1175日目・・・「腰痛」の原因の殆んどが「ストレス」にあるらしい・・・「椎間板ヘルニア」での腰痛はパーセンテージからすると僅かであるらしい・・・「腰痛」の解消は「体の静養・休憩・休息」ではなく、「動かすコト」である。ボクの物理的、肉体的な「イタミ」の経験からすると「胃腸」の調子の悪いときに「腰に来るコト」が多い。「胃腸の調子」のヨシアシは殆んどが「便秘」であるか「下痢」で、その確認はトイレでの納得である。「尿道結石」の時には「尿道?」の痛みではなく、感じる痛みの場所は「腰」であった・・・「楽天家」でも

 「新古今和歌集」・・・「薬師丸ひろこ」の「歌」じゃぁないョ、なッ・・・「新古今話掛集」・・・今じゃァ、「3丁目のオバン」・・・
ーーーーー↓
 枕草子
 (六八段)・・・六拾八段・六十八段・陸足捌段
         6+8=14=十四=壱拾四=足肆
         6×8=48=四十八=四拾八=肆足捌

 集・・・・・・「シュウ」のスベテの同音漢字
 は
 古萬葉集。・・「古い萬(万)葉集」である
        「清少納言」は
        「新しい萬(万)葉集」ではナイモノ、と
        言っているんだろう
ーーー
 古今。・・・・「古今」は「古今和歌集」であり、
        「新古今和歌集」ではない
ーーー↓
   仮名で書かれた
   仮名序と
   真名序の
   二つの序文を持つ
   延喜五年(905年)
   四月
   十八日
   奏上
   現存する「古今和歌集」には、
   延喜五年以降に
   詠まれた和歌も入れられている
   奏覧の後、内容に手が加えられた?
 ・・・ナゼ、内容に手が加えられ、「追加」されたのか?
 追加された「和歌」の歌には「何」が歌われているのか?
 完成は
 「延喜十二年(912年)ごろ」との説も・・・?
 であるならば、「延喜五年(905年)四月十八日奏上」の「説明」がナゼ無いのか・・・
 ・・・加えて、「ごろの説?」はナゼ、「延喜十二年(912年)」なのか・・・
ーー
 撰者
 紀友則
 紀貫之
 凡河内躬恒
 壬生忠岑
 四人
 序文では
 友則が筆頭だが、
 真名序の署名が
 貫之である
 巻第十六に
 「紀友則が身まかりにける時によめる」の
 詞書で
 貫之と躬恒の歌が載せられている
 編纂の中心は「貫之」ではなく、
 彼は存在しなかったのではないか?
 「友則」は途上で没したのではなく、
 「友則」=「貫之」ではないのか・・・?・・・従兄弟(いとこ→意図拠)である・・・
 ダレかに取って
 「紀貫之」の「名前」が必用だった・・・理由は
 日本書紀」=「紀貫之である・・・そして、
 平仮名で記録された
 女の文字使用の「土佐日記の執筆者であった、とされている・・・?・・・「土佐勤皇党」・・・土佐の金納を問う・・・?・・・武市瑞山(半平太)・・・後藤象二郎(諱は正本)だろう、坂本君・・・
ーー
 成立過程
 仮名序・真名序の
 双方に記載
ーー↓
 延喜五年四月十八日、
 大内記
 紀友則
 御書所預
 紀貫之
 前
 甲斐
 少目
 (凡)・・・おほ・おお・ボン・あまねし
 凡河内躬恒、・・・おおこうち
 右衛門府
 壬生忠岑・・みずのえのうまれ タダみね
 等
 に、
 おほせ・・・仰せ
     に-おほせ→匂ほ(お)せ・臭ほ(お)せ
     仁王ホセ・二王ホセ(輔施・保世・乾施)
       乾=亥・猪→北西・23〜0時の時間帯
       乾家=武田信玄重臣
          板垣信方を祖とした家柄
       乾家=板垣退助(イタガキタイスケ)
               異他書他意素懸
 られて、
 万葉集
 入らぬ古き歌
、・・・万葉集のコトバでは無い?
