1151日目・・・六月五日の数字(スウジ→趨字・崇氏・主氏?・素得字→素数)を足せば「十一」、これを更に「1+1」とすれば「2・弐・仁・爾・似・邇・丹・荷=蓮」・・・「自由商品市場」の「需要供給」の「本質」とは「人間の心理的気分」でしかない。すると「経済学」は当てにならない「損得の心理学」でしかない、と言うことだ。「安心」と「不安(心)」は「合理科学の原子核、元素」ではない、と言う事である・・・「生産物」の「生産実数量」を前提に「商品売買」は動かない・・・「モノ」が、「カネ」が、あっても、なくても「安心

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 枕草子
 (四四段)・・・四拾四段・四十四段・四四段・肆足肆段
         4+4=8=八=捌
         4×4=16=十六=壱拾陸

 木の花は・・・記(紀)の葉納話
 梅の・・・・・埋め之(埜・廼・乃)
 濃く・・・・・拠句
 も・・・・・・模(母)
 薄く・・・・・得諏句
 も・・・・・・模
 紅梅。・・・・考唄・交唄・勾配・項場(葉)意
 櫻の・・・・・作(差・詐・査)句等
 花びら・・・・葉名備等
 おほきに、・・太記似・多記爾・大木楡
        おおきに→有難い
 葉・・・・・・コトバ
 色・・・・・・史記・始期・敷き・如き・識
 こきが、・・・古希画(賀・我・臥)
 枝・・・・・・重拿
 ほそく・・・・捕捉(補足・補則
 て・・・・・・氐・弖・手・出・弟
 咲き・・・・・差記
 たる。・・・・他留
 藤の・・・・・附字埜
 花、・・・・・葉納(名)
 しなひ・・・・詞名比
 長く・・・・・名臥句
 色よく・・・・意賂与句
 咲き・・・・・作記
 たる、・・・・他留
 いと・・・・・意図
 めでたし。・・女出多氏・目出太詞
 卯の・・・・・得之
 花は・・・・・葉納話
 品・・・・・・ヒン=頻・斌・稟・牝
        ホン=本・翻・叛・反
        しな=科・支那=中国
 おとりて・・・囮・音理出(氐・弖・手)
 何と・・・・・名爾止(渡・賭)
 なけれど、・・名懸例度
 咲く・・・・・作句
 頃の・・・・・コロの=比之
 をかしう、・・於歌詞得・御菓子得・可笑詞有
 杜鵑の・・・・「トケン(杜鵑)」之
        「都県・説けん・解けん」埜
        「杜=(もり・ト・ズ)」=木+十+一
        「鵑=ケン」=口+月+鳥
         之→シ=詞・史・市・誌・死
        ホトトギス(杜鵑、学名 Cuculus poliocephalus)
        カッコウ目・カッコウ科の鳥類の一種
        ホトトギス→補土伽諏・保都(土・図)都議主
              保渡富来棲・輔徒擬す
        鶯(ウグイス)などに
        托卵
        「ほととぎす」の当て字
        時鳥・子規・杜鵑・不如帰・郭公
        −−−↓
        正岡子規→ショウコウシキ→消光如き
        1867年10月14日(慶応三年九月十七日)
          〜
        1802年(明治三十五年)九月十九日)
        俳人歌人国語学研究家
        名は常規(つねのり)
        幼名は処之助(ところのすけ)
        後に升(のぼる)
        −−−
 かげ・・・・・掛解
 に・・・・・・爾
 かく・・・・・郭・佳句・可句・掛句
 る・・・・・・留
 らんと・・・・蘭徒・乱徒・覧図・藍徒
 思ふ・・・・・主附・重付
 に・・・・・・爾
 いと・・・・・意図・伊都・医徒・異図
 をかし。・・・可笑し・怪し・御掛詞
 祭の・・・・・「纏り・末理・松理・真通理」埜
 かへさに、・・変え差爾・代え作似
 紫野の・・・・篠の之
 わたり・・・・話多理
 近き・・・・・知可記
 あやしの・・・文詞埜
 家ども、・・・謂え度模
 おどろ・・・・嗚度賂
 なる・・・・・名留
 垣根・・・・・可記音
 など・・・・・等
 に、・・・・・爾
 いと
 白う
 咲き
 たる
 こそ
 をかしけれ。
 青色の
 うへに
 白き
 單襲
 かづき
 たる、
 青
 朽葉
 など
 に
 かよひ
 て
 いと
 をかし。

 四月の
 つごもり、
 五月の
 ついたち
 などの
 ころ
 ほひ、
 橘の
 濃く
 あを
 き
 に、
 花の
 いと
 しろく
 咲き
 たる
 に、
 雨の
 ふりたる
 翌朝
 など
 は、
 世に
 なく
 心
 ある
 さまに
 をかし。
 花の中より、
 實の
 こがねの
 玉かと
 見えて、
 いみじく
 き
 はやかに
 見え
 たるなど、
 あさ
 露に
 ぬれたる
 櫻にも
 劣らず、
 杜鵑の
 よすが
 さへ
 おもへば
 にや、
 猶更に
 いふべき
 に
 も
 あらず。

 梨の
 花、
 世に
 すさまじく
 怪しき
 物
 にして、
 目に
 ちかく、
 はかなき
 文つけ
 など
 だに
 せず、
 愛敬
 おくれ
 たる
 人の
 顏
 など
 見ては、
 たとひ
 に
 いふも、
 實に
 その
 色
 よりして
 あい
 なく
 見ゆるを、
 唐土
 かぎり
 なき
 物
 にて、
 文にも
 作る
 なるを、
 さり
 とも
 ある
 やう
 あらん
 とて、
 せめて
 見れば、
 花びらの
 はし
 に、
 をかしき
 にほひ
 こそ、
 心
 もとなく
 つき
 ためれ。
 楊貴妃
 皇帝の
 御使に
 逢ひて
 泣きける
 顏に
 似せて、
 梨花
 一枝
 春の
 雨を
 帶び
 たり
 など
 いひ
 たるは、
 おぼろけ
 ならじと
 思ふ
 に、
 猶
 いみじう
 めで
 たき
 事は
 類
 あらじと
 覺え
 たり。

 桐の
 花、
 紫に
 咲き
 たる
 はなほ
 をかしきを、
 葉の
 ひろごり、
 さま
 うたて
 あれども、
 又
 他木
 どもと
 ひとしう
 言ふべきに
 あらず。
 唐土
 ことごと
 しき
 名つき
 たる
 鳥の、
 これに
 しも
 住む
 らん、
 心
 こと
 なり。
 まして
 琴に
 作りて
 さまざま
 なる
 音の
 出で
 くる
 など、
 をかし
 とは
 尋常に
 いふべく
 やは
 ある。
 いみじう
 こそ
 は
 め
 で
 た
 け
 れ。

 木の
 さまぞ
 にくげ
 なれど、
 樗の
 花
 いと
 をかし。
 かれ
 ば
 な
 に、
 さま
 ことに
 咲きて、
 かならず
 五月五日に
 あふも
 をかし。
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