1182日目・・・前回、家に舞い込んだ「一匹のハエさん」のハナシが跳んでしまった・・・「古事記」と「日本書紀」の「はえいろね」・・・今日は朝は雨で、午後から今現在は晴れ・・・庭でミニトマトの実に赤身がサシしてきた・・・胡瓜は未だ実があらず・・・葡萄は実が生りそうも無い・・・薔薇が咲いているが、マーガレットは終わりつつある・・・百合が一輪・・・白い小さな花、ドクダミらしいが、可憐に、騒がしそうに咲き始めた・・・

 ドクダミ(毒痛み)の別名は、「ドクダメ(毒溜め)」、「ギョセイソウ(魚腥草)」、「ジゴクソバ(地獄蕎麦)」であるらしい・・・地獄が傍にいるって・・・十字型の白い花を咲かせるので薬草としては「十薬(ジュウヤク)」と呼ばれているそうだ。「白い花びらに見えるのは、葉が変化したもの」・・・?・・・最初は「馬に与えた薬草だった」・・・ですか。利尿・湿疹・腫れ物・蓄膿症などに効能あると説明されていたのだが・・・花言葉は「白い追憶」・・・
 最近は紙で製本された本、書籍を読まなくなった。調べたいことはスベテ、コンピュータのウエブから。特に殆んどが「ウイッキペデア」から引用するか、ブログ辞典からの引用です・・・それでも、半日以上検索しても「知りたいコト」に出会わないコトがある。以前、本で読んだことのあるハズの「コトバ」だが、記憶が曖昧で再確認するために、コレも記憶にあるらしい本の場所を捜し、手にとって、その頁を捜すのだが・・・殆んど無駄骨・・・危険かも・・・ネッ・・・ドクダミの煎じ方を勉強しなくちゃぁ・・・
ーー↓はえ・蠅・蝿・ヨウ・はい
 幼虫は「蛆虫(うじむし)」で、馬糞や牛糞の家畜から「ゾクゾク」と湧き出るように見えたので一族、氏子の繁殖を願っての「氏(うじ・シ)」なんだろう・・・「氐(て・テイ)」は「氏+一」であるから「氏の初め」である。「蛆(うじ・ショ・ソ)=中+ム+且(かつ・シャ・ソ)」は「虫(ムシ)」か、「中(ナカ)」の「ム(ヨコシマ)」の「且(かつ、シャ・ソ)」である・・・
 「氏子(うじこ)」は「得(鵜・鸕・有)字拠」の示唆で、「字」は市町村、「邑(くに・むら・ユウ)」、現住所に記される「字(あざ)」である。「字=宀+子」で、「家の子」であり、「家の孑(ひとり・ひとつ・ちいさい・みじかい・のこる・あまる」、「孑孑(ケツゲツ)」で「 たった一つ・ぽつんと立ったさま・孤立したさま・一つだけ抜け出ているさま・小さいさま」、「ぼうふら=蚊の幼虫」で、正しくは「孑孒(ゲツゲツ)」と書く・・・
 イズレにしても「子(こ・ね・シ・ス)・孑(ひとり・ケツ・ケチ)・孒(ケツ)」は「増える」であり、「一(はじめ)」+「了(おわり)」の合体漢字である。
ーー↓昆虫の蝿(はえ
 ハエ(蠅・蝿)
 ハエ目(双翅目・ソウシモク)
 ハエ亜目(短角亜目)
 環縫短角群(カンポウタンカクグン)
 ハエ下目(Muscomorpha)に属する総称
 日本だけで60ほどの科と、
 そこに
 属する3,000種近い種が存在
 成虫
 コンパクトな胴体、
 よく発達した
 前翅、
 後翅が
 変化した
 平均棍を持つ
 飛翔能力は昆虫類の中でも
 非常に高い
 空間に完全に固定されたかのような
 ホバリングや、
 高速での
 急激な方向転換
 複雑で敏捷な飛翔をこなす
 「短角亜目」で触角は通常短い
 羽化
 蛹(さなぎ)の
 背中が
 縦に割れずに
 環状に開く
 蛹(さなぎ)の
 縫い目が環状
 で
 「環縫短角群 」、
 「環縫群」
 「環縫類」とも呼ばれる
 アブは通常
 ハエとは別の
 直縫短角群を指す呼称だが、
 「アブ」と名のつくもののうち
 ハナアブ科や
 アタマアブ科などは
 ハエの仲間であり、
 逆に
 「ハエ」と名のつくもののうち、
 アシナガバエ科や
 オドリバエ科などは
 アブの仲間である
 ・・・則天武后は「阿武(アブ・虻)」と呼ばれ・・・そして、「ねずみ(鼠・子)」とも呼ばれた・・・
ーー↓魚の鮠(はえ
 ハヤ(鮠・鯈・芳養)
 日本産の
 コイ科淡水魚
 中型で
 細長い体型をもつものの総称
 「ハエ、ハヨ」とも呼ばれる
 釣り用語や各地での
 「方言呼称」に用いられ、
 標準和名に
 「ハヤ」が組みこまれた種もある
 呼称は動きが
 「速い」ことに由来するという説がある
 ・・・「葉諭・葉喩・葉矢・葉夜」だろう・・・
  主な魚
  アブラハヤ
  ウグイ
  オイカ
  カワムツ
  タカハヤ
  ヌマムツ
  コンゴウハヤ
 (金剛ハヤ)
 ・・・以上の「サカナ」の名前を漢字転換してみる・・・
 漢字分解は
 鮠=魚+危
 鯈=イ+|+ノ一(かみさし)+魚
 ・・・である・・・
ーー↓古語の「はや」
 はや
 …だった、よッ・…なかったョなぁ〜
 文末に用いて、
 強い
 詠嘆の意を表す
 源氏物語
 須磨
  漁(いさ)りせむとは思はざりし「はや」
  漁をすることになろうとは思いも
          「しなかったョなぁ〜」
 ・・・で、あるらしい・・・
ーーー↓はえいろね
 日本書紀
 倭   迹迹 日 百 襲 媛  命
 やまと とと ひ ももそ ひめのみこと

