他意)名字
    彼方野辺に・・・仮名他述べに
    刈る草の・・・・借る句作摸
    束の間も・・・・通化之真摸
    我れ忘れめや ・・話例把数例目哉
    巻二
    百十(壱百壱拾・110)・・・?
    陵は、
    奈良県
    高市郡
    高取町の
    眞弓丘陵
 元明(阿陪)ー元正ー文武(珂瑠)ー聖武(首)ー称徳(安倍)
       (氷高)      (軽)            |(高野)
        |                       |
        文武                      井上
        |                        ×
        吉備                  光仁天皇(白壁)
ーーー  
 ・・・