 みづからのをも・・・ミズからのヲモ
 奉らしめ
 たまひて・・・玉比出・珠比出・球異出
        多摩比出・多磨異出・太摩異出
        伊藤博文
        明治天皇(睦仁)を
        「玉(たま)」とヨンんだ
 なむ・・・・・名務・南・納・難・楠・何
 (中略)
 すべて
 千歌、・・・・泉下・戦果・戦禍・選の科(罪)
 二十巻、・・・念姦(奸)・念諌→念=弐拾
        念乾→年鑑→歴史書
 名づけて
 古今和歌集といふ
 仮名序=日本語古文の序
     ひら仮名・カタ仮名
ーー
 に、
     「爰」=「さる・ここに・エン・オン」
          ↓
          猨→媛・援・揺・煖・嵈
          ↓
          申(もうす・さる・シン)=上海
 大内記・・・隊内奇→奇兵隊
       胎内記→応神天皇←胎中
           神功皇后三韓征伐
            ↓
           気長足姫尊・息長帯比売命
           大帯比売命・大足姫命皇后
           意気(活)長足姫尊
       体内器→内臓器官
       対名意規→対語・相対語
            ↓
        天地、海陸、攻防、興亡、勝負
        水火、上下、左右、南北、愛憎
       大(太)名遺棄(委棄・位記・行・域)
       他意名亥(猪)記
       堆名意記=小堆命=倭建命=倭男具名
       退内規→板垣退助
            ↓
           土佐藩上士(廻格・三百石)
           乾(いぬい・カン)正成の嫡男
       他意名亥(猪)記→息吹山の白猪
       替名意記→鯛名意記→乙姫龍寓城
             ↓
            亀を助けた浦島太郎
ーーーーーーーーーーーー↓
     浦島子(日本書紀・雄略二十二年条)蓬莱山へ
     筒川嶼子=水江浦嶼子(丹後国風土記逸文
     高橋虫麻呂作の長歌万葉集巻九・番号一七四)
     丹後の国の浦島太郎=「御伽草子(亀の恩返)」
          乙姫、竜宮城、玉手箱の3点セット
ーー
     相模国の浦島太郎
     父親の
     三浦の浦島太夫丹後国
     赴任して行方不明
     太郎が漁師から
     両親の墓が
     武蔵国
     白幡にあると聞かされ
     子安の浜で両親の墓を探しているところを
     乙姫が、松枝の火で照らして
     墓の場所を教えてくれた
     太郎はその地に庵をつくり、住んだ
     庵は後に観福寿寺となるが、
     明治五年に廃寺
     寺の
     聖観世音菩薩像は
     神奈川区
     慶運寺に安置された
ーー
     沖縄の類似浦島伝説
     南風原
     間切
     那覇村の・・・与えるナの覇(西+朝)
     漁師が・・・漁(あさる)師(シ)
     与那原の浜で
     髢(かもじ。髪の毛)を・・・カミのケ
        ↓
       髢=長彡也=かもじ→掛文字
     拾った
     それを落とした娘に返し、感謝され、
     竜宮(龍)に招待された
     娘から紙包みを渡され村に帰るが
     人間で
     三十三代ほどの・・・参拾参
     年月が経っていた
     「開けるな」と言われた
     紙包みを開くと
     中には髢が一束、そして
     白い煙が沸き、
     彼は白髪の老爺となって死んだ
     地元の者が老爺の墓を建て祀ったのが、
     穏作根嶽(うさんにだき)である、そうだ・・・沖縄琉球方言
     御嶽(うたき)は、琉球の信仰における
     祭祀などを行う施設
     「腰当森(くさてむい)」、
     「拝み山」などともいう・・・
     「うさんにだき」とは、漢字音では
     「オンサコンゴク」で
     「音叉混語句」、「怨作今語句」・・・
     「穏」=禾+急(爫+彐+心→爪ヨ心)
         オン
         おだやか・しず
         とし・やす・やすき
         類字は「隠」
 ・・・参考、参照原文は以下↓
御嶽 (沖縄) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%B6%BD_(%E6%B2%96%E7%B8%84)
ーー↓御嶽(うたき
 琉球王国第二尚氏王朝)が制定した