 生没年不詳
 (紀元前92年以前〜紀元前88年以降)
 孝霊天皇(紀元前342年〜紀元前215年)の
 皇女
 母は、倭   国  香 媛
    やまとのくに か ひめ
 同母兄弟は、
 倭迹迹稚屋姫命
 彦五十狭芹彦命
 異母兄弟は
 孝元天皇
ーー↓はえいろね
 古事記
 蠅  伊 呂 泥
 はえ い ろ ね、
 夜麻登 登 母 母 曾 毘売 命
 やまと と も も そ ひめのみこと
 母は、意富 夜麻登 玖邇 阿禮 比賣 命
    おお やまと くに あれ ひめのみこと
 同母兄弟は
 日子刺肩別命
 比古伊佐勢理毘古命
 倭飛羽矢若屋比売
ーー↓
 紀元前92年に
 崇神天皇に頼まれて、
 災害がつづく理由を占うと、
 三輪山大物主神が神懸かりし
 我を祀れば国は治まるといった。
 崇神は、
 神の娘
 大田田根子
 大神神社の神主にすると、
 平和になった
ーー↓
 紀元前88年
 四道将軍の一人、
 大彦命がきいた
 童歌から
 武埴安彦命の反乱を予言
 彼の妻
 吾田媛
 二手に分かれて攻めてくるとも
 予言
 ・・・「童歌」は明治〜今現在ならば「童謡」である・・・「童謡・尋常小学校唱歌」には明治時代の「謎の解答」が込められている、と言うワケです・・・
ーー↓「記紀」の使用漢字の相違
    倭  迹 迹 日 百  襲 媛  命(書記)
    夜麻 登 登   母母 曾 毘売 命(古事記
ーー母
    倭    国  香  媛(書記)
 意富 夜麻 登 玖邇 阿禮 比賣 命(古事記
ーー↓
 ワイ、マタ、マタ、ニチ(似知・被)・・・「百を襲う媛の命」とは「百済(徐=扶余=扶餘)を襲った媛(女+爰)の命令」だろう・・・唐時代なら「則天武后」、清朝時代なら「西太后」ダロウ・・・「襲」は「龍+衣」で、「劉のイ」、「劉のコロも」である・・・「劉仁軌・劉仁願・劉徳高」である・・・
ーー↓
 「後漢(劉氏)」の時代ならば
 光武帝の事情か・・・
 中元二年・57年・丙辰年
 「漢委奴国王」
ーー↓
 安帝
 後漢第六代皇帝
 第三代皇
 帝章帝の孫
 父は
 清河孝王劉慶
 母は
 左姫、
 前皇帝
 「和帝」の
 「皇后の訒氏」である・・・?
ーー↓
 永初(107年)元年
 二月
 清河国が分割
 九月に
 訒氏の母の
 陰氏に
 新野君が与えられた
 西域都護が廃止
 秋九月
 太尉の
 徐防
 司空の尹勤が免職
 張禹と周章が後任
 十月
 倭国からの使者来訪