 琉球の信仰における聖域の総称
 この呼称は主に沖縄本島とその周辺の島々で発声
 宮古地方では「すく」、
 八重山地方では「おん」と発声する
 近年では「うたき」への傾倒がみられる・・・「近年の発音」である・・・
 御嶽は琉球の神話の
 神が存在、あるいは
 来訪する場所
 祖先神を祀る場
 琉球の信仰では神に仕えるのは
 女性とされるため、
 王国時代は完全に
 男子禁制だった
 御嶽の多くは
 森の空間や
 泉や
 川などで、
 島そのものであることもある
 御嶽によっては空間の中心に
 イビ石という石碑がある
 神が降臨する標識
 厳密な意味でのご神体ではない
 (ご神体として扱われているところも多い)
 宮古八重山地方では、過去に実在した
 「ノロの墓」を御嶽
 大きな御嶽では、
 「神あしゃぎ(神あしゃげ、神あさぎ)」と呼ばれる
 前庭や建物といった空間が設けられている
 御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための空間である
 語源は
 「神あしあげ(神が足をあげる場=腰を下ろす場)」
 と考えられている・・・
 鳥居が設置されている御嶽が散見されるが、
 これは
 明治維新から琉球処分以降の
 「皇民化政策」による
 神道施設化の結果であり、本来のものではない
 ・・・「明治時代」のモノである・・・
ーーーーー↓
     浦島伝説原点の
     高橋虫麻呂(生没年不詳)
ーーーーーーー↓
       高橋氏=膳部(かしわで)氏
       安曇(あずみ)氏と並んで
       内膳司
       安曇氏との間で衝突
     ↓
     高橋虫麻呂
     藤原宇合常陸守)の下僚
      ↓
     持統天皇八年(694年)
      〜
     天平九年八月五日(737年9月3日)
     初名は「馬養」
     右大臣
     藤原不比等の三男
     藤原式家の祖
     官位は正三位・参議・勲二等
ーー↓
 紀友則、・・・承和十二年(845年)?
           〜
        延喜七年(907年)
        他の記録では生没年未詳?
        父は
        宮内権少輔・紀有友(有朋)
        子は
        淡路守の清正・房則
        紀貫之の従兄弟
        官位は六位・大内記
        三十六歌仙の一人
        子に淡路守清正・房則
        四十代半ばまで無官
        寛平九年(897)
        土佐掾の官職
        翌年、少内記
        延喜四年(904)
        大内記に任官
ーー
 御書所預
 紀貫之
ーーー↓
   貞観八年(866年)
   または
   貞観十四年(872年)頃?
     〜
   天慶八年五月十八日(945年6月30日)?
   生死没不詳?
   官位
   従五位上
   木工権頭
   贈従二位
   主君 醍醐天皇朱雀天皇
   氏族 紀氏
   父は紀望行・・・紀の行を望む
   子は時文
   幼名
   内教坊の
   阿古久曽(あこくそ)

   延喜七年(907年)二月二十七日
   内膳典膳に遷任→配膳の食事係長→高橋氏
   延長八年(930年)一月
   土佐守に遷任
   天慶八年(945年)三月二十八日
   木工権頭に遷任
   天慶六年(943年)正月
   大納言
   藤原師輔が、正月用の
   魚袋=まなブクロを・・・・真名付句賂
   父の太政大臣
   藤原忠平に返す際に
   添える和歌の代作を依頼
   明治三十七年(1904年)
   四月
   十八日
   贈従二位

ーー
 前
 甲斐
 少目
 (凡)
 凡河内躬恒
 右衛門府
 壬生忠岑
 等に詔して、
 各家集、
 并・・・・・あわせ・ならべ・ヒョウ・ヘイ
       併せ・並べ・表・票・併
      「安房・阿波・安和」施・兵
       并→共→井?→異・意・亥・違
 に
 古来の・・・こらい→拠等位之
 旧歌を
 献ぜしめ、
 万葉集
 曰・・・・・いわく・違和句・岩(磐)区
 ふ。・・・・付
 是に於いて、
 重ねて詔有り、
 奉る所の歌を
 部類して、
 勒して
 二十巻となし、
 名づけて
 古今和歌集と曰ふ。
 (中略)
 時に
 延喜五年、
 歳は
 乙丑
 に・・・何時注(註・中・誅)
 次る
 四月
 十五日、
 臣
 貫之
 謹みて
 序す
 真名序=漢字文の序
ーーー
 後撰。・・・・「後撰和歌集」である?
ーー↓
 「後撰和歌集(ごせんわかしゅう)」
 「村上天皇(むらかみてんのう)
 延長四年六月二日(926年7月14日)
   〜
 康保四年五月二十五日(967年7月5日)
 第六十二代天皇
 (在位
  天慶九年四月二十八日(946年5月31日)
   〜
 康保四年五月二十五日(967年7月5日)」
 の勅命で編纂
 二番目の
 勅撰和歌集
 体裁は
 「古今和歌集」の形式を採り
 春(上・中・下)、
 夏、秋(上・中・下)、
 冬、恋(六巻)、雑(四巻)、
 離別(附 羇旅)、
 賀歌(附 哀傷)の二十巻
 総歌数は
 1425首
 序文無し
 成立年時は不明
 天暦五年(951年)十月に
 宮中の昭陽舎(梨壺)に撰和歌所設置
 寄人任命
 源順
 大中臣
 能宣
 清原元輔
 坂上望城
 紀時文(梨壺の五人)が
 「万葉集」の
 訓詁と新たな勅撰集の編纂に当たり、
 藤原伊尹別当となって
 統括しことが
 「本朝文粋・巻十二・奉行文(源順)」
 「後撰和歌集藤原定家
  天福二年・書写本・書入・定家勘物」
 にあるらしい・・・「天福二年」って、「転覆(顛覆・顚覆)の似撚、爾念(字捻)」だろう・・・?
ーーー
  ・・・ただ、「後撰」とのみ、の記録だが・・・?・・・「何時の時代」の「後撰」なのか・・・
ーー↓古今和歌集
 全二十巻で
 定家本によれば
 歌数は
 総勢
 1111首、・・・「壱千壱百壱拾壱」首
 巻頭に
 仮名序、
 巻末に
 真名序が付くが内容は
 おおよそ同じ
 仮名序は
 紀貫之
 真名序は
 紀淑望の作
 伝本によっては
 巻頭に真名序、
 次に仮名序
 その次に本文
 のものがある
 ただし
 真名序を持たない
 伝本も多い
 真名序、仮名序は
 どちらかが一が
 後代の
 偽作とする説があるらしい・・・
ーーー↓
 古今伝授(こきんでんじゅ)
 「古今和歌集」の講義師匠より受けた講義内容を筆記、師匠からその筆記内容に誤りがないかどうかの認可を受けるというもの。
 御所伝授や地下伝授、堺伝授がある。
 細川幽斎
 丹後田辺城で
 石田三成の軍勢に囲まれ
 死を覚悟した時、
 この古今伝授を
 三条西実枝から受けていたので
 勅使が丹後に赴き和議を講じ、
 その結果
 幽斎
 城を開いて・・・城(しろ・ジョウ)=十+一+成→帖・條
           詞賂・史賂・示鷺
 亀山城に移った。
 この「古今伝授」は、
 「この歌に詠まれている木は、何処の木」といった
 由来に関する内容のものであった。
 本居宣長
 「排小船」で、これを
 後代の捏造であると批判しているらしい・・・?・・・「本居宣長」にとってはこのハナシは「まずかった」のではないか?・・・「この歌に詠まれている木()は、何処の木(キ)」の「キ=記・紀」だからであるカナ・・・「聖書」?