 十一月
 周章が帝位の廃立を目論んだとして誅殺
ーー
 168年(建寧元年)
 霊帝後漢第十二代皇帝)
 諡号
 孝霊皇帝
 本名は
 劉宏
 解瀆亭侯、劉萇=建の子
 解瀆亭侯、劉淑の孫
 河間王、劉開の曾孫
 章帝の玄孫
ーー
 霊帝は皇后の
 宋氏を廃し、
 何氏を皇后に立て、
 その兄の
 何進を大将軍
 何進は宦官に不満を持つ
 袁紹に支持され、
 十常侍との対立
 何皇后も
 霊帝の実母である
 董太后と対立
ーー
 漢の霊帝
 光和中(178〜184年)
 倭国は大乱
 卑弥呼を共立し王
 (梁書
ーー
 中平一年(184年)
 太平道の教祖
 張角が起こした農民反乱
 中平四年(188年)
 西園八校尉という制度を新設
 宦官の
 蹇碩により
 何進
 袁紹
 曹操を統率
 劉焉の
 勧めにより
 州牧制を
 復活させた

ーー
 中平五年(189年)
 霊帝崩御
 実子の
 劉弁
 劉協との間で
 皇位継承争いが起こった
ーー
 238年(延熙元年・戊午年)
 卑弥呼の時代
 魏の
 曹操へ使者
ーー↓
 ・・・「曽=曾」は「ソウ・ゾ」で「かつて・すなわち・以前に」で「世代が重なること」で「曽孫(そうそん)・ 曽祖父(そうそふ)・曽祖母(そうそぼ)」の熟語がある・・・「味噌(みそ)」とは「要(かなめ)」であり「押さえのツボ」である。「曹・曾・遭・糟・甑・漕・僧」の「ソ・ソウ」で、「ソ・ソウ」のスベテの漢字の「重層」の音訓の「カケ」である・・・
 「親族」とは、
 民法第725条「親族の範囲の法定親族」
 ジジババ→両親
    ↓
 1)本人→2)子→3)孫→4)→5)曾孫→6)玄孫・・・  
   玄孫(やしゃご・やしわご)
 7)来孫(きしゃご)=耳孫→8)昆孫=晜孫=日+弟→9)
   →10)仍孫(じょうそん・つるこ)→11)雲孫
→12)雲孫以下は傍系尊属・・・もはや、「他人」・・・
 高祖父母
 四親等の直系親族
 曽祖父母の親(祖父母の祖父母、親の曽祖父母)
 「ひいひいおじいさん」
 「ひいひいおばあさん」
ーー↓
  夜麻 登 登   母母 曾 毘売 命
 「ママのママが重なった」・・・臍(ヘソの緒)を売る命令・・・
 「毘(へそ・たすける・ビ)=田+比」→「他意・伝比」
 「臍(へそ・ほぞ・セイ・ザイ)」の緒→子宮胎盤に繋がっている
   ↓ navel・belly button
  肉(にく・ジク)+齋(ものいみ・いつく・サイ・セ)
  肉+亠+丫+刀+斤(氏)+冂+一?
          (|+|+二)
 「曾(かって・ひい・ソウ・ゾ)」の類字は「會=あう・エ・カイ=会」である・・・「劊(たつ=絶つ・断つ・カイ・ケ・カツ訓読み」は:たつ)」で「切り落とす・切断する」で「劊(刽)子」とは「手首切り役人」のコトである・・・「又=右の古字」で、「右手のコト」であったが・・・マタマタマたま・・・である
ーーーーー↓
 枕草子
 (七五段)・・・七拾五段・七十五段・漆足伍段
         7+5=12=十二=壱拾弐=足弐
         7×5=35=三十五=参拾五=参足伍

 また、
 冬の
 いみじう
 寒きに、
 埋もれ
 臥して
 聞くに、
 鐘の
 音の、
 ただ
 物の
 底
 なる
 やうに
 聞ゆる、
 いとをかし。
 鶏の
 声も、
 はじめは
 羽の
 うちに
 鳴くが、
 口を
 籠めながら
 聞けば、
 いみじう
 もの
 深く
 遠きが、
 明くる
 ままに
 近く
 聞ゆる
 も、
 をかし。
ーーーーー
 ・・・