 「古今和歌集」は「枕草子(六八段)」で「古今」として「評価(?)」され、「源氏物語」でも「古今和歌集の和歌」が引用・・・
 「和歌詠みの手本」として「古来風躰抄(藤原俊成)」にも「歌の本躰」は、「古今集」である、と云っているらしい・・・
 「賀茂真淵」は、
 「万葉集」=「ますらをぶり(男性的)」
 「古今集」=「たをやめぶり(女性的)」
 とした・・・これって、和歌文学としての「創作技法」ではなく、「男性的・女性的」の内容の対比だろう・・・
 明治二十一年(1888年)
 「再び歌よみに与ふる書(正岡子規)」で
 「貫之は下手な歌よみにて古今集は下らぬ集にて有之候」
 と述べているらしい・・・なんせ、「子規(ほととぎす)」は「托卵(タクラン)鳥」の「杜鵑・霍公鳥・時鳥・杜宇・不如帰・沓手鳥・ 蜀魂・郭公・蜀鳥・杜魄・盤鵑」だから・・・
 和辻哲郎は「愚劣」、
 萩原朔太郎は「低能歌」、「凡庸の歌」
 と云っているらしい・・・これは、「歌の創作技術の問題」なのか?・・・「国家主義者(?)」の男性社会の偏見だろう・・・
ーーーーー
 ・・・なるほど、いと、おもしろし「文字」の「集は古萬葉集。古今。後撰」で、「誤捻・語捻」では、あるナッ・・・
ーーー紀氏の祖系図
 紀 船守(き の ふなもり)
 天平三年(731年)
  〜
 延暦十一年四月二日(792年4月27日))
 従七位下
 紀猿取の子
 官位は
 正三位
 大納言、
 贈
 正二位・右大臣
 天平宝字年間に
 授刀
 舎人
 天平宝字八年(764年)
 藤原仲麻呂の乱
 孝謙上皇淳仁天皇の許にあった
 駅鈴・内印(天皇御璽)を
 回収しようとした際、
 奪い来た
 仲麻呂方の
 中衛将監
 矢田部老を射殺
 この功労により
 従七位下から従五位下
 一挙に
 八階級の昇叙
 勲五等の叙勲
 称徳・光仁朝で
 近衛将監・近衛員外少将・同少将
 紀伊介・紀伊守・但馬介・土佐守等の
 地方官を兼ねる
 宝亀十年(779年)
 従五位上から正五位上に昇叙
 宝亀十一年(780年)
 従四位下
 天応元年(781年)
 桓武天皇が即位
 従四位上
 近衛員外中将
 参議に叙任され公卿に列した
 延暦二年(783年)
 正四位上
 近衛中将
 延暦三年(784年)
 従三位
 藤原種継らと共に
 造長岡宮使
 長岡京の造宮を担当
 延暦四年(785年)
 中納言近衛大将
 延暦九年(790年)
 正三位
 延暦十年(791年)
 大納言
 延暦十一年(792年)四月二日薨去
 享年六十二
 最終官位
 大納言
 正三位
 行式部卿
 兼
 近衛大将
 桓武天皇により
 正二位・右大臣の官位を追贈
 父は紀猿取
 母は不詳
 妻は不詳
 長男は紀勝長(754-806)
 次男は紀楫継
 三男は紀田上(770-825)
 男子は紀田長
 女子は紀若子(桓武天皇妃)
 ・・・・?
 紀猿取→船守→勝長┳興道→本道→望行→貫之
┗→ 名虎→静子→文徳
 紀・・・キ・のり
 猿取・・エンシュ・さるとり
 船守・・センシュ・ふね
 勝長・・ショウチョウ・かつお
 興道・・コウドウ・おこすみち
 本道・・ホンドウ・もとのみち
 望行・・ボウギョウ・のぞみゆく
 貫之・・カンシ・つらぬく(の)これ
名虎・・メイコ・なとら
 静子・・セイコ・しずかね(ねずみ)
 文徳・・モントク・ふみとく